第36話 少女に降る雨

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 ――雨が降っている。


 人通りの少ない街外れの道。

 降り続ける雨の中を私は歩く。

 冷たい滴が上着を、スカートを、学校の制服を濡らしていく。

 傘は元々持っていなかった。

 それでも〝刈り取り〟をした時、濡れていなかったのは魔女のチカラを使って、空間移動を繰り返したからだ。

 私は何をしているんだろうと思う、ずぶ濡れになってまで。別に雨に打たれる趣味なんてない。

 〝刈り取り〟を終えた報告をするために手早く古谷邸に戻るには、空間移動を使えばいいだけ、それだけの事。

 それなのにこの日、私は雨の中を歩くことを選んだ。

 そういう気分になった、と言うしかない。

 「なんて面倒くさい」

 後で、制服を乾かす手間を考えて憂欝に思って苦笑する。

 くしゅん、とくしゃみをする。

 三月――春を迎える前に降る雨はまだまだ冷たくて、直ぐに私の身体を冷やしていく。

 寒い、と思った。

 寒さに耐えきれず、私は繁華街に続く裏道のビルの軒下を借りて雨宿りをする事にした。その場所も濡れないというわけではないけれど、直に降られ続けるよりは随分とマシだった。

 目蓋や頬に水気を帯びて張り付く髪を払う。そして、空を見上げれば灰色の厚い雲が見えた。

 その雲から雨が降り続く、延々と。

 終わりなんてないかのように。


 この既に滅びたこの【セカイ】に。

 ひとの想いでできた仮初め【セカイ】に。

 ややもすれば、ひとの願いを叶えてしまうような【セカイ】に。


 降り続くこの雨も誰かが望んだこと何だろうか、ふとそんな事を思った。


 しばらく雨宿りを続ける。万が一でも雨が止んでくれる事を祈って。最悪、少しでも勢いが弱まってくれる事を期待して。

 けれど、雨は勢いを増すばかりでそんな気配はない。

 いい加減、チカラを使って古谷邸に戻ろうかと思った。そして熱いシャワーを浴びて、新しい服に着替えて、何か温かいものでもの飲んで落ち着いて。

 そうした方がいいに決まっている。

 それでも――どうしても、そうする気にはならなかった。

 どうしてなのだろう、その理由は分かっている。


 今日〝刈り取った〟彼女の事が頭から離れない。


 この【セカイ】のイビツな魔法で自身の願いを、希望を叶えた彼女。

 彼女の願った事はきっと――子どもとただ、平穏な日々を過ごすことだけ。

 ただ幸せな時間を一緒に過ごすことだけ。


 その幸せを、私は壊した。


 ――おかあさん。


 その時間を過ごすために、子どもを守るために彼女はどんな事をしても構わないと――私を消したいと心の底から願った。

 もし彼女の事を事前に知って、その特性に目星を付けていなければ、私はこの世界から本当に消えていたかもしれなかった。


 ――母親はどんな事をしても子どもを守るもの。その幸せを願うもの。


 私は自分の母の事を思い出す。

 私との平穏な日々の後に、病気で亡くなった母の事を。

 この【セカイ】の真実と自分が魔女であった事を伝えて、逝ってしまった母の事を。


 ――おかあさん、あなたはどうして私と平穏な日々が続くことを願ってはくれなかったんですか?

 本当に私を愛してくれていたんですか?


 ああ、ダメだ。

 こんな日はココロがどうしても、落ち着かない。

 これまで何度も〝刈り取り〟をしてきた筈なのに。

 私は膝を抱え込んで、自身の身体を抱くようにして座り込む。

 降り続く雨を眺める。

 寒い。



 それから、どれくらい時間が経っただろうか。

 時間の感覚は曖昧だった。

 気が付けば、辺りは暗くなっていた。夜が近いのだろう。

 雨は降り止まない。

 こんな雨の日は、既に滅びた、壊れたこの【セカイ】の傷である〝ノイズ〟は見えないだろう。

 それでも、冷たい雨は降り続く。

 だから進めない、何処にも行けない。

 ずっと、雨が降り続く闇の中にひとりでいた。街外れた裏道に誰かが通り掛かることも無い。

 魔女になる事も雨の中にいる事も、自分で選んだことだけど――想うこともある。

 その想いを私は飲み込む。

 雨に降られ続けていても答えは出ないと思う。

 それでも――答えを求めるように手を伸ばす。

 けれど、伸ばした手は冷たい滴に濡れるだけ。何も掴めない。

 寒い、寒い。

 何処に行ったらいいんだろうと思う、何処に行けるんだろうと思う。

 帰る場所はもう無い。

 まるで――迷子みたいだった。

 寒い――寒い。

 身体が震える。

 いつになれば、私はこの寒さに慣れる事ができるんだろうか。


 ただ、寒い。


 「先輩……?」


 その時、不意に私を呼ぶ声が聞こえた。

 顔を上げてみれば、そこには傘を差した私服姿の殻木田くんがいた。


 「殻木田……くん」


 誰も来ないと思っていた。誰も声を掛けてくれないと思っていた。

 すっとそう思ってきた。

 それでも私は殻木田くんに――会うことができた。


 「先輩、そんなにずぶ濡れになってどうしたんですか……?」

 殻木田くんは膝を抱え込んで座り込む私の側まで寄ると、傘を差しだしてくれる。

 「傘を忘れてきたのよ、多分どこかに……」

 「先輩……」

 寒さに身体を震わす私を見て、殻木田くんは心配そうな顔をする。

 「殻木田くん……あなた、どうしてここに?」

 「叔父さんの知り合いに頼まれて、お店を手伝ってきた帰りだったんです。偶然通りかかって――今はそんな事はどうでもいいです。先輩、立てますか?」

 手を差し出してくれる。

 その手を握る。殻木田くんの手は暖かいと思った、本当に。

 その手を握って、私は立ち上がろうとする。

 けれど、足が縺れて殻木田くんの身体に倒れ掛かってしまう。

 「大丈夫ですか……?」

 「ごめんなさい…大丈夫だから……」

 濡れた身体を寄せても。殻木田くんは嫌な顔ひとつせず支えてくれる。

 その身体もやはり暖かった。

 「先輩、その先輩の家ってどっちの方ですか?」

 私は繁華街を通った先にあると答える。

 「結構、距離ありますね……」

 それからしばらく考え込んでから、少し言いにくそうにして提案した。

 「先輩、俺の部屋に来ますか……?」

 「えっ……」

 驚いて殻木田くんを見返すと、どこか気恥しそうにしていた。

 その表情を見て、彼なりの精一杯の気遣いなんだと気付いた。


 「ええ……お世話になります」


 そう答えると、殻木田くんはホッとしたように笑った。

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