第3話 虚木小夜の日常

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 眠りについていた私の意識がゆっくりと覚醒していく。

 最初に感じたのは午後のうららかな日差しとその暖かさ。

 その暖かさが覚醒しかけていた私の意識を再びぼんやりとさせていく。

 ……眠い。

 このまま惰性に流されて、また惰眠を貪りたくなった。

 けれど私の体を揺さぶる手と、私の名前を呼ぶ声がそれを許してくれない。

 「――起きてください、先輩!起きてくださいってば、虚木先輩!」

 むーむー唸って、体をよじって抵抗してやろうかと思ったけれどこの間、そうやって抵抗したら頭にチョップを貰ったことを思い出して、素直に起きることにした。

 「……おはよう、殻木田くん」

 「ええ、おはようございます。虚木小夜先輩!」

 虚木小夜(うつぎさよ)――これが私の名前だ。

 まだ眠い眼を擦りながら私は、私を起こした男子学生を見る。

 殻木田順平(からきだじゅんぺい)、私立白亜学園の一年生にして私の後輩。

 体系は細めで身長は少し低め、おそらく170cmには届いていないだろう。しかしまだ成長期なのでこれからもっと伸びるかもしれない。

 髪の毛は短めで、特に遊ばせているわけでもないが、癖毛のようでいつもどこかが少し跳ねている。

 優しい雰囲気の顔立ちだが、頬に傷跡がある。それで少し怖く見えるかもしれないけれど一度話せば、人当りも人も良いことがすぐに分かると思う。

 ……尤も、人当りも人も良いはずの殻木田くんが、今はなんだか怒っているように見えるのだけど。

 「他のみんなはどうしたのかしら……?」

 私は周囲を、私と殻木田くんしかいない部屋の中を気だるく見渡す。普通の教室とは違い多くの棚があり、そこには多くのファイルが収められている。部屋の隅にはコピー機やパソコンが並んでいる。机もまた会議で使うような長方形のものが四角に並べられていて、多くの人間が顔を合わせて話し合えるようになっている。

 ここは、生徒会室だった。

 「みなさん、自分の担当の作業は終わらせて帰りましたよ」

 「千鶴も?」

 「はい。古谷先輩は、今日は何か用事があるみたいで早めに済ませていたみたいですけど……ところで虚木先輩、そんな古谷先輩から言付けを受け賜わっています」

 「なにかしら?」

 「少しは仕事しろよっ!――アンタ、一応お題目だけは生徒会長なんだからさっ!会議中も居眠りしやがって!最も事務仕事は苦手だろうから、こっちで書類はまとめておくから、せめて了承のハンコだけは押せよっ!――との事です」

 「なるほど」

 「ちなみに――俺もまったくの同意見です」

 アハハ、と殻木田くんが笑いながら言う。ただし目がまったく笑っていない。普段が温和なだけあって地味に怖い。

 「あまりやる気がないのは仕方ないじゃない。私から望んで生徒会長になったわけではないのだから」

 座っているイスを左右に振って、キイキイ言わせながらそう反論してみる。

 そう――私は進んで、この学校の生徒会長になったわけではない。学年が2年生に上がり、クラスから生徒会への立候補、あるいは推薦の話が来たとき千鶴が勝手に私を推薦してしまったのだ。なんでも、二年生のクラスからは最低一人は生徒会への立候補者を出さなければいけない決まりがこの学校にはあるらしく、そんなの面倒と思うほとんどの生徒達によって私は人身御供にされてしまったのだ。

 彼ら曰く、雰囲気だけはあるらしい。

 そんな状況に陥る私を見て、ほくそ笑んでいた千鶴にムカついたので彼女のことも推薦してやった。

 その時の千鶴は少し慌てたが、私を推薦していた手前や元々面倒見がいい性格が災いして結局了承してしまった。

 一蓮托生。因果応報。人呪わば穴二つ。目には目を。歯には歯を。死ななば諸共だ。

 そしてその後これまた雰囲気だけはあるとして、半ば人気投票で私と千鶴は生徒会入りをしてしまい、生徒会長と副会長という座に着くことになる。

 南無三。

 「先輩が生徒会入りをした経緯は知ってますが、なってしまった以上それなりにでも役目は果たすべきだと俺は思います」

 「なぜそう思うの?」

 「そうしないと、きっと――困る人がいるから」

 殻木田くんが頬の傷跡を搔きながら言う。

 なんとも殻木田くんらしい意見だと思った。

 私は溜め息を付いた。

 「なんて面倒くさい」



 春の日差しの降り注ぐうららかな午後。今日は土曜日なので授業は午前中にしかなく、快晴であることも相まって、外からは部活動に勤しむ声や音、この後どこかへ寄るのだろか、楽しそうに帰宅する生徒達の声が聞こえる。

 しかし生徒会室に響く音は二つしかない。

 殻木田くんの操作するパソコンの音と、そこからしばらく離れたところで私の書類にハンコを押す音――ぺったん。

 ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん――

 書類は結構溜まっていたらしく押せど、押せど、なかなか終わらない。

 「ねえ、殻木田くん」

 「なんですか?先輩」

 「飽きた」

 「頑張ってください」

 パソコンの画面を見つめている殻木田くんは、こちらに視線を向けることもなく言う。

 「殻木田くん、お願いがあるのだけど」

 「なんですか?」

 「自動のハンコ押し機は、どこかにないのかしら?」

 「そんなのありません」

 「じゃあ、そんな秘密道具をお腹のポケットから出してくれそうな、青いネコ型のロボットは?」

 「22世紀まで待ってください」

 「今日の殻木田くん、つめたい。つれない」

 「古谷先輩に厳命されていますからね。今日は虚木先輩に仕事させよ、と。そもそも俺は、先輩がこんなに怠惰な人だとは思ってはいませんでしたからね」

 「そうなの?」

 「ええ、3か月前に先輩に出会った時は――まあタイミングがあれでしたけど、最初は長い黒髪が似合っていてどこか物憂げな雰囲気を持った綺麗な人だというイメージがありましたから」

