第4話

「……」


 俺はベッドに横たわったまま、無言で目を開けた。呼吸は荒れていない。あんな酷い過去の夢を見ていたというのに。

 俺が目を覚ましたのは、大型の軍用ヘリの回転翼が騒がしかったからだ。今日は誰かVIPが来る予定だっただろうか? まあ、この基地を査察されたところで、何も報告すべき事項は挙げられないだろうが。


「ん……」


 俺は四畳一間の自室のベッドに横たわったまま、額から顎へと、ゆっくり腕で顔を拭った。

 血と火薬の臭いがする。いや、そんな気がしてしまう。


「皆……」


 俺の脳裏をよぎるのは、少年兵として最後に戦った仲間たちの顔だ。リーダー、アルファ、ブラボー、チャーリー。あれから五年も経ったとは、俄かに信じられることではなかった。


 味方のステッパー部隊に救助されてから五年。俺は十七歳になっていた。いや、勝手にそうカウントしていた。正月はとっくに過ぎ、今は真夏。確か今日から八月だったか。蒸し暑さにうんざりしながら、俺はベッドに腰かけた。

 ふと前を見遣る。そこにあったのは鏡だ。引き締まった身体つきの、目つきの鋭い若者が、俺を見返している。上半身は裸で、ボクサーパンツ一丁という格好。髪は寝癖でボサボサだ。


 俺は額に掌を当て、視線を下げた。寝る前に着ていたのであろう、白いシャツと薄手の作業用ズボンが無造作に投げ出されている。


「……」


 音のないため息をつきながら、俺は立ち上がった。この、広いとも狭いともつかない俺のプライベートルーム。ベッドの反対側、全身を映す鏡をどければ、小さなデスクがある。そこにはグラスに入った水と、錠剤の入った袋が載っていた。


「あ、そうか」


 昨夜は薬、抗不安剤を飲み忘れていたらしい。道理で寝起きの気分がすぐれないわけだ。

 しかし、水の用意までしておきながら薬を飲み忘れたとは、どういうことだろう。

 顎に握り拳を当てて黙考する。それから十秒ほど考えて、ふっと思い出した。昨夜は急患があったのだ。そこで殴り合いの喧嘩になって、薬を飲むことなど忘れ去ってしまったのだろう。

 とにかく、昨夜は騒がしかった。


         ※


「格納庫を空けろ! 急患だ!」

「味方のステッパーがやられた、ってのは本当か!?」

「だからこの前線基地まで逃げてきたんだろうが!」


 飛び交う怒声の中、俺は格納庫奥のステッパー修理倉庫から飛び出そうとした。と、その前に、修理器具を握ったままだったことを思いだす。

 そっとレンチを作業台に置き、改めて駆け出した。手袋は装着したままだ。開け放されたままの大きな扉から出ると、そこは出撃準備を完了したステッパーたちの待機場になっている。俺が修理倉庫から飛び出した頃には、数機のステッパーたちが格納庫から飛び出していくところだった。周囲警戒監視のためだ。


 敵の偵察機や人工衛星の目を逃れるべく、俺たちは万全の態勢を期している。もし、損傷した味方機が敵機に追尾されてきていたとすれば、その敵機の情報が伝達される前に叩かなければならない。

 真っ白い機体が、格納庫の照明を反射しながら颯爽と飛び出していく。スラスターが微速前進で軽く火を噴きだす。それを眺めていた俺の頭上から、グウン、という唸りが聞こえてきた。一回ではなく、四、五回ほど。屋上に配置された対空機銃が迎撃準備に入ったらしい。

 

 俺は近くにいた整備士仲間に声をかけた。


「お、おい、オルド・カッター大尉とリアン・ネド中尉は?」

「もう出撃した。心配するな」

「し、心配するなって……」


 俺の慌てぶりが滑稽だったのか、年嵩の整備士は苦笑を浮かべた。それから俺の方へと向き直る。


「あの二人が負傷して帰ってきたことは?」

「な、ないけど……」

「情報収集に来た敵機を撃ち漏らしたことは?」

「それもない」


 すると、その奥から俺たちの会話を聞いていたパイロットが、ひょっこり顔を出した。


「つまり心配すんなってこったよ、デルタ。ま、ビビリのお前には分かんねえだろうけどな」

「ロンファ……」


 赤い癖毛に、高い鼻を備えた整った顔立ち。身長も歳の頃も俺と同じくらい。それがロンファ・リーグランド伍長だ。パイロットとしての腕前は確かだが、機体の操縦が荒いことで、整備班からはよく思われていない。

