第38話 米津常春という武将(5)
掛川城から南に位置する曾我山の付近に、掛川城包囲網から最も遠い徳川の陣地がある。
川を挟んで
掛川城本丸に一番乗りを果たして終戦へのフラグを立てた米津常春は、家康からこの場所への配置換えを言い渡された。
面倒な服部隊との仕事も解消され、更紗以外は半蔵の指揮下へ帰った。これはもう、終戦に向けて中級幹部以下は確実に暇を持て余す期間に突入すると読んだ米津常春は、心置きなく気楽に振る舞う。
いつも気楽な上に、浅葱色の衣装のままなので見分けはつかないけれど、米津常春は浮かれている。
朝比奈泰朝が公約通りに降伏するのを疑わず、米津常春は上機嫌で部隊に自慢する。
「これこそ、ご褒美というものだよ! 見ろ、敵兵が全くいない上に、味方は死人か死にかけ。つまり、安全に酒を独り占め! 完全に有給満喫モード!」
「酒を飲んでサボれという意味での配置換えではないと存じますが?」
部隊を代表した息子の苦言を無視して、常春は陣屋の食料置き場で酒樽を探す。
酒樽と一緒に余計な存在を視界に入れてしまい、常春は舌打ちをしないように飲み込む。
黒僧衣の偉丈夫が、酒樽を脇に置いて先に酒盃を重ねている。屋内外には軒猿が侍り、徳川の陣には迷惑を掛けないように気を遣って雑用を手伝ってくれたり。
上杉謙信は常春を気にせず酒を続けながら、楽しそうに徳川の若武者達に竹束の作り方を教授する。
「締め方が甘いぞ。やり過ぎでちょうどいいと心得よ。鉄砲はバージョンアップして火力が上がっていく兵器なのだから、防御側も厚みと堅さを増量せねばならぬ」
常春は、竹束を引ったくって手作業を中断させてから質問する。
「葬儀は?」
「高力さんに任せています。明日、葬式です」
今川に内応していた久能の関係者は、主だった者のみを処刑して、他は追放で済ませている。そこまでは、事前の打ち合わせ通りだった。
予想外だったのは、久能宗能の実弟が内応者に加担しており、昨夜の乱闘中に裏切り者として戦死した事。
家康は久能宗能の傷心を慮り、最後方の陣に配置換えを命じていた。
常春は、此処に回された裏の意味を察すると同時に、平気な顔で酒の肴に戦の勉強を施す越後の酔っ払いに苛つく。
睨むと怖い結果になりそうなので、常春は謙信を視界に入れないように若者を休ませようと試みに専念する。
「戦は終わりだ。休んどけ」
当の久能宗能は、穏やかに微笑みつつ、竹束をサッと奪い返す。
「今川との戦いが終わるだけです。次は武田と。喪に服している合間も、学ばねば」
「だからなあ、葬式が終わってからでも…」
「
上杉謙信は、嬉しそうに生徒と保護者の対話を肴にしながら酒盃を続ける。
「あのなあ、他の事で気を紛らわせようとしても、無駄だ。家族の死は、そんなに軽くならねえ。あと、此処にいるのは軍神じゃない。仕事をサボって酔っ払っているアル中の戦国大名だ。そんなものを崇めるな」
「なっ…んという…」
若武者たちが常春の発言に凍りつく。
「本当の事を言われちゃった!」
謙信が涙を流して爆笑していると、河田長親が顔を真っ赤にして羞恥に身震いする。
襟首掴んで謙信を引き摺り、徳川の陣屋を出て行こうとする。
「もういいです。他国で恥を晒すだけなら、休暇は打ち切りです! 帰りますよ。どの道、こんなイレギュラーな滞在、歴史小説として『頭がおかしい』と嗤われるだけです」
うるせえよ。
「んん〜、自力で立てるから…いや、これはこれで楽かもしれない」
そのまま甘えて引き摺られて移動する謙信(泥酔い中)が、陣屋に入れ違いに担架で運び込まれた人物を見て、急に素面に戻って河田長親を突き飛ばして陣屋に駆け戻る。
高熱と激しい咳に苦しむ吉良義安に近寄ろうとする謙信を、軒猿たちが迅速に押し留める。
「病状がハッキリするまで、患者に近寄らないで下さい」
河田長親は謙信を再び屋外へ連れ出し、昨日まで元気に見えた吉良義安の弱り切った体を、軒猿の医療担当に診察をさせる。
吉良の喉、肺機能、脈、首回りの状態を確かめた軒猿が、報告を始める。
「風邪を拗らせて、肺炎まで一気に悪化しました。ご家族に連絡するべきかと」
「毒殺では、ないのだな?」
謙信の心配に、常春は『毒殺を心配されるような重要人物じゃないからね、吉良義安は。キラークイーンを使える方の吉良じゃないし』とツッコミを入れる動作を控える。
「戦が終わり、緊張が解けた者が、疲労から一気に体調を崩す事がございます。冬に二ヶ月以上の行軍故、無理からぬ有様かと」
聞き終えた瞬間に、謙信は吉良義安の側に寄って、手を握る。
「私に出来る事を託し給え」
希望的観測とは無縁の軍神が、末期の願いを引き受けようと構える。
吉良義安は死への病痛を堪えて、得た知己の中で最も頼むに足りる人に、託す。
「……息子を……未だ五歳にて…何も受け継がずに、歳を重ねてしまいます…家が凋落しようと、教養だけは身に付けられるよう…ご配慮を願いたい」
「承知しました。必ずや、吉良家に相応しい教育を受けさせます」
(越後に引き取って、養子にでもするつもりか?)
行方を見物する常春に、謙信は次の視線を向けた。
「今川の姫は、十歳であったな?」
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