本編 その7

 夕食の席には、私もつらなることになった。

 二つ用意したテーブルを四人ずつで囲む。私は、地図子さん、チカ、ウエノ君、そして福島君という、ある意味気心の知れたグループに混ざることにする。

 酒の「肴」としては、いささか見劣りするかもしれない。

 まあ、がんばって、タイコもちをつとめるつもり。

 我が旅館の食事は、味もさることながら、豊富なボリュームも売りである。

 長期滞在者は、たいてい数キロ太って帰途につく。

「ていうか、女川のレストラン・食堂って、どこも盛りがいいッスよね」

 来町前、ネットで熱心に調べてきたという福島君が、玄人はだしの知識を披露する。まあ、そもそも漁船乗組員相手に商売していたのだから、当然といえば当然かもしれない。

 町内では中華の三秀、ラーメンの金華楼、海鮮とてんぷらのニューこのり、あたりがボリューム三傑と言ったところか。

 目の前の膳に話を戻そう。

 津波前、町内旅館組合加盟の業者のうち、我が家は、唯一女川魚市場での買受人免許を持っていた……いや、他に海泉閣の親会社がもっていたから、都合二社か。

 毎朝七時、通称「丸屋根」下のセリに参加し、魚市場直送の魚介類が食卓に乗る。鮮度自慢もさることながら、安く大量に魚介類の仕入れができるのが、ミソだったりする。

 さて。

 今宵の「ディナー」のメインはイカとカツオのお造り盛り合わせ、磯ワカメと生海苔の酢味噌和え。イカ・カツオはもちろん女川産。ワカメと生海苔は生粋の天然物で、奥松島は宮戸島の、懇意にしている牡蠣養殖業者さんに譲られたもの。

 小鉢二品は、アンコウのともあえと、ホウレン草のオヒタシ。鍋で有名なアンコウだが、本来は夏が旬である。陶板はエゴマ豚の焼肉。加美町で肥育された生粋の宮城県産だ。塩コショウの素朴な味付けが、逆に、肉の旨味、脂の香りを引き立てる。フルーツに広島江田島の夏みかん。貝殻商売でつきあいのある運送業者さんからの、季節の挨拶の流用である。

 漬物、梅干は味噌汁椀のそばに、取皿とともにおいてある。ともに自家製だ。ウメは浦宿駅近く、五十鈴神社下、私の生家の裏庭から採ったもの。小学校・中学校の頃は木のてっぺんまで登って、まんべんなく実をとってきたものだ。ただ、昨今では、下半分の収穫もできてない。体重が三桁にならんとしている私と、ともに七十を超えた両親では、脚立の最上段が富士山より高く見えるのだ。キュウリとミョウガの漬物は、親父の家庭菜園の賜物だが、猫額の地での栽培のため、あっという間になくなる。

 七年前になくなった祖母が矍鑠としていたころは、味噌も手作りしていた。

 茹でた大豆が十分に潰せず、ごろごろと豆の形が残るような味噌だった。それでも麹がきっちり効いていたのか、少しかきまぜるだけで、ぷーんと味噌臭が漂い、空気に触れたところが変色していくような「新鮮」な味噌だった。年寄りの塩加減だけあって、やたらめったら塩辛かった。まるで、昨今の減塩味噌に対するアンチテーゼだ。それでも、時折訪れる観光客に味噌の由来を述べると、ありがたがって食していった……。

 教授が、いぢわるな目で、私の食膳を見る。

「なるほど。で、今、あなたの目の前にある、素敵なオードブルは?」

「……キャベツの千切り定食です」

 ふつう緑のキャベツに紫キャベツの千切りを混ぜた、色鮮やかな料理が、大皿いっぱいに盛ってある。塩分過多になるからと、どんなドレッシングも禁じられている。私は、もくもく、その料理と呼ぶにはいささかシンプルすぎる「料理」をほおばっていく。たぶん、騾馬みたいなマヌケな顔で。

 地図子さんが、今更ながら、言う。

「学生時代より、太ったわよね」

「……ほぼ、体重、倍になりましたから」

 地図子さんのガレージでヌードを披露していた時分は、五十キロ代半ばだった。この二、三日は九十八、九十九キロを推移している。健康診断を受ければ、二十歳のときより二十キロ以上体重増は危険信号だという。ほぼ五十キロ増の私は、さしずめ、赤いカラータイマーが点滅しっぱなしのウルトラマンというところか。

