第23話 幕間の想い

    5


 「ただいま」

 自宅のマンションの鍵を開けて、ドアノブを回して自室に入る。

 私の言葉に応える声は無い。

 それは母が亡くなってから、ずっと変わらない事。

 暗いリビングの明かりを付けると、ソファにコートを脱ぎ捨てる。

 寒い、と思う。

 二月の真夜中の夜の中を歩いてきて、体が寒さに慣れているとはいえ寒くないわけではない。エアコンのスイッチを押して暖房を入れる。

 部屋が暖まってきた頃、キッチンに移動する。コンロの上には長年の間、家政婦を務めている山田さんが作り置きしたカレーの鍋と書置きがある。

 『元気にしてますか?』

 書置きに目を通すと、それを制服のスカートのポケットに入れる。

 私はコンロの取っ手を捻り、カレーを温める。

 エサを求めて、アランポーが足元に擦り寄ってくる。エサを与える前に喉元を撫でる。するとアランポーは気持ち良さそうに、ゴロゴロと喉を鳴らした。



 カレーと冷蔵庫に入っていたサラダを食べた後、制服のままソファに寝転がる。それに合わせてスカートの裾が広がる。少し、はしたないかと思う。

 それでも夜の巡回を終えて疲れている今の私に、着替える程の気力は残っていなかった。

 目を閉じる。強い倦怠感を覚える。

 ぼんやりとする頭。

 うっすらと眠気を感じる。

 そんな意識の中、不意に頭の中に浮かぶのは彼――殻木田くんの事。

 殻木田くんを連れて、夜の巡回を始めてから既に三日が経っていた。

 今の所、何も起きていない。最初に〝通り魔〟に遭遇して以来、未だ出会う事もない。

 ある意味、私は彼と長い夜の散歩をしているだけだとも言える。

 そんな中、彼は笑う。


 例えばふたり歩き疲れて喉が渇いた時、彼は私に飲みたい物を訊ねる。頼んだミルクティーを受け取った際、その缶の熱さに驚いた私を見て心配をしながらも笑う。

 不意に溜息を吐いた私を見て、何か心配事ですか、と尋ねて笑う。

 彼が夜空を見上げて、今日は明るいですねと言っては笑う。


 彼は――どうして笑えるんだろう?

 私と一緒にいて。

 私と彼の関係はフェアなものではない。

 私は彼に沢山の隠し事をしている。

 彼にそうとは知らせずに〝怪異〟の為の生き餌にしている。

 〝魔女〟として事態の中に引き込んでいる。

 逆に私は彼の事を知っている。彼自身が私に話していない事まで。

 事故で家族を亡くしている事。

 しばらく入院した後、親戚の叔父と叔母に引き取られた事。

 今はひとり暮らしをしている事。


 これらの事はセイレーンで会う前に千鶴が調べてくれた事だ。

 手札の伏せたカードは私の方が圧倒的に多い筈。


 それなのに私は彼の事が――分からない。

 彼は友達を襲った犯人を捜していると言った。例えその相手が友達を襲った相手でなくても、人を傷つけるなら放っておけないと言った。

 その言葉が嘘であるはずがない。

 魔女の魔法を破るほどの強い想いである筈だから。

 でもそれは彼がお人好しだから、という事だけで成り立つものなのだろうか?

 それに――この間、セイレーンで彼を心配するひとがいないのかと尋ねた時、彼は首を横に振った。

 私は、彼と叔父と叔母の関係を知らない。それでもその人達よりも〝通り魔〟を捜す事を優先させるだろうか?

 少なくとも〝通り魔〟を捜す事よりは大事にしていない。それだけは、彼に関する資料を読んで感じたことだ。


 私は殻木田くん事が分からない。

 ココロの底にどんな想いを抱えているのか。

 どうしてあんな風に、笑えるのか。

 家族を亡くしても。


 私はきっと――笑えなかった。

 母を亡くしてから、ずっと。


 「はは……」


 嗤う、自分を。

 私は今更、何を感じているのだろう?

