前日譚 その5
以来、毎週木曜、私はこのガレージに通いつめることになる。
部の練習がちょうど調整日にあたり、練習が軽かったからだ。ウォーミングアップのあと、二百メートルの流し(フロート)を三本くらい、時には柔軟やストレッチで終わり。普段は夕方までかかるのが、木曜に限っては一時間弱で終わる。部内では、ヌードモデルの件は内緒だった。友人たちには、塾講師のアルバイトと偽っていた。体育会と名の付く以上、「その他の課外活動」にもある程度の節操が必要だったからだ。体育会と聞いて一般人がイメージするような軍隊的なシゴキ・上下関係は、幸い三年前に終わっていた。先輩たち自身が辟易していたのと、新入部員の減少が理由と聞いた。そう、言わば、ちょっと硬派なサークル、なにより「辞める自由」があった。
練習の後は、すぐに銭湯。
当時、京都市内の銭湯は四時開店、が公式だったと思う。
実際には三時半には暖簾が掲げられ、一番乗りこそしなかったものの、まっさらな手桶を使う常連の一人となった。一番風呂は、いつでもどこか塩素くさかった。潔癖すぎる、香りだ。私以外の常連は、新聞配達の兄ちゃんたち、ゲートボール帰りの老人たち、そして時折立派なモンモンを背負ったヤクザという面々である。年に何回かは、外国人のお客さんを見かけた。それが私と同じ股間ツルツルだったりして、肌の色は違えど、妙な親近感を覚えたりした。任侠関係の人には極力かかわらないようにしていたけれど、私の異形の局部を見ると、なぜか向こうから私を避けた。
漫画サークルMは、一応大学公認だった。
当時学内サークル棟に「部室」をもらっていたが、ヌードデッサンはいつでも、地図子さん自前のアトリエで、だった。サークル棟内でのヌードは、当然ながらご法度である。地図子さん所属の市立美大で、教室を借りることも、できなくはなかった。けれど地図子さん本人が「メンドクセ」と嫌っていたのだ。今になって考えると、単なるモノグサのせいではなかった。地図子さんは明確な目的があって……この場合、私の「おもちゃ」を文字通りおもちゃにするつもりで……避けていたのだ、と思う。
閑話休題。
男女の営みのよしあしを左右するのは、何か?
抽象的なことを言えば、二人の愛情であり、相性である。経験的なことを言えば、テクニックであり、相手の気持ちのいいポイントを探る観察眼だったりするだろう。即物的に言えば、股間にぶら下がっているモノの長さ・太さ・色・形なんぞになる。
そして、意外と忘れがちなのが「体力」。
さて、ピストン運動で腰を振る際の体力をたとえて、二百メートルを全力疾走するくらいのエネルギー、というのを聞いたことがないだろうか? 子作りにも瞬発力と持続力がいる、というのを具体化した言い方、である。わが朋友宇都宮君は、「そんなん言われてもピンとこん」と言う。私には、ピンとくる。そう、陸上競技の選手、特にスプリンター・ジャンパーには馴染みの尺度なのだ。
知り合いの陸上競技経験者がいたら、二百メートルの全力疾走を数こなせるのは、どんな種目の選手か、尋ねてみるといい。四百メートルの選手、という答えが返ってくるはずだ。
私はまさしく、その四百メートルの選手であり、高校三年当時、高校総体宮城県大会で優勝の栄に輝いたスタミナ男だった。一般人が二度三度の全力疾走でへばるところ、私は八度でも十度でも走れた。
私には、さらに「絶倫」を保証してくれる生活環境があった。
冬十月から春三月にかけて、毎日のように牡蠣を食べ、育ってきたのだ。私の父は、女川以南の牡蠣養殖業者に「原盤」と呼ばれるホタテ貝殻を提供する、資材業者だった。牡鹿半島から、万石浦から、そして松島から、父はプラスチックの二キロ樽に入った牡蠣をよくもらってきたものだ。
いろいろ食べ比べができていい、というのは観光客的な発想である。どうやっても、飽きるのだ。時には口がひんまがりそうになるくらいイヤになり、時には白米でも食うように黙々、味覚度外視で食ったものだ。自然界から日々摂取する亜鉛の効能は、偉大なものである。オットセイだのマムシだの、あやしげな精力剤では到底培うことのできない、基礎的なポテンツを養ってくれる。
四百メートル、牡蠣、そして十代最後という若さ。
ヌードモデルをしていた時分の私より、「絶倫」なニッポン男子は、指折り数えるほどしかいなかったのでは……と今になって思う。
いかに性欲をもてあましても、若い男というのはそういうものだと思っていた私に自覚はなかった。
目ざとく私の精力に気づいたのは、いまさら言うまでもないけれど、地図子さんだった。
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