第40話 降伏日和
1569年(永禄十二年)三月四日。
掛川城攻防戦最大の激戦から二週間。
城門が落とされたのに落城はしないという、艦これ的に「中破」な状態のまま、掛川城は持ち堪えていた。というより、後は今川からの正式な降伏を受け入れるだけという状態で、休戦している。
双方、その認識で間違いない。
間違いは、無い。
後は、今川氏真が信用の置ける部下に「徳川との終戦協定を結ぶから、段取りを話し合ってきてね」と命令すれば、話は締めに移る。移れる。移れよ、いい加減に!
(咳払い)
今日もノンビリと茶を点てたり、簡単な書類仕事をして時間を潰す今川氏真に、城内の各関係者が催促に入る。
鎧装束を脱いでリラックスした状態で、朝比奈泰朝は急かさず威圧せず失礼の無いように、主君へ催促をする。
「今日は降伏日和ですね」
「そうだねえ」
話し掛けられて感状を書き損ねた氏真は、ミスった感状を朝比奈泰朝に渡して、新しい紙に書き直す。
それは、原川への感状だった。
「原川にも恩賞を?」
「うん。空手形になってしまうけどね。気持ちだけ」
原川勢は武家としての自信を失っていたので、戦後は隠居して一族は帰農すると宣言している。
だったらとっとと城から出て行って欲しいのだが、帰宅方向にいる酒井忠次の攻撃がトラウマになっているので腰が重い。
日根野の具申した凶悪案が脳裏に浮上するのを払いつつ、朝比奈泰朝は催促を進める。
「徳川への降伏の使者は、誰を差し向けましょうか?」
朝比奈泰朝の方から名前を数名挙げて、候補を絞り込もうとする。
遠江一国の主権を正式に明け渡す交渉であるから、今川氏真の承認なしには話を進められない。
「誰でもいいよ。降伏して北条に亡命するだけだから」
「いえ、美朝姫様の件で、追加条件を付けねば」
「朝比奈さんが貰いなさい。それなら私も安心だ」
「そのつもりは、無いです」
「なら口を出すな」
今川氏真が、凄い目で朝比奈泰朝を睨み付けて反論を封じる。
初めて氏真に怒られたので、朝比奈泰朝は一時退室する。
他国であれば、とっくに朝比奈泰朝が今川氏真に代わって交渉を進めていい状況下ではある。しかし、朝比奈泰朝は生涯、一武人に徹した。
続いて春名様が、風魔の小太郎を背後に引き連れてマウントを取りながら、最重要の仕事を滞納する夫を詰問しに来る。
「美朝姫の嫁ぎ先は、家康殿に任せて良いと存じます。家康殿にとっては、姪。良い縁組を考えてくれましょう」
既に服部半蔵経由で『上杉の肝煎りで、美朝姫は吉良家へ嫁がせる』件を説明された春名様は、夫がこれ以上事態を悪化させる前に、動く。何せ彼女は九年間、夫が政治的には無能である様を何遍も目の当たりにしている。
今回だけは、夫に壊させる訳にはいかない。
上杉謙信が仲人同然の良縁である。
しかも、家格が(百年前なら)上の吉良家。
トドメに、家康の親友の息子との結婚である。将来安泰は間違いない。
落ち目まっしぐらの今川家に、これ以上の良い話が来る事は、絶対に無い。
妻の焦燥も知らずに、今川氏真は話に応じる。
「国を渡す上に、一人娘まで渡したくない。北条家に任せますよ」
「今の北条では、隣接する敵対国に人質同然に嫁がされるだけです」
「北条に任せれば、春名のように、ハンサムなイケメン貴公子と結婚するかもしれないし…」
「国が分割統治されて、最後の城で周囲を敵兵に囲まれて何ヶ月も過ごすかもしれませんし」
「…どうして家康に肩入れを?」
氏真が、長年仲睦まじくしている妻に、警戒する目を向ける。
「家康の義理立てには、感謝しているよ。一家の生命財産は保証してくれるし、武田の侵略を半減させてくれたし。遠江の国衆が、ほとんど徳川に組したのも納得している。
でも、徳川の侵略行為を有り難がる謂れはない。相手が一流の戦国大名だからといって、娘をあっさりと丸投げする気には…」
「丸投げしてくださいまし。氏真様が何もしない事が、美朝姫の幸せに貢献します」
「・・・・・・う〜〜ん」
言われなくても充分に自覚している事であるが、強面の超長身忍者をバックにした嫁さんに言われると、折れた心が更に四つ折りになる。
「・・・・・・明日、必ず、降伏の日取りを相談させる為に、使者を送ります」
言質を獲ったので、春名様は小太郎とハイタッチを三連発してから退室した。
その夜、家族三人分の寝床の用意が整ったので美朝姫を呼ぼうとした春名様は、夏美に手伝わせて鎧を身に付けている最中の娘を目撃する。
「母上。明日は、徳川が本気で攻め来るそうじゃ。今宵は、鎧を着たままの就寝に挑みまする」
「・・・はい?」
戸惑う春名様に、夏美が速報を伝える。
「降伏の支度が遅いので、殿がブチ切れました」
一流の戦国武将が如何程に多忙かを思い起こし、春名様は半月も優柔不断に待たせた氏真を内心でフルボッコにする。
「降伏を催促する為に、明日は徳川で最強の武将が掛川城を攻めます」
そこまで伝えてから、夏美は視線を合わせて許可を取ろうとする。
「再び、服部隊と共に脱出をしていただきとうございます」
「此度も、夫を一緒に助けてくれまいか?」
春名様は、こうなっても夫を見捨てない自分はアホではないかと、正気を疑う。
「前のように、殴り倒して荷台に詰めて運んでもよい」
夏美の表情に『見捨ててい良いのではないでしょうかねえ、ああいう旦那は』というト書きを見て、春名様は道理を説く。
「我ら夫婦は、まだまだ子作りに励む生存戦略じゃ。落ち延びさせてくれ」
そう言われても困る夏美の前で、美朝姫がテンションを上げる。
「おおう、この美朝姫と同じ性能を持つ弟妹が十人も量産された暁には、太陽系の制覇も夢ではない。夏美にも、練馬区程度なら与えてとらすぞ」
種親だけを置き去りにする方が地球人類の為ではないかと思いつつ、夏美は明日の脱出手順を説明する。
夏美の説明を盗み聞きしてから、風魔の小太郎は梶原景宗に教えて上げる。
「どうする? 完全に用済みだぞ、伊豆水軍は」
城から水路で海上へ脱出するルートの責任者かつ、城へ物資を運んでくれる伊豆水軍の提督である。掛川城の皆さんは、女忍者の
そのお陰で、提督は泣いて酒飲んで不貞寝する鬱状態から三日で立ち直っている。
梶原景宗は、その報せには動じなかった。
「ふっ。伊豆水軍をナメてもらっては困るぜよ、風魔。美朝姫を売り飛ばす計画が潰えても、掛川城には、まだ高値で売り飛ばせる物件が存在しているだぎゃあ」
梶原景宗の首を720度回転させて捥ぎ取る動作を我慢しながら、小太郎は次の台詞を待つ。
「織田信長は、美朝姫より高い値段で買う気じゃけん、一口乗らんか?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます