第27話
「で、リール・ネド軍曹の行方は?」
「現在、首都防衛部の総力を結集して足取りをおっておりますが、しかし……」
「テロリスト共め、まさか、併合される前の排水溝を伝って侵入してくるとは……」
俺は寝かされていた。ただし、前回のように固く冷たい床に、というわけではない。寝心地は柔らかだし、空気も衛生的。それに、この薬品臭さはどこかの医療施設のようだ。
ゆっくりと目を開く。しかし、俺の五感が捕らえたのは、よく知る者の慌てた声だった。
「デルタは!? デルタ伍長は無事なんですか!?」
「ま、待ってくれ、今彼は……」
「僕はルイ・ローデン伍長です! デルタ伍長の友人です!」
「いや、そ、それでもだな……。今のデルタ伍長は――」
どうやらルイが、俺を心配して駆けつけてくれたらしい。それを医師が押し留めているところなのだろう。って、待てよ? ルイがここにいる? 彼はテロリストに誘拐されたのではなかったのか?
「ルイ? ルイなのか?」
俺は声を上げた。それは随分掠れた声だったが、周囲に自分の存在を知らせるには十分だった。
「デルタ!!」
「あ、おい、ちょっと君!」
スタスタと、足早に誰かがやって来る。俺は上半身を起こして迎えようとしたが、左腕が動かない。そして、左腕に何があったのかを思い出した。
ああ、そうか。今感覚がないのは、きっと麻酔でも打たれているのだろう。
右腕一本で身体を起こし、ベッドの周りのカーテンを見つめる。すると、ちょうど正面が引き開けられた。
「デルタ! 大丈夫か!?」
「おう、ルイ」
俺は何気ない所作でルイを迎えた。麻痺しているとはいえ、左腕が完全に動かないわけではあるまい。手を振ることくらいはできているだろう。しかし、そんな俺の姿を見て、ルイは愕然とした様子だった。
「デ、デルタ、君……!」
「なんだよ? それよりお前、無事か? 拉致されただろ? あれからどのくらい経った?」
俺は矢継ぎ早にルイに問いかけたが、彼は息を飲んで沈黙している。
「おいおい、俺は無事だぜ? 一体どうし――」
と言って、俺は何気なく左半身を見下ろした。そして『え?』と拍子抜けした声を上げた。
左腕が、なかった。血の滲んだ包帯が巻かれているが、肘のすぐ上あたりから、あるはずの身体がなかった。
「俺の腕……」
何故だろう。四肢を失った戦友は何人も見てきたし、それでも戦おうとする連中もたくさんいた。だが、自分が腕を失うなんて。この俺が。どうして。一体何があった?
「ちょっと待ちたまえ、ルイ伍長! 今、デルタ伍長は安静に――」
と言いながら医師が駆け込んできたが、唖然とするルイの姿を見て俯き、額に手を遣ってしまった。
「先生、俺の腕……」
「ああ、あまりに出血が酷くてね。切断して塞ぐしかなかった。許してくれ」
いや、許すも何もないだろう。話が飛躍している。悪いのは敵のテロリスト共ではないのか?
記憶をゆっくりと手繰り寄せると、俺が左腕を盾にして相手のナイフを受けたことが思い出された。確かに、あの時の出血量は尋常ではなかった。
左腕を失った。その事実を前にして、しかし俺は現実感が湧かなかった。衝撃的な出来事ではあるが、まだ生きてはいるわけだし――。
そんな俺に、あの言葉が甦ってきた。
『リールをお願い』――。
「リアン中尉……」
そうだ。俺はルイに尋ねなければならない。
「ルイ、お前はどうして帰ってこられたんだ?」
「……は?」
「だから、お前はどうして解放されたのかを訊いてるんだ!」
俺の怒号に、ルイは怯えの表情を見せた。しかし、俺にはどうしてもやらなければならないことがある。ルイはしばし口をパクパクさせていたが、ようやく声を発し始めた。
「ぼ、僕は、その、解放されたんだ、今は逃げるのに邪魔だ、また拉致する機会はあるから殺すな、って、誘拐犯のリーダーが言ってた……」
「じゃ、じゃあリールは!?」
「気絶していたみたいだ。だからそのまま連れ去られた……最新鋭機と一緒に」
俺ははっと息を飲んだ。と、いうことは。
「敵はステッパーをかっさらっていったのか!?」
「う、うん、そのようだ」
俺はリールの乗っていた最新鋭機のフォルムを思い返した。既存機ではありえない、スピーディな戦闘を可能にする新型バックスラスター。並みの機体で敵うはずがない。ましてや、歩兵など返り討ちのいい的になってしまう。
「ルイ、俺を整備ドックに連れて行ってくれ」
すると、ルイの態度が一変した。目を細め、俺を睨みつけてきたのだ。
「……何をするつもりなんだ、デルタ?」
「リール軍曹を救出する。止めようとしても無駄だ。とにかく、俺を整備ドックまで誘導しろ。その間に、いくつか質問に答えてもらう」
「質問したいのはこっちだよ!」
