第18話 異形達が踊るヨル

しばらくすると、目的地に着いた。

 その通りには――誰もいなかった。

 それどころか、人の通りもまったく無い。

 それは、友達の事件の事も影響しているのかもしれない。

 「まあ、そうだよな……」

 溜息を吐く。

 一度、事件を起こした場所に犯人がまたやって来ることなんかないよなあ、普通。警察もマークしてると思うし。それは前に見た警察ドラマの受け売りだけど、自分が犯人でも、同じ場所で事件を起こしたりはしないと思う。

 この場所で事件を起こす事、それ自体にでも意味がない限り。

 人目に付かない路地裏を通ってきたので、もしかしたら出くわすかもと思っていたけど、出会う事もなかった。

 (これからどうしよう……)

 付近でも、見回ってみようかな。

 そもそも、今日いきなり出会えるとは思ってはいない。

 これからも、出会えるかは、何かを見つけられるかは分からない。

 それでも――止めるつもりはなかった。

 全てが、無駄になるとしても。

 そんな事を考えながら、近くの自販機に寄る。

 ここまで、結構緊張しながら歩いてきたので喉の渇きを覚えた。

 ポケットから財布を取り出し、硬貨を入れる。ポカリを選ぶ。

 ガコン、と音がしたのを聞いて取り出し口に手を入れようとした時――背後に気配を感じた。

 後ろを、振り返る。


 自販機の細い光に照らされて〝影〟が揺らめいた。

 いや、それは――〝影〟では無かった。

 黒いコート、いやローブか?

