本編 その8

 翌日、ゼミメンバーと合流したのは、夕食前のミーティング時である。

 学生の面々が既に席についているのに、地図子さんは玄関に腰を下ろしたまま、しきりと足首を揉んでいた。昨日のパンツスーツと違い、肩に牡丹の刺繍のついたTシャツ、エンジ色のロングスカート姿である。くだけた服装でも筋肉痛に苦しむくらい、精力的に被災地観光……もとい、取材をしてきたのか? それとも、ただの加齢の影響か?

 終日一緒に行動したというウエノ君も、目の下にクマができている。

「昨日のポトフさんのアイデア、結局悪くないって、今朝がた地図子さんが言い出しまして」一日で大船渡まで回ってきたというから、驚きだ。

「一日じゅう、ハンドルを握ってました」

「途中、教授に、少しでも運転代わってもらえばよかったのに。地図子さん、免許を持ってないんですか? それとも、教授としてのプライドから、運転手のマネゴトなんて、できない?」

「ハイエースじゃ、アクセルブレーキまで足を届かせるのがぎりぎりらしくって。横で見てるほうが怖いんで、自分でクルマをまわしてるんです」

 背が低いのは、なかなか大変だ。

「それに、トイレの確保がとにかく大変でして。教授、昼から不機嫌の塊でした」

 復旧完了した漁港には、どの牡蠣小屋にもウォシュレット付の立派なトイレが完備しているのだけれど、なぜか昼も夜も鍵がかかっていることが多い。よしんば施錠されていなくとも、岸壁に向かって立ちションですますヤカラが、非常に多いせいかもしれない。そして、たいてい徒歩圏内にコンビニがあるようなところは、少ない。

 おしっこしたくなるたび、クルマでドライブ……まあ、地図子さんの不機嫌な顔が目に浮かぶようだ。実際漁師さんに取材して、ウエノ君自身は乗り気になったけれど、教授は徹底的にこのテーマが嫌いになったようだ、という。

 女性作業者がいるときは、必ず開いてるもんなんですけどね……私は同情した。

 食事で機嫌が直ってくれれば、いいのだが、と私は伊藤さんにこの日のメニューを教えてもらった。

 メインの刺身皿には、殻付のバフンウニ。女川でウニといえば片倉商店が一手に取り扱っており、採りたて、「針」がまだうねうね動いているのが二つ、盛ってある。旬は夏、それ以外の時期は明礬が入って少しく苦い、と地元のひとは言う。真冬とか、まったく季節はずれの時期、膳に出てウニに至っては、アメリカから輸入したものだったりする。けれど、東京だの大阪だのからの来客は、本来のウニの味を知らないせいか、季節はずれにきてもウマイ、と食べていくとのこと。肉料理は豚バラと茄子の炒め物、トウガラシ味。小鉢はこの日も二つで、ミョウガの甘酢漬けと、ホヤとキュウリの和え物、である。片倉商店がウニを一手に引き受けているように、女川でホヤといえばイカヤが有名である。ウチのオヤジとイカヤの社長が飲み仲間、旅行仲間なのだけれど、なぜか旅館屋のメニューに載る事は少ない。旬は初夏の一ヶ月くらい、独特の味覚のせいで、客の好き嫌いがはっきり分かれる代物だ。捌いてすぐは生臭さがまったくない。「海のパイナップル」の異名を持つけれど、それは殻をまとっとた外観だけ。口と肛門に同時に包丁を入れてさっくり割ると、中には熟れ過ぎたモモのような実が入っている。どんな果肉よりも弾力のある実だ。漁港の町の現地で食べないと、美味さを堪能できない料理の、代表かもしれない。

 そして私は……また、キャベツの千切り。

 この日のは、紫蘇を細切れのしたのと、タマネギのスライスを混ぜ込んだ、夏向きの一品である。紫蘇独特の香りと、タマネギのシャキシャキした食感を楽しめるなんて、贅沢を極めた千切りでしょ……と伊藤さんは私の食欲を盛り上げるため、色々と言ってくれる。

