第六章(2) 魔王と勇者

                     同日 午後四時四十一分(日本標準時)

                        千葉県鴨川市 清澄山北東地点


「……エフリートよ。今なんと言った?」


 魔王は訝しげな顔で訊き返した。


「あら、聞こえなかったかしら? 魔王様、あなたに死んでもらうと申し上げたのですよ」


 エフリートは炎の衣を揺らしながら蠱惑的な声で答えた。辺りにいる魔物たちが呼応するように笑い声を上げている。

 眉を顰める魔王に向かってエフリートが続ける。


「魔王様、まさか意外だとはおっしゃらないでしょうね? あなたが半ば強引に推進した人間どもとの和平は、未だに半分近くの魔物たちが納得いっていないのです。この状況は遅かれ早かれというやつですわ」

「……なるほどな。しかしまさかエフリートよ、おぬしが真っ先に刃向ってくるとはな……随分と思い切った行動を起こしたものだ」

「まあ、和平反対派も過激派と穏健派とで分かれていて一枚岩ではないですからね。しかし、次もし魔大陸の権力を握る者がいたとしたら、それは魔王様、あなたを殺した者でしょうから」

「……なるほど。だからこんな愚かな真似をする気になったというわけか。しかしお前は確か穏健派ではなかったのか?」

「つい先日まではね。しかしながらわたくしはあなたを敬愛していたからこそあなたが許せなかった。我慢の限界だった。それだけ強大な力を持ちながら、人間どもに尻尾を振るあなたがね!」


 その言葉を受け取った魔王は、真っ直ぐにエフリートを見つめ返しながら、


「……エフリート、まだ間に合うぞ。矛を収めよ」

「一度抜いた矛は収められませんわ」

「エフリートよ、何故分からぬ? この地球に住む人間は思いのほか強い。おぬしとて分かっているはずだぞ」

「ええ、わかっておりますとも。ですからわたくしもお友達を作りましたの。人間のお友達をね」

「なに?」


 ――瞬間、魔王の額を衝撃が襲った。

 魔王はたまらず後ろへと吹き飛ばされる。


「ぐっ!?」

 十メートルほども転がって、魔王はなんとか起き上がった。

 魔王は額から血を流していた。青い血だった。

 ぱちぱちぱち、と拍手が聞こえてくる。魔王がそちらに目をやると、二人の軍人がエフリートの横へと歩いて来ているところだった。

 その二人のうち太っている方――ボリス大佐が拍手をしながら言ってくる。


「さすがは魔王といったところですな。今のは最新型の対魔特殊弾による狙撃だったのですが、まさかその程度の傷しか与えることが出来ぬとは……いやはや、恐れ入りましたぞ」


 魔王は目を細める。


「……何者だ、おぬし?」

「これはこれは……名乗りもせず失礼いたしましたな。わたしの名はボリス・マン。ロシア軍特殊部隊の長を務めております。階級は大佐です。短いお付き合いでしょうが、どうかお見知りおきを。くくく」


 ボリスは慇懃にお辞儀をして見せる。

 魔王が辺りの気配を探ると、確かに魔物ではない――訓練された人間が百人ほど、銃火器を装備して囲んでいるようだった。


「……そうか……エフリートよ、こやつがおぬしの協力者であり、このような思い切った行動を起こした理由の一端というわけか。……しかしまさか、ロシア軍とはな。さすがの我も驚いたぞ。一体どうやってこれだけの魔物とロシア軍をこの日本に入れたのだ?」


 しかしそれにはボリスが答える。


「蛇の道は蛇、というわけですよ。くくく」

「……ボリス大佐とやら。おぬしがエフリートをそそのかしたのか?」

「そそのかしたなどと、とんでもない。わたしとエフリート殿は志を同じくする者――いわゆる同志なのですよ!」


 ボリスは大仰にのたまってみせる。それでも魔王は語り掛ける。


「ボリス大佐……人類は戦いなど求めていないはずだろう? どうしてこのような愚かなことをする」

「魔王様、どうもあなたは人類を誤解しているようだ」

「……なに?」

「人類とて一枚岩ではないのですよ。あなたが和平を結んだ相手は『強国の意志』に過ぎないのです」


 魔王は眉を顰める。


「強国の意志……だと? それは一体どういう意味だ? それにロシアとて大国ではないか」

 ボリスはわざとらしくため息を吐いて見せると、


「やはりあなたは何もわかっていない。確かにロシアも大国のひとつではありますが、アメリカ合衆国など、強国に連なる国々の全てが相手では、百の意志を十ほども通すことが出来ないのですよ」

「………」

「あなたはまだこの地球に来て間もない。この地球にある国々の間の微妙なパワーバランスは理解出来ませんよ。だからこそ実際こうして我々がエフリート殿とともにあなたを殺そうとしているのですからな」

「………」

「まあしかし、ここで話すことは無意味ですな。それだけ理解していただければ結構ですぞ。くくく」


 ボリスはいやらしい笑みを浮かべながらそう締めたのだった。つまり、ここで殺されることになる魔王が理解する必要はないと言っているのだ。

 魔王は気落ちしたような、大きいため息を吐いた。


「……結局、我は甘かったということなのか……」

 エフリートはくすりと笑う。


「ふふふ、やっとわかっていただけたのですか? でも、もう遅いですわ。あとのことは全てわたくしが引き継ぎますから、魔王様はどうぞご心配されることなくあの世へと行ってくださいませ」

「………」


 魔王はもはや何も言わなかった。ただ悲しそうな顔で地面を見ているだけだった。


「あらあら。魔王様のそのようなお姿、見るに堪えませんわ。すぐに殺して差し上げましょう。ではみなさん、用意はいいで……」

 と、エフリートが今まさに全軍に攻撃命令を出そうとしていた時だった。

「まおう―――!」


 いきなり空中から少年がひとり降りてきて、魔王の側へと着地したのだった。その顔を見て魔王が呆気に取られた顔をする。


「へ? なんでお前がここにいるのだ?」

「お前があまりにも遅いから迎えに来たんだよ! 今日は対戦するって約束しただろうが!? こんなところでなに油売ってんだよ! ぶっ殺すぞ!?」


 それは勇者だった。しかもいきなりマックスでキレていた。

 魔王は慌てて弁明しようとする。

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