第9話 掛川城で、お茶を(1)

 1568年(永禄十一年)十二月十四日。

 米津常春は掛川城が見える距離まで来ると、部隊の足を止めて今川氏真へ別れを告げる。


「此処でお別れです。俺達は本陣へ戻ります」

「いえ、是非とも掛川城で、お茶でも振る舞いたい」

「・・・いえ、あのう」


 戦国時代の戦国大名の「お茶を振る舞う」を現代語に訳すと、「公式に念入りに、お客様として接待しまっせ」となる。

 米津常春は常識人なので、主君の許可なく茶に招かれると調略や寝返りを勘繰られると警戒してしまう。

 いや、今川氏真が相手だから、誰も心配しないだろうけど。


「米津殿は、われの命の恩人ぞ。礼をしておきたい」

「遠からず、徳川が掛川城を囲みます。情が移ると戦い難くなります」

「それが狙いですので、気兼ねなくお寄り下さい」

「じゃあ、寄ろうかな」


 昨日、非常に疲れる対面を連続してこなしたばかりなので、米津常春は今後の戦働きでサボれる口実作りに乗った。

 戦国武将としての能力は非常に高めで、戦働きの機会が格段に多かったにも関わらず、米津常春が後世でマイナーなままなのは、戦で手柄を立てる欲が希少であったからだろう。


 今川氏真を先頭に行軍したので、米津の部隊は掛川の城下町を誰何もなく通れる。

 掛川城の城下町は、城を護る為の臨時外堀として大幅な改装工事の最中であった。十字路には防御柵や土嚢が大量に用意され、侵攻軍の足を止める工夫が積み上げられている。

 水桶も各所で用意されており、駿河のように焼き討ちさせない為の対策も万全。市街戦で敵を消耗させる気満々。

 掛川城そのものは、三〇メートルほどの小山の上に築かれており、本丸城の中枢二の丸最終防衛ライン三の丸最前線防衛ラインがしっかりと作り込まれている。

 加えて、城の内堀・外堀には、付近の川から水を常に満たす事が出来る。


(ああ…死ぬなあ。まともに攻めたら、千人以上は死ぬなあ)


 先日、服部半蔵が持ってきた掛川城の見取り図の正しさを肉眼で確認し、米津常春は泣きたくなった。

 今の徳川の軍事力で力任せに攻めれば、掛川城がこのまま防御力を増強しても、落とせるだろう。

 それでも、四十五歳まで戦歴を重ねたベテラン武将は、見積もった戦死者の多さに悪寒を覚える。


(まあ〜、殿の事だから、俺の見積もりよりも少ない犠牲で済ませるだろうけど…)


 ポジティブに戦況を捉えて心穏やかに保っていた米津常春は、三の丸手前の北門で止められた。

 敵兵をのこのこと引き連れて接待しようとする今川氏真に、武将がマジ説教を始めている。


「城内へは、駄目です。三の丸も城内のうちです。そこの来客用陣屋で茶を点てて下さい。そして、一刻だけ休ませて、帰らせて下さい」


 今川氏真に説教可能な今川の武将は、一人しかいない。

 米津常春は、涼しく穏やかな笑顔で東海道最強に目礼し、相手の都合に合わせて大人しく振る舞う。

 部下達に休憩を告げ、氏真に続いて来客用陣屋に入ろうとする米津常春の横を、朝比奈泰朝が並んで一緒に入る。


(まあ、当然の配慮だな)


 来客用陣屋に入ると、服部半蔵と四人の女忍者が先に寛いで茶を飲んでいたので、米津常春はキレた。


「こ〜〜の〜〜や〜〜ろ〜〜〜〜!?!?」


 月乃の太腿を枕に横になって休んでいる服部半蔵は、鬼面を綻ばせて米津常春の好きに喚かせる。


「何が『馬場信春じじいを足止めしてデマを吹き込むだけの簡単なお仕事』だ、この野郎!

 駿河と一緒に焼かれかけたぞ!」


「米津殿は、土手までしか行っていませんが」


 半蔵の足を揉んでいる夏美が、委細に構う。


「性悪な女忍者どもは、俺を盾にして振り返りもせずに逃げるし!」

「元々別行動っす。視界の隅に入ったくらいで、馴れ馴れしくしないで下さい」


 陽花が、半蔵の足の裏に薬を塗りながら反論する。


「オマケに赤備えの相手までさせやがって!

