第20話 魔女達の思惑

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 夜の巡回と、ひとつの出会いの後。

 途中、ミニステップに立ち寄り自身の夜食と千鶴への差し入れを買って、古谷邸へと戻る。夜は遅く、使用人を抱える程に大きい古谷邸であっても、既に明かりは落ちていた。ある一室を除いては。

 玄関で靴を脱ぐと、その一室を目指して、いかにも古い日本家屋といった造りである古谷邸の暗い廊下を進む。そして、明かりの零れる部屋の戸を開ける。

 「おかえり、小夜」

 「ええ、今戻ったわ。千鶴」

 部屋の光が私の目を焼く。瞬きをして、目を慣らしながら答える。

 目が慣れてくると、部屋全体が見えてくる。襖や障子、時代を感じさせる木造りの棚、机といった和の風貌の部屋の中に配置されたパソコンやプリンター、そこから伸びる幾つものケーブル、パソコンの側に置かれたファイルや書類。そういったものが、この部屋にはどこかミスマッチだと私の目にはいつも映る。

 ここは、私と千鶴が魔女としての活動をするために割り当てられた部屋だった。

 「状況になにか進展はあったかしら?」

 「こっちは特にないわね。今のところ、大きな動きは無い」

 そう言って千鶴は、座椅子に座り睨み合っていたパソコンの画面から目を逸らすと、大きく背筋を伸ばす。

 「しかし、夜な夜なこうしてパソコンに張り付いていると、目や肩、腰が凝るわー」

 「まるで、くたびれた中年の管理職のサラリーマンみたいね。そんな、あなたに差し入れよ」

 「ありがとう、ってこれエナジードリンクじゃない!うう、増々そうみたいじゃない」

 「いらない?」

 「貰うけどさ!」

 そう言って、千鶴はヤケクソ気味に私の手からエナジードリンクを掻っ攫うと、プルトップを開けて口にする。

 「はあー、生き返るわ―」

 そして、溜息を一つ。

 やだ、この子、本当にオヤジくさい。

 「ん?」

 私の訝しげな視線に気が付いたのか、私の方を向いて睨む。

 「大体、わたしばかりパソコンに張り付くことになっているのは、小夜、あんたのせいじゃない!」

 「そうだったかしら?」

 「そうでしょう!パソコンは苦手って言うし、実際上達は遅いし。まあ、人によって得意不得意はあるから仕方ないと思うけどさ」

 また、溜息を一つ。

 インターネットを活用したデータの収集や書類の作成といった雑務が色々と面倒くさそうなので、あまり覚える気が無いというのは内緒だ。

 だから、千鶴と組んで魔女として活動しておよそ一年になるが、千鶴がそういった細々としたサポートを行い、私の方が現場に赴いていている事が多かった。

 「それで、そっちはどう?」

 エナジードリンクを口にしながら問う。

 「今日は見つけることはできなかったわ。まだ気配は弱いみたい。ただ――」

 私も買ってきた杏仁豆腐に口を付ける。

 「ただ?」

 「――〝アレ〟をおびき寄せてしまいそうな子を見つけたわ。昨日、報告した記憶を〝刈り取った〟はずの子だけど。その子、私の事もおぼろげながらも憶えていた」

 「え、冗談でしょう?それともあんた、何かミスでもしたの?」

 千鶴がひどく驚いた顔をする。私自身はあまり実感がないのだけど、私達に魔女として手ほどきをした彼女の母親曰く、私の〝杖〟を扱う能力は非常に高いそうだ。

 「ミスは無かったと思うわ」

 魔女として、活動してきたこの一年間の中で、今までには無かったことだ。

 私は今夜、再び出会った男の子の事について話す。

 「ふむ、話を聞いた限り確かにミスはないと思うわ。普段の手順と同じように記憶を消して、その記憶に一番繋がりそうな痕跡である身体の傷の方も治した訳だし」

 記憶を消すという事。それは単に、消しゴムをかけるように記憶だけを消せばいいというものではない。

 私達、人間は記憶を、心を司る脳だけで生きている訳ではないのだから。身体が受け取る情報を、刺激を脳が受け取ることで記憶や心は形成されていく。だから、例え記憶を消しても、以前に受けた刺激や感覚があれば、身体が覚えているのであれば、思い出してしまうこともあるのだ。

 身体がありもしない痛みを訴える。

 それは失った手足が痛みを覚える幻肢痛に似ているかもしれない。

 時にこんな事が起きてしまうのは、この【セカイ】を壊してしまいそうな想いを持つ人間に行う〝刈り取り〟に比べれば、それはごく軽度のものでしかないからだ。

 誤って消し過ぎてしまえば、やがて生まれる違和感は本人だけではなく周囲にも伝播してしまう。

 そこに現実では起こりえない〝魔〟が生まれてしまう。


 〝日常〟に帰るための代償。


 〝魔〟を祓うには、それに等しいだけの代償を払わなければならない。しかしそれは、大きすぎても小さすぎてもいけない。


 怪異に巻き込まれた人間の記憶を、同時にその痕跡を消す事。

 それは私達、魔女がしなければ事としては〝刈り取り〟と同じくらいに大事な事だった。

 何故なら、このヒトの想いだけで造られた【セカイ】において魔法があると――ヒトの想いで【セカイ】が変えられると、皆が知ってしまえば今の【セカイ】は大きく形を変えてしまうからだ。


 私の世界が、常識が――母の話と死を切っ掛けに塗り替えられたように。


 魔法のある世界。

 望めば、変わる世界。

 自身が望む通りに存在する世界。

 全能たる力を持つヒトはまるで神様のよう。

 そこにきっと不幸は存在しないだろう。

 ならば、その世界において幸福の形とはなんだろうか?

 そこに幸福の価値はあるのだろうか?

 私には分からない。

 それに、もしそこに同じ力を持っている者達が他にもいると知った時、神様はどうするのだろうか?

 自身の欲望を、自由を侵すかもしれない存在をどう思うのだろうか?


 ――きっと、ヒトは争うのだろう。


 【セカイ】は案外、今と変わらないのかもしれない。


 ただ、【セカイ】を簡単に――壊してしまうほどにチカラだけが大きくなっていくだけで。

 その果てにヒトは、何処へ辿り着くのだろう。


 「カラキタジュンペイ君ね。仮にも魔女の魔法を破るなんて、興味深いわね。明日、その子に会うんだっけ。それまでにその子について調べておこうかしら」

 「お願いするわ、千鶴」

 「それにしても――」

 不意に、千鶴の口調が淡々とした冷たさを感じさせるものになる。

 それは〝魔女〟として振舞う時の彼女の特徴。

 「その子を同行させるのは、いい考えだと思うわ。今回のような相手には特に。彼のような、魔法すら破る程の強い想いを持っている人間なら、そのうち確実におびき寄せるでしょう。彼が出会う事を望んでいるのだから。〝アレ〟はそういう相手の前にこそ、現れるモノなのだから――」

 効率的ね、そう続ける。

 「――それに、彼がまたひとりで出歩いて今度こそ、大事になったら本末転倒でしょう。だから、監視も兼ねてね」

 私は千鶴の言葉を遮る。

 それもあったわね、と彼女は興味が薄そうに呟いた。

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