第21話 真実に至る過程

「しかし今回の相手って、実に厄介よね。何処に現れるか分からないなんて。それに、人の認識によって存在を増していくなんてね。それはこんな場所で生まれたものだからかしら」

 パソコンの画面を覗き込みながら、千鶴はそう言う。

 「……」

 私もパソコンを見る。

 電子の画面の中には多くの文字が並ぶ。そうして言葉をカタチ造る。


 そこでカタチ造られた言葉達は――嗤っていた。

 ――他者を見下し、欺き、脅し、見透かし、侵し、恐喝し、変貌し、壊し、削り、狂言を吐き、虚偽を働き、虚栄を張り――嘲笑っていた。

 そんな悪意のある言葉の中で、まるで悲鳴のように書き込まれた言葉がある。


 助けて――

 助けてください――


 そのコメントに返される言葉は、あまりにも辛辣で鋭く、強く、汚く、容赦など無かった。

 中には、やり過ぎだとか、もう止めたほうがいい、と言うコメントもある。

 しかし、そんな言葉も大勢の悪意のある言葉の前には押し潰され、希釈され、打ち消されていく。


 それは〝暴力〟だった。

 言葉を使った一方的な〝暴力〟だった。

 たったひとりの人間を、大勢で延々と犯すような行いだった。


 なんで――

 どうして――


 発せられたその問いに答えなど無い。

 誰も答えない。

 ただ、自分よりヨワイニンゲンを嗤うだけだった。

 自身には無い、不幸を甘受するニンゲンを見ては、自分はまだ幸福であることに安堵し、ヨワイニンゲンのその迂闊さを嗤うのだ。


 ――昏い悦び。


 ここは、とあるウェブサイト。

 扱っている内容は、日々の不満や不平について。

 会社での事や、学校での事、友達同士や、ママ友同士の事まで書き込まれている。多くの人間がそのサイトに書き込んでいる。年齢や性別は関係なかった。ただ、多くの不平や不満が悪意ある言葉で書かれ、また悪意のある言葉で返される。


 ――そこに身体はなく、それ故に形もなく、姿もない。だから顔もなく、名前も持たなかった。


 まるで、幽霊のように。


 それ故にそこに書かれた事が、真実なのかも分からない。

 ただ誰かを貶め、罵り、嗤いたいという想いに溢れていた。

 負の想いを持った者達が、虚構の仮面を付けて時間を問わず踊り続ける狂宴のようにも――私には見えた。


 そのサイトの中で最近、活発な動き見せたひとつの話題があった。


 それは――ある中学校の裏サイトでのいじめについて。

 普段、普通に当たり前のように接し、平静に見えてもこうしたサイトにおいて、ある生徒について嗤う。

 そのいじめは、偶然にもこのウェブサイトを通じて発覚した事で裏サイトは閉鎖され、終わりを告げた。

 しかし、事態はこれで終わらなかった。

 その中学校の裏サイトで、いじめられていた生徒について知った、このサイトを普段覗き込み、書き込んでいた人々はいじめられていた生徒にも非があるとして非難中傷を始めたのだ。

 裏サイトでのいじめを見つけ、終らせてくれた事に少なからず感謝し、このサイトに書き込みをしていたその生徒は再び、誰かの負の感情の、嘲笑の的になった。

 その生徒は最初、反論を試みた。

 しかし、それで何かが変わる事は無かった。

 むしろ、言葉を返せば返す程に事態は悪く、風当りは強くなっていく。揚げ足を取られ、悪意のある言葉を返される。

 その有様は、徐々に反撃の手段を封じられ、潰され、追い詰められ、聞こえない筈のココロが、音を立てながら折られていくかのようだった。

 それは――このサイトでは当然の事なのかもしれない。

 ここに集まっているのは、誰かを貶め、罵り、嗤いたいという想いを持ったニンゲン達なのだから。

 ましてや、ここでは相手と直接顔を合わせる訳ではないのだから。

 罪の意識も薄いのかもしれない。

 しばらくして、その生徒は反論する事を止めた。

 この状況に対して、疑問をぶつける事も、か細い悲鳴のような言葉を残す事も無くなった。

 その変わりに不意に、呟くように書き込むようになった事がある。


 黒い〝影〟が現れる。

 その〝影〟が誰かを襲う。

 そして、いつか必ず誰かを殺す。


 その言葉を誰も、真に受けずに嗤い続けた。


 ――それと時期を同じくして、全国に黒い影のような〝通り魔〟が現れるようになった。


 そこには〝魔〟の気配があった。


 だから、魔女達が動く事になった。

 しかし、その〝影〟は厄介な存在だった。

 当初は、現れる時間は夜と分かっていても全国の様々な所に現れた事しか判明せず、多くの事が不明だった。そのために、発端となった生徒にたどり着くまでに時間が掛かった。その後、分かってきた事は〝影〟は人の噂を、話題を追いかけて現れる存在である事だった。