 彼に対する後ろめたさ、或いは罪悪感?

 それとも。

 そんなものを感じていいんだろうか。

 千鶴の母親から魔女としての手ほどきを受けて、去年からひとの想いを消して〝刈り取り〟してきた私が。

 〝刈り取り〟された人達は様々だった。

 それぞれに怪物になる想いを持っていた。

 私が刈り取りしようとした時の反応も様々だった。

 泣いて逃げ出そうとする者、必死に抵抗する者、ただ静かに受け入れる者、安堵の微笑みで望む者。

 ただ、例外なく刈り取ってきた。

 全部。

 ――そんな私が。


 目を開けて時計を見ると〝オトギゾウシ〟が始まる時間だった。

 ラジオの電源を入れる。


「あー、あーS・N・H、S・N・H、チェック、チェック!みんな聞こえてるー!今日も〝オトギゾウシ〟始めるよ!」


 男性司会者のアップテンポな声と共にBGMが流れ、番組が始める。


 「――さて、最初のお便りはⅠ県にお住まいのチヤさんだ!ヒロさん、こんにちは。看護師として就職してから今度の四月で一年になります。大変な仕事だと知っていながらも選んだ道ですが、最近その人生の選択に悩んでいます。私はどうすればいいのでしょうか?自分の決めた事として最後まで頑張るべきなのでしょうか?ヒロさんはどう思いますか?」


 ――自分で決めた事は最後まで。

 ――私にとっては。


 「そうだね~僕は別に最後まで頑張る必要なんてないと思う。ほら、人って変わっていくものでしょう。それは生きる為には必要なことでさ。いつか決めたことだって、その想いだって変わらない訳じゃない。それよりも大事なことは君が笑顔で生きていく事だから。だからよく考えて決めればいいと思う。それが正解かどうかなんて、後にならないと分からない事だから。それにいくら変わっても本当に大事なことはきっと残っていると思うから」


 本当に大事なことは、何があっても変わらないものなのだろうか。

 人生の半分も生きていない私には分からない。


 「そんなチヤさんからのリクエストはDo As Infinityの『柊』ですね、どうぞ!」



 リビングを出た私は、今は使われていない母の部屋にいた。

 山田さんが掃除をしてくれているので、ホコリ臭くはない。

 薄暗い部屋の中、隅に置かれたピアノのカバーを開き、鍵盤に触れる。

 思い出すのは、母との幼い頃の思い出。

 母が弾いているのを見て、聞いて私も同じことがしたくなって。

 弾き方と曲を教わりながら、拙い指使いで鍵盤を叩いて。

 鍵盤に触れて、高音から低音へと音を確かめるように叩く。

 中音の『ソ』の音が出ない。

 いつの間に壊れてしまったのだろうか。

 ずっと触れていなかった私には見当もつかない。


 マンションの窓から夜空を眺める。

 空には〝ノイズ〟が走る。

 壊れていくこの【セカイ】の証であるかのように。


 私にとっての世界は、とっくの昔に壊れている。

 母が亡くなった時から。


 その前に母は、この【セカイ】と魔女について話した。


 おかあさん、あなたは私に何を残そうとしたんですか?


 それを私は知りたくて。

 母を忘れたくなくて。


 私は魔女になったんだと思う。


 それは、本当に正しいこと?

 誰かを傷つけてもするべきこと?


 私は思う。

 殻木田くんにとって、この【セカイ】はどう見えているんだろう?

 それが知りたい。

 でも、それも叶わないと思う。

 私と彼の夜の散歩も明日で終わる。

 今回の怪異の発端となった学生を明日〝刈り取り〟する事が決まったからだ。


 全てが終わった後、私と殻木田くんはどうなるのだろう。

 どんな関係性の糸で結ばれるんだろう。

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