「せめてマヨネーズをひとたらし……」

「だめ」

 コンビニ弁当の濃い味に慣れすぎて、舌がバカになっているんだ……とオフクロにはよく説教される。ドレッシングなしでも、タマネギの甘さくらいは分かるようになれ、仮にも旅館屋の息子が、とも説得される。けれど、いくら食を抜いても痩せる気配はまったくない。このまま死ぬまで、キャベツの千切りを食い続ける運命なのかな、と少しばかり諦観したロバのようになって、私はモサモサとキャベツを口に運ぶ。

 ミーティングは短時間で「食事をしながら」に切り替わった。

 福島君がパチンコで大勝したとかで、あぶく銭で奮発した「日高見」の一升瓶を開けたからだ。日本酒は生の肴によく合う酒、らしいけれど、この石巻特産のは、特に海産物との相性がいい感じがする。普段は酒を飲まないらしい、地図子さんやチカ、ウエノ君までも福島君のお相伴をすることになった。オチョコで一口だけの予定が、飲み始めると肴も恋しくなったのか、教授の音頭で夕食がスタートした。

 今日一日、何をやっていたか、地図子さんが面々に問う。

「今日一日、パチンコしてました」とは福島君の弁。地図子さんとウエノ君がクルマで出かけてしまったため、わざわざ二時間に一本の石巻線に乗り、石巻駅前の大同会館で遊んできたそうだ。「昨日はボロ負けしたっスから。リベンジ成功っ」だそうである。

 地図子さんと同じ疲れた顔をしているのは、小山君である。こちらは、素直に被災地観光、だそうだ。もっともはハイエースは地図子さんたちが一日乗り回していたわけで、結局「足」の確保ができなかったという。町内で、徒歩圏内でいける場所なんて、限られている。「ええ。そのぶん、写真をいっぱい撮ってきました」と小山君は言った。

 意外、と言っては失礼にあたるかもしれないけれど、「姫」こと白石さんが、一番マジメに「大学院生」していたようである。

 みながオチョコで日高見を堪能する中、ひとりコップでぐびぐびやりながら、彼女は薄汚れたコピー紙を取り出した。

「女川の地名の由来、事前に下調べしてきたんだし、みんな、知ってますよねぇ」

 女川町のホームページには、こう載っている。

「……前九年の役の頃、豪族安部貞任が源氏方の軍と戦った際に、一族の婦女子を安全地帯である『安野平』に避難させたことから、この地から流れた出す渓流を『女川』と呼び、のちに地名になったと伝えられて」いる、と。

 それで、姫なのよ、と白石さんはほどよくアルコールが入って、トーンの高い口調で言った。

「つまり、安部貞任が匿った婦女子の中に、侍の郎党だけでなく、「姫」の立場のひとだっていたんじゃないの? お殿様が、わざわざ落ち延びさせて、匿ったんだから。なんていう名前の、どんなかわいい姫がいたのか、興味がわいて、アタシ、一日中探し回っていたのよぉ」

 なるほど、いかにも白石さんだ。

 ずいぶんと強引な思い込みだが、着眼点は悪くないといえるかもしれない。

「でも、資料とか、なかったんじゃないですか?」

 私は首をひねった。町内でこの手の歴史資料を蒐集していそうな施設といえば、女川駅裏に生涯教育センターがあったけれど、津波の被害をモロにかぶってしまっている。よしんば資料があったとして、三階にあった町立図書室ともども、ガレキの中に埋もれてしまっているはずだ。建物も解体され、跡形もない。そもそも、津波前だって町内にはロクな資料がなかったはずなのだ。たいがい、この手の調べモノをするときは、宮城県立図書館か東北大学付属図書館か、とにかく仙台界隈まで出かけないといけない。

「……前九年・後三年の役自体、主な舞台は岩手県内だったわけで、盛岡にも足を運ぶ必要があるかも。それか、東北地方で調査しきれないときは、やっぱり、東京」

 なんせ、千年も前の戦争の記録である。

 公式・非公式の記録とも、男の名前は官職付で載っていても、女性の場合はただ「女」としか記されてない場合が、ほとんどではなかろうか。

 白石さんは、黙って手酌をしていたが、機を見て反論した。

「調査のスピンアウトを考えたらぁ、もっと目の色を変えて手伝ってくれるんじゃないかなあ、この町のひと」

「どういうことです?」

「マスコットキャラに、利用できるでしょ。あの、まんまるに太ったカモメの代わりに」

「シーパルちゃんは、カモメじゃなく、ウミネコですよ」

 どこの自治体や企業だって、あの手この手で「萌えキャラ」を採用しようとしている最中なのだ。確かにシーパルちゃんはマスコットとしての責務を果たしているとい言えるが、「大きなお友達」向けに美少女イラストのキャラがいてもいいんじゃない? というのが、白石さんの言わんとするところらしい。

