第28話 その日、降った雪は、無表情だった(3)

 1569年(永禄十二年)二月十八日。午後二時。


 降雪と供に、掛川城の戦線は自然と収束していく。

 積雪の最中に戦を続けるなど、馬鹿しかやらない。

 日根野弘就と大久保忠世の戦い以外は、終わっていた。


「もう〜〜止めろよ〜〜クソ馬鹿侍〜〜。疲れただろバカヤロウ〜〜」

「疲れた時に戦えてこそ〜〜武士よ。へばって敵に泣き言を云う暇があったら〜〜死ねや〜〜」


 双方、息も絶え絶えに槍を交わしている。

 一騎討ちというより、我慢大会になっている。


「あ〜〜〜〜しつこい〜〜〜〜」

「嫌なら死ねや〜〜〜〜」


 日根野隊は美濃への帰郷を諦め、掛川城に戻ろうと指揮官を辛抱強く待っている。

 徳川軍団も、こんな天候の中でも戦い続ける忠世を苛々と待つ。

 双方から非難の目が、大久保忠世に向けられる。


(分かっとらんなあ。この難敵は、今が殺せる好機なのだ)


 味方からの痛い視線にも、忠世はブレない。

 降雪の量が増し、視界が大いに遮られるこの戦況こそ、銃撃を得意とする日根野隊を敗るチャンス。

 少なくとも忠世は、日根野弘就を討ち取るまでは戦いを止める気がない。

 長々と続いた一騎討ちの終わりは、掛川城が雪化粧を済ませた頃に訪れる。


「兄者! 俺が殿しんがりをやるから、掛川城に戻れ!」


 掛川城に戻っていた日根野弥吉末弟が、いつまでも戦っている日根野隊を見かねて、応援に駆け戻る。


「朝比奈が生還したから、掛川城はまだ落ちない」

「分かったよ」


 日根野弘就は、疲れと寒さで、判断を誤った。

 弥吉が大久保忠世に向かうのを、止めなかった。

 一騎討ちを交代した五秒後に、弥吉は大久保忠世に槍で致命傷を喰らっていた。

 胸部装甲を鋭く貫いた槍の矛先は、弥吉の心臓を一瞬で破壊した。

 長時間の一騎討ちで疲弊したと侮ったのか、降雪で視界を失ったのか。

 弘就が倒れる弥吉の体を支えた時には、既に魂が抜けていた。


「…なに勝手に死んでやがる、愚弟」


 末弟を抱えたまま、槍を落として動けない弘就に、忠世は槍を突けなかった。


「今まで教えた事が、全部無駄になったろうが…」


 弘就が忠世に背を向けて、弥吉を背負って掛川城へ歩き出す。


「瞬殺されやがって、カッコ悪い〜。城で姫様に、叱ってもらえ。逃がしゃしねえぞ」


 行く手に降り積もる雪を踏み躙りながら、長兄は末弟の亡骸を背負って行く。

 この男を生かしておけば、今後何人の三河武士が殺されるのかを踏まえて長時間戦ってきたのに、大久保忠世は難敵の背中を見送る。

 闘争の血気が冷めると、忠世は遣る瀬無い気分で戦場に背を向ける。


「待たせて悪かった! 撤収する!」


 先程まで非難がましい視線を送っていた味方が、忠世や日根野に一礼してから撤収していく。

 何かを説教しかけて、忠世は諦めて歩き出す。



 他の者の手を一切拒み、弘就は頑なに弥吉を背負ったまま、城まで戻る。

 北門を潜ると、白衣姿の美朝姫が出迎えて日根野弘就に駆け寄る。


「安心しろ日根野〜! 美朝姫は止血や外傷の手当ても習得済みであるぞ。早う弥吉を手当てさせろ」


 気が抜けたのか、弘就は崩れるように座り込みながら、弥吉を下ろす。


「こ、こら、間に合わなくなったら、どうするのじゃあ! 救護所まで運ぶのじゃあ。死んでしまっては、美朝姫でも助けられぬぞ」


 盛就次兄は、長兄が声を上げて泣き出す様を、初めて見た。

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