本編 その5

 夕食の支度がはじまり、とりあえず食堂を追い出される。

 時折アルバイトを頼む伊藤さんは、ウチから歩いて二百歩ほどのところに住んでいる超・ご近所さんで、前は工場のほうの経理を頼んでいた。旦那さんが消防団に入っていて、私にとっては同じ分団同じ班の「上司」にあたる。オフクロの意を受けてか、まかないを食べにいくときには、肉料理がなくともキャベツの千切りを山盛りに盛り付けてくれる。自分では、まあまあ健康だとは思うのだけれど、拒否すれば「ウマに食わせる」ようなテンコ盛りのキャベツが食卓にのる……。

 お茶を飲みながらということで、町立医療センターに十分ばかりのドライブをした。

 この敷地内、以前はだだっぴろい駐車場だった一角に、プレハブの長屋が立っている。

 お茶っこクラブはその一番海側、眼下に景色が楽しめる一角を占めている。店長の岡さんは地元では名の知れたサーファーで、夏向きのメニューは充実している。彼が町内外の男たちから敬意を集めているのは、その卓越したサーフィンのテクニックのせいもあるけれど、自分の娘くらいの若い奥さんをもらってもいるからだろう。いい年して独身の私も、あやかりたいとは思うけれど、あの渋くて精悍な風貌は真似できそうにない。贅沢を言ってられる立場じゃないけれど、うらやましい。そもそも妙齢の女性との出会いもない。いったい、いつになったら結婚できるんだ、私……。

 ともあれ、そのときは、くだんの奥さんが店番をしていた。

 何かメニューを頼んでもよかったのだけれど、がっつり食えば夕食が腹に入らなくなってしまう。三つあるテーブルのひとつを占拠、中途半端な時間ということで、みなでコーラを頼むことにした。

 げぷー、というウエノ君のオクビをたしなめ、地図子さんは私にあごをしゃくる。

「で?」

「お年を召して、短気になりましたか」

 隣に座りこんだ地図子さんは、黙って私の足を踏んづけた。

 女性にトシの話なんて……という話題のチョイスが気に入らなかったのではなくて、バカ丁寧なものの言い方がカンに触ったという。

 地図子さんの関心は、どうやら私の話、一点ばりのようだった。

 一般の観光客なら、金網にへばりついて、津波を偲んでいるところだ。

 もっとも眼下の景色は、土砂ダンプやユンボが行き来する色気のないものだけれど。駐車場に降りて首を伸ばせば、なんとか駅前商店街が形作られつつあるのが、見て取れる。チカが代表して、スマホでぱちぱち写真を撮った。

 ウエノ君は、既にルーズリーフのノートとボールペンを膝に乗せて、待機していた。チカは一方的にダメ男と決めつけていたけれど、実は殊勝な学究の徒なのかもしれない……。

 私は、提案した。

「で……交通違反地図を作る、というのはどうでしょう?」

 地図子さんは、首をひねって、言った。

「被災地の交通調査をしろって、こと? それとも、警察に頼んで、違反切符を切った状況を教えてもらうとか?」

「いえ。そういうのではなくて。交通違反したひとの地図、ではなくて、交通違反をするための、地図です」

「ああ。警察のネズミ捕りをごまかすっていう、裏技? でもって、そのための地図」

「いや。あの。警察公認の交通違反です。そのための地図。ついでに、サワリをちょっと言えば、スピード違反をするための地図ではありません。通行区分違反、および、一方通行違反をするための地図」

「説明それだけだと、ちんぷんかんぷんよね。どうやら、話が長くなりそうだけれど、夕食までに説明、し終わるかしら?」

 それは大丈夫だ、と私は請合った。

「食堂で前置きした通り、ここ一年くらい、ずっと温めてきたアイデアです。だから、すぐに言える。テーマはずばり、恩返し。被災地の住民として、他地域、とくに関東・東海・東南海等巨大地震津波が予測されている地域へ、返礼しようということです」