「シーパルちゃん以外なら、商工会青年部がやってる、リアスの戦士イーガーっていうのも、あるんですけど」

 一昨年にはDVDまで発売されたご当地ヒーローで、町内の各種イベントでも、ちょくちょくその勇姿を披露している。

「それは、小さなお友達向けでしょ? アタシが言いたいのは、大きなお友達向け」

「いや、あれも、中身はコテコテの大人向け、みたいな」

「シャラップ。最後まで、話を聞いてよぉ」

 白石さんの言う「女川姫」の概要、もとい格好は、こうだ。

 衣裳は思い切ってセクシーに。コスプレーヤーがコミケでこぞって着たがるような、露出の激しいのを。そう、アタシの秘蔵ファイルフォルダが火を噴くときがやってきたようね……山奥・谷底・藪の中を転げまわって、あちこち破れ過ぎたのをデザインしてあげる……悦に入る姫に、私は釘を刺す。

「そんなの、どこからも許可がでるはず、ないでしょう」

 損傷が激しい、というかそういうのを連想させるコスチュームは、津波のつらい出来事を思い出させるかもしれない。商工会青年部がやっているご当地CMやヒーローは、確かに遊び心満載ではあるが、さすがにエログロ方面はマズイだろう。

「それは、ホンネと建前の話ぃ。若いオトコの子なら、みんな鼻の下を伸ばして、やりたがるに決まってるぅ」

「商工会青年部の若手が興味津々でその気でも、上のほうで、許さないでしょう」

「あら、だって」

 ホヤを一切れ口に含み、目を白黒させたあと白石さんは反論する。

「上のひとの意向なんて、気にする必要あるのぉ? 今年の春、テレビのワイドショーかなんかでやってたじゃない? ほら、年金もらってるヤツは口を出すなっていう……」

「あ。それ。キャッチフレーズは、還暦以上は口を出すな、ですよ。でもねえ……」

 女川を復興のトップランナーに引き上げた「不文律」も、テレビで放送された部分だけがすべてではない。

 つい先だって、女川町商工会の総会が、ホテル華夕美で開催された。内容は例年通り、会員会社社員の永年勤続表彰、およそ一時間半に亘っての商工会事務方の会計説明。質疑応答で青色申告会の利用者が少ないという話が出たあと、来賓挨拶。私は真ん中より少し後ろの席で、目立たないようにウトウトしていた。町長が、京都のタクシーがいかに観光向けかという話をした。懐かしい地名が出て、私は少し目を覚ました。そして、次に町議会の代表のスピーチ。四十代になったばかりの町長を少しヨイショしたあと、「先だってのテレビ番組では、還暦以上は口を出すな、という女川の復興方針を紹介していましたが……」老若男女がかみあってこそ町行政は本格的に動き出す、とかなんとか、滔々としゃべったのだ。「ベテランの豊かな知恵」とか「老骨に鞭打って」とかの、要するに還暦以上にも口を出させろ……みたいな内容だったと思う。会場の半分くらいがおざなりの、と言って悪ければお付き合い程度の弱弱しい拍手をしたと思う。

「……ええっと。要するに、何が言いたいかというと、還暦以上でも口を出したい、出さねばと思っている年配のひとは、潜在的に結構いるかもね、という話です」

 ネットサーフィンをしていると、このときの番組をもとにした記事が散見されるけれど、きれいに割り切れるような年寄りばかりではない、という当たり前が現実にある、ということだ。

 そもそも国勢調査によると、震災を挟んだこの五年間で、女川町の過疎化率は全国一位だった(福島の原発の町を除く)。いかに人口の一割の死者行方不明者を出したところで、ここまで極端に落ち込みはしまい? 減少した人数を回復できず、むしろさらに減少に拍車をかける何かが、女川にだってある。復興を後押ししてくれるボランティアやマスコミのひとたちは、町の明るい面ばかりを情報発信してくれるけど、光あれば影ありってヤツで、若者が時折鬱々となるような雰囲気が、他の東北の寒村同様、ここにだってあるということだ。