 厭味ったらしくすぼめられた茶色の瞳が、余計に俺の心を波立たせた。


「そんなにリアン中尉にご執心なのか? デルタ」

「なっ!?」


 俺はさっと顔に血が上るのが分かった。


「そりゃあ、お前の命の恩人だものな。心が揺れるのは分からないでもないぜ」


 相変わらずニタニタと、不敵な笑みを浮かべるロンファ。これで俺と階級も一緒なのだから、付き合いにくいったらありゃしない。

 俺が俯き、拳を握りしめていると、ロンファは前髪をかき上げながらこう言った。


「お前だって、ステッパーに乗って戦えばいい。リアン中尉の護衛だったら、気を惹けるかもしれないぜ?」

「そんなんじゃない……」


 斜め下方向に向けられた俺の視線の先に、軍用ブーツの先端が入ってきた。ロンファが近づいてきたのだ。


「それとも、怖いのか? ステッパーに乗るのが?」

「ッ!!」


 俺はキッと目を上げた。しかし、ロンファは構わず続ける。


「ま、少年兵上がりのお前からすりゃあ、ステッパーは怖いよなあ? 敵のステッパー部隊に、仲間を皆殺しにされちまって。『味方機だから』って言っても、結局は同じようなもんだ。修理しながらでも、実際に乗れるってわけじゃねえんだろ?」

「……」

「心配すんな、お前みてえな奴は、俺たちがしっかり守ってやっからよ」


 そう言って振り返るロンファ。

 なんとか感情を抑制できた――俺がそう思った直後だった。ロンファの口元が、こう動いたのだ。


『臆病者が』


 と。

 気づいた時には、俺は再び拳を握り直し、思いっきり振りかぶっていた。


「おい、止めろ!!」


 年嵩の整備士の制止も聞かない。いや、そもそも誰の言葉にも耳を貸すつもりはない。俺は思いっきり、ロンファの後頭部を殴りつけた。


「ぐっ!?」


 ロンファは短い悲鳴を上げて、鼻先から床に倒れ込んだ。

 何事かと、皆がこちらに振り返る。しかし俺は構わなかった。後ろから止めに入った整備仲間の腹に肘鉄を叩き込み、突き飛ばす。それからロンファの脇腹を蹴り上げた。


「ぶはっ!!」


 鼻血が出ている。しかし、その程度で俺の怒りが収まるはずがなかった。俺の仲間たちは、こんな生易しい暴力には遭わなかった。もっと酷く、身体を木端微塵にされながら死んだのだ。それを馬鹿にするような奴を責めるのに、鼻血程度で済ませられるわけがない。

 

「この野郎!」


 ずんずんと前進した俺の脛に激痛が走る。


「ぐっ!」


 ロンファが膝を曲げ、屈伸する要領で俺の脛を蹴りつけたのだ。そのまま前方に転倒する俺。だが、ちょうどそれがロンファにのしかかるような体勢を取らせてくれた。ロンファに跨り、俺は再び拳を振りかざした。


「てめえ、パイロットだからっていい気になりやがって!」

「俺たちが命を張ってるから、お前らだって飯を食えるんだろうが!」

「何だと? 誰が機体のメンテをしてると思ってるんだ? 俺たちがいなけりゃ、てめえらだって生き残れねえんだぞ!」


 ようやく、周囲の整備士や非番のパイロットたちが俺たちを止めに入った。思いっきり両肩を後ろに引かれた俺は、今度は肘打ちのタイミングを逸してしまった。そのまま仰向けに引き倒される。


「離せ! 離せよ!!」


 俺は足をバタつかせたが、それはもう誰にも届かない。無理やり顔を上げると、ロンファが立ち上がるところだった。すぐにパイロット組が彼を押さえつける。しかし、悪あがきのつもりだろう、ロンファはプッと唾を吐きかけてきた。


「ッ! 畜生、離しやがれ!!」


 ロンファは、俺と違ってこれ以上は騒がなかった。だが、そこに厭味の表情はない。本当ならお前をボコボコにできるのに、とでも言いたげな顔つきだった。

 ゆっくりとこちらに背を向けるロンファ。その姿を見て、俺も暴れるのを止めた。


「おい、始末書もんだぞ、こりゃあ……」

「オルド大尉が帰ってきたら……」


 すると、遠くから『心配するな』という重苦しい声が響いてきた。整備班長のグラブ・ゴウル曹長が、その幅広い肩を揺すりながらやってくる。ロンファもまた、そちらに振り向かされた。


「デルタ伍長、リーグランド伍長。明日の昼前に俺の部屋に来い」


 その言葉だけで、俺は気が遠のくような錯覚に囚われた。これで、明日の昼飯はお預けだな。


         ※


「ああ、そうだった……」


 昨日の回想から戻った俺は、改めて頭を抱えてしまった。せめて朝飯はたらふく食っておこう。どうせ高タンパクゼリーと野菜スープだけだろうけど。

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