第22話 オープン・ザ・ゲート(4)

 1569年(永禄十二年)二月十八日、日の出。

 

 真冬の朝霧が消える頃に、掛川城はの準備を終えた。

 掛川城の北東五百メートルの距離にある天王山龍華院に、徳川家康が本陣を構えている。前夜から移動はしていないと確認してから、朝比奈泰朝は掛川城の全軍に出撃の準備を終えさせた。

 朝比奈泰朝は、先発する日根野隊に念を押す。


「失敗したら、そのまま離脱して構いません。無理に帰城しようとすると、それに乗じて攻め込まれますので」


 自作の流線的な完全鎧を装備した日根野弘就ひろなりは、五十匁筒大火縄銃の弾込め要員五人組との打ち合わせを中断して、城主に憎まれ口を返す。


「今から降伏しても、構わないぜ? 上手くいく確率は、二、三割。主従親子を守りたいって言う奴が、していい博打じゃねえ」

姿、美朝姫は何時迄も徳川を侮り続けるでしょう。それでは今後、身を誤る」

「姫様の所為にして、いいのかな〜〜?」


 日根野弘就は冷やかしながら、千名を率いて出陣する。


「日根野〜! 仕事をしろよ〜!!」


 日根野弘就の作ってくれた美少女専用鎧を着用して見送り、美朝姫は北門で激励する。


「暴れて来ますので、見逃しますな! 本物の流血山河を、掛川城の鬼門に作成しますぞ!」

弥吉末弟! 年寄り長兄が仕事をするよう、尽力致せよ!」

「承知しました!」

「本っ当っにっ、見逃さないでね!」


 日根野隊千名が出撃し北門を閉めると、朝比奈泰朝は城の守備に回された原川勢千名の主将・原川頼政に厳命する。


「何があろうと、城の外には出ないで下さい。一切。絶対に。防戦に徹して下さい」

「…いえ、場合によっては、原川勢も出撃した方が…」

「場合によっての判断は、此方でします」

「で、でも、原川流大宇宙剣法も披露したいし」

「防戦で使って、それ」

「はい」


 原川城を焼き落とされて命辛々逃げ伸びて掛川城に合流した原川頼政は、悪い人物ではない。

 代々仕えた今川家を見捨てるに及ばず、徳川の大軍勢が迫っても、徹底抗戦を選んだ人である。

 ただし、足止めすら出来なかった事から分かる通り、軍事的才能は皆無である。

 今日から始まる決戦で朝比奈泰朝が負う最も危険なリスクは、この「やる気のある無能者」に城の守備を任せて出撃する事である。

 本当なら今川氏真に任せたい作業だが、それすら出来ない人だからこそ、今川家はこうして没落しているのである。

 何もさせないのが勝利への鍵。


「そんなに不安なら、泰勝やすかつの方の朝比奈を残せば良いではないか」


 まだ安全圏本丸に帰らない美朝姫の意見を、朝比奈泰朝は退ける。


「泰勝は、私の部隊の副指揮官です。外すと、本隊の攻撃力が半減してしまう」

「そうか」


 美朝姫は、己に実行可能な範囲で、手伝いを申し出る。


「要は原川を防戦に徹底させれば、良いのだな?」

「そうです」

「原川が討って出ようとしたら、斬り捨てて美朝が指揮権を強奪して構わないな?」

「・・・」


 即答しかねる朝比奈泰朝の横で、原川頼政が畏まって美朝姫に最敬礼する。


「何があろうと、城の外には出ません!」


 美朝姫なら本当にやるので、詰まないように原川は防戦一筋を受諾する。

 とても有効な申し出だったので、朝比奈泰朝は美朝姫に甘えた。

 

「では、美朝姫様。本丸から、朝比奈泰朝の戦を観覧して下さい」

「うむ。勝って参れ」

「自分が門を出たら、すぐに本丸に行って下さい」

「くどいぞ」


 麗しい笑顔で見送る美朝姫を朝陽の加護の中に残して、朝比奈泰朝は愛馬に騎乗する。


「では、これにて」

「うむ。美朝は昼飯の準備をしておく」


 本当に言いたい事を言わずに、掛川城城主は、北門へ馬を進める。


(姫様、すみません。今日の朝比奈泰朝は…)


 米津常春に見透かされた本心を、朝比奈泰朝は心中だけで燻す。









 そんなにも傲慢な本音を自覚した以上、朝比奈泰朝に今川の重臣を気取る資格は無い。


(家臣として無能で卑劣で怠惰であった以上、他にして差し上げられる事がありませぬ)


「北門を開けろ」


 敵味方の血が落ちなくなってきた城門が、鬼門への通り道へ口を開ける。

 朝比奈泰朝の顔が、鬼気に膨れる。

 あまりの鬼気に、愛馬までが発狂して目を剥く。


(戦国武将として、遮二無二、大将首を獲りに行きます)


 猛る馬を進め、家康の本陣へと攻め込む朝比奈の本隊千名が、駆け足で後に続く。

 北門と徳川本陣の中間地点では、既に日根野隊が殺傷本能全開で暴れまくっている。

 前言に一切の偽りなく、流血の河と死体の山が地を埋め渡していく。

 そこへ合流させまいと、徳川の一部隊が駆け足で朝比奈隊へと槍を向けて来る。


 朝比奈泰朝は太刀を抜刀すると、大音声で敵味方に聞こえるよう、言葉合戦から始めた。


「音に聞け、三河の軍勢よ!

 我が主人、今川義元様が織田信長に討たれて九年。

 九年もの間、織田信長は東に侵略しなかった!

 全て三河者に任せて、自らは東に近寄りもしなかった!

 何故か分かろうや?!

 この朝比奈泰朝と戦いたくなかったからだ!!

 貴様らは、織田の捨て駒よ!!」


 徳川の軍勢は言葉合戦に応じず、槍衾を前線に進めて陣を敷き、矢合わせの準備を迅速に済ませようとする。

 その完成を遅らせようと、朝比奈泰朝は単騎で斬り込みを駆ける。



 閉ざされた北門に顔を押し当てて涙を拭きながら、美朝姫は悔しさで歯噛みする。


「ご武運を…ご武運をお祈りしますって、言えなかった…何で言い忘れるのじゃああ??」


 美朝姫は、初恋の人の尋常でない激変に気付いている。

 何かをしようと慮っても、美朝姫には普段通りの対応しか出来なかった。

 後手に回ったら、普通の武家娘なら必ず言える台詞すら忘れた。


「こんな別れ方は、あんまりなのじゃあああああ」


 両親に本丸へと引き摺られる間、美朝姫は悔し泣きを抑えられなかった。



 朝比奈泰朝の武者ぶりを本丸の屋根から見下ろしながら、風魔小太郎は悲しみで泣くのを堪える。


「やはり一武者として駆ける方を選んだか」

「いやいや、俺っちがどう動くか、分かった上での突撃っしょ。気にせんでええばい。忖度は終了済みたい」


 屋根の真下から、梶原景宗が小太郎の気を楽にさせようとする。


「さあ、本丸に三人が揃うぞ。海に逃がす準備は万全だ。後は、おんしが船に運び込むだけぜよ?」

「そうだな」


 小太郎は、朝比奈泰朝の戦を見守りながら、動こうとしない。

 梶原景宗は、ため息を飲み込んで、その場で待つ事にした。

 この戦役で最強のジョーカーを相手に、下手を打つ海将ではない。

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