前日譚 その13

 何事にも終わりはあり、それは唐突にやってくる。

 まず、宇都宮君が、下宿を去った。

 両親に強制的に連れ戻された、というのが本当のところらしい。例のオカッパ少女がやつれていくのを見かねた先方の親御さんに泣かれ、ステディになりかけていた彼女に諸手で賛成され、そして、失恋を諦めきれない弟さんが、なぜか後押しした、と聞いた。宇都宮君は、些細な事情をおくびにも出さなかった。引越しには、私たち下宿の住人が、総出で手を貸した。例のコレクションを除けば荷物らしい荷物はなく、かえって丸一年ぶんの掃除が大変だった。奈良から彼女が助っ人にくる話もあったが、ゴミとホコリとエロ本の山で幻滅されることを考え、私たちが丁重に断った。

「最寄の駅は近鉄じゃなくJRだから大丈夫、速いから余裕で通える」

 心配させまいとしてか、宇都宮君は送別会の最中、通勤事情の話に終始した。洛中における「学生の足」ママチャリの保管を、私は約束させられた。間違ってもサドルを盗まれ代わりにブロッコリを差し込まれるようなドジは踏まない……確か、そんな意味の返答をしたと思う。

 彼は一年半後、専門課程の勉強が忙しくなったのを機に、再び舞い戻ってくるのだけれど、以前のように頻繁に部屋を行き来することはなくなった。ラーメンやロリコンの話をしても、どことなく上の空、でなければ社交辞令のような余所余所しさが残った。以前は毎日のように増えていた「コレクション」の蒐集も、ぴたりと止まったようだった。

 直射日光を浴び、文字通り色褪せていく、彼の宝物。

心境の変化を直接聞いてもよかったのだけれど、もっとダイレクトな質問の仕方があった。

「地図子さんには、もう未練がないのか?」

 自分は南海時代からホークスのファンで、虎キチの彼女とはそもそも相容れなかったんだ……宇都宮君は、冗談とも本気ともとれる言い方で、はぐらかしたものだ。

「じゃあ、例の彼女とは、うまくいっているのか?」

 宇都宮君は、開館したばかりの海遊館でのデートや、花博見学の様子を、楽しそうに語った。

「最近はリップスティック以外の化粧道具も持ち歩いてるみたいだ……体型が変わってないからって、デートに着てくる服は中学からの使いまわしなのにな……顔と、それ以外、あんまりアンバランスなのもカッコ悪いし、今度芦屋や三宮界隈散策に行くときには、少し高い服をプレゼントしてやろうと思う……」

 そうか。

 化粧する彼女が、そんなにまぶしいか。

 もう、完全にロリコン卒業だな。

 だらしなくノロケる宇都宮君だったけれど、出会った頃を知っている私からしたら、そんな姿も、たいそう大人に見えたものだ。


 私はと言えば、とうとう陸上部をクビになった。

 いや、正確に言えば、未だ名簿には載っている状態。しかく各種「行事」新歓コンパからOBとの交流会、果てはインカレに至るまで、一切声がかからなくなってしまった。

 幽霊扱いでも除名しないのは、就職活動を考えての温情措置だとか、聞いた。老婆心を発してくれたのが誰にせよ、私には感謝を返すすべがなかった。フリーター生活ののち、家業を継ぐべく、結局は地元に帰ったからだ。

 部活に当てていた時間は、自分で思っていたより大きかった。

 私はヒマを持て余した。

 コンビニや酒屋、新聞配達に弁当屋の鍋釜洗いなど、いくつものアルバイトを掛け持ちした。同じ時間を埋めねばならないのなら、何も考えないですむ仕事こそ、最高だったと思う。

