第6話 鈴木しぐれ

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 「ん……」

 鈴木しぐれは苦しげに息を吐くと、身を起こした。

 何か夢を見ていた気がする。

 けれど、その内容が思いだせない。

 けれど分かる。

 きっと、見ていたのは悪い夢だ。

 「痛い……」

 彼女は頭痛を覚えて、頭を押さえた。しかし痛いのは頭だけではなかった。

 体の節々をまた、痛みを訴えていた。

 それも当然かもしれない。ここ数日は何も敷かれていない床に寝ていたのだから。

 しぐれは辺りを見渡す。

 時刻は既に夜を迎えているようで、薄暗くてよく見えない。けれど闇に眼が慣れてくるとぼんやりと見えてくる。

 ここは、街外れにある取り壊しの予定の廃ビルの一室。

 だがいつまで経っても取り壊されず、人気のない不気味な姿を未だに晒し続けていた。だからここにやって来る人間なんていない。

 そんな廃ビルを見て――家出をした後、しぐれはここに寝泊まりすることにした。

 部屋の中には何もない。あるとすれば、隅に集められ放置されたイスや机だけ。タイルにはヒビが入り、備え付けられた窓は無残にもガラスが割れている。廃墟そのものだった。

 ここにくる者がいるとすれば――幽霊くらいだろうか。

 しぐれは立ち上がろうとしたが、足元がおぼつかなかった。

 仕方なく、体を壁に預けて座り込む。

 「ふふ……」

 嗤いが零れた。

 幽霊か。きっと今のわたしを誰かが見たらきっとそう、思うだろう。

 家出をした時の学校の制服姿のまま、着替えてもいないし、風呂にも入っていない。すごくみすぼらしい姿をしていると彼女は思う。

 それにこの場所に寝泊まりするようになってから、しぐれは昼間に目覚めることはほとんどなかった。

 いつだって頭がぼんやりとしていて、なのに胸が痛くて辛くて、そんな痛みから逃げるように眠り込むのに、その痛みのために目が覚める。

 そんな事の繰り返し。

 時間なんて関係なかった。

 ただ目を開けると、夜のことが多い。

 昼間は眠っているのに、夜になると目が覚める。

 「やっぱり、幽霊みたい――」

 けれど、しぐれは知っている。

 今、自分は幽霊よりも悪いものになろうとしている。


 ――手を見れば、自分の手が血に塗れた怪物のモノのように見えた。


 醜い、酷く醜い。

 「ふふふ……」

 嗤いが止まらない。


     ◇


 どうして、こんなことになってしまったのだろうか?

 わたしは――鈴木しぐれは思い返す。


 昔、父さんがいた頃はみんな幸せだった。母さんもわたしも弟も、みんなが笑っていた。

 けれど、母さんと父さんの仲が上手くいかなくなってケンカばかりするようになっていった頃から、みんなが笑わなくなった。

 それから、父さんはいなくなり、弟は重い病気になった。母さんは家計を支えようと働きに出て、あまり家には帰らなくなった。

 だから病気になった弟の事はわたしが看ていた。

 そんなわたしを見て、弟はいつもゴメン、と謝っていた。

 苦しそうな笑顔で。

 そんな顔をさせたくなくて、わたしも笑うようにしていた。


 けれどそんな弟も――もういない。


 弟は病気に勝てなかった。

 弟が一番苦しかった時、わたししか傍に居られなかった。

 母さんは仕事で居なかった。


 そして、弟は亡くなった。


 それからだろうか。わたしが母さんのことを思う度に、その姿を見る度に、言いよう無い想いが胸にこみ上げるようになったのは。

 その想いは、うすら暗くて冷たくて痛くて苦しくて重くて鈍くて熱くて――どうしようも無かった。


 この想いはきっと憎しみだ。

 言い様の無いほどの憎しみだ。


 それから、時々自分の手が――血に塗れた怪物のモノのように見えるようになった。

 わたしは怖くなった。自分が。母さんが。母さんにまた顔を合わせた時、自分が何をしてしまいそうになるのか。


 きっと、わたしはこの手で母さんを――


 こんな想いを抱えている自分が嫌で、嫌いで友達と顔を合わせることが怖くなった。学校にも行きたくなかった。


 ――痛い。


 だから逃げ出すことにした。わたしの世界から。

 これ以上、わたしの世界を傷つけないように。これ以上、わたしが傷つけかないように。


 ――わたしが怪物になってしまう前に。

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