第31話 世界は幻じゃない

    3


 その後、やる気を出した先輩があっという間に仕事を――多くなかったとはいえ終わらせて、ふたりで街に出た。


 ――できるなら最初からやって欲しい、と心の底から思った事は内緒だ。


 駅前のヤクドナルドに向かう途中で、色々の所に寄って色々な物を見た。

 本屋や、ビデオレンタル屋、百円ショップ等。

 先輩は色々な物に興味を示しては、足を止める。

 二月の夜にもふたりで街を歩いたし、その後にも何度かこうして出掛けた事はある。でも二月の時は怪異を追っての事だったし、何よりも先輩は今までにないほどに楽しそうにしている。

 まるでこんな風に誰かと歩くのは初めてだとでもいうように。

 二月のヨーカドーの時にも似たような事を思ったけど。

 そんな先輩の様子に俺は――非常に失礼な疑問を抱いた。

 「あの、先輩。少し聞きたい事が……」

 「何かしら、殻木田くん?」

 ファンシーショップの軒下で、黒猫のマスコットをつつく先輩に声を掛ける。

 「先輩って、今までに友達と街で遊んだ事とかってあります……?」

 「ないわね」

 こちらに振り向く事もなく、即答。

 「そもそも、先輩って友達います?古谷先輩を除いて……」

 唇を引きつらせながら、聞いてみる。

 先輩は目を閉じて、腕を組んで考え込む。

 「思い当たらないわね。特に」

 わお、思春期の学生の女の子の発言とは思えないヨ!

 下手な学生だったら、不登校になる理由にもなりそうな事をこうも平然と。

 それから、先輩はこちらを振り返って言った。

 「ああ、そもそも殻木田くん。私と千鶴は友達かもしれないけど、〝悪〟の付く方だと思うわ」

 でしょうね。

 生徒会室でふたりでいる時なんか、結構罵倒しあってますしね。

 最初は驚きましたよ。

 些細な事で先輩がけし掛けて、それに古谷先輩が答えて。最初、そんな地を俺の前で出してしまった事を恥じて口を閉じていたけど、止まらない先輩の罵倒を前にしてブチ切れて叫んだ。

 「小夜の××××――!」

 女の子ってこんなにも口汚い事も言えるんだって、少し感動もしましたよ。

 他の生徒がいたら、古谷先輩の評価は全然変わっていたかもしれません。

 ただ、そうして罵倒しあっている姿がえらく自然に見えましたけどね。


 もしかして、俺の周りにいる女性ってみんな変?


 俺の怪訝な視線を感じ取ったのか、先輩は俺を見て言った。

 「殻木田くん、言っておくけどあなたも、結構おかしな子よ。最初に会った時から言っているけど」

 さいですか。



 ヤクドナルドに着いて互いに注文した物を受け取って、窓際の席に先輩と向き合って座る。

 先輩は美味しそうに杏仁豆腐を頬張り、俺はコーヒーを啜る、ある新聞記事を読みながら。

 見出しは傷害犯の逮捕。

 その傷害犯は二月に俺の友達を襲った人間だった。

 少し前に警察に自首してきたそうだ、酷く怯えた様子で。

 ずっと、気にはなっていた。あの後も探そうとはしていた。でもその度にそれとなく先輩に釘を刺されて、公には探す事はできなかった。

 その記事を読んでいると先輩が覗きこんでから言った。

 「ああ、その犯人自首したそうね」

 「ええ、その事で友達も最近落ち着いてきたんですよ。最近まで人を怖がっていたんですけど。近く学校にも通えるようになるかもって言ってました」

 「そう、良かったわね。まあ少し骨が折れたけど、見つけて良かったわ」

 え、今なんか凄いこと言わなかった。

 「まあ、でも友達は刑期を終えて出所した後の事を気にはしてましたね……」

 「なら安心していいわ。二度と誰かに危害を加えないように、散々恐い目には遭わせたつもりだから。これで、あの二月の事に対して少し清々したわ。あなたへの一応のケジメも付けられたし」

 先輩が気持ち良さそうに身体を伸ばす。

 詳しくは聞けなかった。なんだか恐ろしい話が始まりそうで。

 それから昨日食べた物とか、見たテレビ番組の事とか、他愛のない事を話した。

 五月の暖かくて柔らかい、日差しの中で。

 先輩が笑っている。きっと俺も笑っている。

 それはありきたりな、穏やかな時間で。


 ――本当にそうなのか?