「むむう。なんだかんだ言って、原発の町ですもんね、女川。やっぱ、東北の平均的な田舎に比べて、超・保守的?」

「いや、そんな。保守的とは、またちょっと違った感じなんですが」

 チカの素朴な疑問に、私は歯切れの悪い返事を返さざるを得ない。

 白石さんが同僚の応援に元気づいて、私に言う。

「定番の、田舎のお年寄りはガンコで人の話なんて聞かないから……なんていう先入観が身に染みすぎたこと、言っちゃダメですよぉ、ポトフさんんんんん(ココロの叫び?)。どんな聖人君子じみた枯れたおじいちゃんだって、アタシのデザインしたエロエロ・ビリビリ・フリフリのオリジナルデザイン・コスプレを見たら、鼻の下を伸ばしてイチコロになっちゃうんだからぁ」

「へー。エロエロで、ビリビリに破けてて、フリフリのコスプレ」

「そうよ。イ・チ・コ・ロ」

「じゃあ、先入観で語っているわけじゃなくて、具体的な話をしましょう。東北のお年寄りが、いまどきの若者の生態をまったく理解していないという……ここ、三陸地方のカップルは、デートしても、セックスするところがない」

 福島君とアマネ君が、ゲラゲラ笑いだした。教授もニヤニヤしている。他の女性陣とウエノ君が、気まずそうに顔を見合わせている。白石さんが、テーブルをバンバン叩いて、鎮めた。

「ちょぉっとぅ。話の腰を折らないでくださいよぉ」

 我に返った教授が、ウンウンと同調した。

 アマネ君が、一息ついたところで沈黙を破る。

「ここ、笑うトコだったんですよね?」

「違います」

「シラフで、エロ話突入とか?」

「違います」

 結構マジメな話、なのだ。

「東北の田舎のカップルって、デートしたところで遊びに行くところがないって言いますけど。デートコースといえば、イオンで一日中時間を潰すか、パチンコ、ゲームセンター、居酒屋。選択肢が、とにかく乏しい、と。でも、それだけじゃなくって、デートそのものの目的を遂行するところがないんです」

 津波の数年前、岩手山田で経営者が止めたばかりのラブホテルを買わないか、と持ちかけられたことがある。場所は山田町が宮古市に接する豊間根という土地で、国道四十五号線沿いブナ峠の中腹にある、小さなコッテジかモーテルみたいな建物だった。当時の値段で三百万だか五百万だか、「建築物」だけの価格としてはボッタクリっぽかったけれど、風営法上、今後はラブホを新規営業できない事実を考えれば、「免許」料金としては格安だと思ったものだ。

 この話は、もちろん正式なオファーではなくて、取引のある某水産会社の社員休憩室で、茶飲みの席での戯言だったけれど、具体的な売値が出、辞めた経営者の人となりも教えてもらったから、持ちかけたほうも、売主とはまったく赤の他人ではなかったのだろう。それに、先方は、私が旅館屋の息子であって、管轄する業法は違えど、経営に関してシロウトではないことも知っていた。本腰をあげての交渉に臨んでいれば、今頃、私もラブホのオーナーだったかもしれない。

 もちろん、このときは、話を持ってきた先方に調子を合わせ、似たようなジョークとともに、丁重にお断りした。

 カネがなかったわけじゃない。あちこちに隠したヘソクリをかき集めれば足りるくらいの値段ではあった。岩手山田という、女川から200キロ、クルマで片道四時間という遠距離を気にして、というわけでもない。津波前、岩手山田町にあったホタテ加工水産会社五社のうち、四社は私が貝殻の始末を引き受けていた。最盛期の八月から十月には、一日おきに山田に通ったこともあったのだ。

 一番、抵抗感を感じたのは、もちろんセックスする場所を提供するとかいう、いかがわしさというか、うさんくささみたいなものだ。かといって、自分が潔癖症だったとか、青臭かったという話でもない。この手の話の常として、暴力団の陰がどこかしらちらつき、トラック仲間の大先輩たちから「絶対かかわるな」というアドバイスを、耳にタコができるくらい聞かされていた。ビシネスの採算可能性は楽観的に考える私も、その手の横槍は厭うタチだったのだ。

