第13話 せめてこの夜だけでも、小夜曲のように

   8


 意識の無い殻木田くんの肩を担ぎ、空間移動を使い、殻木田くんの住んでいるアパートの部屋の中に降り立つ。

 空間移動は、知らない場所には行けないし、失敗するとおかしな所に飛ばされる場合もあった。尤も何度も訪れた場所なら、まず成功するが。

 暗い部屋の中、殻木田くんをベッドに降ろし、仰向けで寝かせ、毛布を掛ける。

 線は細くとも、そこは男の子。身体はガッチリしていて重く、ここまで運ぶのは結構骨が折れた。

 ベッドの上で目を閉じて、眠る殻木田くんは時々、うなされるように苦しげな声を洩らす。

 それも仕方ないのかもしれない。

 殻木田くんの先程、受けた傷は全て治した。制服だって血のシミの跡はどこにもない。

 それでも受けた傷の痛みを、まだ身体が、感覚が覚えているのだろう。

 数日は、身体を動かすだけで身体がありもしない痛みを訴えるだろう。

 逆に言えば、それ程の大怪我でもあった。

 「この……バカ」

 ベッドの脇に座り、殻木田くんを見つめながら――そう、呟く。

 魔女である私は、その力を使えば大概の事はできるだろう。

 それでも――どうする事もできない事もある。

 殻木田くんの頬の傷跡をなぞる。

 何度か、怪異に巻き込まれて傷を負った殻木田くんを治してきたが、この傷跡だけは消えない。



 前に殻木田くんから聞いたことだが、殻木田くんは昔、車の事故にあって家族をみんな亡くしたそうだ。

 お父さんとお母さんを、それから少し歳の離れた妹さんを。

 家族でドライブをしている最中に、突然タイヤが破裂、車が横転したことが原因だそうだ。

 殻木田くん以外は、ほぼ即死だったらしい。


 殻木田くんは――その事故の原因が、自分にあると思っている。


 お父さんに、もう少し、車の速度を上げて欲しいと頼んだことが。

 事故はその、直後に起きた。

 頬の傷はその時に付いたものだそうだ。


 殻木田くんの頼みが事故の直接の原因かどうか、今はもう分からない。


 ただ――その事で殻木田くんは自分のことを責め続けている。


 殻木田くんが、ここまで誰かのために、何かをしようとするのは――贖罪なのかもしれない。


 在りもしない罪を償うための。

 その罪は、誰かに赦されるものなのだろうか?

 自身を蔑ろにする、その行いは。

 頬の傷跡が消える日は来るのだろうか?



 先週見た腕に巻かれた包帯。

 土曜日の放課後、ふたりで出かけた時に聞いた話によれば、少し前にクラスメイトの部活動の手伝いを――聞いていて、いささか無理とも思える頼みに応えた時にできたものだそうだ。

 そして、今日――

 ――怪物になりかけていた鈴木しぐれがあの〝手〟で触れた殻木田くんは、どう見えたのだろうか?

 魔女の〝杖〟と同質の物であった彼女の〝手〟には。

 例え、どんな傷を負うとしても誰かのために在ろうとする殻木田くんは。


 魔女の〝杖〟はこの人の想いでできた【セカイ】で、自身の望みを具現化してしまうものだから。


 「おやすみなさい、殻木田くん――」

 ベッドの脇を離れ、踵を返し帰ろうとした。

 その時、手にぬくもりを感じた。

 私の手を掴むのは――

 「先輩、ごめんなさい……」

 ――ベッドの上でうなされる殻木田くんだった。

 きっと、今の言葉は眠りの中の無意識のものなのだろう。

 ベッドの脇に座り直し、殻木田くんの手を握り返す。

 すると、殻木田くんは少しずつ穏やかな寝息を零すようになった。


 もう少し、もう少しだけここで、こうしていようと思った。

 殻木田くんが穏やかな、優しい夢を見られることを祈って。



 ――既に滅び、壊れた、それでも傷付き続ける【セカイ】の中で。

 部屋に差し込む、同じように傷付いた月の光の中で。



      きみが怪物になってしまう前に 了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る