 復興関連の莫大な予算をつぎ込んでもらって、三陸はどうやら立ち直りつつある。

 国道四十五号線を走れば、沿線には工事関係者やボランティアへの感謝を綴った看板が散見できる。が、「感謝の表明」以外で、具体的なアクションは見えにくい状況でもある。

「女川に限って言えば、秋にはサンマを東京にもっていって、お祭りのイベントの際に無料で振舞う、ということをやっていたりします。落語で有名な『目黒のサンマ』のほうが気仙沼や大船渡港なんで、こちらは恵比寿、だったかな? でも、これは宣伝も兼ねて津波前にもやっていたことだから」

 鳴子など内陸部で、一時避難先を提供してもらったホテル等に、「お礼ツアー」を組んでいく、というのもある。

「一番分かりやすいのは、津波てんでんこ、という防災カルチャーの発信かもしれません。自分の身は自分で守れ、他の被災者のことはとりあえずおいといて、一目散に逃げろ、というヤツ。まあ、これを提案したのは岩手のひとなんですが」

 でも、どうせなら、もっと具体的な提案がしたいのだ、と私は続ける。

「実際に静岡や高知で大規模震災津波が起きれば、ボランティアとして参加するひとは多々、いるでしょう。でも、それなら、その前に、こちらの経験をフィードバックするような形で、何かできないか、ということです」

 現在でも、仙台市内等で、防災グッズの展示会・即売会などの開催が連綿行われていたりは、する。しかし、主催者や商品開発の会社を見ると、たいていは東京だの大阪だの、被災地とはあまり関係がないところの売込みだ。

「経験に根ざした形の、防災というか、災害直後の援助物資のロジステックスについて、実際に走り回った経験からの提案があるんです」

 前置きとして、自分の被災経験を少し語っておくべきだろう。

 私自身は、貝殻の仕入の関係で、岩手県山田町、大沢漁港の前で被災した。

 津波がくる十分ほど前、宮古方面の高台に避難(豊間根のブナ峠)、女川には国道百六号線から盛岡に抜け、四日ほどかけて帰ってきた。自宅は駐車場のアスファルトがぼこぼこになり、工場はゴミまみれ、しかし双方とも建物自体に被害はなかった。何より、貝殻積用の水産大型トラック(最大積載量七トン二百)が生き残った。一ヶ月くらいは軽油の調達ができず水道電気ガスとライフラインが止まった関係で、仕事らしい仕事もできなかった。かつてのトラック仲間の誘いで、桃生の解体屋さんの下につき、ガレキ片付けをし始めたのは、ゴールデンウイークを過ぎてからだろうか。

「監督、ユンボのオペレーター、トラック屋、それに手許(テモト)という手作業の助手が組になって、解体作業するんですが……ゴミの分別さえいらなければ、家一軒、一週間くらいで解体して更地にできるんですよ。当時はトラックも、運転手自体も圧倒的に足りなくて、仕事はすぐに見つけられる状態でした」

 話のネタになるかもしれない……というスケベ心で、あちらこちらの現場をトラックごと渡り歩いた。桃生を手始めに、石巻駅近く、大街道、雲雀野、矢本、塩釜、多賀城、仙台、そしてもちろん女川。

 仙塩方面の現場は、七月近くになってから入ったこともあり、概して「キレイな」現場が多かった。海のヘドロにも塗れず、生ゴミ、腐った海産物のようなドロドロの悪臭源も片付いたあと。解体する当該建物の周囲にも、普通のアパートだの店舗だのが建っている状態。電線・電話線のたぐいも生きていたため、概して手許の数は多かった。塩釜の現場では、車輌登録のとき、有価物を越の浦の一次置場に運びこむように事前指導があった。が、現場では、それを無視して多賀城のスクラップ工場に持ち込むように言われた。違法だと気づいたときには、仙塩地区の仕事が終わっていた。「片棒」を担がされた抗議は、よしておいた。たいていの現場では、ユンボのオペレーターが監督みたいなことをする。手許の数のわりに、オペレーターが足りていなかったのか、三人のうちの一人が、シャツの下に藍色の竜を彫りこんでいるひとだったからだ……。

