第36話 米津常春という武将(3)

 1569年(永禄十二年)二月二十三日正午。


 各城門を破られ、最後の抵抗で疲れ果てた今川兵の前に、その馬鹿野郎は、やって来た。


「あ〜、腹減ったな。昼飯にしたいから、双方退かないか?」


 北門を占領した徳川兵は、米津常春の呑気な性格には慣れているので、言動には驚かなかった。

 それでも今昼、その服装には、目を見張る。

 敵も味方も、米津常春の装束に目を見張って、戦いの手を止める。

 北門で一騎討ち興行を続けていた服部半蔵と朝比奈泰朝も、その出で立ちに動きを止めた。

 袖を白く色抜きした浅葱色の羽織を、白装束の上に着流している。

 武家が葬儀の際にする装いではあるが、白い鉢巻に鉄甲が仕込まれていたり、白装束の下に鎖帷子も着込んでいるのが窺える。

 側に侍る更紗も浅葱色の忍者装束で色を合わせているが、下半身が悪名高い「縞模様の褌一丁」なので、戦闘中とも取れる。

 葬儀に来たのか戦いに来たのか判別し難い装いに、本多康重やすしげは初陣の興奮も忘れて問い質す。


「この奇抜な格好で敵が怯んだ隙に、安祥あんじょう城を落とした訳ですか?」

「違う。葬式衣装のまま安祥あんじょう城に攻め入ったのは、先君の葬儀に集まった足で、そのまま行ったからだ。織田の目を晦ます為に、素手で行った。防御力ゼロで強行した、奇襲だ。誰も二度とやらないし、真似もさせない」


 その状況説明を我が身に置き換えて、本多康重は総毛立つ。今日の戦いでだけでも、鎧甲冑は幾度となく石飛礫や矢を防いでくれた。父が買ってくれた鎧を装備していなければ、容易く重傷を負っている。


「戦死者二割を超す、馬鹿な作戦だ。一生、真似すんじゃねえぞ」


 初陣者に忠告してから、渋い顔で馬鹿を睨み付ける本多広孝初陣者の父とハイタッチする。


「今度こそ、死ぬぞ」

「今川のバカ殿をランチタイムに誘うだけだぜ」

上司酒井忠次からは、おぬしが安祥あんじょう城の再現をするとだけ聞いたが?」

「あの時も俺は、織田の小倅をランチタイムに誘っただけだ」


 米津常春は、徳川の最前列から数歩前に出る。

 浅葱色の服を着た男の動向を、掛川城の今川兵は戸惑いながら見守る。

 更紗に持たせた風呂敷入りの重箱を見せながら、米津常春は今川勢にも分かり易いように大声で教えてあげる。


「正月を挟んだ長い戦で、お互いに弔いが溜まっている。戦も先が見えたし、一献傾けながら、死者を弔う為に来た。今からは、徳川も今川もない。今日はもう、弔いだけをする日にしよう」


 米津常春は風呂敷を広げ、本丸の天守閣へと、重箱の中身を見せる。

 中身は、お茶請けや酒の肴が詰まっている。


「俺と侍女の二人だけで、本丸に入る。通るぞ」


「通せ! 其の者を通すのじゃ!」


 三の丸から、美朝姫が本丸周辺の味方に声をかける。

 浅葱色の場違いな服を着た武将が本丸に辿り着けば、朝比奈泰朝は負けを認める。

 せこい詐欺行為ではあるが、美朝姫は米津常春の小芝居に乗った。ここで戦さを止めないと、今日の夕方には烏の餌に成り果ててしまう。


「え〜。こういう終わり方で、いいの〜?」

 

 日根野弘就は冷やかしながらも、本丸上方の天守閣に目をやり、動きを確認する。

 朝比奈泰朝は服部半蔵と戦闘中で動く余裕は無いので、ここで今川氏真が断を下せば戦局は一気に終わる。

 天守閣から眼下の様子を見下ろす今川氏真は、やや悩みつつも米津常春の申し出に


(こりゃ、終わりだな)


 と見極めようとした日根野の視界に、氏真から距離を置いた場所から日根野の気を引こうとする動きが。

 梶原景宗が、しきりにヒットエンドランの合図を日根野に送り続けている。


「んん〜、見なかった事にしたいなあ〜」


 掛川城からの離脱準備にと、前もって財産を梶原景宗の伊豆水軍に預けているので、頼みを断り辛い。

 しばし悩む日根野の背後に、風魔小太郎が移動してくる。


「北門の仕込みを使う気なら、止めるぞ。朝比奈まで犠牲になる」


 見下ろしてくる超長身鬼面の忍者に、日根野は指を三本立てる。


「服部半蔵、内藤正成、渡辺守綱の三人を屠れるチャンスだ。悩ましいだろ、この選択肢」


 降伏後に一番邪魔な朝比奈泰朝の排除に動き出した梶原に、日根野は一考して加担しかける。

 美朝姫が話を察して、日根野の顔に火縄銃を向ける。


「その仕込みとやら、朝比奈を助ける為に使えぬのか?」


 梶原の乱暴な要請と美朝姫の粗暴な懇願に板挟みにされ、日根野の思考は妥協案を探る。


「姫様。弥吉の葬儀、ありがとうな」

「なんじゃ、改まって」

「嬉しかったよ」

「話を逸らすな、仕込みの活用法に戻れ」


 日根野弘就は美朝姫へ慇懃に一礼すると、


「盛就。北門で勝手に暴れてくるから、後を引き継げ」


 副指揮官の盛就に、部隊の全権を預ける。


「兄者ぁぁ?!!!???」

「姫様を、ここから動かすなよ」


 日根野弘就は美朝姫に背を向け、三の丸の兵たちを北門から距離を取るように避難誘導しながら、自分は一人で北門へと近付いていく。


「手伝おう」


 風魔小太郎が、超長身を器用に屈めて日根野の影に入って付いて来てくれた。


「あ、おじさんを信用していないな、北条者」

「照れなくていいから、仕事をせよ、美濃者」

「ったく、年寄りを過小評価する奴ばっかだな」


 日根野弘就は、下の徳川兵からは絶対に見えないように気を配りながら、北門周辺を爆破する為の導火線を掘り出す。


「戦争は爆発だよ、徳川獲物の諸君」

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