「やーい。でーぶ、でーぶ」

 チカが、くすくす笑いながら、囃したてる。ほんの二時間、一緒にいただけなのに、だいぶ打ち解けたのかな、と思う。

 私は単なるデブではない、と胸を張って反論した。

「つーか。デブってとこは、認めちゃうんスね」

 福島君が、コップ半分のビールで顔を真っ赤にしてツッコミを入れてくる。アルコールには弱いくせに、酒を飲むのは好きなんだそう。ちなみにこのテーブルで呑んでいるのは福島君だけ。もう一方のほうでは、白石さんと小山君がちびちび焼酎をすすっていた。白石さんはザル、かつ大トラに化けるタイプだそうだ。

 私は、言った。

「デブだけど、モテるんですよ」

 地図子さんが容赦なくツッコむ。

「……でも、ポトフ君。あんた、独身でしょ」

「訂正。少なくとも、オトコにはモテるんですよ」

 地図子さんが、さらにツッコむ。

「もっと訂正。少なくとも、デブ専のオトコにはモテる、じゃないの?」

「地図子さん、さらに訂正です。デブ専というより、マッチョ専に、ですよ。それに、ゲイ好きな女オタクさんたちに」

「ふーん」

 さらにさらに訂正すれば、デブ専でもマッチョ専でもなくデブマッチョ専にでもモテると言ったほうがいいだろう。日本語での、適当な言い回しが見つからない。ネットサーフィンしているときに偶然見つけた言葉、ビーフィBEEFY、辞書ではどんな翻訳になっているか知らないけれど、肉肉しい、みたいなニュアンスが、一番的を得ているような気がする。

 現在、健康診断でメタボの基準が、腹囲何センチというものなので、必ず肥満度調査では引っかかってしまう。けれど、これでも、私は逆三角形の体型を維持している。腹囲は確かに105センチだけれど、胸囲140センチ、ついでに言えば二の腕の太さも50センチを超える。ボディビルダーのように整っているというつもりは毛頭ないけれど、格闘選手が言うような「使える筋肉」だ。そして、相撲取りみたいに、外見にかかわらず体脂肪率はそんなに高くない。というか、年間六万キロから十万キロ、大型トラックを乗り回していれば、自然「筋肉達磨」になるものだ。

「わー。すごーい」

 地図子さんが、あからさまな棒読み口調で、感嘆の声を上げてくれた。

 あー、はいはい。

 ウエノ君がサシミを突っつきながら、言う。

「なるほど、それなら一部の男には確実にモテるでしょうね……異性愛者、同性愛者問わず」

 福島君も、多少ろれつの怪しくなったしゃべり方で、まぜっかえす。

「つーか。トラック運転手なら、太っていようがやせていようが、その手の男にモテるんじゃないっスか?」

 私はシャツの袖をめくり、二の腕をアピールしてみせた。

「福島君って、ゲイフォビアじゃなかったんです? それとも、私の筋肉美を見て目覚めたとか? 忌憚なく賞賛してくれていいですよ」

 彼は無言で首を左右に振った。

「ウエノ君?」

「うーん。ちょっと遠慮しておきます、かなあ……ボク、小山さんとは違うから……当たり前ですけど、オトコはちょっと……二次元の男の娘ならイケるんですけど……三次元で、しかもムサいのはキモくて……姫のモウソウの中ででも、活躍してください」

 なんとも、そっけない。

「忌憚なき意見、どうもありがとう」

「はい。素朴な質問」

「チカさん。なんですか?」

「そんなに健康的な太り方なら、なぜ、キャベツの千切り定食?」

「いや、それが……実は、そんなに健康的な太り方じゃ、ないからですよ。降圧剤を飲んでないと、血圧、200を超えてしまう」

 東北の片田舎で、塩辛くない料理を探せ、というほうが難しいと思う。

「でも、太ったのは塩分のせいじゃないでしょ」

 地図子さんに問いただされて、私は第二の提案をするつもりだったのを、思い出した。

「マッチョになったのは、連日、こうなるだけのキツい作業の連続があったからなんですが……トラックだけが理由ではありません。漁港等の港湾にて、水産関係の作業を行う、これもまた、筋肉もりもり増強の大きな理由です。二重の意味で、身体が鍛えられる。それで、ですね。筋肉の話で思い出したんですが、これにまつわる研究のネタ、というかヒントみたいなのが、あるんです」