 責任者は、千葉県からわざわざ泊りがけできていた。炎天下でやたら水がほしくなる現場だった。建物の高さに関係なく、架空線付近はすべてユンボを止め、バールだの金槌だので手作業である。電話線は一本切ってしまっても高々十万円、けれど光ファイバー幹線は一千万円からする。保険でカバーできないから、光ファイバー一本切っただけで倒産寸前になる解体屋もいるんだ、と脅されたりもした……。

 反対に、女川や雲雀野は津波ですべてがなぎ倒された殺風景な風景。町内では高橋建設の傭車として入り、北浦地区を回ったのだけれど、作業中手許はまったくおらず、オペレーター五人にユンボ六台という贅沢体制だった。

「で、いくつか気づいたことがあります」

 もう、時効だと思うから白状するが、石巻市内の解体作業のときには、ずいぶんと交通違反をした。具体的に言えば、通行区分違反と一方通行違反である。ひとつ言い訳を言えば、違反に使用した道路は、その後、警察の追認・特例という形で、次々交通違反可能な道路となっていった。

 スピード違反はなかった。というか、当時、道交法の制限速度、目いっぱいまで出せるトラックが、いくらいたのかと思う。クギを踏み抜き、パンクするダンプはいくらでもいた。休日が全然取れないらしく、知り合いのタイヤ屋さんはいついってもイライラしている状態だった。トラックのみならず、私自身も雲雀野の現場でクギを踏み抜いた。どんなばい菌が入ったのか、三十八度を超える熱が出、朝晩の点滴を十日ほど続けるはめになった。破傷風の予防接種を遅まきながら受けた。傷自体がよくなるのに、一ヶ月ちょっとかかった……。

「ちょっと。話が逸れてない?」

「あ。そうでした」

 以上の経験を踏まえての提言がある。

 すなわち、交通違反地図だ。

 今回の三陸大津波の被災地域には、ガレキ片付け業者の観点からすれば、三つの地域に分けられる。一つ目、「完全にガレキの地域」。女川町中心部、志津川、陸前高田などが該当する。一面津波の力でなぎ倒れて、自衛隊や消防警察等、その道のプロの手が一度入らない限り、民間業者が道路も見つけられないようなエリア。当然、避難場所への緊急物資支援搬送も、彼ら政府の実働部隊に頼ることになる。二つ目、「目に見える被害は、ほとんどなし」地域。私が傭車のアルバイトをした地域で言えば、桃生の市街地、女川で言えば浦宿旭が丘などがこれにあたる。もちろん、震災の影響で倒壊の危険がある建物があったりは、した。けれど、住民は比較的移動に支障はなく、ガソリン等の不足がなければ、物資の買い物などにも行くのが可能だった。

 そして、三つ目が、この中間たる地域、私の言う「交通違反地図」適任地だ。

 建物の倒壊自体は、多くない(ぐらぐらしているのは、たくさんあるが)。ヘドロやゴミ、その他の津波堆積物で町中が埋まり、片付け掃除等で、もっともボランティア等を必要とした地域である。

 で、この中間地域への、緊急時支援物資の搬入のときなんぞに、この「交通違反地図」を作っておけば、役立つのではないかと思うのだ。

「具体的な例をあげます」

 浦宿駅から女川方面へ、国道398号線を走ってすぐ、セブンイレブン女川店向かいに、浦宿踏切がある。渡ってまっすぐ進めば、針の浜。五十メートルほど行って幸勝水産前を左折すれば、女川方面へのバイパス、通称「浦宿バイパス」に抜ける交通の要所。

