ここから 本音

「全員、ノーパンミニスカ、お願いします」

 真っ先に福島君がブーイングをあげた。

「男の尻見て、何かが楽しいンす? つーか、何が悲しくて、オレの尻をみんなに見せにゃならないンスか? ヘンタイが、また一人、増えちまったよ」私は彼のボヤキを無視して、女性陣にも依頼する。

「みなさんも、ノーパンミニスカ、お願いできますか?」

 唇を尖らせていた福島君の顔が、ぱっと赤くなる。

 教授がぶっきらぼうに問う。「ねえ、何をやらせる気なの?」

 不快、というより面白がっているのは確かだ。せっかくこれだけの人数がいるのだから、ヌーディズムの倫理を実地で調査したいのだ、と私は言った。

「現実にヌーディスト村を作った場合、というか人数が少ないからヌーディストサークルと言ったほうがいいんでしょうけど、具体的にどんなルールになるか知りたくて」

 研究の後半部分、倫理を情報資本主義と絡ませるくだりは、実は、ある程度六法を聞きかじってないと難しい。民法や商法、行政法を一から勉強していたのでは、時間がいくらあっても足りなくなってしまう。資料収集の面からいっても、大学に戻ってからのほうが、仕事しやすいはずだ。

「で。ヌーディズムの倫理、というところに焦点を絞ろうと思って」

 福島君や白石さんのように、賛同者もいることですし。

「いや、だから。オレ、女の子たちの尻を見るのはいいンスけど、自分の尻を見せるのはカンベンってこって。しかも、女装」

 福島君の再三の不平に、白石さんが言い返す。

「恥ずかしいのは、最初だけだってえ。見せているうちに、もっと見せたくなるもんなのよおお」

「姫。あんた、もしかして、露出狂?」

「もしかしなくとも、現役コスプレーヤーよお」

 黙ってみんなのやりとりを聞いていたウエノ君が、おずおずと挙手する。

「あのう。その、ヌーディストサークルのルールと、ノーパンミニスカって、何の関係があるんでしょうか?」

 他ならぬ論文主執筆者の質問、私は少し詳しく語ることにする。

「例外例の分析をしたほうが、本命の核心に近づけると思うからですよ」

 では、逆にウエノ君に質問し返します。ヌーディストサークルのルールを知るためには、どうしたらいいと思いますか?

「ええっと……実際に、その、ヌーディストサークルを作ってみる?」

「正解です。この場合、最終的に知りたいのは、ヌーディズムの倫理なので、ヌーディストサークルに限らず、乱交パーティーみたいなのでも、いいんですが。でも、そういうのなら、わざわざ露出趣味の人たちを集って作る必要もない。既に、世界中にヌーディストビーチとかヌーディストキャンプとか、色々ありますから」

 欧米にはきちんとした公的団体もあり、それは裸体主義者というよりナチュラリスト、要するに自然主義者みたいに名乗っているようだが。

「日本の場合、趣味の小さなサークルにとどまっているみたいですけど。警察の取り締まり以前に、気候がヌーディスト村に向いていない、というのもあるかもしれません」

 近代的なヌーディスト村の発祥は百年前のドイツ、そして今でも盛んなのはヨーロッパにアメリカ西海岸。基本、大陸西部の中緯度地域。そう、地中海性気候という、マイルドな気候の場所中心だ。ヌーディスト村が分布しているのは、たいがい、キリスト教的な文化が浸透している地域なわけだけれど、根付かないのは本当に文化的な理由だけかと思ってしまう。キリスト教的ストーリーでは、アダムとイブが知恵の実を食べ恥という概念を知るまでは、裸体でいたというのを、よりどころのひとつとしている(他の系統のも、もろちん、ある)。しかし、それなら、たとえば禊という形で神前で裸体を披露するのを是としている神道だって、ヌーディストのルーツとなりうるのではないのか?

 大陸東岸のような、日差しが強く寒暖の差が激しいという現実を考えると、日本でリアルにヌーディスト村的なのが実現するとしても、建物に依存する割合は、非常に高くなるような気がする。

「じゃあ。女川じゃ難しい? 東北の冬って、太平洋側だって、寒いんでしょ?」

「教授。それを言うなら、少なくとも、本州で真冬に裸で居られるところなんて、ありません。通年で、野外でできるとしたら、沖縄くらい」

 ちなみに、日本で最初に、現実的にヌーディストビーチを作ろうとしたのは、和歌山だったような気がする。

「ええっと。話が逸れました。とにかく、公的私的に限らず、既にそういう団体があるなら、主催者に問い合わせればいいんです。いったい、どういうルールで運営されているのか? と」

 必要なら、主催者向けのアンケート用紙と、参加者向けのを別々に作ればいい。情報をいかに吸い上げればいいのか、というのが肝要なので、大事なのは質問用紙の工夫の仕方になる。そう、研究の初期の段階では、現実のヌーディストサークル、現実の乱交パーティーを見学する必要さえない。

「主催者や参加者自身も気づいていない、暗黙ルールを掘り起こすというのは、もっと後の段階になってから。アンケートの比較研究でオーソドックスな共通ルールを拾い上げる。それから、サークルごとのローカルルールの相違を考える。最後に、本人たちも気づいていないかもしれない、さらなる暗黙ルールの調査です。場合によっては参加メンバー個別にインタビューさせてもらうのが、いいかもしれません。何度もいいますが、最終的に知りたいのはルールでなく、倫理ですから。もちろん、身バレを厭うひともいるでしょう。でも、話を聞くだけなら着衣のままでかまわない、マスクを被ってボイスチェンジャーを使用してもかまわないわけで、抵抗が少ないなら可能と思われます」

 このアンケートで拾うべき最重要事項は、参加・秘密保持・退場に関するルールだろう。

「内部と外部を隔てる境界の存在をあぶりだすためには、この三点が欠かせません。ここまでは、いいでしょうか?」

 ノーパンミニスカにたどりつくまでは、まだ少し論理展開がいる。

「で。今語っているのはオーソドックスなヌーディストサークルの場合です。では、オーソドックスでない場合、例外例の調査は、どうするべきか?」

 チカが、疑問を呈する。

「ちょっと、待って。話が速く、進みすぎる。その……ヌーディストサークルごとの共通ルールとか、ローカルルールとか、具体的に何がいいたいのか、ピンとこないんだけど」

 どっちにしろ、裸になって、あれやこれやするんだから、同じじゃ……。

「うーん。ひとつだけ、例を挙げておきましょう。トイレです。ヌーディストサークルなら、その活動中裸体でいるのは確かです。食事をするときも、スポーツをするときも、他のレクレーションをするときも、やはり裸。では、じゃあ、排泄しているときの姿を覗いてもいいのか? 混浴温泉で湯浴み姿を見られて平気なひとも、便所まで覗かれるのはイヤかもしれない。あるいは、そういうのを見られても平気なひとも、いるかもしれない。ローカルルールが入り込む余地、大いにありと思うんです」

 あくまで、見られる側が許可してみせる、というニュアンスでヌーディストサークルが運営されている以上、ここいらへんの線引きの主導権は覗かれる側にある。裸体そのものでなく、こうした行為見学のいちいちをチェックしていった場合、私たちが今追求しようとしている倫理へのアプローチの一種となるかもしれない。つまり、見せているのは本当に裸体なのか? 見せているものが身体でなく、ある種の行為だとしたら、見せたくないそれとの違いはどこにあるのか? そもそも、ヌーディストサークルで何かを「さらす」という行為は、どういう意味を持つのか?

