第31話 何かが雪道をやって来る(2)

 1569年(永禄十二年)二月二十二日。

 駿府。


 家康からの返書を待たずに、武田信玄は駿府で態度を決めた。


「動くな」


 下半身を炬燵に入れ、小姓に剥かせた蜜柑をひと房ずつ味わいながら、信玄は軍議室内(宿泊している寺の伽藍堂)に詰めている部下たちの悲しそうに落ち込む顔を見渡す。

 副将・工藤昌秀だけは、一人だけ落ち込まない。

 彼だけは、戦時下でなくても仕事が変わらない。


「言うておくが、戦はしないと言う意味で、駿河領内の行政を把握し、統治下に置く仕事は沢山残っておるぞ。国衆地元のマイナー領主に任せきりにしたり、工藤に押し付けて負担を増やしたりするなよ」


 部下たちを苦笑させた上で、信玄は本題を打ち込む。


「念入りに、統治せよ。一度駿府から離れ、一年後か二年後に戻っても、恙無く統治を再開出来るように」


 可能性が増していたとはいえ、駿府からの撤退を切り出されて、部下たちは響めく。

 

「二月まで待ったのだから、このまま粘って甲斐への雪道が溶けるまで待っても」

「撤退すれば、北条が詰めてしまいますぞ」

「自分、まだ駿府の現地妻と合体していません!」

「まだ子供がラーメン食べ(以下略)」

「遠江に来ている徳川の軍勢を潰せば、遠江と三河が一気に武田領に成るのではありませぬか?」


 意見と不満が不出する間、信玄は穏やかに聞き入れてから、この件の要諦に入る。


「色々と意見を、ありがとう。ほとんどの者が、筆者が顔も名前も書かずにモブキャラ扱いなのに。ありがとう」


 要らん前置きをしてから、信玄は事情を明かす。


「徳川に不審の動きが有った故、出浦が探りを入れた。徳川が、この駿府への戦略的脅威を感じずにいられるなど、異常極まる。客観的に見ても、この武田信玄の軍勢が歩いて数日の距離にいる状況で、ガクブルしないでいられる筈がない! わしなら脱糞しながら逃げるぞ。怖いもん、こんな軍勢」


 セルフ・ブラックジョークに爆笑しないように、武田の諸将は堪える。


「徳川家康は、河田長親かわだ・ながちかに書状を送っている」


 河田長親の名が出た段階で、武田の諸将が一斉に動揺する。



 武田信玄の話中ではあるが、この当時における、『河田長親』の知名度を説明しておく。

 現代でいうとキムタクや福山雅治並みの有名人である。

 そして、彼の知名度を説明するには、上司である上杉謙信にも触れなければならない。



 戦国時代の有力大名達には、一つの大きな目標が存在する。

 今日へ上洛し、朝廷と室町幕府を保護。

 見返りに、権力を掌握。

 何なら、そこから新しい幕府を始めても良い。

 軍事力さえ十二分に有れば、それは可能だ。

 往路に立ち塞がる全ての戦国大名を屈服させ、京周辺の野心家達を全て退けるに足る軍事力さえ有れば。

 上洛とは、戦国大名として最高のパフォーマンスなのだ。

 ほとんどの戦国大名が近隣と戦うだけで代を重ねる中、極僅かな戦国大名が、上洛に成功している。

 上杉謙信も、上洛を果たしている。

 二度も。

 しかも、他の上洛者と違って、京に居座って利権を漁ったりしない。

 帝や将軍を、傀儡にしたりしない。

 内紛で京や大仏を焼いたりしない。

 人質を寄越せとか、茶器をプレゼントしてとか、国宝級の香木をちょっと頂戴とか無茶振りもしない。

 数々の名誉職を襲名するだけで、満足。

 その上、寄付金をたっぷり納めてくれたので、京の屋敷や仏閣のリフォームが大幅に進んだ。

 とっても謙虚で無欲で羽振りの良い、夢のような勇者様である。


 マジで感激した後奈良天皇は、御剣と天盃を下賜するオマケに「敵を討伐せよ」と勅命を下した。


 意訳すると、「其方が敵と認めた奴は朝廷にとっても敵だから、殺して構わないよ」という事になる。

 帝から『殺しの許可証マーダーライセンス』を貰ってしまったのである。


 武田や北条の関係者が悲鳴を上げそうな椿事である。

 他の時代であれば、武田や北条は二度と戦わない方針を取っただろう。

 他の時代であれば。

 戦国時代では、朝廷や幕府が休戦命令を出しても、

「あー、はいはい。相手が死んだら、辞めます」

「今ガチンコしていますので。生き残った方が、話聞きますわ」

「う〜ん、そうしたいデスけれど〜、いわゆる〜、一つの〜、デスマッチ、デスから〜」

 と、言い訳だけを返されて、全然効力が無い。

 本拠地の政治すら全う出来ない程に弱体化した団体の命令に、誰も従わない。

 ところが、来たのである。

 本気で朝廷に忠義を尽くし、損得抜きで室町幕府に助力してくれる戦国大名が。

 京の老舗権力者たちにとって、もはや上杉謙信抜きの人生なんて考えられない。『殺しの許可証マーダーライセンス』ぐらい、あげちゃうのである。帝にとっては、タダだし。

 こうして名実共に日本一の戦国大名として認められた上杉謙信が、二度目の上洛を京から大歓迎されている最中に、誰も予想しないイベントが起きた。

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