後日譚

「それでも、お父さんって呼んでいいですか?」

 いや、そもそもポトフさんって名前呼びしていたでしょ、あなた。

「私の本当のお父さんって、どこのだれなんでしょうね」

 それは教授に問い詰めてください。

「お母さんだって、分からないって言うと思うな。候補くらいは挙げられても」

 あまり悲観的になると、抜け毛が多くなりますよ……と、女性だから、ストレスではげるわけはないか。まあ、今までだって分からなかったんだし、元の木阿弥に戻っただけですよ。落ち込んでも、始まらないです。そうだ。処女懐胎して無原罪で生まれてきたどこかの教祖様みたいに、開き直ってみてはいかが?

「お母さんの場合、無原罪っていうより、その手の罪、犯しまくりなんですけどね……」

 ウエノ君は耳を引っ張られたまま、地図子さんとともにどこかに消えた。私としては、もう論文執筆に協力する義務がなくなったわけで、本来なら、彼が彼女にとっちめられようと、どーでもいいことなのだけど……。

 白石さんが、電話をかけまくっている。自分の「囲いの騎士」たちに途中で引き返すように、ニベもない命令を下している。福島君の説得も、彼女が買ってくれた。曰く、アンタの赤髪アタマにはコンサル業よりバンドのドラムのほうがお似合いよ、だそうだ。目が覚めた福島君は、教授に叱られるのが怖い、とベソをかいていたらしい……。

「結局、カケオチしなかった、ていうかカケオチの狂言をした理由もお芝居だった? それとも、本物?」

「もー。フェイクに決まってるじゃないですかぁ。エロゲーのやりすぎですよぉ」

 いや、私は、君の取り巻きと違って、その手の暇つぶしに興味はない。

「男のひとに、また、ゲンメツしたかな」とチカはつぶやいた。

 どういう神経をしているのか分からないけれど、チカが例の鑑定書をウエノ君に読ませ、善後策を相談しようとしたところ、彼はなぜか彼女を口説きにかかったそうだ。それこそ、エロゲーのやりすぎだ。そればかりか、本気で逃避行を考えていたようだ。ウエノ君が目を覚ますまで、布団で簀巻きにして、押入れに放り込んでおくつもりだった。母にしっかり告げ口するとチカが告げると、ウエノ君はおとなしくなった。それでも、彼はチカを口説くのをやめなかった。存外しぶといウエノ君を監視するために、チカは白石さんに協力を求めた……。

「今後、また、しばらく、彼氏は作れそうもないかも」

 チカはのろのろ畳の上を這って、窓下の壁に背を預けた。なんだか、ものすごく疲れている感じだ。福島君のグダグダの言い訳が、静かになった室内に、電波の雑音とともに響き渡る。

「指導教授に嫌われるのは決定的でしょうし、他の研究室にでも移らない限り、アカポスは難しいかもしれないですね、福島君」

「あら。どーせ、バンドマンとしてデビューするつもりなんじゃ、ないんですかぁ。ていうか、それしかもう、進路が残ってないかもぉ」

「白石さん、冷たいですね」

「だってぇ、ホントのことだもの」

 バス部隊は糸魚川まで来たところで、引き上げを決めたようである。ヤケになった面々は、往路以上のカオスになったようだ。勝手にバスガイドし始めるヤツ、仲間に痴漢するヤツ、そして停車中車窓から小便しようとするヤツ、およそ大学院生という知性が信じられないほどの荒れようだったということだ。姫のより忠実なる腹心が、一切合切を隠し撮りした。私は要らないといったのに、後日、意味不明のメールに添付されて、画像が送られてきた……。

 チカが天井を睨みながら、ふと言った。

「結局、ヌーディズムのネタ、どうするんです? 次の執筆者が現れるまで、封印?」

 少なくとも、私自身が論文として仕上げることはないだろう、と告げた。

「じゃあ。誰もチャレンジャーがいなかったら、ネタ、貰い受けていいですか? 私も、何年後からには博士号チャレンジするかもしれないですし」

 しかし、父娘関係が否定された今、私がチカにネタを提供する義務も義理も人情もない。

「ついでに。ドクターをとっても、就職先がなかったら、ここの女将さんも予約させてください」

 だから、もう娘でも何でもないのがはっきりしたのだから、義理も義務も人情も……。

「今度は嫁としての候補で。父親が誰か分からなくとも、ファザコン娘には違いないし。ポトフさん、ファザコン娘、好きなんでしょ?」

 チカの場合、正確にはファザコンかつマザコン娘、なのだけれど……。


 どこまで戯言で、どこまで本音かはわからないけれど、チカはその日一日、楽しげに女川来訪の計画を語り、そして翌朝、あわただしく母親とともに、帰っていった。予定の日数に二日足りないだけの宿泊日数だったけど、大幅延長もありうると事前に予告をもらっていたので、ウチの母親はがっかりしていた。玄関での見送りの際には、地図子さんやウエノ君はじめ、みんなが穏やかな表情に戻っていた。

