第35話 夢の跡、止まない雨

     3


 雨の音と、胸に抱く子どもの泣き声の響く造り掛けのビルの中。

 彼女の消えてしまった虚空を眺める。

 わたしから子どもを奪おうとした少女は、もう何処にもいない。

 彼女が何者だったのか、結局分からない。

 どうして、わたしが彼女を消してしまう事ができたのかも分からない。

 それでも、わたしは彼女が消えてしまった事に酷く安堵した。


 もうこれでわたしのシアワセは、ユメは奪われる事はないのだから。


 そんな恐ろしい悪夢のような存在はいらない。

 今も、これからもずっと――

 わたしはこのユメに、シアワセに溺れていたかった。

 激しく泣き続ける子どももあやし直す。子守唄を唄いながら。


 もう大丈夫だから。

 あなたのことは、わたしが何があっても守るから。

 たとえ、どんな事をしても。


 それが――母親というものだから。


 わたしは祈り続ける。

 あなたとの続く〝日常〟を。


 子どもあやしていると、ふと目に止まったものがある。

 それはあの少女が残した不可思議なヤイバ。

 強い違和感を覚えた――そのヤイバが残っている事に。


 どうして、そのヤイバが残っているのだろう?

 だってあのヤイバは、あの少女の手放す事のできない一部のようなもので。


 何故そう思ったのかは、分からない。

 でも、どうしてもその考えが頭から離れない。

 見ていると強い不安に襲われる。


 もしかして、あの少女はまだ――


 その時、虚空が歪んだ。

 空間に裂け目ができて、手が伸びてそのヤイバを掴んだ。

 少しずつナニカが――裂け目から出てくる。


 ――それは、消えた筈のあの少女。

 消えた時と、寸分変わらない制服姿で。


 「あ――」

 その光景に息を飲んだ。

 起こりうる筈のないその光景に。

 「あなたは、いったい何者なの……?」

 わたしは彼女に問う。

 「私は――魔女」

 物憂げな瞳を変えることなく、片手でその長い黒髪を払いながら答える。黒髪が闇に広がる。

 再び少女がわたしの方に、歩み寄ってくる。

 怖い、怖い、彼女がどうしようもなく怖い。

 「キエロ、消えろ、きえろ、消えろ、キエロ、きえろ、きえろ、きえろ、消えろ――!」

 恐ろしさに身体を、声を震わせながら叫び続けた。

 わたしは、彼女が再び消える事を心底願った。


 だが、彼女がその手に持った自身よりも大きなヤイバを軽々と振う。

 何も無い虚空に――


 ――それで、薙ぎ払われた。


 彼女に届く筈だったモノが。

 彼女の存在を否定するわたしの言葉が――想いが。


 「そう――これがあなたの特性なのね。あなたの特性は〝虚実〟その言葉は、想いはあなたのユメを現実にしてしまう」


 彼女の歩みは止まらない。どれだけ言葉を想いを叫んでも重ねても、彼女にはもう届かない。彼女の振うヤイバに全て薙ぎ払われていく。


 それでも、叫び続けた。

 このユメを喪いたくなくて。

 いやだ、いやだ!


 「ユメはいつか――醒めるもの」


 わたしの前に立った彼女がヤイバを掲げて――振り下ろした。

 わたしはそれを子どもの泣き声を聞きながら、走馬灯のように見ていることしか出来なかった。


     ◇


 夢を見た。

 その夢の中で、交通事故で大切なあのひとが死んでしまった。

 わたしは家でその知らせを聞いて、目の前が真っ暗になった。

 そんなの、そんなことって――

 痛い、ココロが痛い。張り裂けてしまいそうなくらいに。

 イタイ、イタイ、お腹が。あのひとと結ばれた証である、命の宿るお腹が。

 下腹部から血が流れるのを見た。

 わたしはその場で気を失った。


 次に目が覚めた時、病院にわたしはいた。

 そこで、わたしのお母さんから聞いた。

 まだ幼すぎた命が流れてしまった事を。

 うそ、うそよ。嘘に決まっている。

 わたしはどうして喪ってしまったの?

 家族を、大事な家族を同時にふたりも。

 なんで、なんでこんなに簡単に。

 どうして、どうして?


 わたしはこんな罰を受ける事を、なにかしたんだろうか?

 この世界で。


 ただ、あのひとと、その子どもとの幸せを願っていただけなのに。

 少し、早いけどといって、ふたりで子ども服や揺り籠を用意してたのに。

 ふたりで新しい、命の誕生を祝福していたのに。


 全てがマボロシに消えていく。


 あ、あ、あ。


 うそだ。嘘だ。ウソだ。こんなコトは。


 だから、わたしは否定した。

 わたしの世界を。


 そして、ユメを見た。


 いきていくキボウを望んだ。

 それがある【セカイ】を望んだ。


     ◇


 ユメを見ていた。

 目を覚ました時、わたしは造り掛けのビルの中にいた。

 どうしてこんな所にいるのか、分からない。

 雨に降られたのか、身体は冷たく、濡れた服が肌に張り付いて気持ち悪さを覚えた。

 辺りを見渡す。

 造り掛けのビルは、まるで廃墟のようでこれから人が住む場所になるようには思えない。


 ――雨が降る。


 頭がぼんやりとする。

 ふと思う。

 わたしは誰なのだろう、と。

 自分の名前すら思い出せない。

 そんな事を思うのは、まだ目覚めたばかりだからなのだろうか。

 分からない。


 それでも、分かることがある、


 わたしは何か――大事なものをきっと喪ったんだ。

 それが何なのか分からない。

 ユメの中に全部置いてきてしまった気がする。


 視界がイビツに揺らぐ。

 わたしは泣いていた。


 分からない。分からない。

 喪ったものが。

 それなのに悲しくて仕方ない。

 涙が止まらない。


 胸に激しい喪失感を覚える。

 虚空に手を伸ばす。ユメを見るように。

 それなのに何も掴めない。


 わたしは泣き続けた。


 ――降り続く雨の中で。


 ユメは流されてしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る