本編 その6

「まだ部屋割り、決まってないんです」

 私たちが旅館に戻ると、他のゼミ生たちが、B棟玄関にたむろしていた。

「さきほどは、ばたばたして聞きそびれたから」と地図子さんが簡単な自己紹介を命する。右回りでじゅんぐり名前を教えてもらったが、もちろん、一度では覚えきれない。

「ポトフ君。ウチのゼミ生はもちろん、あなたにとってはお客様ではあるけれど、同時に私の弟子筋としては君の後輩に当たるわけだから。遠慮なく、クン付けで呼んであげてよ」

 そして、院生諸氏に、「ポトフ君のことは、なるべく名前で、『さん』か『先輩』つけで呼んでやってくれ」と指導していた。

「はあ。でも、まあ、大事なお客さんには違いないですから」

 無難に敬語をつかうつもりでは、いた。

 さて。

 荷物は玄関正面の部屋、B6に、みんなの分が置いてある。二階にB1、B2、B3の三室とトイレ、B6横に洗面所兼用の風呂場、という構造だ。北窓しかないが八畳間であるB6を除けば、みんな同じような南窓の六畳なのだが……。

「どの部屋、じゃなく、誰と組むか、が問題みたいね」

 地図子さんが、学生みんなから事情聴取して、結論づけた。

 地図子さん、チカ、ウエノ君をあわせて、メンバーは男子四人、女子四人。あてがっている部屋は四室だから、男女別に分かれて、二人ずつ入れば済むことなのだが……。

「オレ、このメンバーと相部屋とか、イヤっスよ」

 ごねているのは、福島君という、チャラそうな男子学生である。両耳に二つずつピアスをあけ、マッシュルーム髪を赤く染めている。バンドマンで、ドラムの担当、というのは後で聞いた。男なのに、下半分赤いフレームがついた眼鏡をかけている。下はジーンズ、上は豊天商店のレトロ和柄シャツと格好は地味だけど、協調性のないタイプなのだろうか?

「そもそも相部屋が嫌いなら、A棟に別に部屋をとりますが?」

 幸い、空きはある。もちろん、事前通告された予算に、少々色をつけてもらうことになるが。

「あ。カネ、ないっス」

 福島君は、あっさり私の提案を断って、ぶつくさ事情を説明してくれた。

「ウエノさん、教授の彼氏って名前は知ってたけど、そもそも顔を合わせたのは今回の旅行が初めてなんスよ。まずもって、このゼミのメンバーでもなんでもないし。初対面でいきなり相部屋とか、ヤじゃないっスか?」

「まあ。ふつうは、そうかもしれませんね」

「こっちの、大宮って野郎は、全然しゃべらないんス。バカ話しようが、エロ話しようが、怒鳴ろうが、顔色ひとつ変えないし。一緒にいて、逆に疲れるっていうか。招き猫の置物のほうが、なんぼかマシっていうレベルの空気男で」

 目の前で悪態をつかれて、彼のほうは、顔色ひとつ変えなかった。

 福島君は、重ねて言った。

「おまけにシスコンなんスよ、こいつ。講義の最中だろうがなんだろうが、いっつも妹とベッタリで。ゼミも一緒、サークルも一緒、下宿先も一緒って、気持ち悪くないッスか?」

 本人の前でちとズケズケ言い過ぎだろうと思ったけれど、やはり大宮君は眉ひとつ動かさなかった。彼とよく似た猫顔の女の子が、上がりかまちで、体育すわりをしていた。ユニクロの、特徴ある色使いのパーカーは、兄とおそろいらしい。黒いショートパンツにパンストなしの生足、なぜか赤みが差した裸足の姿は、大学院生という身分からすると、かなり幼く見える。兄の悪口を言われるのがやはり気に入らないのか、反論こそしなかったけれど、少し険しい目で、赤髪男を睨んでいた。