 長い布切れで全身を覆った何者かが、そこにはいた。

 外見だけでは男性なのか、女性なのかも分からない。

 暗がりであることも手伝って、顔も良く見えない。

 ソイツが懐に手を入れる。


 そうして、取り出したのは――銀色に光る凶器。


 ゾクリ、と背筋に寒気が走り、身体が震えた。

 心が、身体が、危険だと警告していた。

 身体が動いたのは――もはや本能的だった。

 横に身体を捻った時、〝影〟がヤイバを構え突っ込んできた。

 銀色に光る凶器を辛うじて、躱すことができた。

 後ろに下がり、距離を取る。

 「はあ、はあ……」

 荒い息を吐く。全身から冷たい汗が噴き出す。身体が震えて止まらない。

 怖い、怖い、怖い――

 頭の中は、そのことしか考えられない。

 この後のことなんて、冷静に考えられない。

 〝通り魔〟に出会った時のことは、自分なりには考えていたつもりだった。けれど、そんなものは恐怖の感情に塗り潰されていった。

 助けて――と叫ぼうとしても、口が上手く回らない。

 背を向けて、走っても逃げ切れるかも分からない。

 ソイツがまた、ヤイバを構え直し、突っ込んでくる。

 マズイ、身体が震えて動かない。

 銀色のヤイバがこちらに吸い込まれるように、向かってくる。

 それが、酷くゆっくりと見えた。

 ――だからなのか、咄嗟に竹刀袋を手前に突き出すことができた。

 竹刀袋を突き抜ける刃、しかし身体には届かなかった。

 けれど次の瞬間、ソイツとぶつかって、身体ごと弾き飛ばされた。

 コンクリートの地面を転がる。

 視界が、地面と空をグルグルと回る。

 頭の中がグラグラして、ガンガンと耳鳴りがする。

 身体が痛い。

 「はあ、はあ、はあ……」

 倒れた身体を起こそうとしたけど、どこも力が入らない。

 少しでもアイツから、離れようと地面を這いずる。

 そんな俺を〝影〟は蹴りつけてきた。

 強い力で何度も、何度も。

 それに対して身体を丸めて、自分を守ることしかできない。

 一発の蹴りが腹に入り、嘔吐する。

 吐いたものの中には血が混じっていた。

 痛い、痛い、やめてほしい、いつまで続くんだろう――

痛みに、苦しみに、ゼツボウに頭が、ココロが犯される。

 〝暴力〟それはただの一方的な〝暴力〟でしかなかった。

 それは、しばらく続いた――


  地面に突っ伏す。全身が痛みで焼けるように熱い。なんの力も残ってない。

 抵抗なんかできない。

 今、アイツに何かされても今度はもう――どうしようもない。

 なんとか、頭を動かしてアイツを見る。


 〝影〟は俺を見下ろしていた。

 その表情は窺い知ることはできない。

 ただ、視線だけは感じた。


 「ははは、ハハハ、はは、ハハハ、はは、ハハハハ、はははは、ハハハは、はハはハ――」


 暫く、俺を見ていたソイツが突然嗤い出す。

 だが、それは酷く奇妙な声だった。

 子供の声に聞こえたかと思えば、大人の声、あるいは老人の声、それも男性のものや女性のものの声まで出して嗤う。

 まるで壊れたラジオ、あるいはイカレたスピーカ。


 (コイツは一体……)

 一体、ナニモノ何だろう。

 友達を襲った〝通り魔〟は本当にコイツなのか?

 そもそも、マトモなニンゲンなのか?

 分からない。でも分かることもある。


 ソイツは嗤っているのだ。地面に突っ伏した俺を見て――

 ――嘲笑っているのだ。


 ――昏い悦び。


 その声、視線にココロが砕けそうになった。

 アイツはきっと、俺をニンゲンとは見ていない、思っていない。

 地面を転がる、無様なナニカ。

 そんな風に見えるから、思えるから――

 ――だからあんな風に嗤えるのだ。


 「こんちくしょう……」

 それでも、俺は最後に残った力を込めてソイツを睨む。

 するとそれがソイツにはお気に召さなかったのか、嗤うのを止めてヤイバを振りかざして、こちらに向かってくる。

 アイツが俺を見ている。その事を感じる。

 明らかな怒気を込めて。

 俺の前に立つ。

 握られた刃は、鈍く光る。


 クソ、俺はコイツに――

 ――コロサレル。


 そう、覚悟した時だった。

 厚く曇って、星も月も見えない筈の夜空に、青白い三日月のようなものが見えたのは。

 それは、月などではなかった。

 まるで――大きな鎌のような形をした不可思議なヤイバだった。

 誰かが、そんなヤイバを握って振るっているのだ。

 〝影〟が俺の側を離れ、ヤイバを振う誰かと向き合う。


 そこで一度、俺の意識は途切れた。


 「――逃げられた」

 声が聞こえた。

 うっすらと目を開けた。

 けれど、意識はどこかおぼろげだった。

 「そこのあなた、無事かしら?」

 声のする方に、揺らぐ視界を向ける。

 「どうやら、無事のようね」

 そこにはひとりの少女がいた。

 彼女は地面に寝転ぶ俺を見下ろしていた。

 腰まで掛かる長い黒髪、コートとスカートから伸びる長く細い手足。整った顔立ち。そして、俺を見つめる物憂げな瞳。

 酷く――綺麗な少女だった。

 雰囲気のせいでそうは見えないが、年齢はさほど俺と離れていないだろう。

 「あなた、中学生かしら?学校で言われていないの?夜に出歩くのは危ないのよ。どんな〝モノ〟と出会ってしまうかも分からないのだから」

 そう、俺は出会ったのだ。

 彼女と。

 蒼白い三日月のような在りもしないヤイバを握る少女と。

 彼女はまるで――魔女のようだった。

 「今夜の事は、悪いユメだとでも思って全て忘れなさい」

 彼女がヤイバを振りかざす。

 (ああ……)

 溜息しか出なかった。俺はこれからどうなるんだろう?


 ――死ぬのかな?

 それは、それで別に――カマワナイカ。


 朦朧とした頭では、たいした事は考えられなかった。


 そして、ヤイバは振り下ろされた。

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