「ほうほう」

 地図子さんが、身を乗り出す。

「交通違反地図同様、社会学の範疇にちゃんと収まるかは、分かりません」

「ほうほう」

 なぜか地図子さん以外、学生さんみんなが飲み食いに専念し始めたので、私は一息おいてから、続けた。

「……誰もが、少しでも仕事を効率よくするために、投資や、情報収集、そして創意工夫を怠らないモノです。ところが、水産関係では、各々の集落、一般的に『浜』という呼称が使われますが、この『浜』ごとの独立性が高く、ある『浜』で、よりいっそう効率のよい作業が開発されても、他の『浜』にストレートに伝播するのではない、という独特のカルチャー、というか社会性が見られます。で、危機的なくらい漁業従事者が減っている昨今なのに、かたくなに慣習を守ったり、すぐ隣の浜でやっている作業内容が伝わらないのは、なぜか? 仕事がラクで稼げれば、自ずと志願者はやってくるじゃないか……ということで、文化と経済の狭間で揺れ動く『水産系作業の社会学』について、開陳します。ええっと、この場合の社会学という言い方は、学問的に忠実な語法というよりも、ジャーナリスティックな慣用ですが、ともあれ、この『社会学』をなぞることによって、私が筋肉ムキムキな理由の説明……もとい、ウエノ君の研究テーマの一助にしたいのです」

 福島君が、チェイサーにウーロン茶をすすりながら、言う。

「ていうか、しらふで、そんなコ難しいことをぺらぺら並べたてるっつーのが、すごいッス」

「そう……ですか?」

「なくなった教授のダンナさんも、キムラさんみたいな人だったんショ? 妙に屁理屈が上手で、ホモくさくて」

「うっ……もしかして、けなされたのかな?」

「いやいや、単に、ホントーのこと、言ってみただけッスよ」

 深く追求するのはよしておいた。

 なんせ、相手は顔を真っ赤にした酔っ払いだし。

 ごほん。

「では、具体的にいってみましょう」

 北は宮古市高浜・津軽石、南は塩釜の朴島・寒風沢まで、カキとホタテにまつわる浜には、だいたい顔を出してきた経験からの、推察です。

「まず、大雑把に言って、大船渡と釜石を境にして、作業文化の違いがあります」

 分類名としては特異な部類に入るのだろうが、作業カゴに対する呼び方を基準に、ここではひとつ、大船渡以南を「バンジュウ文化圏」、釜石以北を「ヨコタ文化圏」と呼称することにしたい。ここで、今、「バンジュウ」「ヨコタ」と言っているのは、商品名「万丈篭」バンジョウカゴという、プラスチック製の頑丈な作業篭のことです。魚市場はもちろん、魚介を扱う港湾・水産加工工場そして大都市の小売店まで、広く一般に用いられているもので、商品名の違う類似品も、多々出回っています。オレンジ、水色、黄色と配色はいろいろ、一応ホタテ用・カキ用などとメーカーは用途別に販売しているようではあるものの、作業現場で区別して使っているひとは、いません。

 まず、一つ目。

 この「バンジュウ」「ヨコタ」という呼称の違いは、おそらく獲得する魚種の違いから、派生するものではない。

 確かに、釜石以北では新巻鮭を扱い、大船渡以南にはない……など、「バンジュウ文化圏」と「ヨコタ文化圏」では、いくつか扱っている魚種に相違があります。けど、これ、水温の関係かなんかで、どうしても「できない」から「やらない」というもんでは、ありません。外洋はともに親潮、つまり寒流が支配的な冷水域であって、潮目等、これを区分する自然条件はない。海岸線だって、ともにリアス式、もちろん凹凸に大小はあるでしょうけれど、基本、魚種に影響はしない。つまり「浜」ごとの得手・不得手は、主として人為的な何かから、生じると思われるのです。

「もうひとつ、魚種の違いが作業文化の分かれ目になっていない、という具体例をあげます。ほかならぬ、この石巻の水産事情です」

 バンジュウ文化圏・ヨコタ文化圏の場合は、(やろうと思えば)同じ魚種を扱えるのに作業文化が違うのでは? という問題提起でした。石巻界隈では、逆に、扱っている魚種がかなり違っているのに、ほとんど共通の作業文化を保持しているという、逆の例です。

 ホタテは、自然分布では東京近くまで生息していますが、漁家が養殖しているのは、牡鹿半島以北だけ。北海道が本場であることから分かるように、圧倒的に冷水域の貝なので、夏に黒潮で大量死滅というリスクがあるせいか、女川町以南で営んでいる経営体はありません。他方、シャコ海老は、この牡鹿半島以南。ホヤは、基本的に、この牡鹿半島以北。牡蠣の幼生採取、地元では種牡蠣と俗称しますけど、これは牡鹿半島以南。もっとも、地球温暖化の影響を受けて、この二、三年は志津川あたりでも採苗するようになりましたが。基本、この牡鹿半島を境に、けっこう魚種が変わるわけです。けれど、たとえば、女川・尾浦や竹浦と東松島・東名や宮戸の作業文化が違うかというと、そんなことはありません。

