第26話 連なる悪意と善意のその果てに

    8


 殻木田くんがこの場から逃げ去るのを確認すると〝影〟と向き合う。

 「く……」

 凄まじい威圧感を感じた。

 それは、前と比べようも無く――それどころか、これまで〝刈り取り〟をしてきた時にも感じたことが無いほどだった。

 戦慄、という言葉を思い出す。

 震える手を、身体を、委縮してしまいそうな心を奮い立たせる。

 魔女の杖――ヤイバを取り出すと、私はそのまま一足の元に斬りかかる。

 袈裟掛けにヤイバを振り下ろした。

 〝影〟はこれを躱す。

 「んっ――!」

 ヤイバを振った遠心力に身をまかせ、流れのままに身体を回しながらもヤイバの柄を持ち替えて、もう一度――今度は下からヤイバを薙ぐ!

 だがこれも〝影〟は躱す。それどころか――

 もう一撃、攻撃をするために体制を整えようとした私の隙を付いて、間合いを詰め、手に持った凶器を突き出してくる!

 横にステップし、これをなんとか躱す。

 「っ……」

 腕に痛みを覚える。見れば、肩口の辺りが切り裂かれ血が滲んでいた。

 やはりこの間とはまるで――別物。

 前に遭遇した時には、こちらが威圧するだけで逃げ回っていたというのに。

 頬を冷たい汗が伝う。


 そんな私の様子を見て〝影〟はただ嗤う。



 千鶴から掛かってきた電話の内容を思い返す。

 「小夜!凶報よ!」

 随分と慌てている千鶴の声。

 「いったいどうしたのよ、千鶴。こんな時に……」

 本当にこんな時に。

 私は殻木田くんを前にして、自分で口にしてしまった言葉のために震えていて。そんな私を殻木田くんは責めもせず、優しい目で見つめていて。

 「よく聞きなさい!今日〝刈り取る〟予定だった子がね、さっき自殺したわ、ビルから飛び降りて!」

 「〝刈り取り〟はどうしたのよ!」

 私も声を荒立てる。この怪異は今夜、他の魔女が刈り取りをして終わる筈ではなかったのか。

 「――どうやら、返り討ちにあったらしいのよ」

 「つまり、それは――」

 「――ええ」

 千鶴が相槌を打つ。

 事態はおよそ、最悪の展開へと進んでいた。

 それは刈り取りに失敗したことだけではない。

 まず人を――ましてや殺したのは魔女であること。

 これまで〝影〟は人を襲った事はあっても、殺人までには至らなかった。

 〝影〟は誰かを襲う〝通り魔〟であっても、殺人を犯す〝殺人鬼〟では決してなかったのだ。

 しかし〝影〟は人を殺してしまった。それも魔女だ。

 これからは、人を殺すだけの存在になってしまう。

 今や、そのチカラは魔女をも超えるだろう。

そして〝影〟を生み出した生徒は自殺してしまった――この事は〝影〟の怪異としての完成を意味していた。

 死んだ者の残した想いは――もう変わりようがないのだから。

 その想いに、生者の手が、声が届く事は無い。

 その子は【セカイ】を呪ったまま死んでしまった。

 永遠に――


 その存在はもう〝魔〟なんかじゃない。

 きっと人に災いを為すだけの――〝鬼〟だ。


 「だから、小夜。殻木田君を連れて逃げなさい!わたしも母様と一緒にすぐに向かうから!」

 その時、気配を感じた。強く、そして酷く禍々しい。

 千鶴達は――間に合わない。



 「はぁ……はぁ……」

 荒い息を吐く。

 私の身体には既に幾重もの赤い線が奔っていた。

 それは〝殺人鬼〟の凶器によるもの。

 幾度なくヤイバを交える、しかしこちらの攻撃は避けられ、その度に相手の凶器はこちらを掠める。

 間違いなく追い込まれているのは、私の方だった。

 戦いの最中、魔法の行使も考えたがその隙を〝影〟は与えてくれなかった。

 歴然としたチカラの差を感じた。

 私はなんとか、抗っているに過ぎない。

 このまま続ければ、いずれ私は負けるだろう。

 せめて殻木田くんが安全な所に――千鶴達に合流するまでは。

 「やぁぁ――」

 私はヤイバを構えると、これまで以上の速度で踏み込み、渾身の力でヤイバを振う。

 決定打にならなくても、一撃与えることで警戒させる事ができれば――

 ――その一撃は私の予想を超えて〝影〟を切り裂いた。

 音も無く地面に倒れ込み、幻のように消える〝影〟

 ――やったの?

 手ごたえはあった。

 だが――

 私は目を見張り、疑った。


 〝影〟が揺らめきながらも立ち上がる。そして嗤う。

 しかも、嗤い声が周囲からも聞こえる。


 見渡せば、目の前の〝影〟の他にも二人の〝影〟の存在があった。

 不可解な、絶望的なこの状況にココロが折れてしまいそうになる。

 私を取り囲むように、全員が距離を詰める。

 「……」

 このままでは私は――

 ――それでも抗う。

〝影〟達が凶器を構えて、一斉に飛び込んでくる。

 ここだ――!

 相手が攻撃に転じた僅かな隙。

 私はイメージする。

 自分の手に持つヤイバが複数、宙を舞うのを。

 次の瞬間、造り出された複数のヤイバが飛び込んでくる〝影〟へ回転しながら宙を奔った。

 そして全ての〝影〟を薙ぎ払った。

 今度こそは――と安堵の息を吐く。


 そんな私の前に一体の〝影〟が再び現れた。


 手に持った銀色に光る凶器を振う。

 気の緩んでいた私には避けようがなかった。

 (ああ……)

 私の身体に凶器が刺さろうとするのが、酷くゆっくりと見えた。

 この時、私は理解した。

 この〝影〟の怪異としての特性は――〝還す〟事だ。

 自身に向けられた悪意、敵意、恐怖を還すこと。

 呪いを還す者。

 ならば、どうやって倒す?

 どうすれば倒せた?

 敵意を向ける以外には。チカラを振るう以外には。


 延々と続く怨念返しを終わらせるには、どうすれば――


 その時、私の前に誰かが立ち塞がった。

 誰か――それは殻木田くんだった。

 殻木田くんの腹部に凶器が吸い込まれた。

 「から…きたくん?」

 どうしてあなたがここにいるの?

 逃げたはずじゃないの?

 なんで、私を助けたの?

 私の疑問に答えるように、殻木田くんは振り返ると苦しそうにしながらも、笑う。

 私は酷く動揺していた。

 しかし、それは〝影〟も同じだった。

 命を懸けてまで誰かが、誰かを助けようとすること。

 殻木田くんの存在は、この状況の中で誰にとっても〝在りもしない〟ものだった。

 一瞬〝影〟の存在が、姿が揺らぐ。

 その一瞬を私は見逃さなかった。

 殻木田くんの背中から飛び出して〝影〟の背後へと回ると、ヤイバを振り払う。


 〝影〟が消えていく。昏い深い夜の闇の中に溶けていくように。

 その時、私と殻木田くんは見た。

 不意に揺らめいて、見えたのは〝影〟の素顔。

 それは、まだあどけない子供のもので。

 その顔は笑っていた。

 この【セカイ】を見て。

 酷く悲しそうに。

 そして私達を見て。


 ――嬉しそうに笑っていた。

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