第22話 先輩は魔女っ子
4
ウツギサヨ――そう名乗った彼女と再会を約束したその日、俺は指定された時間よりも少し早めに駅前に来ていた。
繁華街の中心にある駅前は夕方に入り、仕事帰りのサラリーマンや俺と同じ学生が行き来している。
それは俺の見慣れたいつもの光景で――
ここ数日の夜の事を思い出す。
――それは俺の知っている日常から、余りにもかけ離れていて。
うん、夢だったらいいな~なんて事を思ってみたりもする。
いや、だって〝通り魔〟に、俺の記憶を消したとかいう彼女ですよ?
自分で起こした行動の結果とはいえ、普通に考えたらこれは……
「……実にヤバイよね」
独り言を呟いてみる。
それでも取り戻した記憶が、昨日の夜の事が、やはり夢なんかじゃないと自身に訴えかける。
握りしめた手の中で彼女から受け取ったメモ書きが、音を立てて潰れる。
これも、その残り香だ。
メモ書きの通り駅前を少し歩くと、アンティークな風貌の店が目に入る。
掲げられた看板には『セイレーン』とあった。
――セイレーン。
それは、神話に登場する化け物の名前じゃなかったっけ?
ええっと、確かその化け物は人魚で妖しい声で歌い、通りかかった船の船員を魅了して、船を沈めてしまったような。
「……」
思わず身構える。その名前と相まって、中に彼女が待っているかもしれないと思うと緊張した。
なんかもう、もの凄く帰りたくなってきた。
「あら、早いのね」
「おわっ!」
急に後ろから声を掛けられて驚く。振り返るとそこには彼女がいた。
「どうかしたのかしら?まるで、なにか大変な事でもあったような顔をして」
彼女が不思議そうに首を傾げる。
「えっと、それは……」
それは、あなたの事です――とは言えず曖昧な返事を返す。
「まあ、いいわ。それよりも入りましょうか」
そう言うと、長い髪を翻して店の中に入っていく。
俺もスゴスゴと、その後について行く。
レトロな喫茶店といった内装の店内に、流れるクラシックなバイオリン曲のBGM。落ち着いた雰囲気の中で、窓際の席に座った彼女が注文した、コーヒーの入ったカップを、ゆったりとした仕草で口に運ぶ。
角砂糖2つ、ガムシロップ2つ、そこにミルクを加えたものを果たしてコーヒーと言っていいのかはこの際、置いておくとして。
静かにコーヒーを口に含むと、ソーサーに戻す。
そして溜息をひとつ。
その一連の動作は、彼女の容姿と相まってどこか絵になっていた。
こんな女の子は、自分の通っていた中学にはいなかったと思う。
ややもすれば、見とれてしまいそうになる。
店内に入ってから会話の無いまま、俺は彼女を眺めながら自分で頼んだレモンティーに口付ける。
どことなく空気が重く感じる。
昨日、彼女から拒否権の無い頼み事(よく考えたら、それって脅迫って言わないかな?)についての話があると言っていたけれど、当の本人は何かを考え込むように目を伏せて、コーヒーカップを見つめてばかりいる。
そこで、気が付く。
彼女が纏っている服、学校の制服は今年、自分が入学予定の白亜学園のものではないだろうか。という事はつまり――
「あの、聞いてもいいですか?」
そう尋ねて、これまでの沈黙を終わらせる。
「私に答えられる事で、あなたに答えてもいい事なら」
「えっと、あなたは白亜学園の生徒さん――なんでしょうか?」
「ええ、そうよ」
彼女も学校に通っているんだ。そう思うと、なんか親近感が湧いてきましたよ~。
「そうなんですか!俺、今年の四月に白亜学園に入学するんです!つまり、先輩ってことですよね?」
会話のきっかけを掴んだと思い、勢いをつけて話を続ける。
「そうなるわね。あなたが今後、無事に入学できればね」
カップから目線を上げずに、淡々と答える。まるでそんな事は知っているかのように。しかもサラリと恐ろしい一言も付け加えて。一瞬、芽生えかけた親近感が遠のいていく。グッバイ、親近感。
「……」
やっぱりここに来たことはマズかっただろうか?いやでも、人の記憶が消したりできるのだ。約束をすっぽかしたその後の方が怖い気がする。
「あの、それなら――先輩って呼んでもいいですか?」
それでも、メゲズに声を掛ける。
「好きにしなさい」
溜息を吐いて彼女が答えた。
「そろそろ、本題について話しましょうか」
互いに注文したものを飲み終えた後、考えが纏まったのか彼女が――先輩が視線を上げていった。
「あ、はい」
緊張から思わず姿勢を正す。これからどんな事が話されるのだろう。
「昨日、話した通りあなたにはこれから毎晩、私に同行してあの〝通り魔〟を〝探す〟のを手伝って貰うわ。事前に聞いておくことにするわ。都合の悪い時間や曜日はあるかしら?」