「……そこまでまじめに考えて、パンツを脱ぐ人って、いるのかな? 単なる露出狂が性的快楽のために脱いでいるだけじゃ……」

「そういうのも含めて、潜在的なルールを探りましょう、と言っているんですよ」

「ふうん」

「で。話を戻します。オーソドックスでない、ヌーディストサークルの場合です。参加メンバーが特殊な関係にある場合。会社でも宗教でも軍隊でもいいんですが、そういう着衣団体がそのまますっぽり、ヌーディスト集団に移行する場合。構成員のメンバーにあらかじめ上下関係がある場合、ルールがいかに変容するのか、あるいはしないのか。あるいは逆に、ヌーディストになることで、会社や宗教団体の権力ヒエラルキーに、影響したりは、するか」

 言葉は熟さないが、数学から用語を借りて、完全写像型ヌーディストサークル、とでもしておく。

「素朴な疑問。実際に、会社ごとヌーデイストやってるところって、あるの?」

「少なくとも、日本にはありませんね。インターネットで調べたら、外国にはそれっぽいのが見つかるかもしれませんが」

 少なくとも、自分は知らない。

 ちなみに、会社員全員が裸で仕事をしましょう、というのは、ここで扱っているのとは若干ニュアンスが違う。あくまで、インフォーマルセクターしてのヌーディストサークルである。

「じゃあ、会社ごとじゃ、ない場合は?」

「その場合は、普通のヌーディストサークルですね」

 チカは、納得したのかしないのか、ふうん、とまた、気のない返事をする。

 地図子さんが、さりげなく口を挟む。

「ウチのゼミでやったら、その、完全写像タイプの、いい例になる?」

「いえ。上下関係と言っても、何階層にも分かれたカースト制とは違いますから。主催者と参加者になってしまうなら、他の普通のと一緒です」

 サークル外と人間関係が地続きという点で、興味がなくはない。しかし、そんなヌーディストサークルも少なからずあるだろう。すべてのヌーディスト団体が実名非公表の人間の集まりではあるまい。

 チカが母親から話を戻した。

「実在しないなら、調べようがないじゃない」

「こういうケースがありうるとチェックしておくことが大事なんですよ。いつかどこかで、そんなヌーディストサークルに行き会うかもしれない。調査は、それまで一応保留ということで」

「今回の論文には間に合わないかもしれない?」

 ひょっとしたら、ネットでの検索の仕方で、見つけることができるかもしれない。できないかも、しれない。

 まあ、できないだろうな。

「それは当然、ウエノさんには予備知識として抑えておいてもらう、ということで」

 黙って話を聞いていたウエノ君が、メモからアタマを上げて、かすかにうなずいた。

「では、次。二つ目のヘテロドックス。ヌーディストサークルへの出入りをある程度自由にした場合、サークルメンバーの遷移は一通りしかないのか? あるいは初期状態、中途条件の変更等で多様な結末へと分岐することはあるのか? そして、その分岐前後のいちいちにおいて、ルールはどんなふうに形成され、変更されるのか?」

 チカと私の一問一答に飽きてきたのか、大宮兄妹が席を立った。教授は彼らを咎めない。

「はい。質問。遷移って、何?」

「遷移とは、植生遷移といって、本来、裸地に環境的変化によって植物等の生物集団が発生定着していくプロセスです。湿地が草原となり、やがて森林になっていくような、といえば分かるでしょうか? 今、ヌーディストサークルを扱っているこの話の中で、この専門用語を流用しようとしているのは、人の入れ替えが自由なら、裸体集団内に、異なるセクシャリティの持ち主が増えてゆき、設立当初とは違った集団になってしまうのでは? という推測です」

 はじめは息の合った男女数人のグループでスタート。そのうち、裸の女性目当てで、男どもがわらわらと加入してくる。男女比のバランスが崩れていき、男子過多になった時点で、「オトコのハダカ」目当ての野郎どもが増えてくる。ウホッ、いいサークル。女性がいずらくなり、徐々にその数を減らす。裸の女性が減るにつれて、ヘテロセクシャルな男性も減ってくる。割合的に、「俺はノンケでもかまわず食っちまうんだぜ」という男性が増える。おちんちんランドだ。わあい。結果、ますますサークルのハッテン場的性質に拍車がかかる……。

「植生遷移の極相は、針葉樹の森林になるらしいですけど、この手のヌーディストサークルの極相は、男性同性愛者の集団になるかもしれません。まあ、自然生態系と違って、ゴールは一通りでなく、他の極相が存在する可能性も大、ですが」

 このまま遷移、遷移と言っていては紛らわしいので、植生遷移に対して、人文社会遷移、略して人社遷移、とでも呼んでおくことにします。

 さて。

 集団への加入脱退を自由にした場合、時間とともに構成員のキャラクター性がどんどん変わっていき、極相という形で安定するというプロセスは他にもありそうだけれど、このような集団性質を共通の方法論で扱っている学問分野は、少なくとも、ネットで検索してもヒットしないようだ(動植物、商品サービス、その他自然社会現象についてなら、散見できる)。

 一般的に、会社経営のように、集団が大きくなるほど人社遷移をコントロールするのが難しくなっていき、人社遷移を受け入れながら集団をマネジメントするほうに力を注いでいくことになるだろう。ネットで拾える例で言えば、会社が成功するにつれ、当該分野に興味のないエリート社員が増えて、商品やサービスがつまらなくなってしまうというプロセスとして描かれていたりする。そして、情熱を失った会社員の増加によって、会社自体が衰退していくというオチ。新卒一括採用、終身雇用の典型的日本型就労パターン揶揄したネットコピペである。外資系によくあるような、中途採用をメインにする雇用システムは、日本型賃金体系・昇進システムに対するアンチテーゼと論ぜられるのがほとんどで、社員のキャラクター性・そしてその構成に対する影響は「ゆさぶり」「刺激」等曖昧な言葉でしか説明されない。組織をインフォーマル・フォーマルに二分する言葉が発明されて初めて、それを扱う方法論が開発されたように、イレギュラーな人事等によって一体組織の何を揺さぶろうとしているのか、刺激しようとしているのか、専門用語昇格未満の概念が、概念のまま取り残されているような気がする……。

 ベンチャー企業の急成長の過程のように、人社遷移の促進を願うグループ゜もあるだろう。しかしもちろん、ヌーディストサークルのように、人社遷移しないことが集団存続の第一条件となっているような集団もある。この手の典型例はハプニングバーで、加入ルールを精査していくと、遷移防止の様子がよく分かる。そもそも一見さんはお断り、参加は男女カップルが原則、女性単独加入は容易でも、男性単独加入はお断り、あるいはハードルが高く設定されている、等。

「誰もやらないなら、自分でこの新分野を作るつもりでいるんですが……おそらくバーナード流の経営学の組織論的分野かな……おっと、本題から外れますね」

 適当な言葉が見つからないので、今度は物理学から用語を拝借して説明を続ける。人社遷移によって、従来とは違った構成員が増えていき、人数的に逆転した場合を、人社相転移と名づけよう。これはもちろん、氷から水、水から水蒸気というように、物質が温度によって状態を変える相転移からの発想である。先のヌーディストサークルの例でいえば、女性に対してヘテロセクシャル男性の割合が大幅に高まった場合。そしてヘテロ男性に対して、ホモセクシャル男性が大幅に高まった場合が、第二人社相転移、ということになるかもしれない。この人社相転移の前後で、ヌーディストたちが守るべきルールが変わるのか? それとも、たいした変更なく集団は運営されていくのか?