 この浦宿踏切を利用せず、まっすぐ女川方面に下れば、旧女川一小前、石巻線の高架に阻まれて、背の高いトラック、トレーラ、コンテナ車のたぐいは、漁港にたどりつけない。復興期の現在では、これら水産トラックに加えて、ラフテレーンクレーンやユンボキャリア等、超大型の特殊車輌も漏れなく利用するという、交通のカナメなのである。

 土砂ダンプ同士だとすれ違いできないこの狭い踏切に、実は地元の人のみが利用する細道がついている。線路を渡ってすぐに左折する「裏道」で、石巻線の線路を挟んで、国道398号線と並走する直線路だ。中央線はついていない。時代を遡れば田んぼのあぜ道のような、リアカーがお似合いのローカル道路だった。

「今でも、軽自動車同士、すれちがうのがやっという狭さで……当然、大型自動車進入禁止、の規制がかかっています。ていうか、進入禁止の措置をとったひとは、当然、こんなところに大型貨物なんかが入っていくのはムリだろっていう判断があったんだと思うんです」

 でも、実際は、ぎりぎりのところで通れてしまうのである。

「あんまり大きな声では言えないんでが、過去、何回か、通っちゃったことがあります」

 貝殻専門の水産トラックのドライバーになって数年、魚市場の雰囲気にも慣れ、平気で「やんちゃ」をするようになった頃の話、ではあるが。

「長さ7メートル60、幅225センチ、一見どう見てもムリっぽく見えるウチのトラックが、この路地裏に乗り入れできる、最大サイズのトラックだと思います」

 黙ってメモをとっていたウエノ君が、ふと質問してくる。

「それは、やはり、運転テクニックのおかげですか?」

「うーん。厚顔無恥のずうずうしさと、遵法精神に欠けるイケイケドンドン体質のせい、かも」

 もちろん、普通の左折手順では、絶対ボディがつっかえる。

 対向車線の外側ラインを踏むように、目いっぱいトラックを右側に寄せ、両側で二車線ある踏切を全部使って、曲がるのである。

「対向車がきたら、どうするんですか?」

「思いっきり、にらみつけて、相手の動きを止めます。だから、テクニックに加えて、目ぢからとか、運転手のガラの悪さも、必要かも」

「……」

「でも、港町だから、トラック野郎なみにマナーの悪いドライバーがいますね。おとなしく待ってればいいのに、クラクションけたたましく鳴らしてみたり、アホ馬鹿マヌケと罵詈雑言、怒鳴ったりするヤカラが」

 まったく困ったもんだ、とため息をつく私に、「そういうのを目くそ鼻くそっていうの」と地図子さんがツッコミを入れてくれた……。

「ここで、ちょっとシュミレーションをしてみます」

 女川石巻を結ぶ生命線、国道398号線と、幸勝水産前から旭が丘下を通る浦宿バイパス、双方がなんらかの形で被災し、不通になったとする。

「事実上、使える道は、今話題にしている裏道のみ、になった場合です」

 実際には旧雄勝町に抜ける通称「ブルーライン」、旧牡鹿町へと抜ける「コバルトライン」など、何箇所か他にも出入り口はある。だから、あくまで、シュミレーションの話だ。

「町の中心部、たとえば役場や総合体育館に救援物資を搬入する、もっとも効率的なロジスティックのやり方は?」

 道路交通法をきちんと守り、しかも普段通りの利用というのなら、軽トラに毛の生えたサイズのトラックで、わっせわっせと何往復もするしかない。けれど、現実に車通しがかわせる場所は、あんまり多くない。少し工夫するなら、この裏道の「出入り口」、浦宿踏切と旧女川一小前の高架下にトランシーバーを持った誘導員を配置、交互にクルマをと通すという手がある。少なくとも、軽トラ以上のサイズのクルマが、行き来できるようになる。

 しかし、非常時ゆえのルール違反もやむなし、となれば、もっと効率のいい手がある。何度もここで言及しているように、通行区分違反を無視して、無理やり、大型トラックを通してやればいいのである。

