第13話 せめてこの夜だけでも、小夜曲のように
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意識の無い殻木田くんの肩を担ぎ、空間移動を使い、殻木田くんの住んでいるアパートの部屋の中に降り立つ。
空間移動は、知らない場所には行けないし、失敗するとおかしな所に飛ばされる場合もあった。尤も何度も訪れた場所なら、まず成功するが。
暗い部屋の中、殻木田くんをベッドに降ろし、仰向けで寝かせ、毛布を掛ける。
線は細くとも、そこは男の子。身体はガッチリしていて重く、ここまで運ぶのは結構骨が折れた。
ベッドの上で目を閉じて、眠る殻木田くんは時々、うなされるように苦しげな声を洩らす。
それも仕方ないのかもしれない。
殻木田くんの先程、受けた傷は全て治した。制服だって血のシミの跡はどこにもない。
それでも受けた傷の痛みを、まだ身体が、感覚が覚えているのだろう。
数日は、身体を動かすだけで身体がありもしない痛みを訴えるだろう。
逆に言えば、それ程の大怪我でもあった。
「この……バカ」
ベッドの脇に座り、殻木田くんを見つめながら――そう、呟く。
魔女である私は、その力を使えば大概の事はできるだろう。
それでも――どうする事もできない事もある。
殻木田くんの頬の傷跡をなぞる。
何度か、怪異に巻き込まれて傷を負った殻木田くんを治してきたが、この傷跡だけは消えない。
前に殻木田くんから聞いたことだが、殻木田くんは昔、車の事故にあって家族をみんな亡くしたそうだ。
お父さんとお母さんを、それから少し歳の離れた妹さんを。
家族でドライブをしている最中に、突然タイヤが破裂、車が横転したことが原因だそうだ。
殻木田くん以外は、ほぼ即死だったらしい。
殻木田くんは――その事故の原因が、自分にあると思っている。
お父さんに、もう少し、車の速度を上げて欲しいと頼んだことが。
事故はその、直後に起きた。
頬の傷はその時に付いたものだそうだ。
殻木田くんの頼みが事故の直接の原因かどうか、今はもう分からない。
ただ――その事で殻木田くんは自分のことを責め続けている。
殻木田くんが、ここまで誰かのために、何かをしようとするのは――贖罪なのかもしれない。
在りもしない罪を償うための。
その罪は、誰かに赦されるものなのだろうか?
自身を蔑ろにする、その行いは。
頬の傷跡が消える日は来るのだろうか?
先週見た腕に巻かれた包帯。
土曜日の放課後、ふたりで出かけた時に聞いた話によれば、少し前にクラスメイトの部活動の手伝いを――聞いていて、いささか無理とも思える頼みに応えた時にできたものだそうだ。
そして、今日――
――怪物になりかけていた鈴木しぐれがあの〝手〟で触れた殻木田くんは、どう見えたのだろうか?
魔女の〝杖〟と同質の物であった彼女の〝手〟には。
例え、どんな傷を負うとしても誰かのために在ろうとする殻木田くんは。
魔女の〝杖〟はこの人の想いでできた【セカイ】で、自身の望みを具現化してしまうものだから。
「おやすみなさい、殻木田くん――」
ベッドの脇を離れ、踵を返し帰ろうとした。
その時、手にぬくもりを感じた。
私の手を掴むのは――
「先輩、ごめんなさい……」
――ベッドの上でうなされる殻木田くんだった。
きっと、今の言葉は眠りの中の無意識のものなのだろう。
ベッドの脇に座り直し、殻木田くんの手を握り返す。
すると、殻木田くんは少しずつ穏やかな寝息を零すようになった。
もう少し、もう少しだけここで、こうしていようと思った。
殻木田くんが穏やかな、優しい夢を見られることを祈って。
――既に滅び、壊れた、それでも傷付き続ける【セカイ】の中で。
部屋に差し込む、同じように傷付いた月の光の中で。
きみが怪物になってしまう前に 了
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