 学業にも労働にも勤しんでいない時間の大半は、今はなき、千本中立売のゲイ映画館に通った。一乗寺近辺からは自転車で四十五分、妙にけばけばしい赤レンガの建物は、この「業界」で有名なハッテン場である。トイレ脇から地下に降りる階段があり、ソファだけがおいてあるやり部屋があったらしいけれど、ヘタレな私はそこまでいったことがない。地下の存在のお陰で、観客が、ある程度、純粋に「観客」できる稀有な映画館だったと、今にして思う。実際、近所の千本日活やら大阪の梅田ローズやらにいけば、勝手にズボンやらパンツやらを下げてくる常連がたむろってたのだから。

 涙あり笑いありのショーは、陽気ではあったけれど、どこかしら殺伐とした部分があった。というか、少なくとも、私にはそう感じられた。たとえとしてはまったく適切ではないけれど、弘前でねぷた祭り観光にいったときの感触に似ている。『バディ』や『ジーメン』などといったゲイ雑誌創刊直前の時期で、レビューみたいなのはどこでも読めなかった。『カイトランド』という市内限定のフリーマガジンに、少しだけ紹介が載っていた。自分の感じかたが異端だと確認できたのは、十年も先、インターネットを始めてからである。

 ゲイに興味があって、通いつめていたわけではない。自分が本当にゲイに興味があるか、見極めたくて通っていた。そう、くさい言い方を承知で言えば、映画や舞台を見てやろう……というより、自分の中の深淵を見つめるためだった。もっとも、揺らめく炎を凝視するのと一緒で、「目」を傷めただけだったような気がする……。

 射精の「シャ」の字もしなかったけれど、帰りの足取りはいつも重かった。千本通りのダラダラ続く上り坂を今出川まで自転車で上り詰めると、いつでも時間を無駄にしたことを後悔するハメになった。

 銀閣寺から伏見稲荷まで、洛東だけでも名だたる旧跡名所には事欠かない町だったけれど、学生時代、その手の観光地には一切行っていない。カネが入れば場末のポルノ映画館や寺町の電器屋街に通いつめた。坂口安吾なら手放しで賛同してくれるような学生生活だったと思う。


 男性同性愛については、こんなふうに確かめるすべがあった。

 しかし、幼女趣味については、いけない。

 まさか、小学校の入り口で女の子を物色するわけにはいかない。童顔を極めた知り合いの女性だっていなかった……ただ一人を除いては。

 糸口になりそうな二人からの連絡は、例の目隠しの日以来、ぷっつりと途絶えた。

 不安にかられ、しつこく地図子さんの家に電話をかけまくった。一週間後、サークルMから解雇通知がきた。撮影会取りやめを告げた宇都宮君自身、納得がいかないようで、目を白黒させていた。

 例のガレージには鍵がかけられたまま、私物はいつのまにか郵送でサークルメンバーたちに返送されてきたという。通いつめる私がよほど怪しげに見えたのか、通報を受けたパトカーがやってきて、事情聴取されるはめになった。

 撮影会が終わると、自然、漫画サークルの面々と会うこともなくなった。

 風のたよりさえ聞けなくなり、私は地図子さんたちのことを忘れようと努めた。


 次の年の六月、二十歳の誕生日は結局ひとりで迎えた。

 思えば、まともにパーティーなんぞで祝ってもらったのは、保育園児の時分ばかり、だったような気がする。「自分への誕生プレゼント」も買わなかったし、ましてやローソクの立ったケーキの用意もしなかった。大人への階段を上る、どんな区切りも私には無意味だった。既に一年以上前から飲酒はしていたし、元陸上部の矜持から、タバコを吸う気にはなれなかった。

 一年前の六月には、誰と過ごそうか、楽しく悩んでいたはずだった。

 陸上部の連中と潰れるまで飲むか、サークルMの面々とか、それとも宇都宮君たち下宿仲間とか。

 寂しいという気持ちとは不感症になっていた。

 成人になったのを機に、ひとつ決心することにした。

 自分の生まれた日をことさら意識するのは、これをもって終わりにしよう。

 決心が、棺おけに片足を突っ込んだ老人じみたのに気づいて、私は自分に微苦笑した。


 

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