第25話 暗闇に曝け出される想い

ヨーカドーを出て、再び夜の街を歩く。腕時計を見れば十一時を指していた。

 今、自分達がいるのは駅前の繁華街を離れ、隣街に近い倉庫街。

 時間も相まって人の気配は無い。街灯に照らされて、先輩と俺の影だけが動きを持って伸びる。

 俺の少し前を歩いていた先輩がこちらに振り返る。

 「殻木田くん、今日はもう終わりにしましょうか」

 「はい」

 俺は頷く。大体、この時間に終わるのはいつもの事。最初はもう少し、遅くまで続けなくていいのかと、聞いたりもしたけれど、彼女は長い時間を歩けば出会うものではないわ、と首を振った。

 「それでは、先輩。お休みなさい。また明日!」

 そう言って頭を下げて、立ち去ろうとした時だった。

 「明日――はもうないわ、殻木田くん」

 先輩からの不意な言葉。

 「……それはどういう事ですか、先輩?」

 思わず、聞き返す。

 「言葉の通りよ。私達の探している〝通り魔〟は今日を境にもう現れることは無いはずよ。今夜、他の魔女がこの事態を終わらせる予定だから」

 「それはつまり――」

 「――あなたと〝通り魔〟を捜すのは今夜でおしまい」

 ああ――と声を洩らす。

 こんな事に首を突っ込んで〝通り魔〟に襲われて、魔女だという先輩に出会って、色々あったけれど事態は結局、俺の手の届かない所で終わりを告げようとしていた。

 実感は無い。なんとなく、これからも先輩と夜の街を歩いていくんだと思っていたから。

 それでも気になることもある。

 「でも、先輩。友達を襲った〝通り魔〟は別かもしれないんですよね?」

 「そうね、でもその事は気にしないで頂戴。私達が――私が責任を持って犯人を捜すから」

 「そうですか……」

 先輩にとって俺はもう必要はないのだろう。なんとなく寂しい気持ちになった。ひと――としての彼女をもっと知りたいと思い始めていたから。

 それから、先輩は目を伏せて言った。

 「だから、殻木田くん。今回の事は――私の事を含めて全部忘れて欲しいと、私は思っているのよ。その事で少し生活に支障が出るかもしれないけれど」

 「え……」

 俺はその言葉に驚いた。〝通り魔〟を捜すことが終わりだと告げられた事よりも。

 「どうして、なんですか?」

 先輩を見つめる。

 伏せていた目を上げて、先輩も俺を見つめる。いつもの物憂げな瞳を崩さずに。けれど――

 「色々、考えたのよ。他の魔女とも相談して。事件が終わった後、あなたをどうするか。それであなたのような、普通の人は――あなたのような変わったお人好しは、全部忘れるべきなのだと思ったのよ。魔が関わるような事件の事は、私みたいな魔女の事も含めて。そして日常に帰るべきよ――」

 先輩の言葉に俺は、感情を強く揺さぶられる。

 「――嫌だ」

 俺の口から出たのは否定の言葉。自分でも分かる程の鋭さと冷静さを持って。

 「どうして?」

 今度は先輩が狼狽える番だった。

 「先輩は、先輩自身は納得してそんな事を言ってますか?本当に?」

 「ええ、もちろんよ。当たり前じゃない。〝魔女〟として」

 先輩が珍しく声を荒立てる。

 それでも俺は、冷静さを保ちながら答える。

 「――なら先輩の身体はなんで、さっきから震えているのですか?」

 「私?――わたし!」

 先輩が目を見開いて、自分が震えていることに気が付く。

 夜の街灯に照らされて、歪に先輩の影が揺れる。

 けれど――自分の事を忘れて欲しい。そう俺に告げた時から、彼女の手は、肩はずっと微かに震えていた。

 「どうしてよ、殻木田くん。確かに〝通り魔〟の事はあなたの友達の事があるかもしれない。けれど私の事は、あなたにとってはワケノワカラナイ事のできる存在でしかないじゃない――忘れてしまった方があなたの為よ」