「物理学で定義されている相転移からの借用なら、集団内ルールの大幅変更の有無をもって人社相転移と名づけたほうが適当なんでしょうけど。そもそもバイのひとやゲイのひとが大幅に増えたところでグループのルールが変わらない、なんてこともありうるわけで」

 会社や軍隊が集団ごとヌーディストグループに衣替えするケースに比べれば、こちらは現実に存在する可能性は高い。もっとも、ヌーディストサークルスタート時点の集団環境に固執するタイプなら、遷移がある程度進んでしまった時点で、解散を選ぶかもしれない。主催者の心情や性癖が集団にあわせて変わってしまったり、主催者自身の交代で存続するということもありうる。

「たとえば、男性メンバーが、女性メンバーの裸体を凝視してはならない、というルールがあったとして、ヘテロ男性とホモ男性では課せられる意味合いが違ってきます。これが、女性とヘテロ男性のみのグループでのことなら、ルールと倫理は一致するでしょう。しかし、ホモ男性が加わった場合は? 女性の裸体のみ興味を抱くヘテロ男性なら凝視禁止は意味のある禁欲ルールです。けれど、同性の裸体にのみ興味関心を抱くホモ男性は、理性では理解できても性的な意味で実感がわかない。それでも律儀にルール遵守に励むなら、ここにルールと倫理の乖離を観察できる」

 今度はチカでなく、ウエノ君が素朴な疑問と挙手する。

「そういう、ほんとうに稀な希少例を一般化して語るのは、方法論としてどうかと……」

「決して、一般化はしませんよ。あくまで対照群です。オーソドックスと比較して意味を持ち、そしてオーソドックスだけでは検証しきれないルールの落とし穴、特異性、そして倫理の行方を探ろうということです」

 福島君が大あくびをかまして、茶々を入れる。

「そういう、もんなンスかね」

「そういう、ものなんです」

「ポトフさんほど博学なトラック運ちゃん、この町には他にいないッスね」

「博学な漁師さん、博学なフォークリフトオペレーターさん、博学なデリヘル嬢なら、いるんですけどね」

「ホントっスか?」

「ウソに決まってるでしょ。目、覚めましたか?」

 眠いなら、麦茶をやめて、コーヒーに切り替えます?

 福島君は、私の申し出を断って、顔でも洗ってくる、と言った。

「でも、博学なデリヘル嬢かあ。ホントにいたら、いいッスよねえ」

 地図子さんが、四半世紀前の茶目っ気を彷彿とさせるジョークを飛ばす。

「モルダー、あなた疲れてるのよ。水より、味噌汁で顔を洗ってきたら、もっとすっきりすると思うな。鏡の中に、赤髪でパチンコマニアでバンドマンのお調子者だけれど、ハ・ク・ガ・クな大学院生を見つけたら、戻ってきなさい。見つけられなかったら、トイレ前の廊下に戻って、寝なさい」

 赤髪のバンドマンは、トイレ前の廊下……もとい、部屋に戻って横になるほうを選択した。

「畳の上に寝転がって、アイパットでレゲエでも聞いてるッスよ。ノーパンミニスカ以外の仕事が出たら、教えてほしいッス」

 私はうなずいて承知した。

「では。続きです。第三の場合」

 教授がテーブルに頬杖をつく。

「いったい、何番目まであるの?」

「構成員を基にしたルール分析は、いったんこれで終わりにしますよ。本題行く前に、日が暮れてしまいますから。ええっと。第三の場合。家庭内裸族」

 結論から言ってしまうと、おそらく前二者より情報収集の意義はあるでしょう。完全写像型ヌーディストサークルの雛形にして、人社遷移型の垂直タイプ、になります。

「成人男女が集団に入れ替わっていく場合を、水平型人社遷移とすれば、子どもの成長によって、あるいは成人男女の老化によって、参加メンバーのセクシャリティが変化していくという特殊ケースになります。観察対象は、だから、核家族というより、二世代三世代にわたるような大家族のほうが調査しがいがある、といえるかもしれません。また、親が裸族で子どもが着衣のひと、あるいはその逆のパターンなどもあるでしょう。裸族と着衣がほどよくミックスになるケースも、もちろん考えられます。稀なケースが多々ありそうなので、調査しがいがあるんですよ。人社相転移は、子どもがいる家族の場合、思春期に入って性の意識に目覚めるようになったら、どんなふうにルールが変化するか、です。この意味で、ある程度以上の長期に亘る観察が重要になるのかもしれません」

 以上、構成員の性質から探る、ヌーディズムの倫理の例です。オーソドックスなのも含めて、アンケートによる情報収集が可能、というかアンケート調査がメインになるでしょう。そもそもの実験群が含まれているのだから、このアンケートとその処理結果が論文のメインになります。

「で、お待ちかね、みんなでノーパンミニスカ、のケースについて、です」

 今までの調査対象は、すべて、オーソドックスなヌーデイストサークルに対して、構成員が特殊になるというケースでした。では、構成員以外の要因では?

「全部を網羅しようとすると、むちゃくちゃな量になります。それだけ、論文のネタがあるということですが。で、ヘテロドックスの場合三例で打ち切ったように、構成員以外のケーススタディも数を思いっきり絞ります」

 一つ目。「時間と境界」

 二つ目。「認識と身体」

「一つ目は、ヌーデイストサークルの異化作用が、薄れていく、そのプロセスのあり方を調査するための対照群を設定しようということです」

 近代ヌーディズムには内外を隔てる境界が大事、ということは再三に亘って述べている通りである。石器時代から連綿と続くような、「外部」が存在しない裸体文化の存在、今でもアフリカ・アマゾン・ニューギニアに存在するような、着衣が発達していない文化の住人は、先進国の裸体主義者が感じているような羞恥心、開放感その他違和感を感じていないだろう、というのがまず前提条件となる。この、非日常性を徐々に薄れさせ、非日常性が日常性に転化していく過程のキーが「慣れ」、こなれた言葉で言えば「時間経過」であり「境界の忘却」ではないか、というところから、この個別の実験になる。

「注釈、入れておきます。境界を忘却するということ。徒歩でも自転車でもいいんですが、移動手段に対して、ヌーディスト村の実面積がとても広かったり、山、川、海、崖等の自然地形、壁や塀などの人工障壁のお陰で、外部の着衣文化に触れる機会がめっぽう減り、それを忘れそうになるケース。あるいは、人口や人口密度が巨大なため、着衣者なしでも生活その他が送れてしまう、つまり外部世界は意識しなくとも生きていけるが故の錯覚。そして、自分が裸であることを忘れて、あるいは気がつかず、着衣社会に戻っていってしまう場合」

 時間、の作用の研究のために、ちょっとしたアイテムを紹介しておく。腕時計型の携帯型血圧計だ。私が毎食キャベツの千切りをたらふく食っている理由は、既に述べたと思う。高血圧だ。医者には再三、継続してデータを取りなさいと言われているが、トラック運転の時間が長くて据置型の血圧計ではしょっちゅう測定し忘れをおこしてしまう。時間や場所を選ばず定時に血圧測定をするために携帯型を購入したのだが、通勤用の車、ユニック・ダンプの二台の大型トラック、フォークリフト、軽トラ、事務所に自分用の作業場……と場所移動するたびに、しょっちゅう血圧計そのものを置忘れる。何のための腕時計型だ? と自分でも思う。仕方がないので、場所ごとに予備の携帯型血圧計を置いておくように、一ダースもの携帯型血圧計を購入した。なんとか物忘れをする癖を直した今、使用されていない大量の腕時計型血圧計が、ここにある。