 けれど、実際、交通違反をして大型トラックを通すとして、いったいどのサイズのトラックが一番大きく、適任か、やってみないとわからない。そもそも大型車が通れないと思われているからこその、規制つきなのだから。

「ムリに大型で通ろうとして、抜け出せなくなってニッチもサッチもいかなくなるよりは、少々小さめでも無事通貨できそうなトラックを……というのが現実的な選択になるでしょう。けれど、荷台に積載できる量というのは、トラックの外見以上に差が出るもんなんですよ」

 なにせ、ひとの生き死にがかかっている場面である。一回ごとの積載量の差はわずかでも、回数をこなしていけば、その差は非常にでかくなる。だったら、災害当日右往左往するよりは、あらかじめ、どんなサイズのトラックなら通過できるか調査しておいてはどうか? というのが、この「交通違反地図」の趣旨なのである。

「一口に大型トラックと言っても、今は用途別にさまざまな形状のものがあるんです。土砂ダンプのような、横幅が広くて寸詰まりのものもあれば、発泡スチロール積の背の高い車、そして長距離輸送の超ロングボディのまで。ぶっちゃけ、ロングボディでは曲がれないコーナーも、ダンプなら曲がれる……その反対の場合だって、あるってことです。……それから、地図で見るのと違って、現地に行ってはじめて分かる地形の特性、というのもあります。一見進入不可能に見える交差点が、ラウンドコーナーになっていて右折左折できたり、路側帯を利用して切り替えしができたり。もちろん、反対の場合もあります。地図上では容易に曲がれるはずの交差点が、空中の電線、木の枝に阻まれて立ち往生とか」

 地図子さんが「ちょっと」と私の長広舌を止めた。

「ちょっと。そこいらへんの理屈は分かったけど。実際の地図作りはどうするわけ? グーグルアースのストリートビューで、調査するとか?」

「いえ。バーチャル地図でどうのこうのできるモノではありませんから。実際に何種類かのトラックを当該地域に持ち込んで、『交通違反』してみる、ということです」「トラックのレンタル代に運転手の日当、それに交通違反か……言いたいことは分かるけれど、実際やってみるとなると、問題山積みよね」

「まあ、そうです」

「それに、対象地域が広すぎない? あなたが想定しているのは、これから大地震津波が起きる地域よね。東南海とか、関東とか。都府県、十も二十も調査してたら、終わる前に津波きちゃうんじゃない?」

「そんなんでも、ありません」

 解説冒頭で述べた通り、この交通違反地図の適地は、壊滅的な打撃を受けると想定された地域ではなく、また、ほとんど被害が及ばないであろうと予測できる地域でもない。今回の三陸大津波の地理的特性の研究なんかが進んでいるなら、絞込みが可能ではなかろうか。

「壊滅的な打撃を受けるような地域に必要なのは、トラックによる支援物資供給より、医療サービスの提供、あるいは、航空機だの船舶だのによる、一刻も速い安全地帯への人の移送でしょう」

 あるいは、不謹慎を承知で言えば、遺体を収容するための毛布や棺かもしれない。

「さらに言えば、この壊滅的な打撃を加えられたのではない、中間地域の中でも、さらに『交通違反地図』該当の道路は、絞り込めるはずです」

 昨今の津波では、高速道路の三陸道がほぼ無傷で生き残り、文字通り「いのちの道」として、機能した。マスコミがさんざん報じていたから、ここでは具体的な活躍ぶりは語らない。東南海や関東あたりで今回と同規模な震災津波が来るとして、高速道路が生き残ると想定するのは、そんな無茶でないはずだ。

「で。救援物資等も、高速道路経由で運搬されると考えるんです。そうすると、調査するルートは、俄然絞り込める。高速道路の各インターチェンジから、自治体等が指定している避難場所、病院、学校、その他生き残りが見込める堅牢な建造物がある地点に、ということです」