 その後、新オーナーの出現を待つまでもなく、大津波が来て、ラブホテルとしての実態は完全になくなった。一応宿泊施設としての設備自体はあったから、しばらくはどこかの復興工事会社が寮代わりに借り切っていたはずである。

 印象が変わったのは、妹が気仙沼に嫁ぎ、運行管理をやっていた事務員さんが八戸の彼氏のもとへ去ってからだろう。年金生活者はいっぱいいるけれど、結婚適齢期の男女は過疎っている我が三陸地域、生涯の伴侶を見つけるのは、必ずしも自分たちの町だけではない。三陸道という高速道路は、水産拠点と大消費地を結ぶ産業道路であるとともに、復興道路でもあり、そして少子化対策に貢献する恋愛道路でもある。よくよく考えてもらいたい。社会人同士の交際なのだから、仕事を通じて知り合うというのはむしろ自然で、南北三百キロに及ぶ遠距離恋愛をものともしない「たくましさ」が、この海岸域では必要になる。

 それで、三陸道とともに重要な大動脈になっている国道45号線をぐるりと見渡すと、とにかくその手の休憩所が少なく、そして岩手山田のラブホテルの場合のように、後継者も買収者もなく、次々と廃れ廃業していく、という算段なのだ。

 町おこしで、役場が主体となって合コンを繰り広げたり、デートスポットを演したりは、当たり前にある時代になった。けれど、地方自治体が主体となって、肝心要の「子作りする」場所を提供、なんて話は、寡聞にして知らない。

 商工会のお偉いさんが、若者のためにラブホテル増設を、なんて公式宣言できるわけないことは、重々承知している。けれど、公式でない場でも、やはり話は出てこないのだ。この手のブレストや会議にも幾度か参加したことがあるけれど、二転三転、話が佳境に入り酒が入り疲労困憊になって、どん底まで行き詰ったところで、こんな話は出てこない。本気で町おこしを考えているなら清濁併せ呑め、なんて上から目線の説教をするつもりはないけれど、本当に、少子化過疎化生涯独身率の上昇にココロを痛めながら、どうして「子作り」の根本から目を背けようとするのだ、とは思う。

 この手の経営自体が反社会的勢力の資金源になるというのなら、町役場・市役所が音頭をとって公営のラブホテルでも作ればいい。その地方自治体に住まう夫婦者・婚約者カップルがコンドーム・ピル抜きで「利用」したときには、ご休憩料を半額にします、などとしたら、ヨリ目的が鮮明にななる。日本中どこにでもこの手の話に潔癖なひとはいるものだけれど、こうして堂々少子化対策を押し出したら、非難も下火になるんではあるまいか? 自治体自体にノウハウがないと言うのなら、当該地域の宿泊関係の同業者団体に頼むという手がある。個々のホテルがどっかの「組」の企業舎弟かどうかというのは、業界の外からは判断しにくいだろうけれど、さすがにその道の商売をやっていればわかるというものだ。もちろん、地雷を外して、経営者を選任する方法論は、まだまだいっぱいあるだろう……。

 隗より始めよ、という故事成語があるけれど、残念ながら女川からは始められないことを断っておこう。

 それというのも、隣の石巻市にはこの手の宿泊施設がどっさりあるからだ。

 石巻というのは、地理的に言えば、八戸以南の三陸で最大の都市であり、歴史的には仙台藩の貿易港で長らく商人の街だった。人口規模を考えれば在って当然、三陸道のストロー効果で、他の町の若者が遊びにくるところでもある。そして藩政時代、遊郭が置かれていたのは石巻塩釜の二港だけであり、寛容というとちょっと違うけれど、この手のホテルの存在を厭わない、カラっとした風土があるということだ。

 私の力説をどんなふうに聞いていたのか、アマネ君が番茶をすすって言った。

「なるほど。セックスする場所がない。ポトフさんに至っては、その相手すらいない」

「いや。まあ」

 なんで、私個人の話になる?

