鬼面の忍者 遠江国掛川城死闘篇
九情承太郎
第一部 本能寺までは何マイル?
第1話 グッドモーニング、ミスター徳川(1)
昔々、ある所に、織田信長という、おっさんがいました。
職業は戦国大名です。
弱い相手からは徹底的に毟り取り、勝てない相手には土下座外交でご機嫌を取り、負けても軍資金を課金しながら勝つまで勝負を続け、四十八歳の今では、一人勝ち状態。
もう誰も積極的に逆らいません。
永年、迷惑をかけられてきた(注意・信長視点)武田家を滅ぼすと、織田信長は辛抱たまらずに観光旅行を始めました。
観光地は、富士山の南側、徳川と北条の領地内です。
四月中旬に旅をするには、最高の地方です。
両家とも手厚く持て成してくれましたが、サービス精神で思わぬ差が付いてしまいます。
北条家に落ち度がある訳では全くなく、徳川家康が本気で接待をしちゃった結果、えらい差が付きました。
信長の通る道路全てを拡張して見晴らしスッキリ、接触事故の危険を完全に排除。
宿泊地ごとに三重の柵と将兵宿泊用の仮設住宅を千戸以上設置。警備兵を隙間なくぎっしりと配備し、テロリストが多い日も安心。
食事は京都や堺から一流デリバリーを用意。舌の肥えてきた織田家の将兵たちも大満足。
信長の行きたかった観光地施設へのテコ入れも速やかに済ませ、家康が気配りの面でも半端ない実力者であると、知らしめた。
「こりゃあ、念入りに接待返しせんと」
ショーマンシップを刺激された織田信長は、次の五月を『徳川家康接待月刊』に決めました。
1582年(天正十年)五月十四日。
織田信長から「接待してあげるから、京都に上洛して来い。天下人の本気の接待を味わうだぎゃあ」と言われて上京する徳川家康&家臣数十名with穴山梅雪(武田家を裏切って美味しい取引を成功させた人)は、番場(滋賀県米原市)の宿舎で足を休めていた。
治安が良い上に、重臣が道中の案内と世話を丁寧にしているので、平成時代と勘違いしそうな程に平穏な道中を過ごしている。
「平和だなあ。誰も襲ってこない」
織田方の家来が用意してくれた宿舎でゴロリと転がると、本多彦次郎
二十代後半の侍がダラシなく足を伸ばしても、誰も咎めない。
彼の左腿には、昔の戦で負った鉄砲の傷があり、その傷には摘出不可能な鉄砲玉が残っている。
永く完治しない戦傷を負いながら、戦場での働きで一切後れを取らずに過ごす本多彦次郎康重に対し、同僚たちの扱いは温かい。
「この面子を襲うようなバカがいるなら、見てみたいですね。見たら直ぐに殺すけど」
家康の着替えの褌を締めながら、小柄な小姓の一人が先輩にタメ口を叩く。
周囲のベテラン勢が眉を顰めるわ口を曲げるわと反応は悪いが、当の本多康重は愉快そうに聞き返す。
「この一行に本多忠勝や渡辺守綱、服部半蔵が居るなんて、遠目に判るかね?」
信長の招待に応じて編成した家臣団の中には、徳川軍団でトップ3の
同盟国への旅とはいえ、少人数で長旅をするのは、戦闘力が有り余っているこの三名が居ればこそ。この三人だけで、一個大隊を相手に出来る。
というか、この時代のこの段階で、徳川及び織田に自分から戦を仕掛けようとする戦国大名は、いない。
戦国大名、は。
「判りませんなあ、よっぽど近付かないと。三人とも私服は地味だから、気付かないかも」
言われた三人は、小僧の生意気を軽く流す。
折角の無料観光旅行を、味方への血祭りで中断する気はない。
小柄な小姓は、美顔を憎たらしくもハツラツと輝かせながら、家康に袴を履かせている途中で取り落す。
「あ…」
「雑だのう、万千代」
凡ミスを許せずに赤面する小姓に対する家康の対応は、粗相をしたゴールデン・レトリバーへのそれだった。
「今の某には、小姓の仕事は無理です。分かって下さいよ、殿」
「この旅だけは、我慢せい。余計な者は連れて来なかったのだ」