 方法論について言えば、こうだ。

「警察、自衛隊、消防、陸運局、その他官公庁、ひとつ以上に協力を求める必要があります。実際にトラックを持ち込んで交通違反するんですから、なんらかの許認可が必要になる。また、地図会社、ゼンリンだの昭文社だのも当然必要です。さらに、自動車のナビゲーターを作っている会社ですね。たとえこの『交通違反地図』ができても、すぐに広報活動にて広めるというわけにはいきません。悪用される危険性だってありますから。情報は協力してくれたどこかの官公庁が保管、大規模被災した際に、ナビゲーターの会社を通じて、救援物資輸送各社に情報を流す、という手順になります。地図作りの現場で、実際にクルマを乗り回すトラックドライバーは、被災地から送り込みます。被災前の地形を知って、被災した後にも走り回ったドライバーたちなら、津波や地震で道路が『どんなふうに壊れるか』というのも、熟知していると思われるからです。あ、この壊れ方というのは、もちろん、地理学的行政的な意味でなくて、ドライバーの観点からして、という意味です。タイミングがいいと言ってはなんですけど、2015年の夏の今現在、宮城県のトラック協会の会長、カネフジ運輸という東松島の会社社長が勤めているんです。宮城県トラック協会会長というのは、自動的に東北トラック協会会長・全国トラック協会副会長を兼務することになっているそうで、全国のその他地域のトラック協会とは意思疎通がスムースにいく立場にある。被災地の会社社長が宮城のトラック協会トップというのはもちろん偶然だけれども、この手のプロジェクトを推進するには好都合じゃないかと……」

 もっとも震災直後からの就任だから、急がないと代替わりになってしまうかもしれない。

 チカが、小首をかしげながら、質問する。

「でも、ボランティアしてくれって言って、すんなり手をあげるひとがいるのかしら。被災地って、今、人手不足なんでしょう」

「うーん。誰もいなければ、自分が手をあげますよ。なんせ言いだしっぺだし」

 それと、マトモなドライバーだったら、この手の「交通違反慣れ」なんてしてないという事もある。

「日通やヤマト、サガワなんていう大手のドライバーは、基本的にこの手の違反、しませんしね。教育指導が行き届いているから。石巻女川からスカウトするとすれば、水産系の面々が一番近いということになるでしょうけど。今度は、逆に、座学が苦手というひとが多いと思います。『交通違反地図』を作るためには、経路研究や交通法規に対する知識も多少必要で、荷役作業や運転テクニックが上手なだけでは、どうにもならない部分もあります。残念ながら、営業ナンバーのついたクルマに乗って十年以上になりますけど、少なくとも水産系のトラック仲間で、自分以外に大卒の運転手というのに会ったことがない」

 今度は、ウエノ君が、疑問を呈した。

「悪用対策で、津波が起きるまで秘匿というなら、論文に掲載するときは、どうすればいいんでしょう?」

「大学院の制度がよく分からないんで、アドバイスしようがないんですが……学内限定で公表とか、なんらかの手段、ないんでしょうか。詳しくは、本気でやるときに、塩原教授も入れて相談するしかないでしょう」

 最初の課題、単なる研究ということに留まらず、耳目を集め、予算も下りるというのも、クリアするはずだ。

「オカミ公認でわざわざ交通違反をする地図を作る、というのは逆説的で面白いと思うので、マスコミなんかは取り上げやすい、と思うんです。また、時間の経過から薄れていく危機感みたいなのを再喚起する効果もある。神奈川や静岡で、手を換え品を換え交通違反を試みているのを近隣の人たちが見たら、ここが万一の場合の避難経路になるかもしれない……と改めて関心を持ってくれることと思います。さらに、トラックドライバー不足に対するアッピールにもなる。給料が安くて長時間労働ということもあって、この業界、慢性的に人手不足です。あの手この手で、広報活動をしている。今回の津波でも、被災地への物流の九割以上をトラックが担っているわけですけど、それが世間に周知されていないとかで、小中学校の教科書に載せろ、なんていう運動までしています。まあ、自衛隊や消防の活動に比べたら、『縁の下の力持ち』的で地味でしたからね、トラック業界の救援活動」

