降るのはいつも紅い雨
岩井喬
第1話
「はあ、はあ、はあ、はあ……」
《チームリーダーより各員、現在の配置状況を送れ》
《こちらアルファ、配置よし》
《ブラボー、狙撃ポイント到達。いつでもよし》
《こちらチャーリー、デルタと共に射撃ポイントに急行中》
「はあ、はあ、はあ、はあ……」
「おい、デルタ!」
先を駆けていくチャーリーが、俺を振り返った。彼の肩には大口径マシンガンが掲げられている。俺はと言えば、彼の後を追ってマシンガンの弾帯を運んでいた。それが、俺の任務だ。
「ちょ、ちょっと待って、チャーリー……。息上がっちゃって……」
「馬鹿野郎、敵はすぐそこまで来てるんだぞ? お前がいなけりゃ戦えない。俺たちは犬死にだ。気合入れろ!」
デルタ――。気づいた時には、俺は既にそう呼ばれていた。この短い人生の中で、本名を呼ばれたことなど数えるほどしかない。そもそも、俺自身の記憶が曖昧だ。
両親はこの戦争でさっさとこの世からドロップアウトし、遺された俺は孤児を経て戦いに身を投じたることになった。ありがちな少年兵ルートだ。
いわゆる『敵』に対して、憎しみは特にない。軍事政権のヒエラルキー下部に位置する俺たちにとって、殺せば殺すだけ衣食住は充実する。
腕のいい狙撃手、ブラボーなんかは月一で肉にありつけるらしい。リーダーには酒も配給されるとか。酒を飲んだことのない俺は、それのどこがいいのか分からない。だが、ブラボーに与えられる肉は、俺にとって羨望の的だった。普段は皆、パックに入った栄養剤で空腹を紛らわせている。
『皆』と言ってしまったが、一人一人、戦いに出る動機やきっかけは様々だ。
俺のように、寄る辺がなくなってしまった者。
復讐心に駆られまくっている者。
愛国心という黴の生えたような理想を掲げる者。
そのどれが正しいかなど分からないし、知りたいとも思わない。まあ、皆が命を懸けて戦っている、ということは数少ない一致点だと思う。
俺たちが今務めているのは、いわゆる足止めのための作戦だ。ここ、煉瓦造りの廃墟から見て、二百メートルほど離れた森林地帯。その奥には、戦車も通行可能な、石材でできた丈夫な橋がある。これが今現在、敵の手に落ちてしまっているのだ。
「ったく、今朝までは俺たちの領内だったのにな」
「あ、ああ……」
息を切らしながら、俺はチャーリーに追いついた。チャーリーは、森林に面した壁を肘で叩き割り、射角を確保している。そこはかつて、書斎にでもなっていたのだろう。鹿の頭部の剥製や象牙が飾られている。
人が人を狙わずにいられた過去世界に住んでいた人々が羨ましい。だが、人類史上、戦争のない時代はなかったと聞いたこともある。
そんな話をしてくれたのは、確かエコーだったか。ここに向かう出発前、味方の誤射で死んだ。よくあることだ。俺たちは割と古参だが、新兵(ゲリラに新兵なんて概念があれば、の話だが)には銃の扱いを誤る者も多い。
後頭部に銃弾を受け、即死したエコー。そんな彼に代わり、その新兵に地雷原を歩かせたのはリーダーだ。ものの十数秒で、新兵はバラバラになった。
その様子を、リーダーは腕を組んで、なんの感慨もなく見つめていた。隣では、チャーリーが反吐をぶちまけていたが。
これは出発前、新兵に天罰が下ったからのこと。単純なことだ。しかし、どうも少年兵というのは、捨て駒に使われる割には心配されるらしい。無論、俺たちの身が心配されているわけではない。『役に立つのか否か』『足止めに使えるのか否か』。要点はこの二つだけ。
それはそうだ。最年長のリーダーさえ、年齢は高々十五、六だと聞いている。歴戦の猛者に比べれば、危険な任務を負わせるには少年兵を使った方がいい。
ちなみに俺は、自分を十二歳くらいと位置づけている。誕生日など忘れてしまったので、年末年始を迎える度に、一つずつ歳を重ねることにしているのだ。まあ、クリスマスも正月もあったものではないが。
《各員、配置状況知らせ》
声変わり時期なのか、どこか掠れた声でリーダーが確認を取る。皆、そのくらいの年代なのだ。こうした、捨て駒気味の作戦に従事させるにはうってつけだ。
《アルファ、配置よし》
《ブラボー、早く的を指示してくれ》
《こちらチャーリー、大口径マシンガンを配置中! デルタ、弾帯寄越せ!》
「あ、り、了解!」
