4-2 ”なんで女子五人なのにこの子だけ一人部屋なのかしら”
「やっとついたなー」
「結構遠かったですね」
温泉旅行『湯の宮』の看板の前で送迎バスが停まり、降りた瞬間に思ったことをすぐ口に出す師匠と綾芽さん。そんなセリフを吐けるのならまだ元気じゃないですか。僕はもう布団で眠りたい気分です。
確かにここまで遠かった。
学校最寄りの駅から電車で三時間、そして今の送迎バスで一時間。
「なんかごめんなさい。わざわざ遠くの旅館にしてしまって」
「いいんですよ。私は移動中も楽しかったです」
「ありがとうございます鈴蘭先輩」
表情に笑みを浮かべながら、鈴蘭先輩がさりげないフォローを入れてくれた。優しさが心に染みる。
この旅館は山の奥の辺境の地に位置している。しかし近年近くのお寺が世界遺産に登録されたらしく、観光客がこぞって予約する、いわば人気旅館なのだ。
なぜ予約が取れたのかと聞いたら、師匠曰く「急きょキャンセルが入って二部屋開いていた」とのこと。そんな都合のいいことがあったのかどうかは知らないが、真偽は言及しないでおこう。何があったのか、表世界で生きる僕にとってはそんなことはどうでもいい話だからね。
「ずっと言おうとしてたんですけど、師匠っていつもその恰好なんですね」
「こっちの方が気合入るからな。特訓をするにはもってこいだ」
部活時の正装である学帽学ラン胸さらしスタイルだった。服の種類がこれと制服の二つしかない、と言われても信じてしまいそうだ。
学校では皆制服だからまだなじんでいたけれど、皆が私服の中この格好で来られるとなあ……。周りから浮いてしまってコスプレイヤーだと勘違いされてもおかしくはないと思う。実際に今日、電車が秋葉原を通り過ぎた時に客から、「降りなくていいんですか」みたいな視線を集めていたことは僕だけのヒミツだ。
僕たちは旅館のチェックインを済ませると、各自の部屋へと案内された。女将さんは何故か僕を憐みの眼差しで見ていたけれど、決してそれは「なんで女子五人なのにこの子だけ一人部屋なのかしら」とかじゃないぞ! そう、決してな! 去り際に「何かあったらいってくださいね。お話聞きますから」とか言われたけれど、僕はそれを単なる母性として認識するようにした。やっさしーなぁっ女将さん!
案内された部屋は和風スタイルで明るい色の木材を中心とした部屋デザインだった。景色にしてもマウンテンビューで、生い茂る緑が風でゆらゆら揺れている。
「極楽じゃあー」
僕は荷物を放り投げると畳に突っ伏して、伸びるようにエア平泳ぎ。服と畳のかすれる音もまた心地いい。
僕が女将さんから受けた大量の精神的ダメージは一瞬にして回復した。
あれ、僕ってばここに何しに来たんだっけ。
「それじゃあ龍馬ちん、特訓に行くぞ!」
「そ、そうでした……」
その理由は師匠がすぐに教えてくれた。そして畳に吸われていた記憶を全て思い出す。
先ほどの疲れを感じさせないくらい元気な師匠が僕の部屋の扉を勢いよく開き、声を張り上げていたのだ。
「ええ、もう行くんですか? もうちょっと休んでから行きましょうよー。まだ一三時ですよ?」
対する僕は気分的に真逆にいる。到着したばかりで疲れたんだ、ゆっくりしたい。
「日が暮れちまうだろうが!」
「え……そんなに特訓するんですか⁉」
僕のエア平泳ぎは驚きによって止まってしまった。そして死んだ虫みたく固まる。
四月の日暮れと言えばだいたい一九時くらいが目安だ。ってことは六時間も動くのか!
小学校も中学校も部活に入っていなかった僕にとっては到底信じられない時間の長さだった。
「日が暮れるまでに帰ってこれるかは龍馬ちん次第だな――」
そう言って師匠は部屋の窓を開けると、どこか遠くを見ている。
「おー、こっからも見えるな。おい龍馬ちん、あそこ見てみろよ」
「……どこです?」
僕は立ち上がって窓から顔を出した。山奥の春風が頬に触れて、なんだかむずむずする。
「あれ、ほらあそこにゴンドラがあるだろ?」
「あ、はい。ありますね」
師匠が指さしている方向には確かにゴンドラが見えた。目測だと数キロ先ってことくらいしかわからない。そのゴンドラは山の頂上の折り返し地点しか見えていない。ということは向こう側の奥の谷にゴンドラ乗り場があることになる。
「まずはゴンドラ乗り場まで走る」
師匠が風景を弧でなぞる。ちなみに弧の形になったのは向こう側の谷までの道路がそうやって続いているからだ。
まずはアスファルト上でランニングかあ。特訓だから仕方ない。スタミナもつけておかないとね!
「それで次はゴンドラに乗って――」
「え、乗っちゃうんですか」
「どうする、行きも乗っちゃわない方がいい?」
師匠は新しい日本語で僕に訊ねる。
ん、待って。『も』って何? それじゃまるで……。
「乗って……その先は?」
「頂上まで行く」
「それで何か特訓してゴンドラで降りるんですね?」
「いや、ゴンドラでは降りねえ。こう行く」
師匠はありえないルートをなぞって僕たちのいる旅館に近づいてくる。おかしすぎる。なぜなら、なぞっている場所が黒のアスファルトではないのだ。頂上以降オールグリーン。そしてそのまま緑の道ではない裏ルートを辿ると、最終的にはこの旅館の目の前の森につながった。
「で、とうちゃーくってわけよ」
そりゃつながるよ、突っ切ってるんだもん。
「もう一回説明してもらっていいですか? あ、山頂以降からでいいです」
「次席のくせに物分かりが悪いなー。だから、山からずざーっと降りてくるんだよ」
師匠は山の頂上を指すと、そのまま振り下ろした。『ずざー』という擬音語は説明すべき箇所を全て省いている。
「あの、山を下りる必要はあるんですか?」
「なんだ? 山の半分も越えられないようじゃそれは男とは言わねーぞ?」
はい、今ので男性の何割が消滅したでしょうか。もしくは師匠の感性というものが壊れているのでしょうか。
しかし師匠は「当たり前のこと」みたいな感じで僕に説教をかましてくる。
「ちなみに安全とかって保障されてたり……?」
「そんなんあるわけねーじゃねーか」
「でっすよねー」
一応聞いてみたけれど、当然その回答が返ってきた。
運よく山の起伏は緩かった。これがアルプスみたいな山脈だったら本当に嫌だけど、こればかりは僕への救済措置だった。
「それじゃあ行くぞ龍馬ちん!」
「はい!」
日暮れまでに帰れるかはわからないし、運悪くクマに遭遇してパクパクもぐもぐされちゃいそうだけど。
一度決意したことは最後までやり通す。これが『オトコ道』ってやつだ。
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