 黙って聞いていた教授が、ポツリと質問する。

「じゃあ。仮に三陸の浜が全部、同じ作業文化で統一されたら、塩釜から八戸まで、みんな同じ舟や道具を使ったりするの?」

「いえ。言葉足らずでした。今、話題にしているのは、貝類や藻類という養殖漁業の話です。遠洋漁業や近海漁業といった、各種の魚網等で獲得してくるのは、ガラリと様相が違います。使用する港湾もかなり違う。マグロ船やカツオ船などは、たいてい、特定第三種・第三種等の大漁港に水揚げします。魚市場が附設しており、セリ等で売買もしますが、選別を除く加工はしません。他方、養殖の系統は第一種・第二種等の規模の小さい漁港で扱うことが多い。こちらは、養殖業者さんの番屋や加工場が立ち並んだりしています」

「はい。素朴な質問」

「チカさん、どーぞ」

「何が養殖できるか、できないかっていう区別は、主に温度の違いなんですよね」

「はい、その通りです。主に、水温です」

「でも、だったら、明確に海水の温度って、分かれてるものなのかなって。今、釜石が水温十度、大船渡が水温二十度だったとします。釜石と大船渡の境で、水温十五度とか、きっかり別れているわけじゃ、ないでしょ」

「それは、そうです」

「だったら、中間地域では、どうしてるのかなって。両方、北と南のサカナ、手がけてる? それとも、両方中途半端だから、やらない、とか?」

「そういう質問なら……中間地域は存在しない、というのが答えです」

 再三ここで言っている通り、自然状態より、人間側の事情に左右される。

「……海は広いと言っても、水産養殖に最適な海域というのは限られているわけで、複数の魚介類養殖が可能だといっても、効率の面から何かに絞る必要があるわけです。取捨選択には、海域のほかに、陸側での事情も加わります。資材の購入費や、浜での作業場所の広狭によっても、左右されるということです」

「バンジュウ文化圏」「ヨコタ文化圏」という作業文化を形成する要因のひとつが、このような選択の恣意性、と言って悪ければ、歴史や好みが加わった必然性に左右されているのは、確かである。

 また、いわゆる「海運局」の守備範囲が、ちょうどこの釜石・大船渡を境界にしている、という行政側の事情も、影響しているかもしれない。ちなみに、釜石以北は岩手運輸支局宮古庁舎、大船渡以南は気仙沼海事事務所。陸前高田(広田湾)は比較的規模の大きい養殖漁家が多く、遠洋・近海漁業船用の港湾はない。大船渡は魚市場附設、三陸有数の大漁港がある。ちなみに、岩手県全域のホタテの入札も、ここ大船渡魚市場でやる。入札権を持ち水産会社は、十日ごと、ファックスで価格と欲しいトン数を書いた紙を送る算段だ。

 作業文化は、前にも述べたように「バンジュウ文化圏」であり、仕事で出入りする感覚からすると、岩手県側というより、宮城の延長のような感覚である。もちろん、境界地域だけあって、釜石以北の方法論が溶け込んでいるような面もある。

「では、具体的に、内容を見ていきましょう」

 まず、船舶について。

「一般的に、外洋に出て漁をしてくる浜の舟は、大型かつ設備が充実していて、ない湾で養殖しかやってないようなところは小型、という特徴があります」

「バンジュウ文化圏」と「ヨコタ文化圏」を比較した場合、外洋への依存度が似たような割合なら、船舶の大小は大差ないように思える。どちらかと言えば、大船渡も含めて、岩手県側のほうが若干立派という感じ。

 では、逆にもっとも差異が目立つのは、何か?

 陸側の荷役機械、主にフォークリフトの有無や種類の豊富さこそ、二つの水産作業文化の大きな違いになっているような感じがするのである。

「ちなみに、こんなことを言っていても、私はトヨタやコマツやミツビシの回し者ではありません」

 しーん。

 あ。受けなかった。

「……フォークリフトに準じるものとして、クレーン類の設備も、重要要素になります」

 教授が箸をおき、お茶をすすりながら、言う。

「もっと、具体的にお願い」

 食事の感想も聞きたいところだが、自分で話の腰を折るのもなんなので、このまま続けることにする。

「……ヨコタ文化圏、つまり釜石以北の小港のほうは、そもそもフォークリフト等が必要ないような水揚場のつくりになっていることが、多いのです」

 津波後は、潤沢な補助金のお陰か、どこも似たりよったりの造作になったけれど、以前はかなり特徴ある浜風景だった。

 船が着く岸壁と、作業小屋の距離が著しく近い浜が、いくつかあった。水揚げして、一メートルもいかないうちに、作業小屋。フォークリフトや軽トラが、作業小屋と岸壁の間に入る余地が、ないのである。