 まだ生きているのが信じられない!」


 そこまで喚いてから、常春は更紗が無言で睨み返しながら、半蔵の左腕の傷に包帯を巻いているのに気付く。

 服部半蔵は客室で寛いでいるというより、全身に負った傷を治療しているように見える。


「…半蔵、お前…歩けないレベルの大怪我?」

「ん〜。傷の一つ一つは浅手以上深手以下なのだが、全身十カ所以上に負ってしまった。下手に動くと悪化するので、帰りは荷車で運ばせる」

「まさか…」


 常春の脳裏に、常春を追撃しに来た赤備えを食い止めようと、半蔵が赤備えの兵達を巨神兵に命じて薙ぎ払う光景が浮かんだ。


「俺を庇って、赤備えに突撃?」

「全然違う」


 半蔵は説明しようとして、疲れるので目線で月乃に解説役を振る。


「春名様と美朝姫と我々に預けた後、半蔵様は武田に先んじて駿河の焼き討ちを行いました。この際、武田の忍者と激しい戦いとなり、負傷。

 次に北条へ赴き、武田が約束を違えて春名様と美朝姫の保護をせず、お二人が炎の城下町を歩いて逃げる羽目になったという速報を届けに行きました。この際、北条の忍者風魔と戦って負傷しました。

 そして今朝方、我々に合流するまでに武田の追っ手に再襲撃され、負傷がここまで蓄積しました」


 そこまで説明すると月乃は、目以外に笑顔を浮かべて常春に頭を下げる。


「常春様も、大変に難儀なお役目、誠に、お疲れ様でした」


 常春は、土下座をして月乃の冷たい視線から逃れる。


「いつも俺の三倍以上働いている服部半蔵に八つ当たりして済みませんでした。ごめんなさい。永遠に、ごめんなさい」


 今川氏真が片隅で、三河名物「平謝りする米津常春」を見物しながら茶を淹れ終える。


「恩人を茶で持て成すと言いながら、茶室も用意出来ず、申し訳ない」

「いえいえ。休憩場所を頂けただけで有り難いです」


 うろ覚えの作法で茶碗を受け取ると、常春は茶を味わう。

 詳しい感想は述べずに、「ご馳走様」で済ませた。

 折角の機会なので、口が軽そうな今川氏真に会話を振ってみる。


「いやあ、掛川城が無事で良かったですねえ。てっきり、ウチの軍勢が取り囲んでいる最中かと」

「囲まれているも同然です。掛川以外の土地は、今川以外に寝返りました」

「もう後がないので、奥さんの実家北条に亡命した方が良いのでは?」

「そうしたかったけどねえ。まだ逆転の目が有るから、その結果を確認してから亡命する」

「有りますか?! 有りますかあ?!?!」


 どう楽観しても、今川家の現状はオワコン倒産寸前

 まだ望みが有るとか言っている氏真ちゃんの脳を心配し、常春は朝比奈泰朝の方に眼で問いかける。


『此の方、お薬をちゃんと飲んでいますか?』


 オワコンである事など重々承知していても、主人への失敬な疑問を払拭しようと、朝比奈泰朝は口を挟む。


「北条が援軍を出せば、武田と徳川を今川の領地から追い出せる」

「出さなかったじゃないか」

「大軍なので、時間が掛かっているだけだ」

「運用の遅い大軍なんざ、武田に勝てないだろ」

「駿河に居着いた武田軍と武田本国の間を大軍で遮断すれば、武田の方から北条に休戦を求めてくる」

「武田に渡すより、親戚の北条に渡した方が、マシってか?」

「ああ、マシだ。強欲な武田に駿河を渡せば、次は三河を狙うだろう」

「知っている」


 だからこそ三河は、遠江の攻略・吸収に着手している。少なくとも二カ国分の国力が無ければ、武田と本格的な戦争が始まる時に、足止めすら出来ない。


「北条は、兵を出すよ」


 服部半蔵が、横たわったまま、を伝える。


「武田は、春名様と美朝姫を保護するという約束を守らなかった。その報せを聞いて、北条の当主と先代は激怒。本格的な大軍勢の召集を始めた」


 服部半蔵が教えてくれた最新情報に、今川氏真は項垂れて確認する。


「服部半蔵。北条が出陣の準備を始めたのは…昨日から?」

「はい。自分が報せてからです」

「ふ〜〜〜〜〜ん」


 頼りにしている亡命予定先から扱いをされて、今川氏真は涙目になった。

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