第16話 美朝姫の鼓動

 1569年(永禄十二年)一月五日。

 北条氏政うじまさ(北条家四代目。春名様の兄。嫁さんは武田信玄の娘。大河ドラマ『真田丸』では高嶋政伸)は、今川家救出を目的とした大軍勢の準備を終えた。

 賢明で記憶力が良くてイケメンな読者なら言うまでもなく理解してくれている情報だが、経っている。

 でも、北条家に「遅過ぎるだろ、ボケ、グズ、ノロマ!」とか糞リプを飛ばさないで欲しい。

 師走に支配地域にお願いしまくり、「武田一万八千と戦いに駿河へ行きますので、何卒ご協力を…はい、正月をご自宅で迎えるのは、不可能になるかと…たいへん申し訳ありません。本当に、申し訳ありません」と関係各所に平身低頭しまくる北条家臣団の姿を思い描くと、涙が出てくる(笑ってないよ)。

 遅くても、彼等は結果を出した。


 四万五千の大軍勢を揃えたのである。


 この大軍勢が、駿河に居座った武田一万八千と武田本国甲斐への道を塞ぐ形で布陣する。兵達の食糧は、補給路を断たれれば一ヶ月と保たない。

 駿河を占領していても、冬の一月では軍隊の食糧を補充出来ない。無理。強制徴収したら、駿河の住民が餓死する。

 武田は、打つ手を間違えると全滅する状況に追い込まれた。

 もちろん、武田だけではなく、徳川への対策も実施された。



 掛川城の南東一里半(六キロ)御前崎海岸に、大砲を装備した大型の安宅船あたけぶね二隻、中型の関船せきぶね八隻の艦隊が集結している。

 艦隊が運んで来た物資は、小型で小回りの利く小早船こはやぶねに積み替えて、川を利用して掛川城に運ばれていく。

 北条家の抱える水軍『伊豆水軍』が、掛川城の支援に到着した。



「伊豆水軍、半端ないですよ!」


 日根野弥太郎十四歳のハシャギように、親の日根野盛就は口元を綻ばせかけて引き締める。


「弾薬の残数が開戦前に戻ったうえに、五割増しですよ! 破損した各種武器の補充も…」


(少なくはない量の食糧と武器だけ。兵員の補充は無し)


 日根野盛就は、参謀役として冷めた視線で伊豆水軍の「見舞い品」から北条の魂胆を測る。


「あの艦隊の大砲が一度に発射されれば、徳川の軍勢も」

「大砲の飛距離は、四半里(約1キロ)程度だ。掛川城の援護には、使えぬ」


 息子の看過出来ない勘違いに、日根野盛就は訂正を加える。

 父親の冷めた雰囲気に、息子もはしゃぐのを辞めて意見を求める。


「この援助では、大勢は変わらないのですね?」

「変わらない。というか、迷惑だ」


 一戦したら今川との契約を切ってフリーエージェントとして他の就職先を探す気でいた日根野軍団にとって、北条からの継戦要請は「余計な圧力」でしかない。どう善戦しても、今川は掛川城で潰える。

 勝って終わった先月の段階で徳川と講和を結んでおけば、何の問題もない。何なら、今からでも。



「北条の殿は、春名様と美朝姫の救出を名目に兵を集めたけんね。あっさりと無事に逃げ延びてしまうと、せっかく集まった軍勢が、勝手に帰っちゃうすよ、まずか事に。兵を出している国人領主達の判断は、結構デジタルなんよ、その辺。そうすると、武田を討伐するチャンスがなくなってしまうとよ」


 伊豆水軍の提督・梶原景宗かげむねは、広域で海運業を営む副作用からくるごちゃ混ぜ方言で、北条の戦略を今川氏真に伝える。

 方言はめちゃくちゃでも、戦略の内容と茶の作法はしっかりしている。

 本丸で茶を点てて持て成しながら、氏真は嫁の実家から「まだ亡命しに来るんじゃねえぞ。武田をフルボッコにする名目が無くなっちまうぜ」とくどい程に念押しされる。

 先月、既に風魔小太郎からも、この戦略は知らされている。

 何度も念押しするのは、状況だからだ。


 今川氏真は、北条からの援軍に、恨み事や嫌みを言わないように、返答する。


「徳川から講和の使者が来ても、応じてはいけないと?」

「いんや、徳川は講和の使者を送らないぎゃあ。徳川にとっても、武田には此処でフルボッコになってもらう方が、将来的に嬉しいし。三河守家康はクレバーだから、このままの戦況で待つ方を選ぶじあ」

