6章 無事に、一か月限定覇王はお役目を終える。
6 ”これは三年間東皇学園に君臨したかわいい覇王の、序章を綴った物語である。”
戦いの翌日。学園治安部は今日も平和だ。
「一堂君、そこの本たちは本棚へ入れてください」
「はい。わかりました」
残り二日目の今日は部内掃除の日。僕らの放課後は、荒らされた教室の復興作業に充てられていた。
僕は床に散乱した本を本棚にしまっていく担当を、かれこれ一時間近くこなしている。
「ふぅ。終わりましたよー?」
「おつかれさま。今紅茶を用意するね」
先に仕事を終えていた綾芽さんが毒物を生成しに台所へ身を運ぶ。結局慣れることはできなかったが、存命するためすぐに断らないと!
「あっ、ああ……うん、ありがとう」
しかしその思いには相反し、口がどもってしまう。綾芽さんは紅茶の準備を始めてしまった。
「どうした、いつもだったら適当に理由付けるのに」
台所まで聞こえないくらいの師匠の小さな声が耳元で霞む。
確かに通常であれば「お茶持ってきちゃいました。あはは!」とか言ってその場をしのごうとするけど、今日はしなかった。
「いや、もう飲む機会もそうそうないな、と思ってしまって」
苦い思い出、というやつだ。あ、今の僕うまい。まあ苦い、というかコスミックだけど。
「飲みたいと思ってんのかアレを……。龍馬ちんもなかなかのドМだな。それともものの一か月で慣れたってのかよ」
師匠がうへぇと吐き気を催した。まだ慣れてなかったんですね。
「そういうわけじゃないんですが、ほら僕もう明後日にはいないわけですし」
「……あぁ確かにな。龍馬ちんの一か月限定覇王ももう終わりだもんなー。いやー時が経つのは早え」
体は子供なのに、なんでそこまで中身がおっさんなんですかね師匠は。
そんなことを話しながら、掃除を終えた師匠と僕はデスクの椅子にもたれる。すでにそこには純恋さんと鈴蘭先輩が座っていた。純恋さんは本を読んでいて、鈴蘭先輩は何かの資料を作成していた。
「そう言えば明日で最後でしたね」
「……はい」
僕が『覇王(一か月):一堂龍馬』と書かれた氏名標を暫し眺めていると、それに気づいたのか鈴蘭先輩が微笑んでくれた。相変わらず純恋さんはノーリアクションだ。
なんだ。誰も止めてくれないんだ。
僕の心に隙間風が入り込んだ。
覇王になった時、あまりに理不尽すぎる扱いに僕は確かに疲弊した、すぐに辞めたいと思った。……はずなのに。
いつからだろう。いつから「あと〇日で終わりだ」から「もう〇日で終わりだ」に発想が転換したのだろう。実は割と前からだったかもしれないし、最近だったかもしれない。
でも部活動紹介をして、歓迎旅行をして、覇王の危機も乗り越えた僕にとって、居場所は完全に学園治安部になっていたんだ。
だから恥ずかしいけれど、僕は願ってみようと思う。
「師匠」
「ん、なんだ?」
「あの、僕が辞めたらどうするんですか? ほら後任の覇王とか決まってるんですか?」
どうせ暇を持て余している学園治安部なら、まだ決めかねて――
「あぁ、新しい覇王ならもうとっくに決まってるぞ」
その言葉が耳に入る。するとそのまま全身を毒が回るように蝕んでいった。
え?
