第24話 とりとめもない筈の夜
6
夜の七時を回る少し前。
俺は駅前を訪れる。
段々と見慣れてきた夜の街並み、歩み行く人々、その光景。
その中に俺は、私服の先輩の姿を見つける。
「こんばんは、先輩」
頭を下げて、挨拶をする。
「こんばんは、殻木田くん」
先輩もまた、挨拶を返してくれる。
ここ数日間、繰り返されてきたやり取り。
「それじゃ、行きましょうか」
「ええ」
俺と先輩が同じ歩みで街の中を行く。
しばらくすると繁華街を抜け、人寂しい路地をあるいはビルの裏手を、住宅街を歩く。
繁華街を過ぎれば辺りは暗く、今日の空の明るさが分かるようになる。
昏い――今日の空は厚い雲に覆われて、星も月も見えなかった。
その事を少し、残念に思った。
先輩に付いて、夜の街を散策するようになって四日目の夜。
今の所〝通り魔〟と出くわした事はなかった。
先輩から渡された鈴が鳴ることも無く、他の事件が起こることも無く、夜の街は案外、平和だった。
――だからなのだろうか。
俺の興味の多くは今、隣を歩く〝魔女〟だという先輩に注がれていた。
最初にあんな出会い方をしたのだから、興味を惹かれないわけがない。
でもそれは、先輩の使う〝魔法〟や彼女への恐ろしさがあってのことだった。
自分が理解できない事を怖く思うのは、人として当然だと思う。
今は――その興味の在り方が変わってきていた。
一緒に歩く先輩を横目で盗み見る。
「……」
彼女はあまり多くは話さない。それはいつもの事。
でも、今日は目を伏せがちだ。
何か考え事をしているのだと思う。
先輩は何かを考え込む時に、目を伏せる癖がある事に、ここ数日の間に気が付いた。
そうして見ていると、俺の視線に気が付いたのか、何?と彼女が俺に声を掛ける。
なんでもありません、と言葉を返すとそう、と言って溜息を吐いてから視線を戻す。
その溜息はどこか疲れているようにも思えた。
ああ――と思う。
彼女は人間だ。魔女だとしても、きっと俺と同じ人間だ。
だから、知りたいと思う。
先輩がどんな――ひとなのかを。
しばらく街を歩いていた時だった。
俺のお腹が鳴った。
「殻木田くん、あなたお腹が空いているの?」
「ええ、恥ずかしながら実は……」
「何も食べてこなかったの?」
「そういうわけではないんですけど、足りなかったようです」
「そう」
先輩は俺をしばらく、見た後。
「なら、どこか何か食べられる所に行きましょうか?」
そんな事を言った。
「その……いいんですか?捜すのを中断しても」
「今日は、いいのよ――」
先輩が頷いた。それから何かを呟いた。
――もう、何も起こりようがない筈だから。
その言葉は俺には聞こえなかった。
先輩の言葉に甘えて俺達が訪れたのは、駅から少し離れた所にあるヨーカド―。その中の食事コーナーにやって来た。平日だからだろうか、夕飯時であっても人はそこまでいない。
先輩を見ると、なんだか周囲を興味深そうに見渡している。
「先輩、どうかしましたか?」
「なんでもないわ。ただあまり、こういった所に来た事がないから気になったのよ」
「それは……」
うん、まあ、どこか浮世離れした彼女がこんな場所を歩き回っている姿はあまり想像できなかった。
席を決めた後、そこで先輩に待っていて貰って、何を食べようかと考えた。
「担担麺にしたのね」
「ええ、まあ」
先輩が俺の持ってきたトレイの上のドンブリの中身を見て言う。
「なんだか辛そうね」
赤いスープ、赤く染まる麺を啜る俺を見つめて、そんな言葉を零した。
「そうでもないですよ。むしろ、個人的には少し物足らないくらいですよ」
「そう」
どこか怪訝そうな目をする。先輩は辛いものは好きではないのかもしれない。
それよりもさっきから先輩が時々、視線を移すのはドンブリの横に置かれたオマケで付いてきた杏仁豆腐だ。
「もしかして、先輩は杏仁豆腐が好きですか?」
「よく食べるわね」
他人の食べ物に興味を持つのは気まずいと思ったのか、先輩は視線を逸らす。
「良かったら食べますか?」
「いいのかしら?」
遠慮がちに俺に尋ねる。
「いいですよ」
「そう、なら頂くわ」
先輩がスプーンを握り、一口。
「どうですか?」
「普段食べているコンビニのものの方が甘く感じるわ」
どこか物足らなそうに、彼女は食べ続ける。
コンビニのものは味を甘く調整されてるしなあ、と思う。
この間のコーヒーといい、先輩はかなり甘党なのかもしれない。
食事を終えた後、先輩の提案でデパートの中を見て歩くことになった。
〝通り魔〟の事が頭に浮かんだけれど、食事コーナーの時と同じように興味深そうに、いつになく楽しげに歩く先輩を見ていたら何も言えなかった。
大きく笑うことはないけれど、浮かれているかのように唇に微笑みを湛えている。
このひとは、こんな風にも笑えるのだと思った。
色々な所をふたりで見て回る。
本屋やゲームセンター、雑貨屋。映画館。
音楽店を通りかかった時、先輩が足を止める。
視線の先にあったのは一台のグランドピアノ。
先輩は近づいて鍵盤に触れると、音を確かめるように叩く。中音の『ソ』の音を叩く時、手が止まったけれど鳴ることを確認すると、安心したように溜息を吐いた。
それから両の手を置くと、ひとつの曲を奏でていく。最初はぎこちなく、でも徐々に滑らかものになっていく。
先輩の奏でている曲。幼い頃、どこかで聞いた覚えがあったけど曲名を思い出せない。
演奏が終わった後、俺は小さく拍手した。
「ありがとう」
そう言って先輩は軽く会釈する。
「先輩、さっきの曲ってなんですか?聞いた覚えはあるんですけど思い出せなくて」
「『聖者の行進』よ。私は昔、母に習ったのよ」
「先輩のお母さん……」
「私の母は――もういないわ」
先輩が背を向けて歩き出す。
その表情は窺い知れない。
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