 いささか冗談くさいが、容姿を褒められたことは少し嬉しかった。

 「幻滅した?」

 「いえ、今の先輩は先輩で俺は――好きですけど」

 殻木田くんはまっすぐこちらを向いて、柔らかく笑う。

 不本意ながら一瞬、心臓がドキリと跳ねた。

 なんかズルい。

 「殻木田くん、私、あなたにしかできないお願いがあるのだけど」

 私も殻木田くんを見つめて優しく笑い返しながら言う。

 「それは……なんですか?」 

 私の雰囲気が変わったことを感じたのか、殻木田くんの面持ちがすこし緊張したものになる。

 「私の傍に来てほしいの」

 「えっ……」

 その言葉を聞いて、殻木田くんは驚いて顔がすこし赤くなる。

 「それから手を握って欲しいの」

 「せ、先輩……」

 「そして、手を添えてハンコを押すのを手伝ってほしいのよ。いい加減手が疲れてきたわ」

 「……こんにゃろう」

 殻木田くんが深く溜息を付いた。そして、こめかみを抑えた。

 「……先輩、少し休憩しましょう」



 「虚木先輩、どうぞ」

 「ありがとう」

 殻木田くんが淹れてくれたコーヒーの入ったマグカップを受け取る。マグカップにはジト目の黒猫がプリントされている。

 コーヒーを少し口に含む。ブラックはやはり苦い。そこで私はスティック砂糖を3袋、ガムシロップを2つ、そこにミルクを加える。

 「虚木先輩って、かなりの甘党ですよね」

 「そうかしら」

 「ええ、本当のコーヒー好きの人間がいたらきっと卒倒しますよ。俺も先輩にはカフェオレかココアを出した方がよかったかなって、今思いましたから」

 「殻木田くんは、苦めが好きなのね」

 私の隣のイスに座る殻木田くんは砂糖1袋で飲んでいる。ちなみに殻木田くんのカップにはハムスターがプリントされている。

 「俺は甘いのがあまり得意じゃないだけです」

 「でも世の中には、マックスコーヒーという凄く甘いコーヒーがあるそうじゃない」

 「たしかにアレはかなり甘いですね。特にホットは」

 そう言って笑った。

 「そんな甘党な先輩にはデザートも用意してありますよ!」

 「なにかしら」

 「杏仁豆腐ですよ、コーヒーと合わせてどうぞ!」

 プラスチックのスプーンと一緒に差し出してくれる。

 「殻木田くんは私の好みを熟知しているわ」

 杏仁豆腐は私の好きなミニステップのものだった。蓋を取りスプーンを入れ、口に頬張る。さっぱりとした甘さが口の中に広がる。おいしい。



 「出会ってからあまり経っていないのに殻木田くんは、私のことをたくさん知っていると思うわ」

 杏仁豆腐を食べ終えた後、不意に私の口からそんな言葉が出た。

 「先輩との出会いはこれまでの人生の中でも一番強烈でしたから――」

 彼は肩を竦める。

 「――アレは忘れようにも忘れられないような出来事だし、俺はその中で先輩の正体も知ってしまいましたから。そんなひとからは目が離せません」

 そして、まっすぐに私を見つめる。

 「あなたにとっては――そうかもしれないわね」

 私は目を伏せる。



 私は殻木田くんと出会った。

 二月の深い昏い寒い夜の中で。

 〝怪異〟と呼べる事件を通して。

 闇の中でふたりは出会った。



 「そろそろ仕事に戻りますね」

 殻木田くんはそう言って席を立つ。その時、制服の袖が捲れて手首に巻かれた真新しい包帯が見えてしまう。


 ――私は知っている。殻木田くんが抱えているものを。


 元いた席に座った彼は再びパソコンと向き合う。

 そこでふと気が付いた。

 「ねえ、聞いてもいいかしら。その仕事はあなたがすべきことなの?」

 殻木田くんは生徒会室に結構出入りしているのでよく勘違いされるが、役職は無い。あくまで私達の手伝いをしてくれているただの一般生徒だ。

 「いえ、違いますね。藤田先輩の仕事なんですけど、今日はなんか用事があるみたいで代わりにやってくれないかと、頼まれました」

 そんな事を酷く当たり前のように言う。

 人当りも人も良い殻木田くん。彼は人の頼み事をほとんど断らない。

 だから彼にはたくさんの知り合いがいる。そのために生徒会がなにかあった時に仲介役を頼む事もあるので、生徒会室にも出入りしている。


 ――私は知っている。彼の悪癖を。

 彼は単に人が良いというだけで、誰かの頼み事を引き受けているわけではない。


 「殻木田くん、今日このあと何か用事はあるかしら?」

 声を掛けてみる。

 「いえ、特にはないですけど。どうしたんですか、先輩?」

 「なら、仕事を早く終わらせてしまいましょう。そしてなにか食べに行きましょうか。今日は折角、天気のいい土曜日なのだから」

 「先輩が急にやる気を出すなんて、何かあったんですか?まあ、でも確かに外は天気がいいですね――」

 窓から見える春の空を見上げて彼は言った。


      ◇


 仕事を終えた後、私達は駅前の歓楽街に出て銀だこでたこ焼きを食べて、音楽店に寄って最近の曲を試聴した。それから、本屋にも行って雑誌を立ち読みもした。

 そして日の暮れる頃に、お互いにさよならを言って別れた。


 そんな当り前のような時間を、ふたりで過ごした。

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