「いえ、無いと思います」
「そう――あなたにも家族がいたりするでしょう?私が強引に進めている話だけど、そういった事に関して問題は無いのかしら?」
先輩が昨日、何故夜を彷徨っていたのかを訊いた時のように俺を真っ直ぐに見つめる。
「えっと、今の俺は進学のために一人暮らしをしていますから時間も問題ないですし、まだ学校も始まっていないので曜日も大丈夫です」
「それでも、あなたを心配する人は?」
叔父さんと叔母さんの事が頭に浮かんだけれど、頭を横に振った。
「やっぱり、そうなのね――」
「えっ?」
一瞬、目を伏せて呟いたその言葉を俺は聞き取れなかった。
「いいえ、なんでもないわ。次に集合場所と時間を決めようと思うのだけど。そうね――私としては7時に駅前にしようと思うのだけど、どうかしら?」
「大丈夫です」
「分かったわ。では、そうしましょう。次に今回の事に関しての幾つかの注意事項があるからそれを守って貰うわ。ひとつ、昨日も忠告した通り今回の事を人に話さない事。それから〝通り魔〟を決してひとりで探そうとはしない事。どちらもあなたの身の安全に関わる事だから。ただし、約束事を破らなければ――その間は私があなたの身の安全については保障するから」
「身の安全……」
やっぱり、出てくる物騒なお話。
「怖い?」
「怖くないと言えばウソですけど、誰かの為にできることなら、と自分で決めてしようと思ったことですから。それに、要するにつまり約束事を守っている内は先輩が俺を守ってくれるって事ですよね!」
先輩を真っ直ぐ見つめて、答えを返す。
「そう、とも言えるかもしれないわね。ところであなた――殻木田くん、よく人にお人好しとか言われることはないかしら」
「えっと……」
俺が誰かの為に何かしようとする時、友達やクラスメイトの手伝いをする時、確かによく言われる気がする。
俺は自分では、そうは思わないけど。
「私の言葉をそんな風に解釈するのだから、あなたは相当なお人好しよ。そんな殻木田くんに、ひとつ忠告してあげる。私達の追おうとしている相手、あなたが出会った〝通り魔〟――それは本当にあなたの友達を襲った相手なのかしら?」
先輩が唇の端を僅かに吊り上げる。嗤っているのだろうか。
だとすれば、誰を?
「一昨日も、昨日も見たでしょう。私のような誰かの記憶を消したり、在りもしない所から刃を出すニンゲンが探している相手よ。マトモなニンゲンだと思うの?」
それは一昨日、俺も思った事。
「先輩は一体、何者なんですか?」
その言葉は、ずっと胸の中にあった言葉。でも彼女に対する怖さや遠慮から出ることのなかった言葉だ。
「私は――魔女」
「魔女……」
その言葉の響きに違和感なんてなかった。
「あなたにも分かりやすく言えば、この世界には人の知らないチカラがあって、それを私が使う事ができるのよ。魔法と言ってもいいかもしれないわね。そのチカラを使ってしなければいけない事があるのよ、あなたのようなお人好しを巻き込んでもね」
彼女は嗤い続ける。
その話を聞いて思った事は――
「――つまり先輩は魔女っ子なんですね!」
「……魔女っ子?」
その言葉に、先輩は呆気に取られたように返す。
「なに、その昭和の古いマンガみたいな響きは」
「ああ、すいません。俺の好きなマンガに出てくる魔法が使える登場人物は魔女っ子って呼ばれていたんで、つい」
「はあ……」
先輩は溜め息を吐いて、頭を抱えて。
「今なら魔法少女とか色々ありそうなものなのに、あなたは」
「――それでも、俺は先輩を信じますよ。それにあの〝通り魔〟が何者であってもあんなヤツをこのまま見過ごす訳にはいきませんから」
「勝手にしなさい、このお人好し」
俺は先輩を信じたい。
このひとが、例え魔女だとしても、例えどんなチカラを持っていたとしても。
昨日とも先程とも違い、俺に呆れながらも今は確かに笑うこのひとの事を。
◇
『セイレーン』を出てみれば既に夜は訪れていた。
時間は七時前。
「殻木田くん、今日から始めても大丈夫かしら?」
「行きましょう、先輩」
「ええ。でもその前にあなたに渡しておくものがあるわ」
そう言って先輩がスカートのポケットから取り出したのは、ひとつの鈴の付いたストラップ。
「これは?」
「お守りみたいなものよ。これから夜に出歩く時は必ず持っていなさい。そして、鈴が鳴る時は逃げなさい。近くに〝魔〟が存在する証だから」
「分かりました」
ストラップを受け取る。
それからふたりで二月の昏く、深い夜の中へと踏み出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます