第20話 オープン・ザ・ゲート(2)

 1569年(永禄十二年)二月十六日、正午。

 

 掛川城・二の丸の井戸の側。

 深い井戸から吹き出す冷んやりとした風に、米津常春は目を覚まして周囲を見回す。

 右手では、美朝姫の薙刀模擬戦の相手をしている更紗と夏美が、いい汗をかいている。

 美朝姫は薙刀の大振りをしながら足元に蹴りを放ち、距離を取ると懐から手裏剣を投げたりと、本格的に攻勢をかけている。

 今年ようやく十歳になる少女でありながら、その腕前は更紗が本気で回避行動を取る領域に達している。


「少しは忖度そんたくして、攻撃に当たれ〜!」

「いつまでも、有ると思うな、親と忖度」


 投げ付けられた手裏剣を掴み取って懐に保存しながら、更紗は回避を続ける。

 更紗のセコい目論見に、美朝姫は日根野の末弟に銃を求める。


「弥吉、鉄砲を寄越せ」


 脇で控えていた日根野弥吉末弟は、言われた通りに鉄砲を差し出しかけて思い留まる。


「姫様。模擬戦で火縄銃を使うのは、やり過ぎでございます」

「仕事をせえ、弥吉」


 日根野弥吉は、鉄砲の火縄に着いていた火を消して拒否を貫く。


「日根野は、仕事をしてくれぬのう」


 日根野弘就ひろなりは、米津常春の左手で、厚い刃物を研ぎながら、美朝姫の嫌味を聴き流す。


「今の仕事は、この男が下手な動きをしないように見張る事ですので」


 美朝姫は、両手両足を縛られたまま転がされている無名の中年武者の横で武器のメンテをしている日根野の長兄を、冷たく見下ろす。


「遂に、どうでもいい仕事を回される所まで落ちたのか。一時は家老まで務めた武将が。自業自得だ」

「逝きたくなるような塩対応ですな」


 日根野弘就は、鎧の装甲を断ち割る為に鍛え上げた小太刀を、寝たふりをしている常春の頭部に振り下ろす。

 手を縛っていた縄の部分で刃を受けて両手を自由にすると、常春は日根野弘就の手を捻り上げて小太刀を奪おうとする。


「起きたら、まずは『おはよう』の挨拶をしようぜ、三河の田舎者」

「マトモな挨拶をしないオッサンにだけは、言われたくないね」


 両足を縛られたままでは踏ん張りが利かず、常春は逆に腕を捻られて井戸の淵まで押しやられる。

 

「良いぃぃ井戸だろう? 井戸の深さランキングで、日本三位の深さらしいぜぇ〜?」

「真冬だから、落とされたら深さに関係なく心臓麻痺で一発じゃん」

「ロマンのない奴だなあ。俺たちの職業は、死に方で目立たないと。基本だよ、基本」


 おっさん同士が美しくない争いを起こす最中、掛川城の城主が、仲裁に入る。


「霧吹き井戸に、人を落とさないで下さい」


 日根野弘就は常春から手を離し、朝比奈泰朝に相手を任せて数歩離れる。

 夏美と更紗も美朝姫と遊ぶのを止めて、常春の背中を守る配置に付く。


「ここから霧が出て、掛川城を守っていると信じている兵が多い」

「そうでないと、雑兵は納得出来ないだろう。未だに掛川城が落ちていない理由が」


 朝比奈泰朝は、この状況でも相手がムカつく発言をする度胸のある常春を、鷹揚に出迎える。


「今度は本丸に案内します。城の開城について、事前の調整を始めたい」

「馬鹿野郎」


 両足の縄を解きながら、米津常春は東海道最強を叱りつける。


「条件を話し合う暇なんか無い。お前が殿の優しさに甘えてノンビリと正月を越している内に、武田軍三千が西に来ちまった」


 顔色も身体も固まる朝比奈泰朝に、米津常春はハッキリと現状を言い渡す。


「これから、徳川と武田の戦いが始まる。この城なんか、もうどうでもいいんだよ。お前が余計な真似をしないように包囲を続けているだけだ。

 開城だあ?

 遅えぇよ。

 邪魔にならないように、掛川城に籠って見物していろ。これは戦国大名同士の、真面目な戦争だ」


(この先を言ったら、斬られるな)


 と頭では分かっていても、常春は朝比奈泰朝に言いたい事を最後までブチまける。


「俺たち三河武士は、先代に死なれても徳川家をここまで大きくしたぞ。城一つを残して、今川親子の亡命先すら確保出来ない情けない男が、戦に噛もうとするな。お呼びじゃねえ」