 当然、水揚げした「ヨコタ」は、そのまま地面を引きずって、作業小屋にもっていく形になる。たいてい、漁業者個人のみならず、浜全体でフォークリフトを所持しているひとは、いない。他の荷役装置も、ない。舟も船外機付和船があるのみ、の場所が多かった。津波前の宮古市津軽石、岩手山田船越の浦の浜等が、この代表的なパターンである。

「装置にカネをかけない零細パターンだろ、と言ってしまえば、そうかもしれません。あるいは、外洋において漁をしていないので、大げさな装置がいらなかった、とか」

 しかし、宮城県側だって、外洋を持たず養殖・栽培漁業だけという場所はある。万石浦の沢田などが好例だが、かといって、かつての津軽石のようなつくりは、していない。石巻松島界隈の他の浜と同様の造りをしているのである。

 では、わざわざ便利な機械類を利用しようとしないのは、なぜか?

 最初に思いついたのは、真冬の積雪の存在である。私がこの仕事を始めた十数年前には、岩手といわず宮城県でも、作業の支障をきたすレベルの雪があった。内陸と違って、メートル単位とまではいかないけれど、積もるときは積もる。そして、降雪量というより融解量のせいだと思うけれど、釜石以北は、それ以南と比較してダントツに雪が残るのだ。大型トラックのタイヤ半分以上埋まる積雪の現場で、フォークリフトが自在に動けるまで雪掻きするのは、大変な労働量だ。

 次に思いついたのは、荷役作業道具を扱うに必要な、技量や免許を保持していないから、という推量である。フォークリフトを扱うにはフォークリフト免許、マストの高さが三メートル以上に昇降する場合には、それに加えて大型特殊免許。ユニック等クレーン類を扱うなら、玉掛に加え、小型移動式クレーンや固定クレーンなどなど、そのクレーンごとの免許。

「調べたところ、この推量は、一部当たっていて、一部違うという結果になりました。宮城県・岩手県内のスイコー(水産高校)、水産関係コースを設けている高校は五校ありますが、ホームページでフォークリフト免許取得可能と分かるのは、石巻の宮城水産高校のみ。船上作業のための資格取得にはどこも熱心ですが、他はそれほどでもない。概して、三陸のスイコーは港湾物流に関心がなさそうです」

 もっと言えば、過去「水産」と名乗っていたであろう学科コースのほとんどは「海洋」と名を変えていて、漁業への就職は数ある選択肢のひとつ、それもあまり有力でない選択肢のひとつとなってしまっているらしい。

 ともあれ、石巻界隈の作業者以外は就職後資格取得に励むわけで、大船渡を境に熱心さの度合いが違うのは、出身学校が原因ではなさそうである。

「最初から結論ありき、の話っぽくなってしまいますが、話の冒頭から言っているように、やはり、作業文化の違いというのが、最大の原因ではないかと。というか、昔からやっていることをあまり変えたくない、という保守性なのかな、と思います」 

 例をひとつあげます。

 宮古漁協津軽石支部の知人、山根幸伸さんの話。

 元漁協支部長、今は県の理事をやっている山根さんは、春秋の牡蠣シーズンには水産経済新聞等にインタビューが載ったりする、有名養殖業者さんである。春先の身が大きくなった宮古特産の牡蠣「花見牡蠣」は、そもそも山根さんが仕掛け人だ。県庁に頼み込んでポスターを作ってもらい、地元マスコミ相手に地道な宣伝を行ってきた結果、今は仙台などからも直接買い物客が来るほど繁盛しているという。最初のころこそ、ものめずらしさと「おつきあい」で他の養殖業者さんも春爛漫の牡蠣商売につきあってくれた。しかし、時間が経つにつれ、一人抜け二人抜けしていき、今は実質山根さんひとり、なのだそうだ。

「今までと違うことをやるのが、イヤなんでしょうね」

 一昨年だかの春、この山根さんの以来で、東松島・東名漁港から宮古まで、ロープを縒る機械を運んだことがある。牡蠣種のついたホタテ原盤をロープに挟む作業が、格段にラクになる機械だ。宮城県側の漁港なら当たり前に見かける機械で、新しモノ好きな山根さんが、試しに、一台購入した。便利さが分かれば、他の養殖業者さんも山根さんルートで買いそうなものだけれど、この一台以来、搬送の依頼はない。おそらく、花見牡蠣と同じ運命をたどったのだろう。

「もちろん、完全に新しい道具、新しい作業を排除するというのではありません。事実、津波後補助金のお陰で、浜ごとにフォークリフトが置かれるようになり、みんな、それなりに使用しているように思われます」