 時間に言及したついでに、空間についても、ちょっと触れておこう。

 ヌーディストサークルの実験に使用される空間は、この場合、他から遮蔽物で隔離され、少なくとも視覚による侵犯が不可能な研究施設、ラボラトリー、略してラボをあてがうことになる。現実には、私の旅館でやる場合、ゼミ宿舎、B棟を念頭におく。ヌーディストサークルにおける実験のための刺激は常に視覚になり、だからこそこのコントロールのために密室めいた場所が必要となるのだ。

 さて、アイテム紹介の続き。

「血圧計はデータ測定のためなんで、後でみなさんにノーパンミニスカになってもらったあと、この携帯型を装着してもらうんですが……」

 ヌーデイストサークルの参加者が、実際ヌードになることで、あるいは他人のヌードを見ることで、性的に興奮しているか、チェックの一助として利用するということだ。現実には性的興奮をしているか否かは身体兆候として現れるわけで、裸体なら観察は容易である。それで、ヌーディスト活動中の性的興奮を示す指標は三つになる。一つ目は血圧計によるデジタルデータ(D)、二つ目は裸体観察(R)、そして三つ目は被験者本人の告白・インタビュー(K)。それで、興奮具合を示す関数をF(D,R,K)とする。他方、時間の経過にしたがって、完全に裸体になった場合を0、完全に着衣になった場合を1と定義する、時間の関数T(0、1)を考える。Tが常に1の値をとるとき、それは実験期間の終始、服を着たままでいるということだから、これはヌーディストサークルでもなんでもない。他方、Tの値が終始0のままなら、これは期間中完全にヌーディストサークルである、ということだ。で、たとえば終始0のケースで、関数Fがどんな変化を経るのか、実験してみるということだ。実験解説前の前提条件で述べたように、裸体が当たり前のプリミティブな生活なら、Fは限りなく0に近い状態になるかもしれない(ならないかもしれない)。これは、実験時間を無限大に延長した場合、こうなるかもしれないという予想であって、必ずしもFが逓減関数になるとは限らない。人によっては、ヌーディストサークルの滞在時間が長ければ長いほど興奮が増す、というタイプもいるかもしれない。一般的な法則への案内とするためには、統計学の大数の法則が云うように、被験者をできるだけ増やす努力が必要になるかもしれない。この終始0だけを観察対象にするなら、わざわざ特段のヌーディストサークルを作る必要はない。一般的なヌーディストサークル等ではできそうもないこと、関数Tをさまざま変化させて反応をみる実験をしたいのである。ようするに、ソリッドステートタイマのような一種のストップウオッチを使って時間を区切り、その区切った時間ごと、着衣になったり、逆にヌードになったり被験者に命ずる、ということだ(0<T<1と、半裸の具合の想定もできる)。最も単純かつ規則的なフリッカーから、乱数表を用いたランダムまで、関数Tの振動、あるいは「リズム」はさまざまなパターンが考えられる。もちろん、実験期間そのものを長くしたり短くしたり、といった作為も可能だ。それで、ヌーディスト村固有の性質が最も長続きしそうなパターンを探ってみたい、というとこである。何事も先入観を持ってコトに取り組むのはよくないが、効率よく実験をこなすための指針として、あらかじめアタリみたいなものをつけておくとすれば、性的刺激とはストックなのかフローなのか、という疑問が上げられる。ヌードになるリズムやインターバルの長さに関係なく、累積時間によって興奮は昂ぶっていくのか(あるいは消失していくのか)? それとも、一回ごとの「オン」時に完結する性的興奮の規則的パターンがあり、「オフ」時に裸体の陳腐化は阻止され、再び「オン」時に類似の曲線を描く、といういわばチラリズムのような刹那的な露出が最も興奮を引き起こすケースが普通なのか? それとも、見る・見えないに関する、生理や体内時計に起因した、性的興奮を促すリズム、みたいなものがあるのか?

 実験の意義は多々あるが、匿名性をキーワードとする本論の延長で例を挙げるとすれば、ブレインストーミングにおけるアイデア産出の持続性への応用等、が考えられるかもしれない。ブレインストーミングで思い出したが、ここでついでに「境界」についても語る。自分が裸であることを忘れて家の外に飛び出す、というのは、ほんとど漫画でしかお目にかからないシチュエーションではある。が、「うまく行き過ぎたブレーンストーミング」において、自分が「裸」であることを忘れた参加者が、この会合後も「裸」の意識のまま、歯に衣着せぬ言動をとってしまうことは、多々あるのではないか? ブレインストーミング終了後、クールダウンさせるためのヒント、それがヌーディストサークルで「境界」を意識させる実験の意義のひとつとなる。この実験の性質上、ヌーディストサークルはある程度外部を切り離して生活可能なラボの中で、長期間生活した後に開始するのが適当だろう。前述の関数Tを用いて、ある種の間隔ごとに着衣者に接触してもらい、結果Fの値を求める。実験協力の着衣者就任には本来、なんらかの条件縛りは必要ないのだが、候補者選別の工夫で鏡像的実験ができる。たとえばカップル……話を簡単にするため、夫婦としておく……の片方がヌーディストサークルに参加、もう片方が差し入れ面会を兼ねて着衣のままラボを訪問するという、単身赴任パターンを考えよう。夫婦の愛情が世間一般的な意味で正常だとすると、着衣訪問者の「嫉妬」関数は、時間経過とともにどんな曲線を描くのかは大変興味があるところである。また、被験者の性的興奮関数と、その配偶者の嫉妬関数に、どれくらいの双対関係があるか、も。さらに、その着衣訪問者に当該夫婦の子どもが加わった場合、どんな反応を示すか? もちろん、これらの場合、非訪問時期にも着衣側パートナーの観測を続けるのが前提条件である。嫉妬を定量的に観測する方法論が難しく、また、嫉妬と同時に性的興奮も抱いてしまうという複雑怪奇な心情が起こりえるかもしれない、というアンビバレンツな心理状態を扱う技術的な難しさもある。というか、いっそ「寝取られ」趣味の旦那連中を集めて被験者とし、測定するデータは性的興奮のみしたほうが、データ取扱方法が同じで簡単かもしれない。

「ねえ。ちょっと。いつ、ノーパンミニスカ、出てくるの?」

 地図子さんが痺れを切らしたのか、茶々を入れてくる。

「もう出てます。関数Tの単位時間を短くとってしまった場合、たとえば五分を1単位として脱いだり着たりを繰り返してもらったりする場合、実際の着替えの時間はロスタイムとなるわけですけど、実験時間に対してロスタイムが無視できない割合で大きくなるだろうと予測できます。それで、そのロスタイムを最小にする努力のひとつとして、ノーパンミニスカ」

 複数の実験によって、この格好をしてもらうので、ケース1とか、シリアルナンバーを振ったほうがいいかもしれない。

 ペロッとめくるだけなら、ものの数秒で裸体を、というか性器を露出できる。女性の場合、異性を性的に刺激する体表面積はもっと大きいわけで、胸まで簡単にあらわにできるようにワンピースタイプのを着用してもらうのが望ましいかもしれない……。

「教授が話を元に戻してくれたところで、ちょうどいいので次の研究テーマの説明に移りましょう。二番目、『認識と身体』について、です。こちらは、もっとノーパンミニスカ」

 身体にワイセツな部分はあるか?

