前日譚 その3

「君、いい尻をしてるな」

 初対面の第一声がこれ、である。

 噂には聞いていたが、地図子さんは、本当にランドセルが似合いそうな外観であった。

 阪神タイガースの野球帽に、同じく縦じまのユニホームレプリカのTシャツ、ボトムは一昔前のブルマを連想させるギリギリのカットオフジーンズ。クソ暑いのに、ご丁寧に、やはり縦じまのハイソックス……もちろん咆哮するトラのワンポイント付。なんだか、少年のような少女のような。宇都宮君は幼児体形と評していたけれど、極力ボディコンシャスなシャツのお陰で、胸のささやかな丸みがくっきり浮き出ている。

 あざといが、自分のセールスポイントを、よく心得ている。

 私がタオル地のガウンいっちょう(中はもちろん全裸)で挨拶にいくと、小学生の悪ガキみたいにスカートめくり……ならぬガウンめくりをし、私の尻をぺちぺち叩く。たまらず抗議しようとすると、地図子さんはくだんの台詞を吐いたのだった。

 漫画サークル。

 それも、市内一円の学生を受け入れていた、インカレサークル。

 といっても、プロを目指すような、本格的なものではなかった。

 しばらく経ってからの話だが、過去の会誌を拝見させてもらったことがある。

 当時はやっていた「ヤオイ」、商業誌のエロパロ、そして評論という名のぐだぐだ感想文。

 今でいう、同人誌のはしりのような内容。もっとも、コミケなんぞに出展するには、内輪ネタに走りすぎているような感じだったが……。

 男性ヌードデッサンの必要性は、いったい、どこにある?

 私の素朴な質問に、地図子さんは、朗らかに言い放ったものだ。

「必要性? あるわけ、ないだろ」

 手段が目的。

 要するに、勉強するという口実のもと、オトコのハダカをじっくり眺める、というのが究極の目的らしかった。

 私はきっぱりと断りたかった……宇都宮君という足かせがなければ。

 黙って尻を叩かせている私の薄い反応は、地図子さんのお気に召さなかったらしい。

 日焼けあとがよくない、などと難癖をつけていたが、やがて前もぺちぺち叩きだした。

 男女とりまぜて十一人の学生がいたが、誰も地図子さんを止めなかった。

 あんまり当たり前でないことを、誰もが当たり前にしている状況。

 私は即座に帰りたかった。

 でなければ、トリスのハイボールでもあおって、置かれた状況をすっぱり忘れてしまいたかった。

 もじもじガウンを脱ぐと、地図子さんの「静かなる罵声」が飛んできた。

「ねえ」

「はい?」

「もじゃもじゃ」

「はい?」

「だ・か・ら。もじゃもじゃっ」

 もちろん、私の股間に対する評、である。

「即座に毛、剃って。もちろん、スネと尻穴まわりも、忘れずに」

 下品が服を着て歩いても、ここまでは言うまい、という言葉で、その後五分にわたり罵倒された。

 気を利かせすぎの宇都宮君が、ホントにカミソリとタライを持ってきて、私の脚や尻をツルツルに仕上げてくれた。毛のない自分の股間を眺めるのは、小学生以来だったろうか。

 居並ぶ学生の誰かが、「かわいい」といってくれた。

 なぜか、ちょっと傷ついた。

 個人的には、自分のカラダにエロスを覚えるという、衝撃的かつ初めての体験をした。

 銭湯通いの身分としては、風呂に行きづらくなるという実際的な心配もあった。

 当の地図子さんは、しれっと言い放ったものだ。

「気が動転したお陰で、恥ずかしくなくっただろ」と。

 肉体の美観を保つための努力としては、初歩中の初歩だ、と彼女は薀蓄を垂れてくれた。

「そうだろ、モデル君」

 相槌を求められたが、ハアと気の抜けた返事をするしかなかった。なんせこの日が初脱ぎ、初心者中の初心者だったのだから。

 地図子さんに促されて、彼女の取り巻きらしい女子学生が、しげしげと剃毛したばかりの部分を観察し始めた。眼鏡と無造作なポニーテールが似合う彼女は実に私好みで、知らず知らず、海綿体に血液が流れこんでしまったようである。

 むくむく持ち上がるソレを、地図子さんは嘲笑した。

 眼鏡の彼女が、女ボスの無慈悲な命令通り、においを嗅ぎはじめた。

 曰く、五感すべてで味わって描写してこそ、デッサンは5B鉛筆での白黒濃淡を越えて輝きだす、だそうである。

 眼鏡の彼女の鼻息が、私の股間の敏感な部分を刺激していた。

 地図子さんの残忍な笑顔が、視界の端に見え隠れする。

 私は下唇を噛んで、爆発しそうになるのを我慢した。

 そして、心の中で叫んでいた。

「これ、なんて、エロゲ?」

 

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