 先輩は目を伏せて、震えを押さえるように身体を抱く。

 「それでも、俺は嫌です。先輩が〝魔女〟として納得しようとしていても、先輩自身がそれを望んでいないなら。俺が先輩を忘れることが〝先輩の為に〟ならないなら――」

 そう先輩に言った時、先輩の身体の震えが止まる。

 再び、俺を物憂げな瞳で見つめると言った。

 「そう――あなたは。やっと分かったわ。殻木田くん、私はあなたをずっと勘違いしてきた。あなたはただのお人好しなんかじゃない。あなたは――ただ、誰かの為に何かがしたいだけの人間なのね」

 その言葉が俺の胸に深く刺さる。まるで凶器のように。

 「そう考えれば、これまでの事が納得いくわ。なぜ、あなたが〝通り魔〟を捜そうとするのか。事件があったとはいえ、友達が普通、そんな事を頼むかしら?〝あなたが〟探そうとしているだけなのね――通り魔に襲われるかもしれない知りもしない、見たことのない誰かの為に」

 あなたにとってはきっかけに過ぎないのね、と彼女は言う。

 先輩が続ける。

「それから、前にセイレーンであなたを心配する人はいないのかと尋ねた時、あなたは首を横に振った。何故なら、あなたにとって自分がしようとしている事の方が大事だから。本当に、あなたを心配する人がいないのかは分からないけれど。だから、私のような魔が関わる人間にも付き合う。あまつさえ心配までする」

 先輩が真っ直ぐに俺を見つめる。

 「――そんな、どこかコワレテいるような想い。ややもすれば自分の事も投げ出してしまいそうな。だから、魔女の魔法まで破った。そんな想いをあなたはどこで生んで、いつ育ててしまったのかしら?」

 先輩の唇が歪んでいる。嗤っているのだと思った。

 「あなたが家族を事故で――喪った時からかしら?」

 凶器のような言葉は止まらず、俺の確信を突く。

 嗤う先輩が今までになく、これまでにないくらい邪悪に見えた。

 俺は魔女について多くを知らない。多分、あまり答えてくれないだろうと思って先輩に聞いてもこなかった。けれど魔女はいかなるチカラか、俺の話していない過去を探り当てていた。

 魔女は、やはり不可解な存在なのだろう。

 目眩がした。照らされる俺の影が歪に揺れる。

 コワイと思った、魔女を。それでも次に胸に込み上げきたのは怒りにも似た激情――家族を喪って以来持ったことのないような。

 俺は先輩を憎い、とすら思った。

 自分の心の触れてほしくない場所を、無理やり暴いたのだから

 この感情を――先輩を睨み付けて、叩きつけてやりたかった。

 例えその後、自分がどうなろうと。


 それでも、そんな事はできなかった。


 俺にとって凶器のような言葉を放った先輩は、可哀想なくらいに震えていたからだ。強く唇を噛んで、苦しげに瞳を揺らして。

 このひとは自分で放った言葉で、自分もまた傷ついていた。


 そんな彼女を見て思った。普段のこの世界を物憂げに見つめる瞳は、あまり変わる事のないその表情は、彼女にとっての仮面なのかもしれない。

 魔女として、世界に向き合う為の。


 やっぱり――彼女は、どこまでも〝ひと〟だった。


 「先輩、俺は……」

 声を掛けようとした時、場違いと思えるようなタイミングで携帯の着信音が鳴り響いた。

 それは俺のものではない。

 ハッとして先輩が、携帯を取り出すと応答する。

 誰かと話す先輩の表情が、少しずつ緊張を帯びた強張ったものになっていく。

 一体、何があったのだろう。


 不意に――数日前に先輩から貰った鈴の付いたストラップが鳴いている事に気が付いた。

 それは、何か――迫りくる危機を告げるように激しく震え、ついに紐を千切ってどこかに飛んでいってしまった。

 まるで自身が危険から逃げ出すように。

 背筋がゾクリと震えた。

 何か――何かがクルのだと思った。

 見れば倉庫街の影から、俺と先輩以外のナニモノかの影が伸びようとしていた。

 影が形を成す。

 それは――この間の〝通り魔〟なのに、そこから感じる威圧感は、恐ろしさは比ではなかった。

 「あ、あ……」

 身体の震えが止まらない。息をするのさえ苦しい。

 通話を切り、携帯を仕舞い込んだ先輩が〝影〟を睨む。

 その表情にはこれまでに無いほどの緊張が、どこか焦りさえも見えた。


 「殻木田くん、逃げなさい!アレは人を殺してしまったわ――もう〝通り魔〟なんかじゃない。あれは、〝殺人鬼〟よ」

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