 たとえば、女性の胸は、ワイセツにあたるのか?

 判例では「性一般における社会通念が時と所によって同一ではなく、同一の社会においても変遷がある」。

 現代ニッポンのワイセツは、取締の実効から司法や警察の判断を流用するのが、本来適切なのだろう。しかし、本稿では、司法警察の定義が取りこぼした庶民の実感も含めたワイセツ、すなわち、仮に日本にヌーディスト村ができたとき、そこに向けられるジャーナリステックな、あるいは素朴かつ過剰な感情について語っていくことにする。

 では、あらためて。女性の胸は、ワイセツと言えるのか?

 この観点からポピュラーな例として挙げられるのは、授乳中の女性の乳房、であろう。今を遡ること四十年以上前、私に妹が生まれたとき、家に客が来ようとも、母親が赤子に乳を含ませていたことを思い出す。おそらく、およそ半世紀前の東北の片田舎で、人前で赤子におっぱいをやるのは、ワイセツではなかった。さすがに平成も終わりにさしかかった今、若い女性でそういうことをするひとはいない。他方、半世紀前のその昔は、人前でキスしたり、尻を丸出しにしたりするのは、ワイセツと受け取られていたと思う。ウチの工場前の道路は、ちょうど女川高校(津波後閉校したけれど)の通学路になっていて、普通に歩くだけで尻が見えそうなミニスカート姿の女子高生が、朝晩行き来していた。私自身は見てないが、工場の従業員曰く、朝っぱらからキスしたりする生徒さんもいたそうだ。生徒さんたちにとってそれはファッションの一種であり、ワイセツではなかったのだろう。つまり、ワイセツに関する社会通念は、わが町の場合、この半世紀で逆転しているということだ。しかし、ウチの従業員、平均年齢70代半ばのお年寄りの常識では、無作法に見えているらしい。また、これは、半世紀以上前に子どもを生んだような、私の母親世代以上の年配者には生きている倫理のようだ。夏の夕涼み、縁側に薄手のシュミーズ一丁で座って、孫と花火をしているようなおばあさんは、未だ存在する。もちろん色気なんてみじんもない。ひたすらただらしないだけだが。人口密度が低く、ひとの視線がないということもあろうが、全体的に公然ワイセツに関する規範はゆるい。

 つまり、昭和中期に倫理を身につけたお年寄りたちにとっては、平成後期の今、常識がどう変化しようとも、昭和中期そのままの感覚で、ワイセツを判断する。

 そう、女性の胸がワイセツかどうかは、法令等はともかく、個々人のレベルでは、世間一般というより、その個人の「認識」を基に判断される。

 それでは性器のほうはどうか?

 宮城県には鳴子に「農民の家」という農協経営の温泉宿泊施設があり、ここには混浴もある。毎年紅葉のころ、ウチでは工場従業員を連れて、ここに二泊三日の社員旅行をする。基本、農協の施設だけあって、利用者も宮城県内の農業従事者がメイン。産業の特性から、もともと高齢就業者の多い職種だ。よって、この「農民の家」も、高齢利用者が圧倒的に多い。若い女性は全くいない。私と同年代、世間一般でおばちゃんと呼ばれる年齢の女性も、見かけたことはない。館内どこを見渡しても、おじいちゃんおばあちゃんばかり。何年か通いつめていると、おばあちゃんにも色々あるのが分かってくる。年金を貰いたてくらいの若いおばあちゃん。後期高齢者にさしかかった中くらいのおばあちゃん。そして仙人のような年齢不詳のおばあちゃん。性に関して、既に現役でなくなった人もおそらく少なからずいるせいか、なんともおおらかに混浴に入っていくらしい。ここには、他の混浴温泉では形骸化してしまった、混浴許可のそもそもの趣旨通りの運営が残っている。すなわち、ここに来る入浴者はみながみな達者なわけではなく、他の補助を借りないと入浴がしんどいというお年寄りもいるわけで、「農民の家」は、まさにそういう人たちのための福音になっているというわけだ。風紀上、とがめられるような、いかがわしさはない。ここの湯治客の多くは、字義通りに湯で身体を癒すために来る。同じ愛好者でも、混浴許認可の趣旨を曲げ、露出プレイに利用するような不逞の輩こそ、この「農民の家」の天敵に違いない。混浴の許認可を危うくするのは、その手のマニアだろうからだ。年金が「薄い」ために、そして農業の重労働の疲れを癒すために、年に数回の温泉旅行を楽しみにしているひとたちから、生きがいを奪うのはよくないことだろう……。

 さて、性器はワイセツか、という話であった。

 失礼を承知で言えば、しわくちゃのおばあちゃんたちの股間を覗こうとする出歯亀は、その手の好事家のうちでも、ひときわマイナーな部類に入るだろう。赤いハイヒールに欲情するフェティストが日本全国に何人いるか知らないが、巷間販売されているワイセツ図書のうち、フケ専ジャンルの出版点数を考えれば、同じくらい一般的でないだろうと思うのだ。それで、目抜き通りのショッピングウインドウに赤いハイヒールが陳列されていてもそれが公然ワイセツ罪にならないのと同様の程度で、社会通念上の一般人がワイセツと思わない性器があるのでは? と考える。そう、女性の胸の考察をしたときと同様(あちらは時間がファクターだったが、こちらはフェチズム)性器のワイセツ性も、一般的な通念より、個々人の「認識」に左右される割合が大きいと考える。

 今、ここでやっている思考ゲームの意味がはっきり分かるようにもう一度強調しておくが、司法当局・警察署の風紀担当の取締の根拠となすべき法・判例のワイセツについて語っているわけではない。

 もっと違った例を挙げる。

 いま「農民の家」を訪れた温泉愛好家グループがあるとする。このグループの男女が混浴に入っていても、公然ワイセツ罪で逮捕起訴されることはなかろう。しかし、このグループの同メンバーの面々が、混浴が非常に込んでいて入浴できないため、隣の、他の誰も入浴者がいない男湯に集団で入っていった場合を考える(あるいは、時間帯で男湯女湯切替する風呂屋で、混浴が男湯に切り替わったとしてもよい)。この場合、法曹・警察関係者でない一般の庶民からしたら、そのワイセツ度合いは変わっていない、のではないのか? 単に脱衣所の前につけた札を「混浴」から「男湯」に付け替えたに過ぎないからだ。もっとも、経済学にはコンテスタビリティという考え方があって、参入可能性(この場合はグループ以外のおじいさんの入湯可能性)を考慮すれば、時間の経過によって確率的に公然ワイセツ罪が成立する可能性が高まる、といえるかもしれないが。

 判例そのものが認めているように、ワイセツはときと場合によって同一ではない。しかし、その「時と場合」を支える社会通念一般は何を根拠とするのか? 平安時代や江戸時代から持ち越してきた土着の常識か? 海外から雑多な舶来品とともに持ち込まれた慣習か? それとも学問芸術の賜物なのか?