「そうなんです」


 意外とアッサリと、朝比奈泰朝は常春の言葉に頷く。


「開城は、今すぐにでも構いません。今川親子の安全さえ保証していただければ、他の条件は、どうでもいいです」


 本丸まで攻め込まれたら降伏、と言っていた朝比奈泰朝の更なる妥協に、日根野が目を剥く。

 それが本当なら、日根野の出番が、もう無い。


「今川親子は、徳川に預けたい」


 美朝姫が、薙刀の柄をへし折った。

 周囲は、姫の乱入を怖れて視線を集めるが、当人は「柄が脆かっただけじゃ! 話を続けよ」と否定する。

 朝比奈泰朝は、語る。


「本丸まで攻め込まれたら降参、という話を夏美殿から伝えはしましたが…冷静に考え直すと、そこまで進撃されたら、そのまま本丸に雪崩れ込んで皆殺しにされる危険性も無視出来ません」

「かもな。酒井忠次の辺りが、そうしそうだ」

「ここで城を明け渡すのが、最善です」

「徳川には、な」


 常春は、今川がどうして滅びたのか、理解した。

 スペックが高過ぎて大過なかったので分り難いが、朝比奈泰朝は、

 常春の見立てでは、掛川城が勝つ確率は、三割はある。

 そこまでの相手と見込んでこそ、徳川は留守居役以外の全兵力を動員して遠征を続けているのだ。

 常春が朝比奈泰朝の立場なら、まだ足掻く。

 足掻ける。

 なのに。


(この馬鹿野郎。桶狭間以来、絶望して腑抜けていたのか)


 常春の知る三河武士は、主君に死なれても、真逆の生き方を貫いた。

 本多や大久保、鳥居ら三河の古参たちは、次代の家康を信じて戦い抜いた。今川の露払いとして、最前線に何度送り込まれても。

 酒井忠次は、一時は織田に与して今川と戦い、底知れない実力を認めさせてから元鞘に戻った。

 家康自身も、織田と今川に翻弄されながらも、望む以上の君主として独立してくれている。


 寿桂尼に命じられて粛清ばかりに精を出し、建設的な再興を何も為し得ないまま時を費やした最強様とは、生きる覚悟が違う。


 東海道最強と呼ばれる男の腑抜け様に、常春の頭の中で何かがブチ切れた。


「おい、泰朝。かかって来いよ」


 常春は、敢えて朝比奈泰朝を諱で呼ぶ。

 米津常春の視線に、朝比奈泰朝は腰の刀を握ってしまう。

 それは、武者が敵兵の首を搔き切る時の目だ。

 味方が二人しかいない敵の城の中で、していい目ではない。


「戦さ場に出て来い。そこでお主を討ち果たす。今川親子は、それから保護する」

「…どうして、無駄な戦を…」

「上から目線で『矢止めにしてやる。城もくれてやるから、保護対象を受け入れろ』とか、かましてんじゃねえぞ。本当に負けていないから、そこまで増長出来んだよ。

 かかって来いよ、泰朝!

 徳川は、実力で掛川城を取る!」


 宣戦布告をすると、常春は帰ろうとする。

 その段階で「あれ? 生きて帰れるのか、俺?」と正気に戻るが、もう遅いので早足に歩く。

 朝比奈泰朝は、呆けて動かない。

 日根野が満面の笑顔で、出口までエスコートする。


「お客様のお帰りだ! 邪魔するなよ、皆の衆!」


 美朝姫が常春を背後から追撃しそうだったので、弥吉に目で制止を促す。


「姫様。こちらで招いた客人です。攻撃は、お辞め下さい」


 美朝姫は、掠め取った鉄砲を取り上げようとする弥吉と鉄砲で綱引きをしながら、徹底抗戦を喚く。


「朝比奈は、ショックで動けないではないか。あのいじめっ子の返り血で、顔を洗ってやるのじゃ」

「別のショックで動けなくなりますよ、それ」

「喩えじゃ。彼奴は、美朝の朝比奈泰朝を殺すと言いおった。これは処す案件である」

「自分で戦いますよ、朝比奈殿は」


 揉めている内に、常春・更紗・夏美は足早に去って行く。

 その横を、日根野弘就が愛想良く併走する。


「出番を増やしてくれて、ありがとう!」

「うるさいなあ」

「戦さ場で会ったら、笑顔で殺してあげるよ」

「最後に見る光景が、その笑顔?」

「日根野スマイルを見た者は、次の戦で必ず死ぬ。これ常識」

「嘘くさいな」

「まあ、嘘だが」


 城門を抜けると、笑顔で手を振って見送る日根野弘就の代わりに、更紗と夏美が話し掛けてくる。


「見直したぞ、常春! 降伏を申し出る敵に対して、わざわざ皆殺し宣告をするなんて」

「話を膨らますな! 朝比奈泰朝を討ちたくなっただけだ」


 更紗は、歩きながら常春の腕に胸を押し付ける。


「さっきから子宮が疼く。くれ。帰陣次第、くれ」

「…いや、この件を本陣に伝えるのが先」


 更紗と逆に、夏美はキツい視線で常春を責める。


「見損ないましたよ、米津様。味方の損害には、丁寧に気を配る方だと評価しておりましたのに。さっきの余計な宣戦布告で、双方で千人を超す死傷者が出ます」

「ああ、出るな」


 しれっと言う常春に、夏美は殴ろうと拳を固める。

 だが、これから本陣で常春が上司に殴られると考え、堪えた。

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