第2話 グッドモーニング、ミスター徳川(2)

 次は、凄いツッコミを入れた徳川家最強家老・酒井忠次に、太田の筆先が向けられる。


「三方ヶ原の戦いだ。某の部隊以外は、敗北して潰走した。某の部隊だけ、夜も武田と戦って蹴散らす羽目になった。二十四時間、武田と戦闘。あれほど疲れた戦はない」


 酒井忠次は、苦労話を問われたのに自慢話を入れて来た。

 太田と同い年の五十五歳で、外見はごく平均的な「田舎のおじさん」なのに、その戦歴は戦国時代百年の歴史を俯瞰しても五指に入る名将である。

 この不敗の名将にとって苦戦とは「負けた味方の分も戦う」事になる。


 一つのテーマでも個体差が大きく出る結果にホクホクしながら、太田は礼を言って次に移る。



「戦争中より、戦後が大変だったのが、一向一揆です。仏像や経典が持ち逃げされかけて、大変でした。荒れた寺院を立て直すのに、仏像や経典は欠かせぬものです。あれは良くない」


 高力こうりき清長があまりにも澄んだ瞳で語るので、太田は『趣旨が違うのですが』と言えなかった。

 誰からも「仏様のようだ」と感心される人徳者で、後に天下人・豊臣秀吉までが「気に入った! 豊臣姓を名乗れや」と惚れ込むレベル。

 並みの僧より遥かに包容力のある高力清長の人柄に触れて、太田は一問では済まさずに質問を重ねる。


「三方ヶ原では、どのような…」


 途端に高力の顔が苦痛に痙攣したので、太田は後悔する。


「一族郎党、数十名が討ち死にしましたので、そのう、思い出すのは…」

「すみません、すみません」


 そのまま脳卒中か心不全で死にそうな形相だったので、太田は平謝りして話を打ち切ろうとする。


「しかし、問いに応えると決めたからには」

「もういいです、もういいです」

「いえ、あの時を思い返すのが苦しいだけです。お話ししましょう」


 自分の命の心配より、太田との約束を優先させる高力清長さん五十五歳。

 こんなに良い人が武将をやって長生きするのだから、三河は良い職場です。


「一問だけで充分です。他に行きます」



 太田は話を打ち切ると、もっと精神的に図太そうな人物へと筆先を変える。

 


「三方ヶ原に決まっているでしょう。三河侍が何人死んだと思っているのですか」


 阿部正勝の率直な物言いに、太田はようやく当たりを確信する。

 阿部正勝は、硬派の武士らしく『戦争でのトラウマ? 何それ? 新発売の駄菓子?』的な空元気を放出しながら、三方ヶ原を語り始める(三河武士の何人かが退室し、隣室からは家康の咳払いが聞こえた)。


「三方ヶ原で武田の背後を突けると思って全軍進んだら、武田の尻ではなく、三万の軍勢が我々を反包囲していました。いやあ、死ぬかとおもいまし・・・」


 阿部正勝は体育会系の元気溌剌とした笑顔で大敗北を語りつつ、詳細を思い出そうとする過程で全身から脂汗を流し出す。


「…ええと、まず初めに、成瀬の部隊が…全滅して…次は… … …やっぱり全滅して…」


織田うちみたいに、負けそうなら、とっとと逃げるのが正解なんだな、きっと)


 太田が、的が外れた感慨に移行していると、阿部正勝が足を抱えて転がりながら壊れ始めた。


「結局、みんな逃げ出したけど、足元には草より血糊と臓物の方が多くて、まともに歩けなくて…」


 足の先を見詰めながら、阿部正勝は話を打ち切る。


「すまない。この質問は、もうしません」

「どうやって生き延びたのか、覚えていません」

「もう、いいから」

「思い出せないんだ」

「思い出さなくていいから」

 