 これらすべての少しずつの衝突と調整というのが無難な答えなのだろうが、その「これらすべて」の中には、司法当局・警察の取締ポリシーも、間違いなく含まれているだろう。先の例で言えば、札を「混浴」から「男湯」に付け替えたところで、当の入浴者、隠居したご老人がたは特段ワイセツ度が増したと感じないだろう。マズイ、ワイセツだと感じるのはおそらく取締当局に近い立場、あるいは取締られる側(この場合でいえば、「農民の家」の経営主体や、許認可に係わる県庁市役所などの行政当局)に共感する立場の人間に違いない。取締のあり方が社会通念に作用する度合いが強くなればなるほど、これに係わる法の行使は自己言及的に、独善的になり、隠れ蓑の「隠れ蓑」的性質ベールは剥がれていく。もっとも、こんなカラクリを刺して国策、というか国家推奨倫理観のごり押し、みたいな批判はあたってないだろう。チャタレイ裁判当時の昭和色が濃い時代ならともかく、国民全部の最大公約数的なワイセツのあり方はどんどん縮まっていると思われるからだ。

 以上、語ってきたのは、日本のワイセツのあり方が取締当局の想定する唯一の基準だけでないこと、時と場所と当該部位と社会通念だけでなく、ワイセツを観測する個々人によってさまざまなあり方をするだろうという(要するに、「認識と身体」という、もうひとつのワイセツのあり方)、ある意味常識的なことである。

 で、ここで、ひとひねり、というかノーパンミニスカに繋がる屁理屈を述べる。

 筆者はヘンタイ・変人に属さないごくごくノーマルな現代ニッポン男子なので(ホントウだ)、日本のワイセツ、特に日本の公然ワイセツといえば若い女性の胸や尻を思い浮かべるが、このノーマルな性に関する常識は、これまでどれくらいワイセツ議論の俎上に載せられてきたのか? と疑問を呈する。ゲイやロリコン、フェティシズムといったある意味アブノーマルな性倒錯は、心理学や精神医学の分析対象とされ、実際、正当な医学の埒外でもその背景が語られてきた。しかし、その語り口は、ノーマルな規範なるものが存在すると言うのが前提で、正統派規範が性倒錯分析のための優秀な「道具」だからこそ、その「道具」自身のワイセツ性は検証されていない、と考える。つまり「ゲイ」「ロリコン」「フェティスト」と「ノーマル」は、本来ワイセツでないところにワイセツを見出す「フィルター」として、同値なのだ。ゲイが同性に、ロリコンが幼児に、フェティストが無生物に性欲対象を見出すように、ノーマルは乳房や性器と言った、おそらく本来ワイセツでない身体部位に、ワイセツを見出す。これら検証の逆、すなわちアブノーマルな性癖が思考のための「道具」として用いられるときは、たいていワイセツそのものや「性」そのものの解析が対象となる。ノーマルはノーマルだからこそ、盲点なのだ。人間の哺乳類本来の本能として、極「自然」に胸や尻を愛でるようになるのだ、というのは一種の判断停止だろう。今更ながら、ワイセツのあり方は有性生殖をする生物に由来するのではない。生物学・医学から社会学・政治まで、幅広い常識のバランスが織り成すエートスなのだ。老女の身体に対する考察から鑑みるに、実際に司法・警察が取締のよりどころとしているのは、社会通念などではなく、強いて言えば記号論的な性器等なのだろうと思う。で、社会通念のリアリズムに肉薄するためにも、ここで「場所や時」によらないワイセツの実験条件を示す。すなわち、ヌーディストサークルをラボに設け、くだんのワイセツ対象のみをさらけ出す、という特殊な条件のヌーディストサークルを作ってみる、ということだ。具体的に考えているのは「リバース・水着」である。この装置は、司法当局・警察が公共の場として定義する場で、隠すべきと線引きする身体部分を覆う布地部分を反転させることを目論む。つまり、水着着用で隠される部分をさらけ出し、さらけ出しっぱなしの部分を覆う。インターネット内のショッピングモールというのは、売ってないものがないほど品揃えが豊富であって、この手の実験にお誂え向きのエロ衣裳もあるようだ。乳房に関しては、ひところ話題になったピーカブータイプのセーターやシャツ、そして尻に関しては乗馬やバイクで愛好されるチャップスパンツというのがある。完全な裸体の場合、ある程度以上の長期になればワイセツ性が薄れるかもしれない、という予測をしたことがあるが、こういった変則パターンではどうだろうか? トップレスビーチに日参する男は、次第に胸に対する興味をなくすか? 産婦人科の医者が女性器を見飽きて、奥方とのイトナミに支障をきたすという都市伝説は実証できるか? 他の性倒錯、ゲイやロリコンやフェテッシュが、矯正不可能なほど膠着状態にあるように、胸や尻に対する異常な興味の膠着というのはあるか? いや、実際に胸フェチとか尻フェチというのはいるだろうから、実験の結果、尻フェチ等のフェティストとノーマルな性向の分離はできるか? ある程度長期に亘る実験が終了したら、タイマーを用いて時間当たりの変化を探る、というのも前出の実験と一緒である。前出の実験との区分をつけるために、露出時間中はあえて胸や尻を強調するポーズをとってもらう、とするのがいいかもしれない。

 一つ目の実験が、ヌーディストサークルの異化作用の変遷に対するものなら、この二つ目のは、ヌードそのものの異化作用を検証するものである。

「他にも、多種多様な実験、ラボを用いて、その中に特殊なヌーディストサークルを作って、というのはあるんですが。たとえば、現在話をしたのはタイマーを用いて興奮のパターンを探る、という実験ですが、逆に、ちょっと露出狂的ですけど、任意に見せたいときに見せてもらって、その時間パターンを探るというヤツとか。あるいは、今、ヌーディスト村ということで、皮膚に対する刺激は視覚に限定していますけど、これを聴覚、嗅覚、触覚、味覚等に変えた場合、違った変化はあるか? とか」 黙って聞いていたチカが、再び声をあげる。

「ちょっと。味覚って、何?」

 母親が、まあまあととりなす。

 私は続けた。

「入り口は確かに経済思想ですけど、実験の中身自体は社会学に肉薄していると思います。そもそも、ヌーディストサークルにインタビューをしてルールを探る、という発想自体、フランスの社会学者ジャン=クロード・コフマンの『女の身体、男の視線』からの拝借なんで。この著作は浜辺に赴いて海水浴客から直接、女性のトップレスに関する話を聞いてくる、という方法論を使ってますね」

 学者の名前が挙がったからか、教授が興味を示す。

「ねえ。入り口が経済思想なら、出口は何よ?」

「出口は……女性学、かな? ミニスカートをはいている女性に、男に見てもらいたいからそんな格好をしているんだ、とか、男を誘っているんだ、だったら期待通り痴漢してやれ、みたいな発想は、ヌーディズムの倫理うんぬんからは言語道断です。もちろん、ヌーディズムの倫理がなくとも、言語道断の行為に違いありませんが。逆に、乳房やお尻丸見えの格好で出歩いても、絶対安全な状況を作る、というのが、この倫理の趣旨からすると正しい」