「まあまあ、そこまで」

 もう一人、男子学生がいたはずだ。

「それこそ、願い下げのヤツですよ。夜中、襲われるかもしんない相手っスから」

 すると、階段の上のほうから、ボーイソプラノが聞こえた。

「やだなあ。ボク、襲うより、襲われるほうだってば」

 声変わりしていないような少年声の持ち主は、容姿もテストステロンがまったく効いていないような女顔だった。階段を降りきると、私より頭ひとつ小さかった。小山アマネと名乗った年齢性別不詳の人物は、やはり地図子さんの大学院生で、しかもゼミ最年長の男子だった。ライトピンクのマオカラーシャツ、キャメルのチノパンという、どこにでもいるありふれたファッションながら、やたらと色気を感じさせる。重要なモノコトはいつでも細部に宿る、という。先端だけが明るく染めてあるセミロングの茶髪や、やや太めの皮のチョーカーが、もしかして彼のセックスアピールの源泉かもしれなかった。

 ちなみに、寝るときも風呂に入るときも外さないというそのチョーカーには、犬の首輪のようにストラップをつけるフックがついているとのこと。

 思い切って、言ってみる。

「……なんだか、エロいですね」

 彼は素直に肯定した。

「そう。エロいんです」

「もしかして、お尻を鞭でぶたれて興奮してしまうクチ、ですか?」

「痛いのは、嫌いです」

 ニヤニヤしながら、私との問答を楽しんでいる風情、である。

 初対面でぶしつけと思ったけれど、思いきって尋ねてみる。

「ゲイ、の方なんですか?」

 小山君は否定も肯定もせず、自分は男にも女にもたいそうモテるのだ、と言った。

 男子の相手をするときには女子になり、女子の相手をするときには男子になる、ということなので、正確には両性愛者なのかもしれない。少なくとも、男相手にオトコの役割を果たしたりはしない、という説明だった。地図子さんのゼミメンバーの中では、唯一の研究分野後継者、すなわち春画浮世絵を専攻しているという。

「もしかして、三人取組?」

 今度は、小山君のほうが驚いていた。「よく、その言葉、知ってますね」

 二十歳の私は、こんなにフェロモン溢れる「美少女」ぷりではなかった。けれど傲岸不遜を承知で言えば、なんだか自分の過去の片鱗を見ているような気がした。私の懐古に気づいたのか、地図子さんが口元だけに笑みを浮かべ、ほんのちょっとうなずいてみせた……。

「七三くらいの割合で、男子のほうが好きです。ぶっちゃけ、女の人のお尻には興奮しますが、女性器や乳房では勃起できないと思います。けれど、少なくとも、オトコの人を襲ったりはしません。ウケなんです……あ。ごめんなさい。露骨過ぎましたね。女の人もそろってるのに。セクハラです。デリカシーなさすぎです。重ねて、謝罪します」

 ペコリと頭を下げる。

 一瞬、妙な沈黙がきたあと、全員が福島君に目を向けた。彼は決まり悪そうに首筋を揉んでいたが、やがて、ポツリと言った。

「でも、なんだか、生理的にヤ、なんスよ」

 福島君のわがままにつきあうより、小山君の処遇のほうが大変かもしれない。ここはいっちょう、旅館屋稼業のベテランとしての腕前を見せるときかもしれない。私は、バンドマンの同室者探しはいったん棚上げにして、小山君の相部屋相手を選ぶことにした。

 ウエノ君か、それとも大宮君か。

「大宮君、どうですか?」

 彼は、首を横に振った。

「じゃあ、ウエノ君」

「うーん」

 どちらかと言えば、大宮君と相部屋になりたい、という意味のことをウエノ君は言った。なるほど、消去法で言えば、一番無難な選択肢かもしれない。

「大宮君はどう? ウエノ君と同じ部屋でいいですか?」

 しかし、彼は首を横に振った。

「じゃあ、福島君と一緒が、いいんですか?」

 彼は、やはり首を横に振った。

 でも、そうすると、相部屋候補の男子がいなくなってしまう。

「妹」

「は?」

「妹」

 私が止めるまでもなく、大宮君は左手にボストンバック、右手に妹をつかまえると、スタスタ階段を上っていってしまった。バタンと大きな音を立ててドアを閉めると、それっきり物音ひとつしない。