 俺は知っている。

 こんなシアワセにも思える時間も、何か不幸な事があれば簡単に吹き飛んでしまうことを。

 ずっと、ずっと俺はその時の事に縛られている。

 そして、多分先輩も。


 二月の夜の昏く、深い夜の中で俺は縛られているものを、自分を縛っているものを先輩に知られて。告白して。

 そして怒られて、抱きしめられた。


 嬉しかった、本当に。

 俺は先輩に出逢えたからこそ、自分を少しだけ赦せるようになった。

 そんな先輩を掛け値無しに信じている。

 ひと――として笑う先輩を最初から信じていたけれど、今はもっと強く信じている。


 〝魔女〟としての先輩。そんな彼女を俺は知っている。

 けれど、知らない。先輩が魔女として本当はどんな事をしているのかを。

 それでも先輩のしている事はきっと不可解な怪異を〝刈り取る〟事だけじゃないと思う。

 最初にあった時、俺は記憶を消され――刈り取られた。

 それから、先輩は俺を抱きしめた時にも言っていた

 俺の辛い記憶を消せるのだと。

 そもそも俺の出会った、あの二月の怪異はひとの想いから生まれたものだと、古谷先輩から聞いている。

 「この【セカイ】では人の想いから〝そういうもの〟が生まれるのよ――」

 古谷先輩はそう言っていた。確かに怪異はひとに危害を加えるものならば、危険だと思う。


 怪異とは詰まるところ、物語などで語られるひとの想いが生んだ悪霊のようなものなのかもしれない。


 けれど――なら何故それを隠す必要があるのだろう?


 魔女の魔法と怪異を見られる事に何の問題があるというのだろう?

 知られてはいけない〝何か〟があるのだ。

 だから記憶を刈り取るのか――けれど、怪異は元々ひとの想いで。


 ふと自分の記憶を、辛い記憶が無かったらと思うことがある。

 けれど、それは少なくとも〝今〟の自分とは違う。

 自分では無い。


 自分を――殺されるのだ。


 この世界で怪異を生むのは、ひとの想い。

 だからその想いを生んでいる記憶を消すのが――多分、魔女のする事。

 でも分からない。その事が何処に繋がるんだ?

 不幸な記憶を持っていることが。


 この――世界で。


 「どうしたの、殻木田くん?急に黙り込んで。何か考え事かしら?」

 「いえ、何でもないんです。何でも……」

 「嘘は吐かないで、殻木田くん――あなたはすぐに何かを隠そうとする癖がある。何かあるなら言って。私は受け止めるわ」

 そう、先輩は笑って優しく言ってくれる。


 先輩、あなたはどうしてそんなにも俺に優しいんですか?

 あなただって、何かを――きっとお母さんのことで悲しい過去を抱えていて。

 それがきっと、先輩を魔女にしてしまって。

 そして、ひとである事と魔女である事の境で苦しんでいて。


 三月のある雨の日の事を思い出す。

 あの日のずぶ濡れだった先輩は、きっと泣いていたように思えて。


 先輩が魔女として――している事を俺に殆ど告げないのは、多分俺のため、俺を守るためなんだと思います。

 あの二月の怪異の時から、俺が特に何も無く過ごしている事の裏には何かがあるのかもしれません。

 それをあなたが俺に告げる事は無いと思います。


 「先輩、本当にありがとうございます。その言葉だけで大丈夫です。俺は――先輩を信じていますから」

 微笑みながら先輩の唇に指を当てて、言葉を止めてしまう。

 その艶やかな唇を撫でる。

「殻木田くん……」

 先輩が、気恥しそうに俯く。

 「私は……」

 そこからは言葉は続かなかった。


 先輩、俺はあなたを信じています。

 例え、あなたの全てを知らなくても。

 それは、ひとが取るべき距離としてはきっと妥当なもので。

 間違いなくそれは確かな信頼と呼べるもので。

 それでも、何かを間違えている気もして。


 それが、何なのか。

 その事が意味する事に――先輩に対する甘えだということに。それだけでは無く、俺自身の先輩への気持ちも、俺はまだこの時はなんにも分かっていなかったんだ。

 ただ、先輩が笑っていてくれればそれで良かったんだ。


 ただ今は、穏やかな時間だけが流れていた。

 ガラス越しに見れば世界は、淡い幻のように遠く見えて。

 幻なのは世界なのか、俺達なのか。


 それでも俺達はここにいる――


 俺と先輩の日常は――確かにある。



          彼と彼女の日常は――  了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る