 これ明らかに聞いてはいけない質問かなあと太田が反省していると、三方ヶ原には参戦していなさそうな若い侍たちが視界に入る。

 ニコニコとサムズアップする井伊直政から視線を15センチずらし、太田は本多康重に照準を合わせる。


「よろしいでしょうか?」

「大丈夫ですよ。三方ヶ原の時は、比較的被害の少ない部隊にいたので」


 ようやくマトモな取材が出来そうな気がして、太田の心はトキめいた。


「苦労した敗戦を知りたいなら、織田家中で聞いた方が遥かに効率良いのに」


 真横で嫌味を言う井伊直政には構わず、太田は筆先を本多康重に向けて対峙する。


「では、今までで一番、苦労した戦いの話を」

「初陣です。意気がって突出しては死にかけ、城攻めでどこまでが安全圏か知らずに死にかけ、格上の武将に挑んでしまって死にかけ、都合五回は死にかけました」


 こういう手頃にさっぱりとした語り口の苦労話が聞きたかったので、太田は食い付く。

 速記しながら、肝心の事を質問する。


「しばらく。初陣は、どの戦でしょうか?」

「ん? ああ、掛川城です。今川家が最後に立て篭もった掛川城です。あの城の攻略戦が、某の初陣です」

「というと…当時、東海道最強と名高い、朝比奈泰朝やすともと…」


 本多康重は、顔色を変えて、目線を逸らす。

 太田は初め、本多康重も戦でのトラウマに触れたのかと案じた。


まみえました」


 本多康重は、太田の案じる視線を受けたまま、話を続ける。


「戦いました」


 本多康重の視線が、過去へ向いたのを察し、太田は息を飲む。


(こりゃあ、いい話が入りそうだ)

「…あの武将は…あの人は…」


 本多康重の話は、自分よりも朝比奈泰朝への追憶へと移りそうだ。

 しかし、本多康重の話すペースは極端に遅くなる。


「…未だに、あの武将の行く末が…分からないのです。…衰退した今川家の為に、最後まで戦い抜いた人が・・・あんな あんな・・・」


(言い辛いのか語尾が少ないのか)


 焦れる太田の体を、服部半蔵が背後から三回転半させて自分と相対させる。

 執筆セットも太田の目の前に揃え、鬼面を綻ばせて宣言する。


「この服部半蔵が、本多康重の話を引き継ごう。掛川城攻略戦と、朝比奈泰朝に関する話では、俺が一番詳しく話せる」


 三河武士たちのトラウマ地雷を誘爆しまくる太田の筆先を止めようと、服部半蔵は行動を起こした。


「何より、俺にとって最も苦しかった戦いは、掛川城攻略戦だ。太田氏の今日のテーマから外れずに済む」

「是非にもお願いします!」


 強引なインターセプトをされながらも、太田は、服部半蔵に密着取材できるチャンスに食い付いた。

 武田が滅びた今、日本で最高の情報網を仕切っている武将兼忍者への取材である。普段なら、機密保持や時間の都合で絶対に取材なんて引き受けてくれない。


「では永禄十一年(1568年)十二月十二日。

 今川領に攻め込んだ武田勢一万八千が、今川勢二万と薩埵さった峠で対決した時点から話を始めよう。ここから話さないと、俺の働きが分かり辛い。

 あと、米津よねきつ常春の活躍も」


 聞き慣れない名前に、太田は口を挟んでしまう。


米津よねきつ常春つねはる?」

「左様。米櫃の米に、津波の津。常なるの常と、春一番の春。米津よねきつ常春です」

「・・・あのう、三河では有名な方なのでしょうか?」

「織田で知られていないとは…メジャーな手柄が古過ぎるか。かつて右府織田信長様の庶兄、信広殿を捕虜にした男です」

「!! あーあー、あの時の?!」


 背中で聞いていた酒井忠次は、何か言いたげに動きかけたが…服部半蔵を信じて酒膳の摂取を再開する。

 不敗の名将は世話焼きを控え、次の杯をこっそり、遠くにいる米津よねきつ常春へと献杯する。

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