4-6 ”ちなみに背後霊君は架空の生き物だ”

「そうだな。貴様がそれでいいと言うのならそうしよう。私が男を嫌う理由。それはな――」


 王華院さんはすべて話した。男が嫌いになった経緯を事細かに。


 中学生の時に電車通学だったようで、いわゆる『痴漢』を受けたのが原因らしい。それまでは男性ともコミュニケーションを取れていたのだけれど、それからというもの男性を蔑視するようになったという。だから物凄い圧力で自分を強く見せ、男子どもを近づかせなかったのだ。僕はその罠に簡単にハマっていた、というわけだね。


「痴漢って嫌ですよね」

「ああ。今ではもうないがな」


 そりゃないよね。電車内で王華院さんににらまれたら同じ車両どころか同じ電車にも乗れないし、極論だけど路線を変えちゃうまである。


「僕も痴漢されたことありますし」

「……?」


 今までで五回だ。本当につらい。何がつらいって女だと思って触られるから。もしくは世の中の男性はかなりの割合であっちなの?


「だから僕もわかりますよその気持ち。嫌いになりますよね。僕も『男子ってこういう生き物なのかよ』って思いました。口は悪いですが『死ねばいいのに』だなんて思ったこともあります」


 同時に心のどこかで僕の何かが死んだ。


 僕は男だからまだ我慢できるけど、これが女性であればもっとつらいのだろう。自殺だなんて怖い話もあるくらいだし。


「そうか、貴様も大変なんだな」


 王華院さんが僕を優しい目で見てくる。もっとつらい。否定もされないなんて。


「はい。でも今は大丈夫ですよ? 別に男性を嫌っているわけではないし、話そうと思えば話せます。……話す友達がいませんけど」


 ぐはあ。久しぶりに自爆型で、僕のライフゲージがゴリゴリ削られていったな。


「なぜだ? 貴様も同じ思いだったのだろう?」

「慣れたんです」

「痴漢にか?」

「男性にです」


 王華院さんはたまに天然になることがある。綾芽さんレベルではないけれど。痴漢に慣れるってそれある意味痴女だよ。僕の場合は痴男か。痴男ってなんだよ。


「男性に?」

「はい。慣れるんです。僕の場合はお父さんと会話することで慣れました。だから王華院さんも身近な男性と話すところから始めてください。絶対に思いは変わりますから」


「しかし、私の周りに男はいない。父は海外に飛びっぱなしで家に帰って来るのは年末くらいだ。兄弟もいない。学校の知り合いもいない」


 はいはいはい! いるよっ。今君の目の前に!


 僕の後ろにいる背後霊君がきっと今、阿修羅像みたいな感じに全力で手を上げている。ちなみに背後霊君は架空の生き物だ。


 そろそろツッコんでくれないと本当に泣いちゃいそうなんだけど……。もしやツッコんでほしいのか? いやでもここでツッコんだら王華院さんの機嫌を損ねて殺されちゃうかもしれない。


「ええと、僕男なんですけど……」


 満を持してひょろひょろと手を上げる。


 それを見た王華院さんは暫し首をかしげると、突然いつもの怖い顔に戻ってしまった。


「そうだ。貴様は男だったな」


 いつから僕を女子だと錯覚していたのかは分からないが、王華院さんがまた『男嫌いモード』へと変貌してしまった。卓袱台さんを殴った時以前の顔に戻ってしまった。


 ものの数分で僕を女子と勘違いしてしまうって、僕どんだけすごい記憶消去術を王華院さんに施したんだよ。


「……一応、はい。僕と話すことに慣れれば、じきに多分他の人とも話せるようになると思います」

「そうか」


 男嫌いモードの王華院さんの伝統芸である短文がクールに炸裂した。しかし王華院さんはそんな建前の奥に違う感情を持っていた。だって食い気味に僕の方を見るんだもん。立派なツンデレだね。


「じゃあ何か僕に話してみてください。あ、『男嫌いモード』で罵るっていうのは禁止ですよ?」


 僕の虫さんサイズの心が傷ついちゃうからね!


