第十章(1) 勇者と死の修行
勇者が美咲に修行を頼んだのにはわけがある。そもそも勇者の師匠は美咲なのである。
勇者を勇者として育てたのは、ほぼ美咲の功績だ。だからこそ勇者は再び美咲へ修行を志願した。
勇者が勇者になるには、それこそ地獄のような特訓を越えなければならなかった。何度も脱走を試みては美咲に連れ戻されたトラウマのある、地獄の中の地獄のような特訓だった。
そんな鬼軍曹の美咲に再び修行を頼むのはためらいがあったが、しかし魔王に勝つためには仕方がない。一週間ぐらいなら我慢できるだろうと、勇者はそう割り切った。
そして今、その地獄の中の地獄を超えるほどの特訓が行われようとしていた。
十二月四日 月曜日 午後五時四十八分(日本標準時)
日本 岐阜県高山市 御嶽山北部奥地
間もなく日が暮れようとしている。
山頂にはうっすらと雪が積もっていた。
美咲は口から白い息を吐き出しながら、
「これから一週間……厳密に言えば今日から六日間ね。この御嶽山に山籠もりします」
美咲が修行の場として選んだのは岐阜県御嶽山の山奥だ。勇者は以前にもここで修行した経験があった。
「まずは引きこもってなまり切ったその体を元に戻します」
「え? でも母さん。俺、実際にはそんなになまっていないと思うんだけど。この間、魔王とも普通に戦えたし」
美咲はにこりと笑うと、
「口答えする度に修行の内容はよりハードになっていくわよ? 忘れたのかしら」
「そ、そうだった……すいませんでした……」
「わかればよろしい。ではまず上半身裸になりなさい」
「え?」
「ハリーアップ」
「は、はい!」
勇者は言われた通りに上半身裸になった。
「寒いわよね?」
「は、はい、寒いです!」
「魔法でバリアを張って寒さを遮断しなさい」
「へ? いいの?」
「もちろん」
「な、なんだ。今回の母さんは意外と優しいな」
そう言いながら勇者は魔法バリアを体に巡らす。というのも、以前は上半身裸で魔法を使えない状態で雪山に放り投げられ、体を動かすことだけで寒さを凌いで二十四時間過ごしなさいとかいう、もしかして自分に死んで欲しいのではないかと本気で疑ったほどの修行をやらされたことがあったからである。
――しかし、やはり甘かった。
「よし。その状態で日本横断よ」
「はい?」
その優しい声で言われたことの内容に勇者は耳を疑った。
「だから、その状態で日本横断よ。もう少し詳しく言うと、日本の真ん中にはいくつもの山脈が走ってるでしょ? 青森県から鹿児島県まででいいわ。それらの山脈を伝って日本を往復するの。そうねぇ……明日の日の出までに十往復ってところかしら?」
勇者は顔を引き攣らせていた。
「え……うそだよね……?」
「あら、優し過ぎたかしら? 久しぶりだったから少し甘めにしたのだけど、これで足りないって言うのならもう少し増やしてあげるわね」
「そうじゃなくてぇぇぇええええ!」
ほのぼのした声でとんでもないことを言い出す母親に、勇者はこれでもかというくらいに目を剥いていた。
「そんなことできるわけないだろっていう意味の『うそだよね?』だよ! こんな常時魔法を展開した状態で、明日の日の出までの約十一時間で日本を上から下まで十往復も出来るわけないだろ!? バカじゃないの!?」
「でも北海道と沖縄は抜いてあげたわよ?」
「どうもありがとうとでも言うと思った!?」
吠える勇者に、母親は頬に手を当てながら説明してくる。
「でも、この修行にはちゃんと意味があるのよ? これから先、あなたには勇者の奥義を授けます。そのためにはまず、あなたのベース能力を今以上に上げる必要があるの。この修行は体力と魔力量を同時に底上げできる効率の良い修行なんだから」
「はい? ちょっと待って。勇者の奥義? そんなものがあるの?」
美咲は頷く。
「あるわよ。今まで修行法が確立できなかったから敢えて口に出さなかったけど、わたしの構想上、間違いなく最強の必殺技になるだろう、聖剣を使えるからこその勇者専用の必殺技が存在するの。まあ、わたしの構想上だけで編み出した必殺技で、まだこの世には存在していないけど、あなたが今以上に心身ともに強くなれば、間違いなく習得できるはずよ」
「そ、そんなものがあったなんて……!」
勇者は感動した。それを習得すれば、もしかして魔王に必勝出来るのでは……?
「でもね、その必殺技を習得するためには、やっぱり一筋縄の修行ではいかないのよ。勇者として認められた今の状態すらも超えてもらわなければならないの。具体的に言えば、ちょっと死の淵を見てもらうくらいかな?」
「ちょっと死の淵を見てもらうくらいかな? じゃないよ! 母さんがそこまで言うっていうことは、それ……下手したら本当に死んじゃうじゃないの僕!?」
「ええ、下手したら死ぬわ。だから下手しないでね?」
「アドバイス下手すぎでしょそれ!?」
つっこみながらも勇者はゾッとしていた。以前でさえ『死』という言葉は使われなかったのだ。それが今回『死』という言葉を使われた。それは即ち、今回の特訓は前回の地獄の中の地獄の特訓すらも上回ることを意味しているということだ。
「魔王ちゃんに勝ちたいんでしょう?」
勇者はハッとした。そうだ。俺はあいつにだけは負けたくない。勇者の目に光が灯った。
「そう……いい目ね。ずっとその目をしていなさい。そうすればこの特訓は必ず乗り越えられるわ。そしてきっと習得できる。勇者の奥義を、ね」
「……!」
勇者の奥義――魔王に勝つために、やはりそれはどうしても欲しかった。
「さあ、始めるわよ。覚悟はいいかしら」
勇者は覚悟を決めた。そして一度大きく息を吸い込んでから頷いた。
「ああ! いつでも準備はオーケーだよ、母さん!」
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