第30話 鈍感と悪戯の境
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「殻木田くん、少し頭が痛いわ」
「自業自得です、しばらく反省してください」
机の上で書類を見て、仕事をする先輩を隣合った席に座って見つめながら、いや監視しながら憮然として答える。
溜息を吐いて、面倒くさそうに書類に目を通して、ハンコを押していく先輩。
物憂げな瞳とあまり変わらない表情。それらが強める浮世離れした雰囲気。
魔女――そう知ってしまえば違和感も無い。
それは、魔女としての仮面だと思っていた。今でもそうは思う。
けれど、先輩後輩として日々を過ごす中で俺は分かった。
このひとは――かなりの面倒くさがりだ。
天邪鬼と言ってもいいかもしれない。
できないわけじゃない。
したくないから、しないのだ。
自分にとって必要の無いことは、最小限で済まそうとする傾向が高いのだ。
――要するに先輩の浮世離れした雰囲気は、一枚皮を剥いでみるとただの面倒くさがり屋が醸し出しているものでしかなかったのだ。
ただ、それは先輩の容姿も大きく関係している。
腰まで掛かる長い艶やかな黒髪。細い手足。整った顔立ち。最初、夜の暗がりで会ったので分からなかったけど、スタイルもかなりいい。
出ているところは出ているのに細い。
こんな風に仕事をしていても、絵にはなる。
――だから、勘違いを起こす。
これでもっと人当りが良かったり、面倒くさがりじゃなかったら、古谷先輩と同じくらい人気があったんじゃないのかと思う。
もっとも、本人はそんな事は全く気にせず大欠伸なんかしている。
その美貌が、少し崩れる。
まあ、もう俺の中の先輩のイメージなんか色々崩れているけどさ!
時計を見る。
仕事を始めてから十分経過。
大体、先輩が飽きる頃ではある。
「先輩、何か飲みますか?」
間を保つために、声を掛ける。
「いえ、いいわ。喉は乾いてないのよ。それに――殻木田くんがそんな風に私に飲み物を勧める時は、もう少し私を仕事に釘付けにするためだと知っているし」
先輩が意地が悪そうに微笑んで言う。
「ええっと、いつから分かりました?」
「そうね、あなたが生徒会室に出入りするようになって、千鶴に頼まれて私を見るようになってから三日目くらいかしら」
ああ、もう!
「なんで、分かったんですか?」
先輩の意地の悪い微笑みに負けないように精一杯、笑って強がる。
「なんでかしらね」
先輩は微笑みを崩さない。
「俺ってそんなに分かりやすいですか?」
「どうかしら」
先輩は俺を、楽しそうに見つめ続ける。
本当に楽しそうに。
「大体、女の子を飲み物一杯でその気にさせようというのが間違っているのよ、殻木田くん」
「そうなん……ですか?」
分かったような、分からないような。
「ええ、そうよ。その気にさせたかったらそれなりの物を用意しないと。さて、殻木田くんは私に何を用意してくれるのかしら?」
俺を試すような口振り。
「……」
無い頭を振り絞って、考えてみる。
――出ない。
そもそも女の子の事なんて大して分かる訳じゃない。今まで、付き合った事だってないのに。
ある意味、時間は短いけど先輩が恐ろしく濃いくらいじゃないのか。
俺が困っている様子を見ていた先輩が口を開く。
「最近、ヤクドナルドで新発売されたという杏仁豆腐が気になるのよ。誰か私を連れて行ってくれる男の子はいないかしら」
そう言っていかにもわざとらしく、溜息を吐いた。
「それで、いいなら是非!」
答えを得た俺は笑って頷く。
「はあ、全くあなたは」
あれ、なんか不機嫌そう。
「誰に対しても、例え無理な事を頼まれてもそんな風に笑いかけるのでしょうね。だから、入学して一か月で沢山の知り合いができた。それが縁で生徒会にも出入りするようになった。あまつさえ、私の面倒まで見ることになった――」
今度は目を伏せて、本物ぽい溜息を吐く。
「きっと、私の事も頼まれ事の延長なのでしょうね」
その言葉を聞いて俺は――
「――違いますよ」
――そんな風に即答していた。
不意に込み上げた感情。それがなんなのかは分からない。
でも、俺にとっては先輩は大切なひとだ。それだけは分かる。
「先輩は俺にとって――」
先輩を真っ直ぐに見つめて言葉を続けようとした時、先輩が俺の唇に指を伸ばして触れて止める。
「ごめんなさい。少し意地悪をしすぎたわ」
彼女は満面の笑みで言った。
「許して欲しい。それから許してあげる」
ああ、やっぱり女の子の事なんて分からない。
笑っていたと思ったら怒って、なのにすぐに――また笑って。
それは先輩が軒並み外れて特別なのか。
それとも元々、女の子がそういうものなのか。
不思議で仕方なかった。
でも、今回の事で分かった。
先輩は俺に対して少し意地悪だ。
その様は何となく、気まぐれな黒猫に弄ばれるハムスターを連想させた。
なんで、そう思ったのかは分からないけど。
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