 教授の興味に答えるべく、既存の学問分野との関連を続ける。

「ヌーディズムに関する研究、インタビュー及びラボを使ってのものは、単なる経済思想、単なる社会学に留まらないインパクトを持ちえます。もちろん本論は情報資本主義とは何か? ですけど。ワイセツ、という概念をこういった形で解析するのは、ジャーナリズムにとっても新鮮じゃないでしょうか? 出版社新聞社等が散発的にやっているワイセツに関する統計調査の、社会的な雑駁さを切り落とした研究というのは、寡聞にして知りません。昭和三十年からワイセツ裁判においては、社会通念、社会通念とお題目のように繰り返されてきたワイセツに関する基準ですが、検察側・被告側がこれまで通り平行線の主張でぶつかりあうにしても、歩み寄るための道しるべになりそうな気がするんです。たとえていうには恐れ多いですが、たとえばキンゼイリポートなみのセンセーショナルを生み出せれば、と。いずれは、モアリポート・ハイトリポートみたいな、女性側からのカウンターがあれば、日本のワイセツ概念はもっと豊かに、建設的になることでしょう」

 教授がすかさず反論する。

「キンゼイリポート? サンプルとして刑務所にいたことのある前科者二十五パーセント、男娼五パーセント。タブーを語るに躊躇しない被験者ばかりを集めた。塩沢教授が言ってたよ、社会学者として、あの方法論は到底受け入れられないって。私も勧められて、読んだ。で、感想。私は政治的に右でも左でもない、そもそもアメリカなんてえんもゆかりもない人間だけど、あれはともかく、一種のプロパガンダでしかないと思う。それも、発表者本人が昆虫学者として少なくとも一流の名声を得ていて、データの大量収集と統計的分析でやたら説得力のある外観を持っていたという二重の意味でタチの悪いプロパガンダ。アメリカで、このレポートを語るときには、どうも政治的文脈から切り離しえない印象だけれど、だから岡目八目で語られることもある。あれ、世間的にはクソ真面目って思われていたお坊ちゃんが、自分のヘンタイ性に気づいて声高に叫びたかった、けれどパパが怖かったから、学問のふうを装って、自分のヘンタイ性を正当化すべく叫んだ。それ以上でもそれ以下でもない。違う? 日本版キンゼイ君」

「ちょっとだけ、違いますね」

 私は確かに、両性愛も、寝取られ・寝取らせ趣味も、近親相姦もロリコンもSMも好きで、屁理屈満載の倫理を装って、ヘンタイ欲求を満足させるべく犠牲の羊ちゃんたちを研究に従事させようとしている。けれど、日本版キンゼイではない。私はさらに、尻と露出狂とチラリズムが好きなのだ。ヘンタイ学者の悪趣味に加えて、ミニスカノーパンに異様に興奮する私は、日本版キンゼイじゃ、ない。

「じゃあ。悪化版キンゼイ君。研究は研究室の中でのみ、やりなさいって忠告しておく。魑魅魍魎は、ラボの中に閉じ込めておくからこそ、魑魅魍魎でいられるの。学問的なサムシングニューを生み出せるの。社会に解き放たれて、正体がばれちゃったら、あんたは、東北のド田舎でゴミのリサイクルをしているオッサンでしかない」

「教授」

「なによ」

「はじめて、教授っぽいこと、言いましたね」

「殴るよ」

 再び研究の手続きの話に戻れば、各種ヌーディストサークルへのアンケート調査は、関西に戻ってでもじゅうぶん可能という結論に達した。今、ここでやるべきことはラボ形式の実験、そう、私がこのゼミに加わっている間、やったほうがいいという実験だ。実施にあたって、手順の詳細を私に聞くしかないという、至極現実的な理由もさることながら、ゼミメンバーのパンツをいかに脱がせるか、その説得の労を考えれば、このままウヤムヤのうちに実験を始めたほうがいい、と教授はウエノ君に忠告していた。

「今更ですけど、ウエノさんの指導教授、この手のエロに厳しいひと、ですよね?」

「そうよ。いまさらよ」

「文献調査、アンケート調査だけならともかく、この実験をやっちゃったら、塩原教授との決裂、決定的になりませんか?」

 地図子さんの顔に、悲壮感が漂う。

「そうよねえ。そうなのよねえ」

 チカはなぜか楽観的だ。

「大丈夫よ。ミニスカートの下にはスパッツはいてたことにして。お尻の代わりに、背中見せたことにすれば、いいじゃない」

 まあ、どっちにしろ、私はやらないけど。

「そんなごまかし、通用すると思ってんの。塩原さんには白々しいって言われるに決まってる。どこまでも面白がって、中途半端なこと、言って。ホント、この娘は」

「ウエノさんが教授、なりそこねたら、また、新しい彼氏を作ったら、いいじゃない。ホラ、若いツバメ、若いツバメ」

「チカっ。いくらお母さんでも、言っていいことと、悪いことがあるでしょっ」

「でも、ウエノさん、怒ってないよ? 少し、苦笑してるけど」

 私が間に割ってはいる。

「……いや、ウエノさん、べそかいてないですか?」

 泣いているような、笑っているような男の表情というのは、同性からみて惨めな感じだ。

「母娘のケンカの前に、ちょっと、ラボ内作業の話、してもいいですか?」

 実際の欧米のヌーディスト村では、主にレクレーション……スポーツ、音楽、絵画、その他の趣味……等を、ヌードレクと称して実施する。ラボでもこの「村」に準じてレクレーションをやるとして、狭い空間内でのことなので、やることが限られてしまう。カラオケやビデオゲーム、アニメ鑑賞、それにツイスター(!)。それで、日本人ならではのヌーディストラボとして、これらレクの合間に仕事をこなすことにしたい。

 実は、食堂に戻る前、ネコの墓穴掘りをしているときに白石さんから連絡があって、破れた服とかはあきらめるから、やっぱり女川姫のキャラ作りをしたい、という申し出があった。公式の場に出すのとかとは別に、キャラを作ったりコスプレしたりイラストを描いたりするのは自由だろうから、勝手連として創作しましょう、と私は結局返事した。で、みんなでこのオリジナルキャラ完成を目指しながら、ラボ運営をすることにしたい。ただ、コンセプトとして、戦災で落ち武者と一緒に逃げてきて、ではなくて、戦乱も終わり、腰を落ち着けてここで新生活を始めようとする姫、と時間を少し未来に延ばした状況で、と私は注文をつけた。キャラクター造詣の縛りとしては、もし、平安後期の衣裳はよして(なんせ時代考証がめんどくさい)現代的な意匠でいくつもりなら、白石さんがとっかえひっかえオタクサークルに着て行くような今時のコンサバな服に、あえてオッサンくさいブカブカのジャンバーでもひっかけ、ヘルメットに編み上げ半長靴ではどうか、と提案してみた。インターネットでぐるりと検索しても、こういう着合わせのキャラはおらず、しかもリアルコスプレするための服は、至極簡単に調達できる。

 私自身はこの手のには全く詳しくないので、もっと詳細な条件を煮詰めるのは、チカにお願いする。白石さんはコスプレ指導、モデルは大宮妹、アマネ君と大宮兄には、これと対になるようなキャラを作ってもらうというのでは、どうだろう。兄妹というのは近鉄バッファローズのベルのように、野球のマスコットの設定になるくらいポピュラー、妹キャラからの設定も流用できるし、考案はシロウトでもそう難しくないような気がする。あまりキャラが立ちすぎて主役の姫を食ってしまわないようなのを……と、あらかじめ条件を課しておきたい。福島君はテーマソング、町内にギター工房もできることだし、バンドで演奏できるようなのを……。