「あ〜そうか〜。そういう敵の潰し方も有りですか」


 戦国大名の落第生は、一流の戦国大名の戦略眼に納得する。レベルが違い過ぎて、感心しか出来ない。


「では、お正月は、このままノンビリとしてよろしいのですね」

「一周回って、その心根は凄かでごわすばい」


 失礼がないように感想を述べる梶原景宗かげむねに、朝比奈泰朝が掛川城の戦闘指揮官として交渉をする。


「二の丸と三の丸が落ちれば、降伏します」


 梶原景宗かげむねは、茶碗を落としかけて反射神経で持ち直す。

 構わずに、朝比奈泰朝は今川側の『生存戦略』を伝える。


「本丸しか残されていない状況にまで追い込まれれば、もう戦いません。今川一家の安全を条件に、徳川に掛川城を明け渡します」

「まっとうせ。それ、負けた時の話だべ?」

「ええ、遅かれ早かれ負ける戦いですので、負けた時の事を前提に話を進めます。簡単に負けるつもりはありませんが、最後は負けます」


 並みの武将ではなく、東海道最強の敗北宣言である。弱気でも悲観論でも臆病風でもなく、客観的に掛川城の状況を分析しての結論である。

 梶原景宗かげむねは、彼を刺激しないように、敗北条件の底上げを具申する。


「武田を負かせば、駿府は元に戻るがぜよ? もうちいと、粘る方向で…」

「北条が支配するつもりでしょうから、今川には戻らないでしょう」

「…遠江から徳川を追い出せば、そこで今川の再興を…」

「武田とやりあった後で、徳川と戦えますか? というより、武田に勝った段階で、帰ってしまいますよね。北条の兵達は。防衛戦ではなく、他国への助っ人ですから」

「うん、まあねえ。帰っちゃうねえ、ほとんど」

「自分は、多くを望んでいません。今川一家の無事が、最優先なだけです。この為ならば、北条の事情は脇に置かせていただきます」

「朝比奈さん、次の就職先は、北条じゃないのかな?」


 梶原景宗かげむねは、北条の戦略に乗り気ではない東海道最強の『先』に矛先を向ける。


「春名様達が北条に身を寄せた後は、何処に再就職を? 客観的に見ると北条以外は候補として考えられないっちゅうか、でも北条に力量をアピール出来る今回の戦で、どうも北条に冷たいというか…北条が嫌いになったのかな?」


 梶原景宗かげむねの問いに、朝比奈泰朝は少々考えながら、得心する。


「はい、嫌いですね。春名様と美朝姫を、戦さの口実に使って亡命を止める根性が、嫌いですね。今、自覚しました」


 己の心中を顧みた朝比奈泰朝は、北条とは逆に、初恋の人を救うために戦を止めた家康に、思考の照準を当てる。不思議と、今川を裏切った彼への嫌悪感が消えている事に気付く。