 ただ、素人の機種選定だけあって、応用の利かない買い物をした感はあるが。

 高さ三メートルまで上がり、マストの上下とティルト用二本レバーつき、積載可能二トン半ほど、というのが三陸の小漁港で使われる標準的なフォークリフトである。大船渡以南、下船渡漁港などが典型的であるが、養殖業者さんがいっぱいいるのに、みながみな、似たようなリフトを買っているのだ。石巻界隈なら、荷役用にさらにヒンジ用のがついた三本レバーのリフトを準備、そして浜の誰か彼かが、わざと、少しスペックの違った機種を買ったりするものなのだ。例えば高さが四メートルまで上がったり、積載可能重量が三トン半だったり。用途にあわせ、いざというときには融通しあう、というわけだ。リフト使用で、三陸で一番先進的なのは、今のところ牡鹿半島の荻ノ浜だろう。高さ五メートルまで、重さ三トン半と、スペック的に最高のをズラリとそろえ、さらにリフトに合わせて牡蠣処理場そのものを特殊設計してしまった。

「ええっと……話を戻します」

 とにかく、新しい道具・作業を受け入れる・受け入れないの取捨選択に、経済的・作業効率的な理由以外の理由があるらしいのだ、ということを論証したらたどうだ? と言いたいのである。

 で。

「地図子さんの、最初の説明をここで思い出しましょう。アカポスゲットのために、ウエノさんの論文に必要な三要素。ジャーナリスティックな注目、アカデミックに顕著な業績、学外からカネを引っ張ってこれること。まず、第一に、身も蓋もないところから、話しましょう。作業の効率性を追求していけば、私の言う『ヨコタ作業文化圏』で港湾荷役の装置を大いに導入するように、という流れになるはずです。すなわち、フォークリフトの会社や協会から、これこれの研究をしますよっと、補助金をふんだくれます」

 港湾作業共通化を阻む原因を突き止め、水産養殖界隈の労力軽減化に成功した暁には、オカミから、もっと言えば農林水産省やその外郭団体からだって、カネをふんだくれるかもしれない。

「どうです」

 当のウエノ君は、つまようじでチクチク歯の掃除をしながら、隣のテーブルを眺めていた。「姫」こと白石さんが、他の宿泊グループにからまれているところだった……いや、正確には彼女からからんでいるところだった。

 先に説明した通り、我が旅館は商人宿、このときも復興関係やら原発関係やらの男性しか、泊まっていない。我がスタッフも、70過ぎのオフクロ、そしてまだ年金こそもらってないけれど、それなり年配の伊藤さんと、女性スタッフは高齢である。ちやほやされたくてたまらない若い女性が、酔っ払って話しかけてきたら、退屈を持余している男性客たちが乗ってしまうのも、ムリはない。姫が「大学院生で、復興関係の研究に来た」と自己紹介をすると、おおっとテレビの音声をかき消すような歓声があがった。才色兼備とほめそやされ、たたでさえ上気していた顔が、真っ赤になっている。

 姫は、頼まれもしないのに、スーパードライの瓶を胸にかかえ、酌をしてまわっていた。アルコールというのは、フォトショップと双璧をなす、現在最強の化粧システムらしい。シラフならモブキャラ以下の存在感の白石さんが、すっかりヒロイン扱いである。AKB48の誰それさんとそっくりとおだて上げられ、胡椒のビンをマイク代わりにして、一曲がなりたてそうになっていた……。ガスコンロ付のテーブルに乗ろうとする。ステージ代わりに、するつもりらしい。さすがに危ないと、囃したてていた重機屋さんのグループが止める。私ももちろん、止めにはいる。しかし、姫は聞く耳持っちゃいない。「パンツも見えてるよ」小山アマネ君がさりげなく指摘する。姫は負けずに言い返す。「これ、見せパンだから。水色と白のストライプを見れば、コスプレ用だって分かるでしょ」。どこの世界に、普段の夕食の席にまでコスプレ衣裳で来るひとがいる? もう二十代半ばだろうに、恥ずかしくないのかよ……。

 女性陣の忠告のほうが、効くかもしれない。しかし大宮妹は、兄とお二人だけの世界に入っていた。兄に肩を抱かれ、目がトロンとしている。誰も見ていなければ、キスでもペッティングでもしそうな濃厚な雰囲気だ。

 私の隣では、福島君が、チカを口説いていた。

 どうやら、今夜の部屋割りの続きらしい。

 酒臭い顔を寄せないで……とチカは嫌悪感を隠さない。「すぐに酒を抜くから。そうしたら、ヤラせて……いや、同室で寝させてくれるんだよね」福島君は、椅子を蹴飛ばしながら立ち上がると、ラジオ体操めいた踊りを始める。勢いよすぎて、左手を刺身皿にあて、残った大葉ごと調理場に吹っ飛ばしてしまう。伊藤さんに仁王立ちで叱られると、福島君は赤髪マッシュルームを振り乱し、ぺこぺこ一心不乱に謝っていた……。

 地図子さんが手を伸ばし、食後のコーヒーを所望する。

 和食後でも、食後のいっぱいはお茶でなくこちら、と決めているそうだ。

 うん。

 カオスだ。

 けれど、三船地図子研究室にとって、こういうのは日常茶飯事なのか?

