第27話 何処にも、誰にも届かない叫び

    9


 〝影〟の消えた闇を私は茫として眺めていた。

 最後の笑顔の意味を上手く捉えることができなくて。

 その時、ドサリと音がした。それは殻木田くんが地面に倒れる音。

 「殻木田くん――!」

 私は急いで、彼の元に駆け寄り抱き起す。

 殻木田くんの腹部は――血に塗れていた。

 意識は無く、顔も真っ青で呼吸も浅い。

 「あ…あ……」

 このままでは、殻木田くんは――

 「――!」

 爪が食い込むほどに手の平を強く握る。そうして、深く深呼吸して気を強く持つ。

 ここで私がパニックになってどうする?

 それじゃ、殻木田くんを助けられないじゃないか!

 彼の腹部を捲り、手が血に塗れるのも構わず当てる。そして意識を集中する。

 大丈夫。そう、自分に言い聞かせる。

 前にも傷を治せたのだから、今度だって――

 私は傷の無いその身体をイメージしていく。

 治癒の甲斐もあってか、殻木田くんの顔には徐々に血が通い、呼吸も安定する。

 「せんぱい……」

 彼がうっすらと目を開ける。

 そして自分が私に抱き抱えられている事に気が付くと、身体を起こそうとする。けれどまだ身体に力が入らないようで、起き上がることはできなかった。

 「しばらく、このままでいなさい」

 彼の身体を横たえ、膝にその頭を乗せる。

 「その、すいません……」

 「いいのよ、むしろお礼を言わなくてはいけないのは私の方。あなたがいなければ私は今頃――でも、聞かせて欲しい。どうして逃げなかったの?どうして私を助けようとしたの?」

 殻木田くんは私を見つめて答える。

 「最初は……逃げようと思ったんです。でもやっぱり、先輩の事が気になって。戻ってみたら、先輩が危なくて。気が付いたら身体が動いていました」

 「そう……」

 私は血に塗れていない方の手で、彼の頭を撫でる。

 「殻木田くん、あなたはどうしてここまでして誰かの為になろうとするの?普通の人はこんな状況なら、きっと殆どの人は逃げ出したでしょう。例え、そうしても私はあなたを責めたりはしなかった。それでも、あなたは戻ってきて私を助けようとした。自分の事も省みずに。それは、やっぱり――」

 そこで、私は言い淀んだ。

 私の言葉は、私の知っている事は彼を傷付けるだけ。

 それでも、殻木田くんは――その目に悲しみの色を浮かべながら答えてくれた。

 「先輩の言う――通りです。俺は多分、家族を喪ったからこんな事をしているんです。それにきっとあの事故は、俺の……俺のせいで起きてしまったから」

 殻木田くんの身体が震え出す。

 「殻木田くん……」

 それから、殻木田くんは自分の罪を告白するように話した。

 「お父さんが新しい車を買って、みんなでどこかに行こうって話になって、お母さんも妹も喜んでいたんです。そして、その日みんなで車で走っている途中で、俺がスピードを上げて欲しいって頼んだばかりに、車のタイヤが破裂して転がって、みんなが!みんなが!」

 殻木田くんが地面に手を叩き付ける、強く。激しく。

 殻木田くんの手から血が流れ出す。

 「殻木田くん――!」

 私は彼を強く、押さえつけるように抱きしめる。

 「俺のせいで!俺のせいで、みんなが、みんながもう……どこにもいなくなってしまった!」

 「それは、それはあなたのせいじゃない!」

 私は答える。

 「そうなのかもしれません。それでも俺は――」

 彼は静かな声で言った。

 「――自分を赦せない」

 頬の傷を撫でる。そこで気が付いた。治した筈の身体、でもその頬の傷だけが消えてないことに。

 その傷はきっと、事故の時に付いたもの。

 それは、殻木田くん自身の深い――傷跡。

 「先輩。俺は今回、先輩の為に何かできましたか?俺が例え、ドウナロウト――」

 静かに、ワライナガラ彼はそう言った。

 私はそのエガオを見て――

 「――いい加減に、いい加減にしなさい!」

 ――キレた。

 「先輩……?」

 殻木田くんが、酷く驚いた顔をする。

 「自分がどうなっても構わないですって!ふざけないで!どうして、どうして自分の事も大事にできないのよ、〝あなた達〟は!」

 殻木田くんの笑顔が誰かに似ていた。

 それは亡くなる前の母の顔。魔女の事を私に話した時の。

 「ねえ、知ってる?殻木田くん知ってる?そんな風に想いだけ残されても、悲しいだけなのよ!それを受け取った人間はね、ずっとその想いを抱えて生きていく事になるのよ!だったら、なんでそんな覚悟をするなら、できるなら自分の幸せのひとつも願えないのよ、〝あなた達〟は。自分の娘との幸せを願えないのよ!殻木田くん――あなたも同じよ!少しは自分を大事にしなさい!少しは周りにいる人間の事も考えなさい!」

 いつの間にか、私は涙を零していた。

 涙が、想いが止まらない。

 「せんぱい……ごめんなさい」

 殻木田くんはそう言って、薄く笑って目を閉じた。

 また――気を失ったのだ。



 二月の昏く、深い闇を私は睨む。意識の無い殻木田くんを抱きしめて。

 月も星も見えない闇の果ては見えない。

 それでも私は睨む。

 私は思う。今回の事で殻木田くんがこれほど傷付く必要があったんだろうかと。それから〝影〟だったあの子が命を絶ってしまう必要があったんだろうか。

 私もまた、殻木田くんを巻き込んで傷付けた。

 その事は変わらない。

 それでも――遣り切れなかった。

 人の心には昏い闇がある。

 だとしても、これほどまでに誰かを傷を付けていいものなんだろうか?

 「――――!」

 私は叫ぶ、二月の夜の闇に。

 この叫びはきっと、どこにも届かない。誰にも聞こえない。

 それでも叫んだ――


 私の身体が、意識が揺らぐ。

 自身もまた傷付いている事に気が付く。

 意識が、視界が閉じていく。



 最後に声が聞こえた。


 「小夜、ちょっと小夜、しっかりしなさいよ!目を開けなさいよ!」


 ――五月蠅い。

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