「……そうですか、そうですよね」
その衝撃の一言に、僕は何かを失い、ただ黙り込むしかできなかった。
師匠と鈴蘭先輩がアイコンタクトを取る。その理由は僕にはわからなかったが、二つの言葉が脳内を彷徨った。
僕は、ここにいたい。
でも、いれない。
***
家に帰ってからも毒が僕を襲い続けた。
後任の覇王が決まってしまえば僕はもう用済みで、もちろん居場所はない。それは当然のことで、最初僕が喜んで承諾したことだ。
もうあきらめる他ないのかな……。
「……にー! ねぇ、にーってば!」
「え、はい?」
目の前には花梨が座っていた。そうだ、今は夜ご飯だ。
「そんなに醤油入れたら癌になるよ?」
気づけばマグロの刺身が入っていたお皿に醤油を注ぎ続けていた。マグロなんて見当たらないくらいに真茶色だ。
「ごめんごめん。ちょっとボケっとしちゃっててさ」
僕は醤油まみれのマグロを箸で救出すると、そのまま口へ運んだ。とっても塩辛い。
「今日のにー、なんかへーん」
「そんなに変じゃないよ」
さすが兄妹。図星をついてくるスピードも格別早い。
「変だよ。ボケっとしてるし、いつもだったら何か気持ち悪いくらいの幸せそうな顔をしてるのに、今日はそんなしけた顔しちゃって。せっかくのかわいい顔が台無しだぞ?」
そのあと付け足すかのように「そう言えばにーは男だったっけ」とからかう花梨。
「気持ち悪いくらいの幸せそうな顔?」
「え、うん。ここ一か月ってか帰りが遅くなってからかな。にーが何か部活でも始めて楽しいことでも見つけたのかと思ってた」
「……そうなんだ。やっぱり」
自分では薄々気づいていたことだけど、他人から言われるとやっぱり説得力がある。楽しかったんだ、僕は。
「まあ、にーの帰りが遅いのは寂しいケド」
なぜか最後に好感度を上げようとセリフを一つ付け足してきた。僕は当然、「はいはい」の他に答えることはない。
「なぁ花梨?」
「なにかな、相談にならこの花梨様がのって差し上げますよ?」
「ありがとう。……あのさ――」
僕は思い悩んでいることを花梨にすべて打ち明けた。もちろん『覇王』だとか『東皇四天』とかいうワードは出さずに、たとえ話にすり替えたけど。
「ほおほお。嫌々一か月限定で部活の部長に任命されたんだけど、今は楽しくてそれを続けたい、とな? それで今日部長の任期を継続しようと思ったら、もう他にやってくれる人が見つかったので要りません、というわけですか。ふーむ」
花梨が考えるのに時間はいらなかった。
「普通に部員になればいいのでは?」
「注意事項。僕は部長以外はやらない」
というかできない。それだと僕が東皇四天になるコースだからね。
「ふむふむ、にーはかなりの傲慢さんなんですね」
「違うけど、今はそういうことにしておいてくれ」
「そうですかー。では他の部員を説得すればいいんじゃない?」
花梨は手っ取り早く次のアンサーを出していく。だが、その意味は理解できなかった。
「は?」
思わず口からこぼれるはてなマーク。
「明日までにーは部長なんでしょ? だったら明日懇願すればいいじゃん?」
「一応、なんて言えばいいの?」
「それはまぁ『私をまた部長にしてください!』みたいな」
花梨が意図的に女子バージョンをやったのは普通にスルーして、と。
「なんかおこがましくない?」
僕の質問攻めに、花梨がやれやれとため息をついた。
「はぁ、にーはヘタレさんですなー。よそよそしいんだよ、女子かよ。男ならイケイケゴーゴーって感じでしょ! もうちょっと自分の欲を出してもいい、と天才妹は思うのよ」
「天才妹って、自分で言うんだ。確かにそうだけど」
「えっへん」
花梨は椅子に座りながらも背筋を立てて、堂々とした表情で僕を見る。
「でもありがとう花梨。参考になったよ」
「当たって砕けろだぞ、にー!」
「花梨、砕けたらそれは断られてるぞ」
縁起悪すぎるだろ。それでも、やらない方が後悔するかもしれない。
「はっ⁉ そういうことじゃなくて!」
花梨が首を物凄い速さで横に振る。……僕のことを応援してくれているんだな。
「うんわかってるよ。ちょっとお兄ちゃん頑張ってくる」
***
覇王生活最終日。いつも通り、学園治安部は平和だ。
全く、僕の最後のお勤め日だっていうのにこの感じだから困っちゃうよね。
「あ、あの。皆さん、デスクに座ってくれませんか?」
僕は例の話題を切り出そうと、東皇四天様に促した。
「なんですか一堂君」
「珍しいなー龍馬ちんがオレらに命令なんて」
「それで、なになにー?」
「……」
鈴蘭先輩と純恋さんはすでに着席していて、紅茶を準備していた綾芽さんとゲームをしていた師匠が移動してくる。
「早く言え、私は忙しい」
本を読むことがですか。
いやそんなことはどうでもいい。
「あ、あのですね……え、っと」
「龍馬君もしかして風邪?」
「違うから! 僕にしてくれませんか覇王! ……あ」
綾芽さんがあまりに急かすものだからうっかり口が滑ってしまった。
「はい?」
「何言ってんだ龍馬ちん?」
「どうしたの?」
「……」
分かっていた通りの質問と無言だ。敗北ルートが色濃いではないか……。
ええい、ここまで言ってしまった以上突き通すしかない! 信じるぞ我が妹!