 物資の運搬だけでなく、こういう仕事もある、ということを宣伝するのも、トラックドライバーの魅力を高める広報活動の一環に数えられるのでは、と思うのだ。

「以上、交通違反地図の説明を終わります。ご静聴、ありがとうごさいました」

 カーテンコールに立つ役者のように、大仰に頭を下げると、ウエノ君だけが期せずして拍手をしてくれた。

 しかし……。

「却下よ」

「でも、地図子さん」

「そもそも、社会学の範疇じゃ、ないわよ」

「そうですか」

「それに、正直、どこかで誰かが言ってそうなアイデアだと思う。ポトフ君、もう、あの大津波から何年経ってると思うのよ。大災害が確実に来るって予測されている自治体は、どこも全力で対応策を練ってるに決まってるでしょ。もちろん、当該自治体だけじゃなく、警察消防自衛隊とかの実働部隊、国土交通省だの自治省だの気象庁だの、所轄する官庁だって、そう。たぶん、あなたと瓜二つで、もっと徹底的なルート選定方法が採択されてるわ。潤沢や予算とマンパワーを駆使したシュミレーションに、あなたの胡散臭いアイデアが、かなうわけないってこと」

「そうかなあ」

「そうよ。二番煎じ、三番煎じの思いつきで恥をかくよりまも、もっと、こう、被災地に即した何かを、提案してほしいの。背伸びして、小難しい提案なんてしないで」

「トラック野郎にふさわしい、いかついブツを出せ、と」

「まあね。言い方はちょっと下品っぽいけど、だいたいそういうこと」

「うーん」

「出せなかったら、代わりに、二十数年分の養育費でも、いいよ」

「……うーん」

「だいたい、その、交通違反地図該当地域に焦点を当てるところから、未熟もいいところでしょ。壊滅しちゃう地域と、大丈夫な地域と、その中間地域って、一体、なによ。アバウトすぎて、話にならない。ハザードマップ取り扱っているプロの人たちからみたら、噴飯もので具体性に乏しすぎる代物って、なるんじゃないの?」

 見かねたウエノ君が、とりなしてくれる。

「なにもそこまで、こてんぱんにけなさなくとも……」

「いいから、あなたは黙ってて」

 こうなると、手がつけられない。

 そして非難の矛先は、なぜか彼氏のほうにも向かう。

「そもそも、アンタのボス、塩原さんってとにかく潔癖症なのよ。そのヘン、分かってる? 交通違反のための地図なんていう胡乱な台詞聞いただけで、拒否反応を起こすに決まってる。曲がったものはキュウリでもちんぽでも嫌いっていう、スクエアな女なんだから。正直なところ、あんまりウマがあわないあのカタブツと、ムリしてつきあってるのは、ウエノ君、アンタのためなんだからねっ。そんな私の気持ちも知らないで、どうして、そう、コーラのお代わりができたりするのっ」

 いや、それとこれとは関係ないでしょ……ここのコーラ、よく冷えてうまいし……ていうか、今、さらっと放送禁止用語みたいな単語、言わなかったか……まあ、本来の地図子さんに戻ったって言えば、納得なんだけど……ドS……と私はのどまででかかっていた言葉を再び飲み込んだ。

 怒りというか悲しみというか、クダをまいた酔っ払いみたいなジト目で、にらみつけられたからだ。

「コーラ、おかわり」

 涼しい顔で、娘が再オーダーした。

 母親のほうが、黙って口元をハンカチでぬぐった。

 そして突然、なんだか会話が途切れてしまった。

「……」

 ウエノ君もチカも、そのまま黙りこくってしまったので、私も右倣えした。

 隣のテーブルの老夫婦の相手をしていた岡さんの奥さんが、何か追加をとるか、とオーダーをとりにきた。もう夕食の時間だからと私たちは断って、帰路についた。

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