第29話 彼と彼女の日常は――

彼と彼女の日常は――


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 今でも時々、不意に思い出す事がある。

 暗い夜の中で。


 あの昏く、深かった二月の夜の闇を。


 他人を嗤いたい、そんな僅かな悦びの為に誰かを貶めて、そこから生まれてしまった者の事を。

 怪異の始まりになった子はきっと、この世界を恨み嗤いながらも、誰かの助けや優しさを求めていたように俺には思えるのだ。


 悲しい出来事だったと思う。


 事件の当事者だった自分としては、どうすればいいのか、どうすれば良かったのか今でも分からない。

 遣り切れない想い。

 その想いがあの怪異を、心に留めさせるのだろう。


 それとは別で、あの怪異の中で鮮烈に俺の心に残った事がある。

 虚木小夜――先輩との出会い。

 魔女だという彼女。それに値するチカラと浮世離れした雰囲気を持っていて。

 最初は怖いと思った。

 けれど、すぐに分かってしまった。

 彼女は本当は、魔女なんて存在である前に、ひと――としての心を持っていて。魔女である事との境に苦しんでいて。


 先輩が物憂げに世界を見つめて、その表情を変えないのは〝魔女〟でいる為の仮面なんだと――そう、思っていた時期が僕にもあったんですよ!



 五月のうららかなで暖かな日差しが差し込む、土曜日の午後。

 俺は生徒会室にいた。

 目の前には、穏やかな陽気の中で机に突っ伏して、気持ち良さそうに眠る虚木先輩。

 他の生徒会の役員の人は誰もいない。みんな会議を終え、自分の仕事を終えて帰っていった。

 まあ体よく言えば、あまりにやる気の無い先輩にみんな呆れて、苦笑して、先輩抜きで進めて終わらせたというか。

 これでも先輩は生徒会長なのだから恐ろしい。

 同じ魔女で先輩と長い付き合いであるらしい、副会長の古谷先輩ですら、後の事を俺に任せて帰っていった。

 古谷先輩曰く。

 殻木田君が側にいた方が小夜が微妙にやる気出すのよ、との事。

 本当かよ!

 なんでこんな事になったのだろう、と思い返す。


 そう、四月の中旬。次期生徒会への入れ替えの時期、候補者の中に虚木先輩と古谷先輩がいた。

 まあ、古谷先輩は分かる。最初に会った時からしっかりしてそうに見えたし、何より快活でそういう事の手際も良さそうに見えたから。

 虚木先輩は――こう、確かに雰囲気はある。人とは違う浮世離れした雰囲気が。物憂げな瞳がそれをより強めているのかもしれない。

 でも、バリバリと仕事してくれそうな雰囲気は無いと思う。

 うん、本当に無かったけど。

 みんな、その事を心のどこかで感じながらも投票して、先輩が生徒会長に選ばれてしまって。みんな不安に思いながらも、実は違うのではないか、という一抹の淡い期待を抱いていた。

 でもやっぱり――不安は現実に変わる。

 「コノタビ、セイトカイチョウニエラバレマシタ、ウツギサヨデス。ヨロシク」

 先輩の就任の挨拶はあまりに棒読み。申し訳ないけど機械が喋った方が何万倍もマシなんじゃないかとすら思った。

 この時の事を俺はずっと忘れないだろう。

 生徒も先生方も吐いたあの、ああやっぱり、というあきらめの溜息とこの後どうしようかな、と雰囲気を。

 事情は先輩から聞いたけどさ。ホント、なんでこんな事になったのさ!

 ねえ、人気投票は止めよう!

 先輩は雰囲気投票だったけどさ!

 こんにゃろう!



 「先輩、起きてください」

 先輩を起こすためにまず、声を掛ける。

 先輩の仕事の大半はありがたい事に、古谷先輩がしていってくれたので大した仕事は残っていない。少しの書類に目を通して、ハンコを押すだけだ。

 古谷先輩には申し訳ないと思うのだけど、どうも今回の事は古谷先輩にも責任があるらしく、結構手を貸してくれる。

 まあそれでも、先輩があまりに仕事をしないので我慢の限界に来ているというか、腹に据えかねているというか。

 俺もだけど。

 「先輩起きてください!」

 今度は強めに声を掛ける。

 「いや…昨日は遅かったのよ……」

 そう言って先輩は拒絶の意思を示すように身体を揺らすだけ。

 どうやら昨日は魔女として夜に、行動していたらしい。

 確かに古谷先輩も、今日は――時々、眠そうにしている時がある。

 それでも、笑顔で気丈に振る舞って。

 古谷先輩は学校でも眉目秀麗の優等生で通っていた。

 容姿も、面倒見もいいし。

 それなのに、虚木先輩ときたら。

 個人的には、少しだけでも魔女のしている事を、夜に活動する事が多い事を知っている身としては見逃してあげたい所ではある。

 でもなあ。

 ほっとくと、このひとは本当になんにもしないからなあ。

 もう一度、声を掛ける。

 でもやっぱり、芳しい反応は得られない。

 頭を抱える。何時だって先輩を起こすのは一苦労だ。

 触れることに抵抗はあったけど、その細く柔らかい肩に触れて揺らす。

 「先輩、起きてくださいってば!」

 「……いやよ」

 「……どうしたら、起きてくれます?」

 そう聞いてみると、うっすらと目を開いて俺を見て。

 「殻木田くんが、私の頬に…キスをしてくれたら……」

 そんな事を言いやがった。

 先輩、できないって分かって言ってるでしょう!

 しないって分かってて言っているでしょう!

 要するにこの人は無理を言って、ゴネているのだ。

 遊ばれているのかもしれない。

 少し、頭にきた。

 手で手刀を作る。

 できるだけ優しく、でも掛け値なしの怒りを込めて、先輩の頭にチョップを叩き落とした。

 「いい加減にしろ!」

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