 例えば、まだ捕まっていない不審者が出る地域があるとする。すると、そこに不審者のようにソイツは現れるのだ。もし通り魔が出た地域なら――通り魔のように現れるのだろう。

 例えば、まだ捕まっていない不審者が出る地域があるとする。すると、そこに不審者のようにソイツは現れるのだ。もし通り魔が出た地域なら――通り魔のように現れるのだろう。

 私達の担当であるこの街にも現れたように。

 人が意識するが故に、ソイツは現れるのだ。


 まるで、幽霊のように。


 幽霊の正体、枯れ尾花と見たり――という言葉がある。

その言葉の意味は夜には幽霊と見えたものは、実はただの枯れ花だったという意味だ。

 しかし、そこに幽霊がいたと信じる者がいればその〝影〟は現れるのだ。つまり、噂を本当にしてしまうのだ。


 千鶴の母親はその〝影〟を危険な相手だと言っていた。


 何故なら、もしソイツが――ソイツではない何者かでも殺人を犯してしまえば〝通り魔〟を知り、恐れる人が増えるのであれば、ソイツは更に存在を、力を増す事になるからだ。

 やがて現実を侵すだけではなく、逆さに返してしまうだろう。

 在るはずのないモノを、在るはずのモノにしてしまうのだ。


 〝魔〟が〝現実〟を支配する。

 昼と夜を逆転させるように。


 【セカイ】を変えるものを魔女は〝刈り取り〟しなければならない。

 この既に滅び、壊れた【セカイ】の為に。


 何処に現れるか分からず〝刈り取り〟する事が難しいソイツだが、信じる者の前に現れるという、その性質を利用して出現場所を絞る事はできる。

 ただし、それにはどういう形であれその〝影〟の存在を強く知る、あるいは望む者が必要だった。

 だからカラキタジュンペイという少年は、魔法すら破る程の強い想いを持っている彼は私達、魔女にとっては格好の――生き餌だった。

 事の発端となった生徒の所在は既に知れている。近く、他の魔女によって〝刈り取り〟が行われ予定だ。それまでに〝影〟を引き付けておく事ができれば――


 「……」

 「どうしたのよ、小夜。さっきから画面を見ては黙り込んで」

 「なんでもないわ」

 私はパソコンの画面から目を逸らす。

 重い。

 胸の奥が重苦しいと感じていた。

 それは悪意ある言葉が並べられたサイトを見ていたからだけではないと思う。


 チカラとは――何だろうか。

 私達は自分が非力である事を知っている。

 ひとりではこの社会では生きてはいけないくらいには。

 だから、大勢のひとの手を借りている。

 そうでなければ、明日から水も出なければ電気も使えないだろう。

 非力である私達。

 しかし無力ではないと私は思う。

 例え、か細い力でも他人を傷つけることはできるのだから。

 身体や道具を使って、あるいは言葉を使って。

 ――相手を殺してしまうことさえできる。


 非力であることは無力であることではないのだ。


 それでもこの社会で生きる私達は――他にも同じ、代わり映えしない力を他のひとも持っているものとして、自分の力を特別なものとは思わない。

 だからといってやはり無力ではないのだ。

 なのに、その事をひとは忘れてしまう。

 ひとり、ひとりの力は小さくともそれが集まることで力は大きくなっていく。

 それが悪意なら。

 一方的に力を振うことができるという、ひとの昏い欲望を叶えるものなら。

 そのチカラはきっと〝暴力〟でしかない。

 その事に返されるものはきっと〝暴力〟だと思う。

 まるで延々と続く怨念返しのよう。


 私のチカラはどうなのだろう。

 魔女としてのチカラは。

 そのチカラを使いひとの想いを、記憶を〝刈り取り〟してきた。

 そして今、私はあの子を――何も知らず真っ直ぐに頭を下げてお礼の言葉をくれた男の子を生き餌にしようとしている。


 私のチカラもまた、一方的な〝暴力〟となんの違いがあるのだろう。


 私達は万能の魔法を持っていても、きっと神様なんかじゃない。


 ひとを傷つけるのに、きっと特別なチカラなんていらない。

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