「……つまり、ポトフ君、これをウエノ君の博士論文に使え、と」

 なにをいまさら。

「渋くて、いいテーマだと思うんですが。おそらく、誰もやってないです。そして、ネタをかぎつけた他の研究者が来ようと、誰も真似できません。一ヶ月や二ヶ月の取材のみでは、絶対かけません。かといって、フィールドワークは時間がかかりすぎる。港湾荷役の経験が必須なのはもちろん、論文に深みを増したかったら、船上作業にも通暁しなくちゃなりませんから。荷役機械とか小型船舶関係の資格をとり、熟練とまではいかなくとも仕事になれるまで、二、三年はかかりますから。でも、ウエノ君が執筆するなら、ここに有力な協力者がいる、ということで」

 私はゴリラみたいに胸をはり、ゴリラみたいにドンと胸を叩いてみせた。

「ただ……これが社会学とか、そういうのの範疇に入るのかどうかまでは、知りません。でも、労働経済とは違うし、文化人類学ともまた、少し違う感じがします」

 教授がウエノ君の耳を引っ張って、即興リサイタル中の姫から、こちらに視線を向けさせた。

「ともあれ。ウエノ君の博士論文に必要なテーマ、カネをふんだくれる、学会の外のマスコミでも目立てる、そしてもちろん学術的にもレベルが高い、の三つのうち、これで二つ、満たせると思うんです」

 ジャーナリスティックなアピールには、少し時間がかかるかもしれない。水産関係新聞五紙への売込、農林水産関係シンポジウムや関係学会での発表、そして漁協へのアピール。

 地味ではあるけれど、現実の水産行政にも影響を及ぼしそうな内容ではある。心ある業界人なら取り上げてくれるだろう。そう、玄人好みというヤツだ。

「硬派な攻めが不発なら、ナンパ路線も考えてますよ。そう、たとえば、貝の形をした帽子をかぶるとか」

「なにそれ」

 サカナくんさんの向こうを張るんですよ。「ホタテくんさん」とか「カキくんさん」とか親しみのあるニックネームなんか、どうでしょう。

 福島君がうなる。

「二番煎じですか」

「まあ。どんな手段であれ、目的を達したほうが勝ちです」

 隣のテーブルから耳をそばだてていたらしい、アマネ君がニコニコご機嫌で賛成してくれた。

 ウエノ君の心は、まだ姫のほうを向いているようだ。

 チカが伊藤さん相手にB棟以外の部屋を頼んでいる。どうやら、差額分は母親のポケットマネーをあてにするらしい。

「きょうじゅっ」

「ポトフ君、その呼び方、やめてよ」

「では。地図子さん」

「ありがと。でも、その、せっかくの提案だけど……やっぱり、却下かな」

「そうですか」

 得意げに長広舌を振るったあとだったので、私は少ししょげた。

「あなたも言ってたけど、それ、社会学の範疇じゃないから」

「そうですか」

「うん。大事なことだから、もう一回言っとくわよ。それ、社会学の範疇じゃないから」

 地図子さんは、一人語りを始めた。

「本格的にやり始めたら、岩手宮城両県では、納まんないでしょ」

 牡蠣の名産地なら広島岡山三重そして北海道九州各地……と数限りなく、ある。いったん始めたら収拾がつかなくなるかも、と教授は言う。

「まあ。それにね」

 漁撈の研究なんて、日本で民俗学やら社会学やらが始まったころからあるのよ。

 まあ、現役の水産リサイクル業者さんが考えていることなんだから、考現学的な価値はあるかもしれないけれど、少なくとも、私、そういう泥臭い研究、遠慮しておきたいかも。

 私は、口のなかでつぶやいていた。

 贅沢モノめ。

 二杯目のコーヒーを注文する地図子さんに、言う。

「もしかして、酔ってませんか」

「お酒? 呑んでないわよ」

「でも、こうあっさり却下されると」

 一介の水産養殖資材業者に過ぎないのだから、私のネタ用手帳に、そうそういくつもアイデアが書き込まれているわけではない、と婉曲に言ってみる。

「あら。いいわよ。そのネタ用手帳が満杯でなくとも。財布がパンパンになってくれれば、ガマンできるかな。ほら、養育費、養育費」

「……」

 私は、さぞ憮然とした顔をしていたことだろう。

 地図子さんは、隙を見て姫のご乱行を熱心に観察しているウエノ君の耳を、改めてひっぱった。

 いくら私の提案で、私の経験を生かすと言っても、執筆者本人がまったく現場を見ないというわけにはいかない。短期間でもフィールドワークをするとすれば、ウエノ君が、地図子さんの知らない領域、人間関係を抱え込むかもしれない。彼氏が、自分の思い通りにならない「何か」を持つのが、地図子さんはたいそう嫌い、らしいのだ。