「そうだな。……では貴様はこれを見てどう思う?」


 貴様という最高な二人称は変わらないんですね。


 王華院さんは『これ』と言った。しかしそう言っただけで何のことかは分からない。浴衣姿の王華院さんは物凄く魅力的で、帯をきゅっと締めているせいでその抜群のスタイルが誇張されまくっている、のだがきっとそんな回答は求めていない。だとしたら何?


「ほら。女性に言うことがあるだろう!」


 僕が思い悩んでいると王華院さんに急かされた。


 思いついたのは一つ。だけど王華院さん、ルールちゃんと聞いてました?


「この世に生を受けてしまってすいません、ですか?」

「違う! 貴様は自分で言ったことをもう忘れたのか!」


 怒られてしまった。しまった『男嫌い』の方の話かと。


 ということはもう一つしかない。


「……もしかしてですけど、浴衣のことでした?」


 僕は王華院さんの気を窺うようにして聞いた。


「そうだ」


 感情の高ぶった王華院さんは「こほん」と息を入れると、またも僕に短文攻撃を食らわせる。


「いや王華院さんがそんな感想を求めるなんて意外でした。……そうですね。とても素敵です」

「…………ありがとう」


 王華院さんは照れたためか下を向いた。初めて感謝されて僕も当然笑顔になってしまう。


「それでだな……用というのはもう一つあって」

「はい?」


 王華院さんがまた黙り込む。そして軽く呼吸を整えると、

「名前で呼んで欲しい」


 と優しい声色で言った。


 僕はそんな王華院さんの甘い表情を前に心拍数上昇。仕方のないことだ、男だもん。


「えっ、いやその、なんで、でしょう」


 驚きと焦りが冷めあらぬ僕の純情ハートが、音を立てて動いている。


「名前で呼んで欲しい、と言っている。あと敬語もだ。……いや、綾芽や鈴蘭先輩は名前なのに私だけが苗字というのが気にくわん」

「そういうことでしたか……」


 王華院さんが頬を膨らませて、唇を真一文字に結ぶ。


 なんだ、びっくりしちゃったよ。てっきり『僕』に気があるものだと……。尚早だったね恥ずかしい。 


 しかし王華院さんを名前呼びにするには結構な精神力がいる。敬語なんてもってのほかだ。今まで全くと言っていい程話さなかった(ほぼ無視だけど)女の子だよ? 気が引けてしまう。


「でもいいんですか? 本当に」

「ああ。それだけだ。では私は部屋に戻る」

「……わかった。純恋さん」

「……」


 王華院さんは後ろを向いたまんま硬直した。一体何を考えているのだろう、それはわからない。


 やがて王華院さんはちょっとだけ僕の方を向いて口を開いた。


「私は貴様が嫌いだ。これだけは忘れるな」


 いきなり、今の表情とは裏腹にド直球で悪口を言われた。でも僕のメンタルが砕けることはもうない。


「知ってます。まず男という時点でダメですね。それ以外で嫌われてなければ僕はいいです」

「……そうか」


 王華院さんは咄嗟に後ろを向いた。


「ではな、ブロンド姫」


 王華院さんは僕の懐かしい名前を虫の音くらいにぽつりと呟いた。心なしか微笑んでいた。


 そしてそのまま僕の部屋から出ていってしまった。


「どうしたんだろ王華院さん。……ってあ、忘れ物してる!」


 卓袱台の上にあったのは一枚のプリント。片面刷りらしく、それが裏返しの状態だった。


 王華院さんに集中してたから気づかなかったけど、これ何のプリントなんだ?


 僕はそのプリントを興味本位で裏返す。


「『性転換手術のおしらせ』……………ってするかっ!」


 僕はそれを握りつぶして、目の前の襖に向かって全力投球した。襖さんごめんな。


 それにしてもまだ諦めてないのか王華院さん……。


「……僕、あるよね」


 急に不安になって自分のパンツの中を覗く。


「ああよかったー」


 安心して思わず溜息が漏れる。


 僕はちゃんと所持者だった。

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