「じゃあ。その手の休憩所をどっさり作ったら、過疎化解消は間違いなし、と?」

「そこまでは、いってません」

 若者の実態をまったく理解していない、という一例としてあげただけである。

 いいたいことはまだまだいっぱいあるが、高々一週間しか滞在しないお客さんに言っても仕方ないことではあるし、それになぜか力説しようとすればするほどエログロになってしまう。

 アマネ君や福島君は、私のいかがわしい演説をさらに聴いてやってもいいよ、という感じではあった。

 チカが瞬きひとつしない据わった眼差しを、私に向けてきた。

 白石さんが、脱線を正してくれた。

「じゃあ、じゃあ、あのテレビ番組はヤラセってこと?」

「いえいえ」

 実際復興連絡協議会は、若手中心で回っているらしい。

 言いだしっぺで有言実行している高政の社長が偉かったのだろう、言葉は非常に悪いが「老害」めいたひとが嘴をはさんでうんぬん、という話は聞かない。ただ「叩かれても、めげない」女川の人間の気質があるから、ケースバイケースで「天下のご意見番」みたいな人が、しゃしゃり出てくる可能性は、ありうる。

 白石さんのエロい姫キャラの提案は、まさにその例外例に当たるような気がする。

「そうかなあ」

 姫はぷくーっと頬を膨らませた。彼女が、もうちょっと、童顔だったらかわいかったかもしれない、というのが個人的感想。けれど、遠目で観察していた重機屋さんの若いグループには、じゅうぶんアイドル級のアクションに見えていたのかもしれない。昨日の今日に期待してか、こちらに羨望のまなざしを向けている。なめるような視線が姫のみならず、チカにも注がれているのは、結局白石さんがチカの部屋で寝たせいかもしれない。ぐでんぐでんに酔っ払った姫がタクシーで帰ってくると、小山君は既に部屋に鍵をかけて眠っていた。午前様で帰ってくる彼女のほうが非常識なんですよ……と翌朝アマネ君は言い訳していたけれど、締め出された姫のほうはたまったものじゃない。重機屋さんのグループの若い衆が教授に泣きつき、地図子さんは別室に部屋をとっていた娘を起こして介抱させた、ということだ。

「女川のひとって、叩かれてもメゲないンスか?」

 福島君が、まったく見当違いの質問をする。私は一応マジメに答えた。

 津波から一週間もたたないうちに復興協議会が立ち上がったり、他の津波被災地が軒並み大規模防波堤をこしらえているのに、ある程度被害にあうのを覚悟の上で見晴らしのいい町作りをするのは、どんな不幸にあってもめげない、という楽天的決心の表れではないか、と。

 福島君は、ふーんと一言言ったきり、ウエノ君とパチンコの四方山話を始めた。

 石巻駅前、鋳銭場から中瀬にかける立町通りのプロムナードには、サイボーグ009をはじめとした石森章太郎の漫画のモニュメントが並んでいる。話相手になったウエノ君は、出玉の具合より、そちらのほうに関心がありそうだった。

 白石さんは、姫キャラ造詣については、ちょっと考えてみる、と言った。

 ただ、地名の由来になった逃避行自体の調査は継続したら、と教授からアドバイスがあった。私は、こういうことに詳しそうな郷土史研究家を探し出して、白石さんに紹介するように、仰せつかった。

 最後に、大宮兄妹だが、二人は結局部屋からまったく出なかったそうだ。

「一日中、何をしていたんです?」

 何もしていない、と大宮兄が答える。妹のほうは、相変わらずの無言で、もくもく豚肉の炒め物を口に運んでいた。今日はデザートがつかないのか、と聞かれる。ビールを冷やしてある冷蔵庫に、りんごヨーグルトが入っているはず、と伊藤さんが教えてくれた。

「ところで、一日中、部屋で何をしていてたんですか?」

 私の部屋のルーターは無線式なので、大宮君たちの部屋なら、ネット三昧できなくもない。しか、わざわざ女川くんだりまで旅行して、やることでもないと思う。私の再三の問いかけを、大宮兄妹はあっさり無視した。各人の行動記録を聞いていたはずの教授も、この二人にさらにツッコミをいれようとはしない。というか、ゼミメンバー全員が無関心なようだ。

 小山君が、さりげなく私の袖を引っ張り、耳打ちする。

「空気、読んで」

 テレビで甲子園の特集が始まり、私たちの話題はいつの間にか高校野球に切り替わっていた。

 私も、先ほどの話題は忘れたふりをした。

 部屋の掃除とシーツ交換をしにいったオフクロの報告によると、なぜか、大宮兄妹の部屋の布団が一組しか使われていなかったらしい。なるほど。いったい、何やってたんだ。私は母親の報告を聞かなかったことにした。

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