 トイレに立つ私に、チカがこっそり耳打ちしてくれた。

「どこまでも、オトコは自分の思い通りにならなきゃ、気のすまない性分なんですよ」

「……姉御肌って、やつなんですかねえ」

「いえいえ。こういうのを、ダメンズ・ウオーカーって言うんです」


 我が食堂は、梅雨時から弱冷房を効かせる習慣だ。

 トイレの立つと、初夏のさわやかな季候にもかかわらず、ズボンの裏だのが、少しベタついた感じになる。なぜか女子用トイレの前で、大宮君が歌を歌っていた。

 放送はだいぶ前に終了したけれど、今でも大人気のアニメ「俺妹」のOP主題歌だ。

 続けて「ヨスガノソラ」「魔法科高校の劣等生」とメドレーで続く。中にいる妹のために「オトヒメ」代わりに歌っているというのは、あとで分かった。

 客がどんな奇行をしようと、他人および我が旅館に迷惑にならない限り、放っておく、というのが私のモットーだ。だから、一言だけ、言った。

「すいません。妹萌えのアニメのネタが尽きる前には、オトヒメ、買ってきてつけますから」

 ご心配なく、と大宮君は小さな声で言った。

 妹がたとえトイレの中で一ヶ月過ごそうとも、その間歌い続けるだけのレパートリーはあるとのこと。

「すごい。ヘビー級のアニメオタクですね」

 私があきれると、大宮君はドアに向き合ったまま、独り言のように言った。

 それを言うなら、ヘビー級の妹オタクだ、と。


 ゼミの面々は、食事後自由時間になった。

 チカは伊藤さんの頼んで、C棟に部屋をとってもらうことにした。

 どうしても納得がいかない、どうしてオレだけ……と福島君は熱心にチカを口説いた。それはもう、しつこく口説いた。ウエノ君が止め、大宮君が止め、果ては地図子さんに一喝されたのに、なおも口説き続けた。そんなことをしても嫌われるだけだよ……と私がさりげなく忠告しても、やはり口説き続けた。経験上、八二くらいの割合で、根負けする女性がいるから、と言って口説き続けた。けれどチカはどうやら難攻不落の砦で、ガンとして福島君を拒んだ。それでも彼は、壊れたスピーカーのように口説き続けた。チカと同室になるのを前提に、ユンケルを二本も飲んでいたらしい。ウチの旅館はふつうに寝るだけの場所ですよ、とたしなめても、蛙のツラに水らしく福島君は平気の平左だった。だからチカちゃんと一緒に寝るつもりなんスよ……とニヤリと妖しく笑う。チカは「絶対イヤ」とC棟の布団敷きが終わってないにもかかわらず、荷物をまとめて移っていった。

 唯一男女同室になりそこねた福島君は、ふて腐れてパチンコをしに、夜の街に繰り出した。

 はじめは、もっと不埒なことを考えていたのだ。ユンケルでビンビンになったものを鎮めたいから、「デリヘル呼んでいいっスか? ダメだったら、ここから一番近いソープの場所、教えてほしいッス」と、しつこく懇願した。デリヘルは禁止、宮城県内のその手の公衆浴場は仙台にしかない、と教える。「ちくしょう。じゃあ、アイツのフロかトイレ、覗いてやる」。チカの反論も明快だった。「そんなことを言うなら、金輪際おしっこはしません」。私も福島君も吹き出したが、チカは大真面目だった。彼はようやく諦めて、憂さ晴らしの次善策を選んだのだ。既にアルコールが入っていたので、運転手兼話し相手に、ウエノ君を引っ張っていく。

 ゼミメンバーでは、さらに白石さんが外出した。食事時に意気投合した重機屋さんの若いグループと夜の街に繰り出すらしい。酒を飲むにせよ、歌うにせよ、復興途上の女川には、そんな場所がない。居酒屋「ようこ」に顔を出し、「オウル」でビールを飲んでくる、と彼らは言っていた。明日も仕事ではやいんだからな……と重機屋の親方がクギを刺していた。

 アラフォーの声を聞いてから、とにかく疲れやすくなったから、と地図子さんも早々自室に引き上げた。私も殻の仕入れで気仙沼に行く予定がある。千切りにしたキャベツ以上に「消化不良」な接待一日目の感じがした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る