 私は、地図子さんと顔を見合わせた。

「もともと、ああいうタイプなの」

「……協調性のないひと、なんですか?」

「違うの。無類の、シスターコンプレックス」

「……同性同士、二人ずつで四室っていう前提が、崩れちゃいますけど」

「あら。じゃあ、私がウエノ君と一室とることにする。それなら、いいでしょ」

 黙って聞いていた福島君が、再びゴネる。

「だーかーらー。オレはこのオカマと一緒の部屋、イヤだって言ってるッショ」

 小山君も、涼しい顔で切り返す。

「ボクだって、君みたいな差別主義者とは、イヤだよ」

 今まで黙って私たちのやりとりを聞いていた最後のメンバーが、小山君と同室でもいい、と言ってくれた。

「実はぁ、アタシぃ、アマネ先輩みたいなタイプ、大好物なんですよぉ」

 好き、じゃなく大好物かよ。

 すかさず、チカが声をはりあげる。

「ちょっと、ナオちゃん。それじゃあ、私が福島君と一緒の部屋になっちゃうじゃない」

 まあ、自動的にそうなるわな。

 チカの視線が、私と母親を交互に泳ぐ。

「私は、絶対、イヤ」

 鼻の下をだらしなく伸ばした福島君が、「うーん。オレはチカちゃんと一緒でも全然平気なんたけどなあ。つーか。ウエルカム。ウエルカムっ」と頭のてっぺんから搾り出したような甲高い声で、言う。下心みえみえ、まったく、羊の皮をかぶり忘れた狼とは、彼のことだ。

 ナオちゃんと呼ばれた女性は、しか、チカの心配なんぞ歯牙にもかけなかった。

「ちょっとぉ。チカちゃん。アタシのことは、姫って呼んでって、頼んであるでしょぉ」

 白石ナオミは、一行の中で一番背が高く、一番ボディーガード向きの体躯の持ち主だった。自ら「腐女子かつ女オタク」と名乗っていたけど、私には「腐女子」と「女オタク」がどう違うか、分からない。自称「姫」は本当に姫だった……大学院生限定のアニメ同好会の紅一点で、ちまたでいう「オタサーの姫」というヤツだ。ツインテールの黒髪に、化粧気のない顔、そこはかとなくフリルのついたアクシーズのワンピースに、オーバーニーソックス。テンプレでしっかり外見を固めた姫は、中身だって、骨の髄まで「姫」だった。就職や研究のために大学院進学を決めたわけではなく、「姫」になるために進学したという。彼女は、学部時代「姫」になりそこねた。アダルトゲーム同好会という、マトモな女性なら敬遠すること間違いナシのサークルをわざわざ選んで入会したのに、そこには他の女性が、しかも白石さんより美形の女性が二人もいた。姫は、下僕扱いどころか、徹底的に空気扱いされ、灰色の学部生活を送った。リベンジの意味で、大学院に残ることにしたらしい。もちろん、この先どうするかなんて考えないで。ちなみに研究テーマは「姫」、歴代皇族女性のファッション史を調査研究しているとのこと。今さえ楽しければいいの……と言い切ってしまう「姫」の潔さは、逆に敬服に値するかもしれない、と思った。

 小山君と同室になったところで、体格差を考えれば、彼女が襲われることはあるまい。というか、逆に彼のほうが貞操の危機かもしれない。

 大丈夫、勃起しませんから……サラッと、また、小山君は下品かつ失礼な発言をした。姫に魅力がないとかそういう意味ではなくて、自分がゲイ寄りのバイだから……と、いらんつけたしをする。幸い白石さんに発言の毒は届かなかったようである。

 地図子さんが、教授としての威厳をもって、厳かに宣言した。

「福島君。アンタ、今日から廊下で寝なさい」

 バンドマンの講義は、徹底的に無視された。

 まあ、二階のトイレ前廊下は、ひんやりして気持ちいいかもしれない。

「結局、全室男女相部屋ですか。ずいぶん、風紀が乱れたゼミじゃないですか」

 私は素朴な感想を述べたつもりだったが、地図子さんの受取り方は違ったようである。

「ひとりは廊下でしょ。ポトフ君、もう、若者に説教してまわる歳になったの? 自分が若いときヌードモデルしてたこと、棚に上げて? 同棲同居するにせよ、四半世紀前と学生気質だって違うよ、おじさん」

 チカやウエノ君にからかわれたのならともかく、地図子さん自身に揶揄されて、私は少しへこんだ。

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