織田方に持て成されまくりの旅行なので、雑用係はいつもより少なくて済むと判断した家康は、人件費をケチった。しわ寄せは、一行の中で年少者の井伊直政に集まる。
旧名・井伊万千代、現在は井伊直政として既に抜群の武功を重ねている若武者は、畏まりながらも主君の意向に改善を求める。
「小姓経験者なら、他に幾らでも居るでしょうに」
井伊直政は、榊原康政の方をチラ見する。
徳川軍団一のインテリは、直政のネタ振りを無視して読書を続ける。家康の元小姓の中では最も出世した戦闘指揮官は、今更雑用係に戻る気がナッシング。
井伊直政が写本越しにガン見すると、榊原康政は素っ気なく返す。
「この中では、君が一番若いから」
直政は、目を細めながら周囲を一瞥する。
「私はもう二十二歳ですから、その話は飲めませんなあ」
自分より年下の者を睨みながら、直政は雑用の負担を転嫁しようと動きだす。
小柄で美顔なので幼く観られがちだが、遠江国井伊谷の領主である。
納得のいかない扱いにはトコトン説明を求めてくるので、一緒に仕事をする者には面倒臭い。
「美少年顔の直政に世話された方が、殿は快適じゃなイカ?」
「ああ、それでは仕方ないなあ」
榊原康政の煽てに乗った井伊直政は、わざとらしいセクシーポーズを取りながら家康に尋ねる。
「殿、次の雑用を(萌え萌えズッキュ〜ン)お言付け下さい」
「わしは穴山殿と碁に興じるから、皆も寛げ」
家康は、世話係を普通に引き連れてきた穴山梅雪の部屋に移り、気怠く小姓をしている直政から距離を置いた。
サービス精神の足りない奴のサービスなんか、こちらから願い下げというメッセージを受け取り、直政が硬直する。
保護者に成ってくれた上に、元服から初陣、嫁取りまでサポートしてくれた大恩人である。
ちょっと居た堪れなくなった直政は、本多康重との会話に戻る。
「遠目からでも、一目で最強と判るデザインって、何ですかね?」
「赤だね」
「赤備え? 武田の?」
「あれは、凄いぞ。戦場で見ると、赤鬼の軍団に襲われているような錯覚すら覚える」
三方ヶ原でのトラウマを喚起されたのか、何人かの同僚たちが鳥肌を立てる。
六年先輩の意見に、直政は首を傾げる。
「う〜ん。ピンと来ないです。私は、武田には勝った事しかないので」
井伊直政、二十二歳。武田軍団をフルボッコにし続けて、ハイペースの出世を遂げた若武者である。
徳川三大
「おおい、半蔵。何か言ってやれ」
なんか悔しいが口下手なので、服部半蔵に助力を求める。
織田方のファンから請われてサイン色紙に手形を押していた服部半蔵が、赤くなくても鬼みたいと評される鬼面を直政に向ける。
「一番強かった頃の武田の恐ろしさは、井伊も知っているはずだがな。十年前、赤備えに攻められた時、当主の直虎殿は、一戦も交えずに井伊谷城を捨てて退いた。母上から聞いていないか?」
井伊直政は、世にも珍しい女戦国領主・井伊直虎の養子として教育されている(大河ドラマとダブるので、この作品では出さない)。
直政は、半蔵の鬼面を嬉々として見返しながら、武田への恐怖が無い事を自慢する。
「母上は、『勝てないから退いた』としか説明しませんでした。赤鬼みたいとか戦国最強だからとか、敵を怖がるような素振りは見せませんでした。
…思えば、武田への苦手意識を刷り込ませない為の、空元気だったやもしれませぬ」
半蔵は、頷きながら得心する。
「確かに、武田を一切恐れていない戦いぶりだったな。お主の働きがなければ、未だに武田領での戦いが続いていたかもしれない」
誇張では無い。
武田領の攻め難い山城の数々に、重武装で先頭に立って攻め入る井伊直政の戦闘スタイルは、武田の防衛線を瞬殺した。美少年の外見とは裏腹に、井伊直政は超攻撃型の猛将なのだ。
