第14話 日常へと戻り……

     君の笑顔が見たくて


     1


 「毎度の事だけど、相変わらず堪えるわね……」

 「ええ、そうね……本当に面倒」

 私は出そうになった欠伸を噛み殺し、千鶴は眠そうに目蓋を搔いていた。

 鈴木しぐれの一件のあった次の日の朝。

 私と千鶴は、一緒に古谷家から登校していた。

 あの後、私達は朝まで事後処理に追われていた。

 私は今回の件を、監督役である千鶴の母親に提出するレポートとして書き、千鶴は現場に赴き事の起きた痕跡が残らないように処理した。更にそれらを書類としてまとめていた。そのせいで、互いに睡眠時間は一時間ほどしか取れていない。

 長期の休みや、休日前はともかく、週の初めにやることにしては結構ハードだと思う。

 「ああ、今は太陽が恨めしい……」

 千鶴がボヤいた。その気持ちはよく分かる。

 太陽というヤツは、人の気持ちや状態に関わらず勝手に昇ってきて、周囲を照らし目蓋の裏を焼くのだから。

 私だって、許されるなら、今すぐ家に帰ってベッドに飛び込んで惰眠を貪りたい。尤も、周囲に優等生として猫被る千鶴と違って、私は授業中に睡眠学習をすることに決めているのだけど。

 「あら……」

 学校の校門まで来た時、私達は見知った人物を見つけた。

 頬に傷のある男子生徒――殻木田くんだ。

 殻木田くんは誰かを探すように、周囲を見渡している。

 そして、私達を見つけると駆け寄ってくる。

 「おはようございます。虚木先輩、古谷先輩!」

 そうして挨拶をすると、何かを堪えるように、身体を抑える。

 ――この、バカ。

 身体が痛むのなら、今日くらい休めばいいのに。

 そう、心の中で呟く。

 「おはよう、殻木田君、身体どうかしたの?」

 「……」

 私は何も返さない。

 「あの、虚木先輩……?」

 「……」

 「えっと……」

 何も言わず殻木田くんを見つめる私と、そんな私を前に困り果てる殻木田くん。

 「ふむ……」

 そんな私達の顔を見比べた後、千鶴は殻木田くんの手を引いて、少し離れた所へ連れて行く。


 「殻木田君、あなた、小夜と何かあったの?」

 「昨日、おぼろげにしか憶えてないんですけど、行方不明だったクラスメイトの鈴木さんを探していた時、虚木先輩に助けてもらったと思うんですよ……その、お礼が言いたくて」


 ふたりは、私に背を向けて話し込んでいる。

 聞き耳を立ててみれば昨日、君を助けたのは私だとか、言葉だけではなくお礼をした方が、するのならしっかりした方がいいとか。千鶴が何やら殻木田くんに色々、吹き込んでいた。

 千鶴のヤツ、余計な事を。


 しばらくした後、ふたりが戻ってくる。

 「先輩、今日の放課後は空いてますか?」

 開口一番、殻木田君はそう言った。

 今日は生徒会の仕事も無いし、特に予定は入っていない。

 私は頷く。

 「それなら放課後、俺に付き合ってください!」

 叫ぶようにして、彼は言う。

 「いいわよ」

 「はぁ、よかった……それじゃ、授業の終わりに先輩の教室に行きますから待っていてください」

 安心したように、殻木田くんは息を吐いた。


 私達を見て、千鶴は何やらいやらしい笑みを浮かべていた。

 あの野郎、いつかシメテやる。

 私は心の中でそう、決めた。


   2


 教室に差し込むうららかな日差しの中、私は授業を白河夜船を漕ぎながら受ける。時間も授業の内容も曖昧なまま。

次のテストの事が少し頭に浮かんだけれど、忘れる事にした。

 そうして、放課後までの時間を過ごした。


     ◇


 放課後、授業が終わった後、夕暮れが差し込む教室で私はひとり、殻木田くんを待っていた。

 今日の授業の終わりは殻木田くんと同じはず。

 時計を見れば、既に三十分ほど経っていた。

 教室の掃除をしていたクラスメイト達も、みんな帰路に着いた。

 「ごめんなさい、お待たせしました!」

 急ぎ足に殻木田くんが教室に入ってくる。

 「痛っ……」

 息を整えようと胸に手を置くと、まだ痛むらしくそのまま身体を折る。

 「殻木田くん、大丈夫?」

 「はい……」

 「本当に?」

 「はい!」

 身体を起こすと、強く頷く。

 この、強がりは――

 「少し遅くなったみたいだけど、何かあったの?」

 「クラスメイトに掃除の手伝いを頼まれました。それで遅くなってしまいました、すいません!」

 ――本当に。

 殻木田くんは頭を下げる。

 「……」

 「先輩、やっぱり怒ってますか……?」

 「――付き合って、欲しいのでしょう?」

 「えっ?」

 「あなたが言った事よ。放課後、付き合って欲しいのでしょう?」

 「あ、はい!」

 「それで、私はどうすればいいのかしら?」

 「あの先輩、何か食べたい物ってありますか?」

 「そうね……」

 そう言われても、すぐには出てはこなかった。

 「昨日のお礼に、何か俺に奢らせてください!先輩の食べたい物なら、何でもいいですから!」

 「へぇ……何でも」

 その言葉を聞いて、自然と唇の端が吊り上る。きっと今の私は、随分と意地の悪い笑みを浮かべている事だろう。

 「なら、ドレスコードの必要なお店のフルコースにしようかしら」

 その言葉を聞いて、涙を浮かべ殻木田くんがプルプルと震え出す。ポケットに手を入れ、サイフを取り出すと、中身を確認する。

 「あの、大変申し訳ないんですが、先輩……予算が……」

 「ええ、知っているわ、あなたのサイフの薄さは。強がりは止めなさい」

 その言葉を聞いて、殻木田くんは何やらうなだれている。男のプライドが、とか小さく呟いている。

 「あなたが出せる範囲の所にしましょう。それから――」

 殻木田くんの身体を軽く小突く。

 「――っ!」

 すると、殻木田くんは声なき声を上げて身体を抑える。

 「――近場にしましょう。あなたの身体に負担を掛けないように。私は、あなたが普段よく行く場所に行ってみたいわ。それでいいかしら」

 「はひ……」

 痛みを堪えながら、殻木田くんは頷く。


 きっと――私だけが知っている。あなたの強さも、強がりも、傷も痛みも。弱さも。それからサイフの薄さも。


 それでも――

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