 論文云々という話は、結局ゼミメンバーが全員チェックアウトするまで、出なかった。タブーにしているというより、すっかり忘れてしまったかのように。仙台空港から直帰するのは地図子さんとチカの母娘だけで、他の面々は、少し早い夏休みをとるのだ、とも言っていた。


 風の便りに、というかアマネ君が時折思い出したようにくれる連絡によると、ウエノ君は教授の「奴隷」に格下げになった、とのこと。きっぱり分かれてしまわないのがいかにも地図子さんらしいというか、ともかくアカポス確保までの後ろ盾がほしいウエノ君との利害が一致したというべきかもしれない。地図子さんは、新しい彼氏を作った。教え子たちに手を出すのはもう懲りたのか、今度はいきつけの美容院の見習いさんだという。娘より若い彼氏とデートするときには、必ず「奴隷」を同伴させる、といういきさつは、チカのほうから聞いた。彼女も、アマネ君ほど頻繁ではないけれど、時折思い出したように電話をくれる。一本一本の間はあくのに、話始めると必ず長電話になるところが、いかにも女の子らしい。そして、残念ながら、当の母親からはまったく連絡がない。もちろん、私のほうからあえて電話をすることもない。一度だけ、チカに連絡がないことを、言ってみた。「新しい彼氏の話、したくないからじゃない? あ。変な意味にとらないでくださいね。単に照れてるとか、恥ずかしいとか、そういう感情じゃないかと。娘の私だって……ホント、恥ずかしいったら、ありゃしない」。母親には母親なりの生き方が、娘には娘なりの生き方がある、ということだろう。好奇心丸出しで、ベッドの中にも奴隷をお供させているのかと聞くと、「スケベオヤジ丸出し」とさんざん罵倒されてしまった。

 アマネ君は、結局オーバードクターである。大学に残ることにこだわらなければ、就職先がないわけでもないらしい。「キャバクラで、嬢としてアルバイトしています」と言っていたから、ますます女装に磨きがかかっているかもしれない。

 大宮兄妹、福島君は相変わらず院生のまんま、である。あんなことをやらかして、福島君の今後が少しばかり心配だったけれど「やらかしても、やらかさなかったとしても、同じ。ウチの院からコネ持ち以外の研究職就職って未だ皆無ですし、どっちにせよ、教授に全然期待されてなかったという意味では変化なしですよ……」とアマネ君は評していた。

 白石さんは、取り巻きの一人と結婚を決め、大学院を中退した。

 チカに教えてもらったときには、すでに花嫁はハネムーンに出かけていた。私は遅ればせながら結婚祝いを贈ることにした。彼女の相手は他大学から来た童顔イケメンの医学生で、博士号を取得しだい、お父上の経営する病院の副院長に就任する予定だとのこと。玉の輿で、専業主婦である。二重の意味でめでたい。白石さんの望みとおり、家庭に入ったあとも、家政婦付の「姫」的優雅な生活を送るらしい。

 チカは、神戸のホテルで催されたという派手な結婚式の様子を語ってくれた。

 どうして、もっと早く教えてくれなかったのか、というか、どうして埒外の私に彼女の近況報告してくれる気になったのか、チカに尋ねる。

「例の研究からみの話が出たから」

 白石さんには女性の友達があまりいなかったせいか、結婚式二次会は強制参加になった。カラオケ屋を貸しきっての盛大なヤツで、チカは姫と同じテーブルについた。四方山話のうちに、「これでオタサーの姫も卒業だね」と当たり障りなく言うと、女川の話につながったらしい。

 誰の目から見ても目を見張るような美人に化けた花嫁は、自信たっぷりに、すでに人妻の妖しい魅力さえたたえて、言ったそうだ。

 全盛期ほどじゃなくとも、両手で数え切れないほどの男子を動員する力はあるわぁ。例のオトウサンのラボで必要なら、いつでも協力するから、言ってちょうだい、と。

「でも、オトコばっかり動員したところで、どーしようもないのに。姫、の感覚が抜けてないのよね。それに、裸の女子がそろってれば、わざわざ姫に頼らなくとも、オトコはわらわらよってくるのに」

「議論し尽くされた内容ですね」

「そう。だから、ウチのゼミメンバーみたいに、ネジを外れた女子っていうのは例外中の例外で……でも、オカネで脱ぐような女の子なら、実験の趣旨には全然そぐわないわけで……肝心なところが丸出しなのに、丸出しでないっていう四次元パンツでもあれば、いいんだけど」

「ないけど、考案することはできますよ。女性版のジョグストラップをデザインすればいいんです」

「下着とか、詳しいんでしたっけ?」

「詳しくはないんですけど。ジョグストラップに関しては、ちょっとこだわりがあるんです」

                            (了)

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ヌーディズムの倫理と情報資本主義の精神 木村ポトフ @kaigaraya

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