2-7 ”パタン”

「あ、そうだったな。それじゃ龍馬ちん、腕相撲しようぜ?」

「はい。いいですけど」


 僕は腕をまくると師匠と向き合う。


 組み合う師匠の手は小さかった。僕が一五五センチなのに対し、師匠はそれよりも一五センチほど低い。だからある程度手は小さいと思う。だが、多分その基準よりも指の一本一本が細々としていて、ちょっと曲げたら折れそうだ。


「じゃあ鈴ちん掛け声よろしく」

「はい。ではいきますよ。よーい、スタート!」

「フィニッシュ!」

「はい。杏の勝ちです」


 ちょっとだけ、風が吹いた。


 始まってすぐ、いいやその刹那レベルのことだった。


 白峰先輩の開始の合図と同時に師匠が終わりの合図を叫んでいた。


「は?」


 僕の手の甲がすでにデスクに付いている。それすらも今理解したことだ。


 確か僕が力を入れる前にはもう……。


「すげーだろ。これがオレの変わったところだ」

「な、なんですかこれ⁉」

「瞬間的に反応できるんだーオレ。だから今のもスタートの合図と共に倒せたわけ」


 それは人間にできることなのか、としばし考えたがそう言えば師匠は人間だった。


「ほ、ほお」

「あ、信じてねーな? じゃあ今度は普通にやるから」


 僕はまた師匠と手を組み、また白峰先輩が合図する。


「あれ」


 瞬殺だった。先ほどよりは遅かったがこれもまごうことなき瞬殺。


「師匠! 普通にやるっていったじゃないですか!」

「いや、オレは普通にやったけど。だってこれ本能のまま動いてるわけじゃなくて調整できる力だし……。ちょっと待て。次は鈴ちんと戦ってみろよ」

「はい? わかりました」


 僕は本日三回目の腕相撲をするために、今度は白峰先輩の方を向いて手を組んだ。


「龍馬ちん、鈴ちんは腕相撲で勝ったことがないんだ。でも本気でやれよ?」

「僕をなめないでください? 瞬殺ですよ瞬殺」

「明らかに死亡フラグのような気もするが……よーい、始め!」


 パタン。


 余裕の瞬殺だった。


「龍馬ちん……」

「やりました! 私人生で初めて腕相撲に勝ちました!」


 あれ? 何かがおかしい。きっとデスクの磁力に僕の体内にある鉄分がくっついてしまったんだ。……ってそんなわけないじゃん。


「いっ、今のはちょっと手を抜きすぎました。もう一回お願いします」

「ええ。いいですよ」


 人生初の腕相撲勝利がそんなにも嬉しいのか、機嫌のいい白峰先輩。


 そしてまた組み合う。


「始め!」


 パタン。


「始め」


 パタン。


「……始め」


 パタン。


「さてそろそろ本気を――」

「もうわかった。やめとけ龍馬ちん」


 師匠に止められたが、僕はまだ負けを認めない。否、認めたくない。


「いやいや。あっそうだ。白峰先輩実はドーピングしてるでしょ! さっきの薬、実はあれ筋肉増強剤だったんでしょ⁉」

「高校生の腕相撲にドーピング使ってくる人を見たことがあるか?」


 師匠が溜息をつきながら僕にそう言う。


「変わり者たちの東皇四天だったらあり得ます」

「そう思うのならいいですよ? この薬は即効性なので、飲んだらすぐに効果が現れます」


 白峰先輩は再びポケットから薬を出すと、僕に一粒の錠剤を渡す。僕はそれを水なしでそのまま飲んで、勝負に挑んだ。


「…………始め」


 パタン。


「ごめんなさい。僕の負けです」


 四戦四敗。僕はそれはもう泣きそうな勢いでデスクに突っ伏して、もごもごしゃべる。


「龍馬ちん、弱すぎじゃない?」

「言わないでくださいっ!」


 僕って弱すぎるよなあ。本当に情けない。


 いろいろと残念な結果に終わったが、師匠の変わったところは『男を目指している』ことと『瞬間の反応力』だ。だから、僕が昨日逃げようとしたときに瞬間移動できたわけだ。


 白峰先輩以外は全員理解できた。まあなんとも怖い暴力集団としか思わなかったけれど……。


 だって斬殺、撲殺、毒殺に瞬殺があるんだよ?


僕は果たしてこの教室で一か月も生き残れるのか……。可能性が低くなってきた。


「それはそうと杏? 校内新聞に書いてあったのですが部活動説明会の書類はできたのですか?」


 白峰先輩が話を変えて師匠に訊ねる。


「あ……完全に忘れてた」


 口を開けて、「うっかり」みたいな表情を浮かべる師匠。


「それってまずいんじゃないですか?」

「まだ大丈夫だ。一日あれば終わる」

「今からやればいいじゃいですか。ほら、僕も手伝いますから!」

「龍馬ちんは覇王だから強制参加なんだけどさ……」

「……そうなんですね。やっぱり」


 なんでそこでしか『覇王』の権利が発動しないのか。ただの雑用ではないのかこれは。


「こういうのは純恋ちんがいないとできないし……ほらあれ」


 師匠は教室の隅を見る。当然のようにまだ王華院さんはそこでうずくまっていて、空宮さんが不思議そうにその隣でツンツン体をつついている。


 そして王華院さんは未だに念仏を唱えていた。


「……一堂龍馬がブロンド姫。ブロンド姫が一堂龍馬。男がブロンド姫。仮定より男イコールごみくず。よって一堂龍馬イコールごみくず。……QED」


「だからそこで証明終了しないでくださいっ!」

「んな、あの調子だと今日は無理だろ?」

「なんか僕のせいでごめんなさい」

「ってことで来週に資料作りの日にするぞー!」


 師匠が拳を天井に向かって突き上げる。


 僕にとって、これが『覇王の仕事』と言っていいのかはわからないが、来週のいつの日かは僕の初仕事に決定した。

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