第9話 夜を恐れる

     6


 廃ビルの窓から、夕日に染まる街をわたしは見ていた。

 夜になる前に、頬に当たる風を感じて、目覚めることができたのだ。

 窓際に腰掛け、壁にもたれ掛けて眺める。

 夕暮れという夜と、昼の間の――闇でも光でもない時間。

 そんな僅かな時。

 酷く、儚く見えた。

 そんな時間の中にある街が、世界が。

 なんだか手を伸ばせばすぐに、ユメのように壊れてしまいそうに思えた。


 もうすぐ――夜がやって来る。

 光の無い時間が。


 それがわたしにはすごく、怖い。


 夜になればきっとまた、繰り返す。

 痛みだけをひとりで抱え、見つめる時間が。


 それがわたしにはすごく、辛い。


 いつからだろう。

 明日の事を考えて、ただ穏やかに眠れなくなったのは。

 ココロの中に、裏暗いものを抱えるようになったのは。

 父さんがいなくなった時?

 それとも、弟が亡くなった時?

 あるいは入院するようになった時?

 分からない、分からない、分からない、分かりたくない。

 辛い、辛い、辛い、痛い。


 震える自分の身体を抱く。

 震えは止まらない。


 怖い、怖い。


 このまま、夜が来てしまったら自分はどうなるのだろうか。

 なんだか夜の中に捕らえられてしまう気がする。

 あの暗い、昏い闇の中にずっと、たったひとりで。

 どんなに叫んでも、声なんて届かない気がする。

 朝なんて来ない気がする。光なんて見えない気がする。

 いつか、自分が夜の闇の中に溶けていってしまう気がする。

 それが――


 ――怖い。


 「ううっ……」

 体の震えが止まらない。

 寒さを感じた。寒くて仕方ない。奥歯がカチカチと鳴る。


 ――痛い、痛い。


 その時、不意に窓際に落ちる割れたガラスが目に入った。

 震える手でそのガラスを手に取る。

 こんな苦しみから、逃げるにはわたし、死んだほうがいいんだろうか。

 「ああ……」

 きっとそうだ。

 そうすれば苦しまなくて済む。誰も憎まなくて済む。

 わたしを傷つけた全てを、傷つける全てを壊さなくて済む。


 ――怪物にならなくて済む。


 血のように紅く染まるセカイの中で、ガラスを喉元に少しずつ近づけていく。

 もう少しで、もう少しで――

 なのに、手が止まってしまう。

 途中からどうしても、手が動かなくなってしまう。

 「はは……」

 嗤いが零れた。

 ガラスを放り投げた。


 わたしはなんて弱いのだろう。

 痛みを抱えたまま生きる事もできなくて。

 全てを棄てて死ぬ事もできなくて。

 自分でわたしの世界から逃げてきたのに、これ以上ひとりで夜の中を彷徨う勇気も無い。

 わたしはどうしたらいいんだろう?

 きっと、このままじゃわたしは壊れる。


 答えを求めるように、身体を起こし歩き出そうとした。

 けれど足が縺れて、床に転んでしまう。


 「たすけて――」

 日が落ちて、訪れた夜の闇の中でわたしは呟いた。


 その時、わたしを呼ぶ声が聞こえた。


 「鈴木さん――!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る