俺は肩から腰に巻きつけていた弾帯を解きながら、左腕でざらざらとチャーリーの方へ流した。受け取ったチャーリーは、腹ばいになってマシンガンのカバーを開き、弾帯を引き込む。それからガシャッ、と初弾を装填する。
僅かに砂煙が舞う。
《こちらリーダー、熱源センサーにより敵影を捕捉。皆、見えても撃つな。ギリギリまで引きつけろ》
『了解』という復唱が繰り返される。隣では、チャーリーが唇を舌で湿らせていた。
俺だけが緊張しているわけじゃない。誰だってそうだ。もしかしたら敵だって――。
そう思い込もうとした、次の瞬間だった。
視界の隅で、木の葉が揺れた。その木だけが揺れ、下草が踏みにじられる。明らかに風ではない。
敵だ。斥候に出されたのだろう、こちらの陣取った廃墟を見上げるが、俺たちを発見できずにいる。
《誰も撃つなよ。おびき出すんだ》
その言葉が終わるか終わらないかも分からないうちに、斥候は大きく腕を振り仰いだ。
すると、ぞろぞろと敵が蟻のように湧き出てきた。
《なあ、リーダー……》
《まだだ、ブラボー。小隊長が出てくるまでだ》
今射撃許可を求めたのは、ブラボーの作戦だ。俺たち他のメンバーに対して、焦りに伴う言動を見せることで気を紛らわせようとしている。『自分も焦っているのだ』と見せつけて。
そうこうしているうちに、小隊のリーダーと思しき男性が、ぬっと顔を出した。ヘルメットに描かれたマークからして、恐らく階級は少尉。年齢は三十代前半、といったところか。他の隊員たちは皆若い。
《リーダーより各員、ブラボーが敵リーダーを狙撃する。敵リーダーの排除を確認次第、各員全装備の使用を許可。なんとしても、連中をここで食い止めろ》
《はいはーい、っと……。一発で眉間をぶち抜くから、皆俺に続けよ!》
おどけた調子のブラボー。しかし、その無線機越しの声からは、彼の緊張感が伝わってくる。
《そろそろいくぜ》
《お先にどうぞ》
ブラボーの言葉に、アルファもまた気楽な返答を寄越す。
《んじゃ》
わずか三秒後。シュトッ、という音がした。戦闘開始の合図にしては、随分と気の抜けた響き。しかし、それが敵に与えたインパクトは大きかった。
「隊長!? 隊長!!」
「駄目だ、死んでる!!」
「全員散れ!! 今度は俺たちが……がはっ!?」
「副長ーーー!!」
俺たちは一斉に射撃を開始した。チャーリーはマシンガンを一気に横切らせる。銃撃に合わせて、敵兵たちは後ろ向きに弾き飛ばされた。それに合わせて、血飛沫がびしゃり、と宙を舞う。腸の飛び出た奴もいるが、まあ見慣れたものだ。戦闘中とあって、チャーリーも嘔吐する暇がない。
二、三度、銃弾を横薙ぎにばらまいた時だった。
「チッ!」
「どうしたんだ、チャーリー?」
「連中、こちらの位置に気づいたようだ」
俺は空になった弾帯を交換してから、そっと壁の穴から顔を覗かせる。
「ああ……」
敵もただ敗走するわけにはいかなかったらしい。なんとか粘るべく、匍匐前進の体勢を取り始めている。この角度からでは、なかなか狙えない。
「!」
俺はチャーリーの後頭部をバンバンと叩いた。まだ立ち上がっている敵がいるのを見つけたのだ。リロードを終えたチャーリーに、『二時方向だ!』と叫ぶ。直後、ズタタタッ、と鋭い音がして、二時方向の敵兵は一瞬でバラバラになった――が。
「ぐっ!」
「チャーリー!!」
俺は慌てて目を閉じた。生温かい液体が舞ったのだ。慌ててシャツの袖で顔を拭う。鼻先からは、鉄臭い臭いがする。
「痛ってぇ……」
「だ、大丈夫か!?」
「掠り傷だ。それより、一旦場所を移すぞ」
壁に開いた穴から身を隠しながら、チャーリーは後退した。
「弾薬はあとどれだけある?」
「ちょうど弾帯一本だ!」
「もう一仕事だな……。デルタ、マシンガンを頼む」
「ああ!」
俺は慌ててマシンガンを引っ張り込み、肩に担いだ。こんな重いものを担いで戦場を駆けまわっていたのか、チャーリーは。
その直後だった。胃袋の底が揺すぶられるような衝撃が、俺たちを襲った。部屋の木材がバキバキと砕かれ、壁を成していた煉瓦がガラガラと崩れる。
「……ッ!」
「デルタ! おいデルタ、無事か!?」
「あ、ああ!」
俺は、自分の身体に四肢がついていることを確かめてから、『行くぞ!』と急き立てられて腰を上げた。頭を下げながら、チャーリーに続いていく。
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