そう叫ぶと、再びルイは喚き始めた。しかしそこには、先ほどは見られなかった怒気が含まれている。
「き、君は左腕を失ったんだぞ! それでどうやって戦うんだ!? ステッパーの、それも最新鋭機を相手に!」
「最新鋭機が強奪されたってことは、標準仕様の機体は無事なんだな?」
「そ、それはそうだけど……」
カチン、ときた。ルイの煮え切らない態度に、俺の脳は一気に沸騰した。
「よく聞け馬鹿野郎!!」
俺は背中と腰の筋肉を総動員して、自分の上半身を跳ね上げた。右腕でルイの胸倉を引っ掴み、しかし体勢を整えきれずに再びベッドに横たわる。それにつられて前のめりになったルイ。彼の顔は、ちょうど俺と鼻先が触れ合うくらいの位置にあった。
「俺はリアン中尉に約束したんだ、リール軍曹を守ると! だったら今、生きて帰らせる以外に選択肢はねえだろうが!!」
俺の気迫に押されたのか、ルイは目を見開いて硬直した。が、そこは常日頃冷静なルイのことだ、先ほどよりはずっと落ち着いた口調で、淡々と答え始めた。
「司令部が急襲されてから三時間が経っている。デルタが気を失ってからは二時間ほどだ。僕が開放されたのは一時間半前くらい。今は歩兵部隊が総力を挙げてリール軍曹を探しているけれど、なかなか見つからない」
「見つからない?」
そうか。そう言えば先ほど、誰かが話していた。『敵は排水溝から侵入してきた』と。古い地図を漁らなければなるまい。
「地図を寄越せ、ルイ」
「駄目だ、デルタ」
「この俺が戦えないとでも言いたいのか?」
「違う。君が戦って返り討ちに遭うのは目に見えてるんだ。だから地図は渡せないし、ましてや出撃させるわけにはいかない」
「生憎、俺もリアン中尉の遺言に従わなきゃならない。それを反故にするくらいなら、死んだほうがマシだ」
そう言い切ると、ルイは眉間に手を遣り、黙り込んだ。首を左右に振っている。
「ルイ、黙っている暇があるなら俺を整備ドックに連れていけ。俺もリールの――あの生意気なガキの捜索隊に入る」
すると、ルイの身体が一瞬硬直した。
「整備ドックって……。デルタ、君はステッパーに乗って戦うつもりなのか?」
「さっきも言っただろうが。『整備ドックに連れていけ』と」
「操縦できる自信はあるのか?」
「敵はステッパーを強奪して逃走中なんだろう? 歩兵の武器でどうにかできる相手じゃない。ステッパーにはステッパーだ」
今度は俺が、ルイを睨みつける番だった。
「自信の有無は二の次だ。無傷の機体があるなら、拝借させてもらう」
そこまで言った、次の瞬間。パシン、といい音が病室内に響き渡った。音の次に感じられたのは、頬に走る鋭い痛み。ルイに引っ叩かれたのだと察するのに、しばしの時間が必要だった。
「ルイ、お前……」
「馬鹿野郎!!」
驚いた。正直、怯みさえした。まさかルイが、こんなに声を荒げることがあるなんて。しかも『馬鹿野郎』ときた。さっきのお返しのつもりなのか。
「デルタ、君は……自分がどれだけ周囲の人たちに慕われているか、分かっていないんだ!」
「なっ、し、慕うって……」
そんなこと、あるわけないだろう。そう言って一蹴することもできた。少年兵あがりで喧嘩っ早い俺のような人間が、慕われていただなんて、どう考えてもあり得ない。
俺が困惑していると、ルイは『まだ分からないのか?』と語気を強めた。
「君が慕われていなかったら、リアン中尉が言うわけないだろう? 『自分の妹を頼む』だなんて!」
「……」
俺は黙考した。ルイの言うことは、完全に矛盾している。
自分では、俺を戦いに行かせまいとしている。しかし、リアン中尉の最期の頼みを引っ張り出して、リールを助けに行かせようとしているようにも聞こえる。
これは、リアン中尉が俺とルイに残した謎々のようなものなのだろうか。『慕っているから生きていてほしい』という気持ちと、『妹を助けてほしい』という願い。
どちらか片方を選ぶなんて、俺にはできない。しかし――。
「なんだ、簡単なことじゃないか」
俺と同じく、考え込んでいたルイが顔を上げる。
「俺が戦って、リールと一緒に生還すればいい。そうすれば、皆が慕ってくれている俺も、リアン中尉が俺に託したリールの命も両方が助かる。違うか?」
「……」
今度はルイが黙り込んだ。俺と同じ考えに至っていたのだろうか。
「勝算はあるのか、デルタ?」
「知るか、そんなこと。やれるだけのことをやる。それだけだ」
顎に手を遣るルイ。だが、ついに彼も吹っ切れたらしい。諦めた、とも言えるかもしれないが。
「分かったよ、デルタ。君を整備ドックに案内する。ついて来てくれ」
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