ヌーディズムの倫理と情報資本主義の精神
木村ポトフ
前日譚 その1
これは、ジョグストラップに魅せられた男の物語である。
別名、ケツ割れ。
この下品な名前が示すように、ジョグストラップは、尻部分に当て布のついていない男性用下着である。そもそもの発祥はアメリカ。アメフトや自転車の選手のために発明されたモノだ。
しかし……。
機能的ではあるけど、やたら、セクシー。
なぜか女性より同性にアピールしてしまう、ゲイ御用達のパンツなのである。
この変態チックな下着の魅力を教えてくれたのは、とある腐女子だった。
いや、当時「腐女子」なんていう言葉は巷間にあふれてはいなかったのだから、単にムッツリスケベな……もとい、好奇心ありすぎな女の子、というべきかもしれない。
彼女、地図子さんと初めて出会ったのは、今を去ること二十数年前である。
私は紅顔の大学一回生。
彼女は院進学を控えた、美大生だった。
もっと詳しく言おう。
彼女は、某マンガサークルでデッサン指導をしていた、講師兼会長だった。
私は、そのサークル主催者に招かれた、ヌードモデルであった。
私たちの橋渡しをしてくれた宇都宮君は、同じ下宿で知り合った朋友である。
宇都宮君は、馬のような長い顔をした、憎めない男だった。身長百七十の私より頭ひとつ大きい、巨漢だった。築八十年という私たちの下宿屋の建物は、学生が今より一回り小さかった時分のサイズにあわせてあり、宇都宮君には窮屈すぎた。玄関の上桟に頭をぶつけるたび、彼は自分の身長を呪った。杖こそつかなかったが、しょっちゅう腰痛に悩まされてもいた。
それでも彼は叡山電鉄沿線、一乗寺近辺の老朽下宿にい続けた。
トイレも台所も共用、風呂なしの四畳半には、私たちも含めて六人が入居していた。
風情がある。
これが宇都宮君の言い分だった。
カブトムシやクワガタが喜びそうな木造の腐れ壁も、宇都宮君に言わせれば、時代がかってカッコいい、となる。下宿屋には、建物にそぐわない洗濯干し場という中庭がついていて、春には二本のソメイヨシノの古木がきれいな花をつけた。立て付けの悪い窓からは、北白川疎水が臨めた。コンクリでしっかり護岸されていたとしても、雪化粧をしたときなど、たいそう絵になった。
自炊なんぞしないモノグサ学生の私たちは、よく、ラーメンなど食べ歩いた。「食」についても、一乗寺は好立地だった。知る人ぞ知る話だが、北に自転車で五分、高野のあたりには、ラーメン横丁と名づけてもおかしくないくらい、中華の店が並んでいた。西にはこってりスープで有名な天下一品の本店があった。サイズに加えて燃費の悪い躯体らしく、宇都宮君は鯨飲馬食を常とした。アルコールの味を覚えた私が、麺そのものを食わなくなっても、彼は相変わらずだった。酒が飲めない宇都宮君は、私が餃子でビールを胃袋に流し込む間、二杯も三杯もどんぶりを開けるのだった。
こんな「住」「食」以上に、私たちを魅了したことがある。
なによりかにより、ここは家賃が破格の安さだった。窓から外を見れば、同じような安下宿が立ち並び、同じような貧乏学生が、吹き溜まっていた。
私たちは、恥じることなく、貧乏生活を謳歌していたのだ。
地図子さんに、話を戻そう。
彼女は、この宇都宮君がひそかに懸想していた女性であった。
小学校の先輩・後輩にあたる関係だという。中学受験の少し前、宇都宮君の転校で「生き別れた」。もっとも、地図子さんのほうは、彼なんぞ眼中になかったかもしれない。彼女はすでに彼氏持ち、というか婚約者がいた。アラサーの年上の優男で、オーバードクターをやっていた。助教授だったか講師だったか、「定職」につくと同時に入籍する約束、という噂だった。
宇都宮君が略奪愛を狙う気になったのは、このフィアンセの不甲斐なさが、原因かもしれない。彼氏は、いつまでたってもプータローだった。予備校の講師やパソコンショップ営業のアルバイトをして、口を糊しているらしい。噂以上のなにものでもなかったが、二人の間には隙間風が吹いているという話だった。
地図子さんが、宇都宮君にとって、超絶魅力的だった、というのも固執の理由かもしれなかった。わが親友とは対照的に、彼女は背が低かった。百四十ちょっとくらい、しかも童顔であり、第二次性徴で発達すべきトコロがまったく発達していなかった。要するに、二十代も半ばというのに、どこから見ても中学生……いや、小学生じみたルックスだったのだ。
アルコールの一滴も入っていないのに、彼女を語る宇都宮君は、酔いしれていたものだ。
私がコミックLO片手に性欲を発散させようとしているタイミングで押しかけてきて、ただでさえ「彼女」ができない憂鬱を、さらに加速させるのだった。
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