後続部隊が戦闘をする必要がなくなる程に、織田・徳川連合軍の武田領侵攻は速やかに完了した。
新参者である井伊直政は、トップクラスの武将である事を証明し、今こうして若輩ながらも伝説級の武将たちを相手に大きな顔をしていられる。
「褒め殺す気ですか、師匠?」
忍術方面での師である服部半蔵の煽てに、直政は床を転がりながら照れ、四回転してから居住まいを直す。
ここからは人のトラウマに触れる事なので、真面目な顔で会話を再開する。
「三方ヶ原を経験していない若輩の兵でも、武田領へ攻め込む足は鈍かった。叱りつけても仕様が無いので、私自身が先頭に立った。必要な事を為したまでです」
直政が殊勝に謙虚な事を言ってみせるが、本多康重は苦笑する。
「自分は初陣の時に、うっかり一騎駆けをして死にかけた。だから君の戦い方が、どれ程に危険か知っている。どうかしているよ、君や本多平八郎殿の武運は」
「一緒にするなぁ」
家康の護衛をしたままの本多忠勝が、梅雪の部屋から首だけ出して抗議する。
「某はぁいつも無傷だがぁ、直政は毎度大きな傷を負うているではないかぁ。危ないぞぉ。某を見習え…」
お前を基準に話をするな!! と、三河侍が一斉に反論する。
何回死地に赴いて激闘を繰り返しても、擦り傷一つ負わない本多忠勝の武運は、もう別世界の出来事だと割り切った方がいいレベル。
真似をしたら絶対にいけない。
「彦次郎の初陣というと…」
半蔵が記憶を遡っていると、三河衆の世話をしている織田の与力の中から、かなり図々しいオヤジが、取材を始めようとする。
「おはようございます、徳川の皆様方。拙者は丹羽の与力、太田又一(ペンネームは信定)と申します。お暇な方で結構ですので、お話を聞かせて欲しいのですが」
服部半蔵は、この男を知っている。
織田家中でも、病的なメモ魔で知られる五十代官僚侍である。
信長を中心とした情報なら、何でも収集して書き留めておく変人級の歴史オタクで、実録歴史ドキュメンタリー本の著作活動もこっそり進めている。
便利なので、半蔵は何度もこの男のメモを盗み見ている。
「全員、暇だ。何でも好きに聞きなされ」
服部半蔵が許可を出したので、他の三河武士も太田を受け入れる。
「構いませんよ」
井伊直政がセンターに出て取材を受けようとする。
外交官としても一流の青年は、さも当然そうに太田又一(ペンネームは信定)の取材を受けて立つ。
太田は、小筆、メモ半紙、硯を二秒以内に設置すると、グイグイと質問を重ねる。
「一番苦労をされた戦は?」
「高天神城です。降伏をしない敵兵の殲滅には、疲れました」
「苦労の視点が違いますな」
太田は、次の三河武士に移ろうとする。
「…もう、いいの?」
「今日は、一つの質問で広く漁る所存です」
釈然としない井伊直政を指差して笑っている渡辺守綱に、太田の筆が移る。
外見も血統も戦歴も伝説級の武将なので、太田の期待も高まる。
「一番苦労をされた戦は?」
「一向一揆だ。宗教上の理由で、殿と三河武士の半分が敵に回った」
背中で聞いていた酒井忠次が、腕を伸ばして渡辺守綱の後頭部を張り手で殴りつけて『政治的に正しい発言』を促す。
外見上は普通の風体の老体オヤジが、伝説の勇者っぽい武者を張り倒す構図に、太田もフリーズする。太田も若い頃は、弓矢の腕を買われて信長の直参に成った程の一廉の武人だが、老境の酒井忠次には逆らえない感触を味わう。
「訂正する。宗教上の理由で、自分と三河武士の半分が殿の敵に回りました。ええ、悪いのは、某です」
涙目の渡辺守綱は、政治的に正しい発言に訂正した。
太田も、発言内容を訂正して書き留める。
彼の書き残した書は、政治的に正しい文章を心がけたからこそ、後世に難なく残ったのかもしれない。
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