「覇王です! もう別の新しい人が決まってるんですよね? それを取り消して僕を覇王にしてくれませんか!」
僕はデスクを両手で叩いて、目いっぱい叫んだ。その声はかすれていたし、うまく出なかったけれど、過去一番に男気が溢れていた。
「何か勘違いしてねーか?」
「……ですよね」
僕はそのまま小さくなると、黙って着席した。
「そーゆーことじゃねーよ」
今まで真一文字に閉められていた師匠の口が、綻んだ。
「……?」
じゃあ一体どういうことなんだ?
「なんだそんなことか。普通に明日からも来るのかと思ってたぜ」
「私も龍馬君のために新しい紅茶を買ったんだよ?」
綾芽さんがスーパーで買ったらしい紅茶をビニール袋ごと見せてくれた。
「じゃあ一応聞いてみるか? 龍馬ちんが覇王でもいいよーっていう賛成の人?」
四人中、三人が手を上げてくれた。しかし純恋さんはやっぱり頑なに手を挙げてくれない。
「えっとーちなみにこれは多数決ではなく全会一致でないと決定できないんですがそれでもよろしいですかね純恋ちん?」
師匠が純恋さんの顔を覗き込んだ。にんまりと笑う師匠に何か吹き込まれたのか、純恋さんは読んでいた本で顔を隠すと――よろよろと力なく手を挙げた。そしてそのまま顔を本で隠したままにする。
「素直でよろしい」
師匠がそう言うと、東皇四天の三人は手を下げる。
決着は、ついたようで。
「……ということは、僕ここにいてもいいんですか⁉」
「むしろ龍馬ちん以外に務まるやつがいねーっての」
「大歓迎です」
「うんうん!」
「オレらが龍馬ちんを覇王にさせたんだ。部長の言うことは絶対だぞ? 新卒の平社員のくせに先輩に口答えしてんじゃねーよ」
師匠が笑いながら僕に弱めの脳天チョップを食らわせる。
そして師匠は息を少し吸って、
「一堂龍馬。お前を五十一代覇王に任命する」
と、おもむろに告げた。そして僕の氏名標の白文字、『覇王(一か月):一堂龍馬』の一か月の部分をマッキーペンで塗りまくる。
僕はデスクに置かれた『覇王:一堂龍馬』の氏名標を取り上げ、見ると、思わず笑みがこぼれてしまった。自分の表情なんて自分ではわからないけれど、この時は絶対に雲一つない笑顔だったと自信が持てる。
それに達成感が体の隅々にまで行き渡っては、心を潤していた。
ほんの少しだけだ。この部室に来てから一か月の出来事が、僕を少しだけ変えてくれた。
――学園覇王の僕は、少しだけ男になった。そう思うんだ。
「……はい! これからもよろしくお願いします!」
この人たちといれば、僕をもっと変えてくれるかもしれない。
学園覇王の一堂君は男になりたいっ! 小林歩夢 @kobayakawairon
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