「ウエノ君は、どうするの?」

「教授の指導のもと、自分の研究に専念ですよ。地図子さん自身にも、全体の監督をお願いしたいんですが」

「ポトフ君。あなたは? みんなに混じって、ミニスカノーパン?」

「そういうこと、やってもいいんですけど、実際はヒマ、ないと思います」

 ソリッドステートタイマーを用いたタイムキーパー、血圧計データ採取、その他、そもそもの実験考案者として助手兼指導者兼雑用係として、やらねばならないことは数限りなくあるように思える。

 黙って聞いていたウエノ君が、ようやくメモから顔をあげた。

「ゼミのみなさんには、どれくらい報酬を払うべき、なんでしょう?」

「それは、教授に相談してください」

 その手の相場は、分からない。

「みなさんに散々無茶な協力をしてもらって、うまくいかなかったら……」

「心配性ですね」

「ポトフさん。このネタ、他の誰かに話したりしたこと、なかったんですか?」

「なくはありません。でも、まともに取り合ってもらったこと、一度もないんですが」

 ネットでしか繋がっていない、顔も本名も知らない「知人」に、かつて忌憚のない意見をもらったことがある。いわく、スポーツ新聞の定期購読者や、少年ジャンプ愛読者のお馴染み『民明書房』の記事を楽しめるようなひとなら、「ひとを食ったようなオオボラを真顔で話して、みなを煙に巻く君の手管」を楽しめるかもしれない、と言われた……。

「オオボラ、じゃないんですけどね」

「じゃあ、中ボラ、小ボラ」

 チカがまぜっかえすのを、今度こそ地図子さんは無視する。

「ヌーディストラボのほうの詳細、詰めていいですか?」

 白石さんのキャラ作りのほうではなく、ウエノさんの研究のほうの、である。

 あらためて、部屋に戻ってしまったゼミの面々を招集してもらう。

 女性陣用のミニスカートは、チカ以外、なぜか全員持ち合わせがあった。彼女によると、中学高校と大阪神戸で過ごしたため、大学に上がるまで、そもそも膝下丈のスカートしかはいたことがなかったとのこと。「お母さんも泉州出身のくせに、短いスカート好きなのよ、いい年して。京都でどういう学生生活送ったのやら」なにか意味ありげな目配せを私に送ってくる。もともと美大出身、自身のサークル活動では勉強と称して毎週のように男女のヌードモデルを使っていたひとだ。四半世紀を経て海千山千ぐあいに拍車がかかった今、教え子を脱がすのに、グズグズするようなひとじゃない。そういえば地図子さん自身が人前で脱いだ記憶はないけれど、他人を、特に年頃の男の子を裸に剥くのはの、全く抵抗がなかったはず。娘には甘くとも、彼氏と両天秤をかけるとすれば、躊躇なくオトコを選ぶタイプでもあると思う。

「……これだから、ダメんずウオーカーは」

「まあまあまあ」

「チカ。あんたもオトコができたらわかるよ」

「オトコできたって、分かんないと思う。てか、そういう無理強いするようなオトコなんて、こっちから願い下げ」

「チカ。そんなのどっちでもいいけど、アンタだけは強制参加だからね」

 故事成語にあるでしょ。隗より始めよ。自分から脱げ。ついでに娘も脱がせって。

「……私、イヤ。絶対、ホンキで、イヤだから」

 ゼミ女性陣は、といっても白石さんはそこそこやる気だったので大宮妹とチカは、断固拒否と言い張った。

 わけがわからない、という顔で、チカが白石さんを説得(?)しようとする。

「ナオちゃん。こんな、ハレンチな実験につきあわなくても、いいよ。貞操観念ズレてる大学教授の、彼氏のための極プライベートな仕事なんだから。無理強いされたら、アカハラで訴えればいいから。私、応援するから」

 当の姫はなんだか遠い目になって、彼女自身の半生……というか、これまでの大学院生活を語り始めた。曰く、「とりまき」を集めるための、色仕掛けあり権謀術策ありのサークル活動。曰く、友人に頼まれ、地下アイドルのゲストとして、ビキニその他の半裸で汗臭く暑苦しいオトコたちに握手してきたこと。曰く、完全な信者になったという取り巻きに騙されて、Tバックその他の写真掲載の、自分の着エロCDを手売りするようになったこと。曰く、騙されたことが発覚し、同情したサークルの面々がようやく「姫」と持ち上げてくれるようになったけれど、彼らの要望に応えるべく、「もっともっともっと」過激で布面積の少ない水着で着エロするはめになったこと。

「なによ、チカ。あんたはかわいいから、ブスが脱ぐっていう、苦労っていうか、覚悟っていうのが、分かんないのよ」

「いつものブリっ子の話し方、どこいったのよ、姫」

「ここで苦労しなきゃ、一生ブスの気持ち、わかんないままよ、チカ」

「だから、そういう斜め下な逆ギレ、やめてよ。いったい何に向かって怒ってるの?」

 とにかく、母親が失敗した説得を、白石さんは押して押して押しまくって、承諾させた。

「で。実際のスカートだけど……」

 白石さんのはお嬢様風ワンピースタイプ、なぜか大宮妹のはキャバクラ嬢っぽいキャミソールタイプだとのこと。実験の趣旨からすると若干丈が長め、白石さんがコスプレ衣裳作りで鍛えた裁縫の腕で、短く詰めることになった。

 男性陣のは、一応ウエノ君のも含め、石巻市内に買出しである。アマネ君だけは、自前のがある。どうせ白石さんが手直しするだろうから、ムダ足踏ませないように蛇田のイオンにいけ、と私はアドバイスをした。男性と女性では骨格が結構違うので、痩せているように見えても、サイズが大きめのが必要になるよ、とアマネ君が付け加える。

「一緒に行かないんですか?」

「だから、買う必要ないんで」

 他の男性陣は試着の必要があるのだから、どうしてもいかねばならない。ぞろぞろ女装する男どもを見て、店員さんがどんな反応をみせるのか、見られないのは少し残念、ともアマネ君は言った。

 私はといえば、工場に戻って道具の準備である。

 腕時計型血圧計は確かに数はあったが、長らく使用せず、うっすらホコリをかぶっているのもあった。ウエスで磨き、眼鏡拭きでぬぐうと、光沢を取り戻した。のち、居残りのアマネ君に装着してもらい、実験をした。血圧計というのは着け慣れないひとにとっては緊張の元になるらしく、測定開始して、しばらくの間は異常な値が続いた。「普通の服でこれだけ心臓ドキドキ鳴るなら、女装で心臓破裂しそうになるね」。アマネ君は機械を珍しそうにいじくっては、言ったものだ。

「いや、あなたなら大丈夫、そもそも普段から女装しているでしょう」

 私のツッコミを、アマネ君は笑ってかわした。

 結局、彼の心拍数は半日経って、やっと落ち着くほどだった。測定にはリラックスした姿勢が必要とのことで、A棟の客間から、遊んでいる座椅子を四脚ほど調達してきた。問題はタイマーのほうだった。規則正しく同じリズムを刻むのには適しているが、ランダムに時を刻むという仕様にはなっていない。タイマーの代用として、シーケンサにすることにしたが、今度はラダープログラムの組み方が分からない。普段、せいぜいタイマーに毛の生えたような使い方しかしていない文系人間には荷が重すぎた。仕方ないので、実験の最中、ずっとノートパソコンを立ち上げておくことにした。ベクターその他からフリーソフトを調達し、二つ三つ組み合わせると、お誂えの代物ができた。

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