(今なら、家康が今川の支配から逃れたくなった気持ちが分かる。大勢力には服従するのが当然と考え見下す連中に対面して、よく分かった。


 今の掛川城の立場からすれば、致命的と受け取れる言葉を、朝比奈泰朝は口にする。


「己の妹や姪の保護よりも、戦を選ぶような武人には、仕える気にはなりません。伊豆水軍は、もう帰ってくれて構いません」


 梶原景宗かげむねは、呆れて、しかし面白そうに朝比奈泰朝を見直す。

 次いで朝比奈泰朝は、天井に張り付いて話を聞いている風魔小太郎にも視線を向ける。


「小太郎も、帰っていいぞ。俺は、この朝比奈泰朝は、北条の力は要らない。春名様と美朝姫は、俺が守る」


 厳しい目で見下ろす風魔小太郎に、朝比奈泰朝は失言に気付く。


「ついでに龍王丸氏真の幼名様も」

「それはどうでもいい」


 風魔小太郎は天井から降りると、正座して朝比奈泰朝と目線を対等に合わせる。


「オレの目的も、お二人の安全だ」

「三人だ」


 朝比奈泰朝が氏真をフォローするが、氏真は慣れているので、お茶汲みに専念する。お茶だけは、彼を無視しない。


「目的が同じとあらば、お主に従おう。掛川城城主よ。この風魔小太郎を、好きに使え」

「…北条と武田の戦が始まるのに?」

「オレ一人が離れたくらいで、風魔の仕事に差し障りはない。代わりに指揮を取れる人材は、何人も居る」

「ならば助力を、お願いします」


 単独で服部隊を(半蔵抜きとはいえ)撃退可能な忍者の申し出である。

 朝比奈泰朝は、素直に申し出を受ける。


 梶原景宗かげむねは、飲み干した茶碗を今川氏真に返すと、朝比奈泰朝と小太郎の中に入ろうとする。


「自分も残るちゃっるけえのう。帰れ言われても、この顛末ば見届けんと、来た甲斐がないばってん。武器弾薬の補給は、任せえ」


 梶原景宗かげむねは、御構いなしに、北条の家臣として戦略の続行を宣言する。

 朝比奈泰朝と小太郎は、互いに視線だけで会話する。


小太郎「斬っていいかな、こいつ?」

朝比奈「使い潰してからにしよう」


 信用されていない事は承知の上で、梶原景宗かげむねは居候を決めた。

 北条内でも客将扱いで、常に第三者の視点で東海道の行く末を観てきた彼には、この戦いでの要所が見えている。


(三人も守る必要は、無い。一人でいい)


 梶原景宗かげむねは、満面の営業スマイルを崩さずに、耳を澄ませて標的の動向を伺う。



 冬でも陽当たりの良い二の丸で鉄砲の弾込め動作の練習をしながら、美朝姫は教師役の日根野弥吉(弘就の末弟)に質問する。


「鉄砲の命中率は、如何程なのじゃ? 弥吉の戦歴だけで構わんから教えよ」


 弥吉は、過去十五年の戦歴を振り返り、鉄砲だけで仕留めた敵の累計と命中率を吟味する。その間も、弾込めの手は止めない。


「六十人を鉄砲で仕留めました。命中率は、六割五分65%ほど。平均より、少し上程度の腕前です」

「ほう。意外と当たらぬのう」

「弾は飛ぶ際、微妙に浮き上がったり、風で流されたり、当たっても鎧で弾かれたりしますから」

「手間をかける割りに、ブチ殺し難いのう」

「いえいえ。敵兵を刀槍で倒す手間に比べれば、断然楽ですよ」

「お田鶴姉様は、どうして全滅するまで戦ってしまったのか、分かるか?」


 いきなりヘビー級の話題を振ってきたので、弥吉はビビって美朝姫から退く。


「うむ、今の反応で分かった。推し量れぬな」


 美朝姫は、遠からず田鶴姫と同じ選択肢を突き付けられそうで、悩んでいる。

 城主の朝比奈泰朝は、有利な内に好条件で城を明け渡す気でいる。徳川家康も、その気だとは言っている。


(だが、松尾口西門に攻め寄せた武将は、どうしても今川の血を流させたいとでもいうような、怨嗟に満ちた顔付きであった)


 美朝姫は、今川家に向けられている憎悪という代物を、間近で感じた。

 あれは、双方の大将でも手に負えない事態を引き起こすのではないかと、美朝姫は真剣に対策を講じ始めている。

 両親や家臣達が止めようと、おとなしくしている気になれない。

 今川・北条という二つの戦国大名の血が、美朝姫の中でダブル・タイフーンを巻き起こしている。


「…鉄砲が、あと五百は欲しい」

「兄者、此の方は、俺の手には負えない」


 末弟に助けを求められて、日根野弘就は鎧製作の手を止める。

 戦国時代中期以降の主流となり、今も著名な鎧の基礎デザインともされる日根野流の機能美に満ちた兜を、弘就は美朝姫に持たせる。


「この兜は、矢弾が逸れ易いように、流れるような丸みを持たせている。それでも、至近距離で直撃すれば、即死は免れない」

「ほう」

「更に、二方向、三方向からの集中砲火を浴びせられれば、鎧の性能など御構い無しに、死ぬ」

「鎧職人が、そこまで鎧を卑下するとは」

「人が殺されない為に出来る最高の奥義は、戦に加わらない事です」

「・・・」

「俺には無理ですがね。人様をブッ殺して褒美を貰うとする、罰当たりですから」


 美朝姫は、更に深く、考えを巡らせる。

 この戦で、己が殺されない為に。

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