第15話 不器用なディスタンス

    3


 私を連れて殻木田くんが訪れたのは、駅の近くの行きつけだというラーメン屋だった。

 じゃんがら――入口の暖簾にはそう書かれていた。

 夕食時を迎えた店内は結構、人が入っている。

 「先輩はどれにしますか?」

 券売機の前で殻木田くんは、そう私に尋ねる。

 「えっと、どれにしようかしら」

 券売機に書かれたメニューを見てみるが、しゃんぽん、ぽんしゃんとか書かれていて初めて訪れた私には、なんだか分からない。

 「あの、殻木田くん。私……」

 「ああ――」

 私の視線で事態を察したのか、彼は私にこう尋ねた。

 「先輩の好みの味ってありますか?味噌とか醤油とか」

 「分からないわ。ラーメン自体、余り食べたことが無いから」

 「そうですか。じゃあ、こうしましょう!」



 カウンター席に案内されて、しばらくした後、ふたつのラーメンが運ばれてきた。

 「薄めの味の物と、少し濃い物を頼んでみました。一度、味見してからどちらを食べるか決めてください」

 殻木田くんがレンゲを渡してくれる。

 レンゲを手にまずは濃い物からスープをすくい飲む。次に薄めの物を。

 ふむ。

 「濃い物の方がいいかしら」

 「わかりました。それにしても……」

 殻木田くんが私を見てクスリ、と笑う。

 「前々から思っていたんですけど、かなり甘いものが好きだったり、濃い味を好んだり先輩って結構、はっきりした味が好みですよね。案外、子供舌――」

 ギロリ、と睨む。

 「殻木田くんなんて知らない」

 そっぽを向いて、ラーメンを食べ始める。

 スープと一緒に麺を啜る。

 口の中で味が広がる。

 美味しい。


 「いらっしゃい、殻木田くん。久しぶりじゃない」

 「あ、どうもお久しぶりです」

 殻木田くんがなにやら店員と話している。

 私はラーメンを食べ続ける。

 「また、暇があったら店手伝ってよ。ところで今日は……おや、おや、随分と美人さんを連れているね。彼女かい?」

 「違いますよ。学校の先輩ですよ」

 「本当かい?」

 何やら視線を感じる。

 私はラーメンを食べる。

 「なるほど。確かにそうらしいね。こんな話をしているのに、何の反応も無い。これだけ夢中で食べて貰えると冥利には尽きるけど。こりゃ、脈はないね。諦めな、殻木田君」

 「はあ……そうですか」


 今の私には、周りの声は何も聞こえなかった。


     4


 ラーメンを食べ終えた後、私はお茶を飲んでいかないかと、殻木田くんをマンションの自室に誘った。

 殻木田くんは夜を迎えた時間のためか、いいんですか、と遠慮していたけれど私はあなたを信頼している、と伝えるとその期待に応えられるようにします、と言ってついて来てくれた。



 「「……」」

 マンションのリビング。互いに言葉は無い。紅茶を片手に私はただ、殻木田くんを見つめていた。

 「あの……先輩…」

 私の視線に耐えられなくなったのか、殻木田くんが声を掛けてくる。

 私は朝から、殻木田くんに言いたいこと。伝えたいことがあった。

 ――でも、上手く言葉にできない。

 どう伝えたらいいのか分からない。

 「今日のラーメン屋は美味しかったわ。殻木田くんは他にも美味しいラーメン屋を知っているのかしら?」

 「あ、はい……」

 殻木田くんが行ったことのあるラーメン屋について話してくれる。

 ――だから、結局違う言葉に置き換えて話をしてしまうのだ。

 我が家の飼い猫、アランポーが微妙な空気の中、所在無さげ鳴いていた。


 夜も遅くなって殻木田くんは帰ります、と言った。

 私はマンションの入り口で見送ることにした。

 「今日は、このまま帰ってゆっくり身体を休めなさい。まだ身体が痛むのでしょう。くれぐれも、おかしな事に首を突っ込まないようにね」

 「ええ、その、身に染みてます……」

 そう言って、彼は笑う。

 「本当にね……」

 私は目を伏せる。

 「先輩、今回は本当にありがとございました。毎度の事かもしれませんけれど、先輩がいてくれなかったら俺はどうなっていたか分かりませんでした」

 殻木田くんは頭を下げる。

 「いいのよ。それが私のするべき事だから」

 ――そうじゃない。私の伝えたい言葉は、想いは。


 きっと――私だけが知っている。あなたの強さも、強がりも、傷も痛みも。弱さも。それからサイフの薄さも。


 それでも――

 ――伝えられない想いが、言葉がある。


 「先輩……」

 「あっ……」

 頬に温もりを感じる。

 触れているのは、殻木田くんの手。


 視線を上げると、殻木田くんが真っ直ぐに私を見つめていた。

 「先輩、ごめんなさい。きっと俺のせいですよね、先輩がそんな顔をしているのは」

 「どんな顔をしていたの……私」

 「俺をジト目で睨んだり、そうかと思えば、俺を見て何かを考え込んでいるように見えました」

 ――それは、あなたが。あなたを。

 「俺は先輩にはできる事なら笑っていてほしいんです。先輩は俺にとって大事なひとだから――」

 その言葉に色や、他意はきっと無い。

 ただ、真っ直ぐな言葉。

 だから、私はその言葉を聞いて――

 ――私の想いを、言葉を伝えようと思った。

 殻木田くんを見つめ返す。

「殻木田くん、前にも言ったのだけど、もっと自分を大切にしなさい。別に、ひとにおせっかいするのを止めろとは言わないわ。良くも悪くも、それがあなただと私は思うから。でもその事で、あなたが傷ついたり、苦しんだりすれば、それを見て悲しんだり、苦しむひとがいるの。それを忘れないで――」

 私は上手く伝えられただろうか?

 私の想いを。

 言葉って難しい。

 幾つもある想いを形にしなければいけないのだから。

 なんて、面倒。

 「はい……」

 それでも、殻木田くんは優しく笑ってくれた。


 だから私も、ようやく笑うことができた。


 「先輩の笑顔って、凄く可愛い……」


 殻木田くんが顔を寄せて、耳元で囁く。

 私は酷い気恥しさを覚えて。

 殻木田くんをマンションの外に押し出すと、扉を強く閉めた。



 後日、調子に乗り過ぎました、と謝る殻木田くんと一緒に別のラーメン屋に行ったのは――また別の話だ。



        きみの笑顔が見たくて 了

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